胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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五章

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 いきなり肩を叩かれ、アレンは教室移動の途中で呼び止められた。驚いて振り向くと、唐突に空色の封筒を渡される。

舞踏会メイ・ボールの招待状――」

 空色の地に白抜きで印字されたカードを開く。冒頭には、ヴォルテールの言葉。

『人は誰でも、人生が自分に配ったカードを受け入れなくてはならない。しかし、一旦カードを手にしたら、それをどのように使ってゲームに勝つかは、各自が一人で決めることだ』

「きみに宛てた言葉みたいだね」とアレンは、クスリと笑って吉野を見あげる。
「ヘンリーにペアチケットを貰ったんだ。あいつ、今年、卒業だからさ」
「実は、僕も持っているんだ」
 アレンは、ポケットから同じ封筒を取りだしてみせる。
「ラザフォード卿からいただきました」
「じゃ、クリスやフレッドを誘ってこいよ。IGCSEも、学年末試験も終わったし思いっきり遊んでくればいい」
「え……。きみは?」
 まるで他人事のように話す吉野に、アレンは不安げに尋ねた。
「俺、スタッフなんだ。飛鳥がTSでイベント会場を作っているんだ。その手伝いをするからチケットは要らない。タダで入れる」

 やっぱり――、とばかりに、がっかりした顔で唇を尖らせるアレンの頭を、吉野はくしゃっと撫でた。

「テーマはな、迷宮だって。ギリシャ神話のミノタウロス伝説の。飛鳥の仕事だからな、期待していいぞ」
 誇らしげに微笑む吉野に、アレンも仕方なくにっこりと笑う。
「お兄さんと仲直りできたんだね」
「仲直り? もともと喧嘩なんかしてないよ。飛鳥は焼きもち焼きだからさ、ちょっと拗ねてただけだよ。俺がお前たちにかまいすぎるからさ」

 晴れ晴れと笑う吉野にアレンは複雑な笑みを浮かべていたが、気を逸らすように、カードに視線を落とした。

「じゃあ、フレッドと、クリスと、サウード、あ、イスハ―クの分はどうしよう? 今からでもチケット余分に手に入るのかな?」
「ああ、その辺は心配するな。サウードが自分でどうとでもするよ」

 吉野は気楽な様子でそう言うと、「早めにみんなの予定を確認しとけよ」と言い残して、また忙しそうにどこかへ行ってしまった。



「ケンブリッジのメイボール!」
「おまけに、一番人気のトリニティカレッジだよ! こんなの、普通手に入らないプレミアチケットだよ!」

 瞳を輝かせて歓声をあげるクリスとフレデリックに、アレンはちょっと心配そうな顔をして小首を傾げる。

「でも、舞踏会なんだろ? これって、普通男女ペアで、女性同伴なんじゃないの? キャルも今年は高校卒業だからさ、プロムの相手がどうこうって、煩く言っていたんだけれど……」

 しーんと鎮まり返った。

「女装でもしていく?」
 フレデリックが真剣な顔で、アレンとクリスを代わる代わる見つめる。サウードは顔を背けて笑いを噛み殺している。

「僕?」
 クリスが眉間に皺を寄せる。
「アレンはいいとして、やっぱりここは身長的にも――」
「フレッドの方が美人になれるよ!」

「フレッドとクリスでいいじゃないか」
 アレンが淡々と言った。目を見張る二人に、「僕が招待されたんだから、女装って訳にはいかないだろ?」とあくまで冷静な判断を示している。
「サウード! きみが適任だよ! ほら、正装だからね! あの、なんていうんだっけ? きみの国の民族服、顔を隠して頭からすっぽりかぶるやつ、あれなら男も女も判らないよ!」

 とうとう堪え切れずにサウードは噴きだした。

「舞踏会っていっても、たんに試験が終わった後のお祭り騒ぎだよ。米国のプロムみたいなダンスパーティーとは違うって、ヨシノが言っていたよ」
「女性同伴は?」

 サウードは笑いながら首を横に振る。だが、ほー、と胸を撫でおろし、顔を見合わせる皆を見て、悪戯な瞳を輝かせてつけ加えた。

「しまった、黙っていれば良かったな。そうしたら、当日、ヨシノを思いっきり笑わせることができたのに!」





「監督生、出揃ったか?」
 執務室に入るなり訊ねた吉野に、「やれやれ、第一声がそれかい?」とパトリックは、眉根を寄せて溜息を漏らす。

「他に聞くことないだろ?」

 パトリックは黙って手元の紙を吉野の方へ滑らせた。成績順に選ばれた監督生の名前が連なるリストに、ざっと目を通した吉野はほっとしたように息をつく。

「やっぱりフレッドの方が上か――。まぁ、仕方がないな」
「十分健闘しているじゃないか」
「まぁまぁだな。でも、あの祖父さんを黙らせるのに、寮長か、監督生代表の地位は欲しいんだよなぁ……」

 浮かない顔で息をつく吉野に、パトリックはいつも冷たそうに見える、薄い水色の瞳を怪訝そうに向けた。

「黙らせるって?」
「大学進学。ケンブリッジに行きたいんだよ、あいつ。フレッドも、クリスもケンブリッジ志望だからな」
「きみもだろう?」
「俺?」
 吉野はひょいっと肩をすくめた。
「奨学生だし約束だから受けるけれど、行かないよ。飛鳥もあと一年で卒業だしね。俺、Aレベルを済ませば、ビザのために学生でいなくたって、ワーキングビザが取れるもの」

 無表情のまま自分を見つめる相手を、吉野は真っ直ぐに見返してにっと笑う。

「心配性だな、パトリック。あんたの進路は、オックスフォード? ベンがいるものな。院はケンブリッジに進めばいい。そうすれば、ケンブリッジであいつに会えるよ」
「きみに僕の人生設計を立ててもらう必要はないね」
「そりゃそうだ!」

 静かに言い返したパトリックに、吉野は朗らかな笑い声で応えていた。





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