326 / 758
五章
6
しおりを挟む
いきなり肩を叩かれ、アレンは教室移動の途中で呼び止められた。驚いて振り向くと、唐突に空色の封筒を渡される。
「舞踏会の招待状――」
空色の地に白抜きで印字されたカードを開く。冒頭には、ヴォルテールの言葉。
『人は誰でも、人生が自分に配ったカードを受け入れなくてはならない。しかし、一旦カードを手にしたら、それをどのように使ってゲームに勝つかは、各自が一人で決めることだ』
「きみに宛てた言葉みたいだね」とアレンは、クスリと笑って吉野を見あげる。
「ヘンリーにペアチケットを貰ったんだ。あいつ、今年、卒業だからさ」
「実は、僕も持っているんだ」
アレンは、ポケットから同じ封筒を取りだしてみせる。
「ラザフォード卿からいただきました」
「じゃ、クリスやフレッドを誘ってこいよ。IGCSEも、学年末試験も終わったし思いっきり遊んでくればいい」
「え……。きみは?」
まるで他人事のように話す吉野に、アレンは不安げに尋ねた。
「俺、スタッフなんだ。飛鳥がTSでイベント会場を作っているんだ。その手伝いをするからチケットは要らない。タダで入れる」
やっぱり――、とばかりに、がっかりした顔で唇を尖らせるアレンの頭を、吉野はくしゃっと撫でた。
「テーマはな、迷宮だって。ギリシャ神話のミノタウロス伝説の。飛鳥の仕事だからな、期待していいぞ」
誇らしげに微笑む吉野に、アレンも仕方なくにっこりと笑う。
「お兄さんと仲直りできたんだね」
「仲直り? もともと喧嘩なんかしてないよ。飛鳥は焼きもち焼きだからさ、ちょっと拗ねてただけだよ。俺がお前たちにかまいすぎるからさ」
晴れ晴れと笑う吉野にアレンは複雑な笑みを浮かべていたが、気を逸らすように、カードに視線を落とした。
「じゃあ、フレッドと、クリスと、サウード、あ、イスハ―クの分はどうしよう? 今からでもチケット余分に手に入るのかな?」
「ああ、その辺は心配するな。サウードが自分でどうとでもするよ」
吉野は気楽な様子でそう言うと、「早めにみんなの予定を確認しとけよ」と言い残して、また忙しそうにどこかへ行ってしまった。
「ケンブリッジのメイボール!」
「おまけに、一番人気のトリニティカレッジだよ! こんなの、普通手に入らないプレミアチケットだよ!」
瞳を輝かせて歓声をあげるクリスとフレデリックに、アレンはちょっと心配そうな顔をして小首を傾げる。
「でも、舞踏会なんだろ? これって、普通男女ペアで、女性同伴なんじゃないの? キャルも今年は高校卒業だからさ、プロムの相手がどうこうって、煩く言っていたんだけれど……」
しーんと鎮まり返った。
「女装でもしていく?」
フレデリックが真剣な顔で、アレンとクリスを代わる代わる見つめる。サウードは顔を背けて笑いを噛み殺している。
「僕?」
クリスが眉間に皺を寄せる。
「アレンはいいとして、やっぱりここは身長的にも――」
「フレッドの方が美人になれるよ!」
「フレッドとクリスでいいじゃないか」
アレンが淡々と言った。目を見張る二人に、「僕が招待されたんだから、女装って訳にはいかないだろ?」とあくまで冷静な判断を示している。
「サウード! きみが適任だよ! ほら、正装だからね! あの、なんていうんだっけ? きみの国の民族服、顔を隠して頭からすっぽりかぶるやつ、あれなら男も女も判らないよ!」
とうとう堪え切れずにサウードは噴きだした。
「舞踏会っていっても、たんに試験が終わった後のお祭り騒ぎだよ。米国のプロムみたいなダンスパーティーとは違うって、ヨシノが言っていたよ」
「女性同伴は?」
サウードは笑いながら首を横に振る。だが、ほー、と胸を撫でおろし、顔を見合わせる皆を見て、悪戯な瞳を輝かせてつけ加えた。
「しまった、黙っていれば良かったな。そうしたら、当日、ヨシノを思いっきり笑わせることができたのに!」
「監督生、出揃ったか?」
執務室に入るなり訊ねた吉野に、「やれやれ、第一声がそれかい?」とパトリックは、眉根を寄せて溜息を漏らす。
「他に聞くことないだろ?」
パトリックは黙って手元の紙を吉野の方へ滑らせた。成績順に選ばれた監督生の名前が連なるリストに、ざっと目を通した吉野はほっとしたように息をつく。
「やっぱりフレッドの方が上か――。まぁ、仕方がないな」
「十分健闘しているじゃないか」
「まぁまぁだな。でも、あの祖父さんを黙らせるのに、寮長か、監督生代表の地位は欲しいんだよなぁ……」
浮かない顔で息をつく吉野に、パトリックはいつも冷たそうに見える、薄い水色の瞳を怪訝そうに向けた。
「黙らせるって?」
「大学進学。ケンブリッジに行きたいんだよ、あいつ。フレッドも、クリスもケンブリッジ志望だからな」
「きみもだろう?」
「俺?」
吉野はひょいっと肩をすくめた。
「奨学生だし約束だから受けるけれど、行かないよ。飛鳥もあと一年で卒業だしね。俺、Aレベルを済ませば、ビザのために学生でいなくたって、ワーキングビザが取れるもの」
無表情のまま自分を見つめる相手を、吉野は真っ直ぐに見返してにっと笑う。
「心配性だな、パトリック。あんたの進路は、オックスフォード? ベンがいるものな。院はケンブリッジに進めばいい。そうすれば、ケンブリッジであいつに会えるよ」
「きみに僕の人生設計を立ててもらう必要はないね」
「そりゃそうだ!」
静かに言い返したパトリックに、吉野は朗らかな笑い声で応えていた。
「舞踏会の招待状――」
空色の地に白抜きで印字されたカードを開く。冒頭には、ヴォルテールの言葉。
『人は誰でも、人生が自分に配ったカードを受け入れなくてはならない。しかし、一旦カードを手にしたら、それをどのように使ってゲームに勝つかは、各自が一人で決めることだ』
「きみに宛てた言葉みたいだね」とアレンは、クスリと笑って吉野を見あげる。
「ヘンリーにペアチケットを貰ったんだ。あいつ、今年、卒業だからさ」
「実は、僕も持っているんだ」
アレンは、ポケットから同じ封筒を取りだしてみせる。
「ラザフォード卿からいただきました」
「じゃ、クリスやフレッドを誘ってこいよ。IGCSEも、学年末試験も終わったし思いっきり遊んでくればいい」
「え……。きみは?」
まるで他人事のように話す吉野に、アレンは不安げに尋ねた。
「俺、スタッフなんだ。飛鳥がTSでイベント会場を作っているんだ。その手伝いをするからチケットは要らない。タダで入れる」
やっぱり――、とばかりに、がっかりした顔で唇を尖らせるアレンの頭を、吉野はくしゃっと撫でた。
「テーマはな、迷宮だって。ギリシャ神話のミノタウロス伝説の。飛鳥の仕事だからな、期待していいぞ」
誇らしげに微笑む吉野に、アレンも仕方なくにっこりと笑う。
「お兄さんと仲直りできたんだね」
「仲直り? もともと喧嘩なんかしてないよ。飛鳥は焼きもち焼きだからさ、ちょっと拗ねてただけだよ。俺がお前たちにかまいすぎるからさ」
晴れ晴れと笑う吉野にアレンは複雑な笑みを浮かべていたが、気を逸らすように、カードに視線を落とした。
「じゃあ、フレッドと、クリスと、サウード、あ、イスハ―クの分はどうしよう? 今からでもチケット余分に手に入るのかな?」
「ああ、その辺は心配するな。サウードが自分でどうとでもするよ」
吉野は気楽な様子でそう言うと、「早めにみんなの予定を確認しとけよ」と言い残して、また忙しそうにどこかへ行ってしまった。
「ケンブリッジのメイボール!」
「おまけに、一番人気のトリニティカレッジだよ! こんなの、普通手に入らないプレミアチケットだよ!」
瞳を輝かせて歓声をあげるクリスとフレデリックに、アレンはちょっと心配そうな顔をして小首を傾げる。
「でも、舞踏会なんだろ? これって、普通男女ペアで、女性同伴なんじゃないの? キャルも今年は高校卒業だからさ、プロムの相手がどうこうって、煩く言っていたんだけれど……」
しーんと鎮まり返った。
「女装でもしていく?」
フレデリックが真剣な顔で、アレンとクリスを代わる代わる見つめる。サウードは顔を背けて笑いを噛み殺している。
「僕?」
クリスが眉間に皺を寄せる。
「アレンはいいとして、やっぱりここは身長的にも――」
「フレッドの方が美人になれるよ!」
「フレッドとクリスでいいじゃないか」
アレンが淡々と言った。目を見張る二人に、「僕が招待されたんだから、女装って訳にはいかないだろ?」とあくまで冷静な判断を示している。
「サウード! きみが適任だよ! ほら、正装だからね! あの、なんていうんだっけ? きみの国の民族服、顔を隠して頭からすっぽりかぶるやつ、あれなら男も女も判らないよ!」
とうとう堪え切れずにサウードは噴きだした。
「舞踏会っていっても、たんに試験が終わった後のお祭り騒ぎだよ。米国のプロムみたいなダンスパーティーとは違うって、ヨシノが言っていたよ」
「女性同伴は?」
サウードは笑いながら首を横に振る。だが、ほー、と胸を撫でおろし、顔を見合わせる皆を見て、悪戯な瞳を輝かせてつけ加えた。
「しまった、黙っていれば良かったな。そうしたら、当日、ヨシノを思いっきり笑わせることができたのに!」
「監督生、出揃ったか?」
執務室に入るなり訊ねた吉野に、「やれやれ、第一声がそれかい?」とパトリックは、眉根を寄せて溜息を漏らす。
「他に聞くことないだろ?」
パトリックは黙って手元の紙を吉野の方へ滑らせた。成績順に選ばれた監督生の名前が連なるリストに、ざっと目を通した吉野はほっとしたように息をつく。
「やっぱりフレッドの方が上か――。まぁ、仕方がないな」
「十分健闘しているじゃないか」
「まぁまぁだな。でも、あの祖父さんを黙らせるのに、寮長か、監督生代表の地位は欲しいんだよなぁ……」
浮かない顔で息をつく吉野に、パトリックはいつも冷たそうに見える、薄い水色の瞳を怪訝そうに向けた。
「黙らせるって?」
「大学進学。ケンブリッジに行きたいんだよ、あいつ。フレッドも、クリスもケンブリッジ志望だからな」
「きみもだろう?」
「俺?」
吉野はひょいっと肩をすくめた。
「奨学生だし約束だから受けるけれど、行かないよ。飛鳥もあと一年で卒業だしね。俺、Aレベルを済ませば、ビザのために学生でいなくたって、ワーキングビザが取れるもの」
無表情のまま自分を見つめる相手を、吉野は真っ直ぐに見返してにっと笑う。
「心配性だな、パトリック。あんたの進路は、オックスフォード? ベンがいるものな。院はケンブリッジに進めばいい。そうすれば、ケンブリッジであいつに会えるよ」
「きみに僕の人生設計を立ててもらう必要はないね」
「そりゃそうだ!」
静かに言い返したパトリックに、吉野は朗らかな笑い声で応えていた。
5
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる