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六章
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朝からどこかピリピリと殺気だっていた。
アレンは、ホテルの一階のレストランでも部屋でもなく、会社で借りている会議室で朝食を取っていた。いや、取るというと嘘になる。実際には、昨夜言われた通りにこの部屋に出向き朝食を勧められた彼は、部屋の様子に絶句し、意識を逸らすために、ソファーに寝ころがって仮眠を取っている兄と、その前に無造作に置かれたバケットや、クロワッサン、ポット入りのコーヒーの載ったローテーブルをぼんやりと眺めていたのだ。
「かなりうるさいですが、気にせずに食べて下さい」
すさまじい轟音の間をぬって、時折りコズモス社員の誰かが、気を使って声をかけてくれる。
「いただいています」
手をつける気も起きなかったが、アレンは背後の声の主にそう返した。ゆっくりと息を吐き、もう一度側面の壁に目をやる。壁の前で何度も繰り返されている3D映像の試写に胃がひっくり返りそうだった。
「おはよう」
ドアが開き、訪れた聞き慣れた声に安堵して、アレンの上にもやっと笑みがこぼれる。
「おはようございます」
「みんな、寝ていないんだろう? 休憩を入れて! 再開は三時間後。その間に食事も済ますこと!」
アーネストは手をパンッと打ち鳴らす。
「でも、向こうも寝ていません。次々と修正プランが送られてきて、」
「アスカにも寝るように言うよ。解散!」
その一声にまずは不満が先走る。だが心底疲れ切っていた彼らは、緊張の糸が切れたことに安堵と戸惑いを見せながら、ノロノロと立ちあがり部屋を出ていった。
打って変わって静まり返った室内に、アレンは胸を撫でおろしている。
「こんなところじゃ食事も咽喉に通らないだろ? カフェにでも行こうか」
「兄は?」
「寝かせておけばいいさ」
手招きするアーネストに頷いて、アレンは慌てて腰をあげた。
通り角の白い軒先テントの下に、ラタンの椅子とカフェテーブルが並ぶ。濃緑の枠で仕切られた内と外の境のウィンドウは大きく開放されている。表通りに面して腰かけているのは、居住区の住人らしき中年以上の客ばかりで観光客は少ない。
アーネストは慣れた様子で奥まで進み、食事用の座席とカフェテーブルを分ける観葉植物の仕切りを背にした席に着いた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫。ここは有名人の顧客が多いから、きみぐらいじゃ声をかけられることもないよ」
ちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめたアレンは、「ヨシノがいろいろ心配してくれていたから……」と言い訳するように口ごもる。
「彼、意外に心配性だよね。きみなんかまだマシな部類だよ。アスカになんか、平気で家から出すなとか言ってくるからね、あの子」
アーネストはクスクス笑い、「任せてもらっていいかな?」とそこでいたん話を切ってギャルソンを呼ぶと、流暢なフランス語で注文を伝えた。
「きみは朝食はカフェオーレとクロワッサン。サラダも少しなら食べる、肉よりも魚。甘党。スイーツは大好き。ヨシノからきみの取り扱い説明書を預かっているんだ」
「取り扱いって、危険物かなにかみたいですね」
顔を傾げてクスクスと笑うアレンに、アーネストもにっこりと微笑み返した。
「仕事のことは聞いてる?」
一瞬、不安そうな瞳を向け、きゅっと口元を引き締めたアレンにアーネストは満足そうに微笑んだ。
「昼にはデイヴも来るから心配いらない。それにあの子も同行するって」
怪訝な顔をする彼に、アーネストは長い人差し指を立ててつけ加える。
「フィリップ・ド・パルデュ」
露骨に表された嫌悪感に、アーネストは声を立てて笑いだした。
「その顔、取扱書に書いてあった通りだ!」
「すみません」
自分の頑なさがおかしくなり、アレンもつい苦笑してしまう。
「きみ、ずっとその調子なんだって? その子もめげない子だね。きみもだけど」
だが続くチクリと刺さる一言に、アレンは唇の端を引きつらせた。
「そういうところヘンリーに似てるなぁ。彼も一度嫌だと思うと、後はもう、蛇蝎のごとく嫌うからね。まぁ、それでも最近は少しマシ――、なのかなぁ?」
アーネストは感情の読めない不思議な瞳でアレンを見つめて、「だからべつに、きみが誰を嫌いでも好きでもかまわないよ。他人に悟られるほどに露骨に出しさえしなければね」とにっこりと笑って言い添え、ゆっくりと優雅にティーカップを口に運んだ。
「コーヒーにすれば良かった。ここ、紅茶は最悪だ」
ほんのかすかに眉根を寄せながら、アーネストは手元のクロックムッシューにナイフを入れる。
「徹夜明けにはちょっと重すぎたな。これ、ヨシノのお薦めなんだけど」
じっと黙ったまま下を向いていたアレンがふっと目線をあげた。
「食べてみる?」
一口サイズに切ってフォークに突き刺した一片を、アーネストはアレンの口元に近づけた。パクリと鮮やかな唇に含まれたフォークをそっと引き戻す。
「チーズが美味しいね」
にっこりと頷くアレンに、アーネストは表情を引き締め、語調を変えて続けた。
「それから、今後の注意事項だよ。あのホテルで開発中のアスカの映像に関しては喋らないこと。というよりも、アスカの話はプレスには一切ださないこと。もし話題にでたら、面識がない、で通して欲しいんだ」
「アスカさんの映像? あれが――」
「意外だった?」
「アスカさんが、あんなものを作るなんて――」
「イベント向きのスペクタクルばかりが仕事じゃないんだ。いや、考えようによっては、これまでで一番の大スペクタクルになるかもしれないけどね」
アーネストの真剣な、けれどどこか皮肉げな口調にアレンは不安を募らせながら、彼の前に座る自分を通り越して他の何かを、おそらくは、これから起こるべき未来を見据えているらしい彼の厳しい瞳を、じっと見つめ返していた。
アレンは、ホテルの一階のレストランでも部屋でもなく、会社で借りている会議室で朝食を取っていた。いや、取るというと嘘になる。実際には、昨夜言われた通りにこの部屋に出向き朝食を勧められた彼は、部屋の様子に絶句し、意識を逸らすために、ソファーに寝ころがって仮眠を取っている兄と、その前に無造作に置かれたバケットや、クロワッサン、ポット入りのコーヒーの載ったローテーブルをぼんやりと眺めていたのだ。
「かなりうるさいですが、気にせずに食べて下さい」
すさまじい轟音の間をぬって、時折りコズモス社員の誰かが、気を使って声をかけてくれる。
「いただいています」
手をつける気も起きなかったが、アレンは背後の声の主にそう返した。ゆっくりと息を吐き、もう一度側面の壁に目をやる。壁の前で何度も繰り返されている3D映像の試写に胃がひっくり返りそうだった。
「おはよう」
ドアが開き、訪れた聞き慣れた声に安堵して、アレンの上にもやっと笑みがこぼれる。
「おはようございます」
「みんな、寝ていないんだろう? 休憩を入れて! 再開は三時間後。その間に食事も済ますこと!」
アーネストは手をパンッと打ち鳴らす。
「でも、向こうも寝ていません。次々と修正プランが送られてきて、」
「アスカにも寝るように言うよ。解散!」
その一声にまずは不満が先走る。だが心底疲れ切っていた彼らは、緊張の糸が切れたことに安堵と戸惑いを見せながら、ノロノロと立ちあがり部屋を出ていった。
打って変わって静まり返った室内に、アレンは胸を撫でおろしている。
「こんなところじゃ食事も咽喉に通らないだろ? カフェにでも行こうか」
「兄は?」
「寝かせておけばいいさ」
手招きするアーネストに頷いて、アレンは慌てて腰をあげた。
通り角の白い軒先テントの下に、ラタンの椅子とカフェテーブルが並ぶ。濃緑の枠で仕切られた内と外の境のウィンドウは大きく開放されている。表通りに面して腰かけているのは、居住区の住人らしき中年以上の客ばかりで観光客は少ない。
アーネストは慣れた様子で奥まで進み、食事用の座席とカフェテーブルを分ける観葉植物の仕切りを背にした席に着いた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫。ここは有名人の顧客が多いから、きみぐらいじゃ声をかけられることもないよ」
ちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめたアレンは、「ヨシノがいろいろ心配してくれていたから……」と言い訳するように口ごもる。
「彼、意外に心配性だよね。きみなんかまだマシな部類だよ。アスカになんか、平気で家から出すなとか言ってくるからね、あの子」
アーネストはクスクス笑い、「任せてもらっていいかな?」とそこでいたん話を切ってギャルソンを呼ぶと、流暢なフランス語で注文を伝えた。
「きみは朝食はカフェオーレとクロワッサン。サラダも少しなら食べる、肉よりも魚。甘党。スイーツは大好き。ヨシノからきみの取り扱い説明書を預かっているんだ」
「取り扱いって、危険物かなにかみたいですね」
顔を傾げてクスクスと笑うアレンに、アーネストもにっこりと微笑み返した。
「仕事のことは聞いてる?」
一瞬、不安そうな瞳を向け、きゅっと口元を引き締めたアレンにアーネストは満足そうに微笑んだ。
「昼にはデイヴも来るから心配いらない。それにあの子も同行するって」
怪訝な顔をする彼に、アーネストは長い人差し指を立ててつけ加える。
「フィリップ・ド・パルデュ」
露骨に表された嫌悪感に、アーネストは声を立てて笑いだした。
「その顔、取扱書に書いてあった通りだ!」
「すみません」
自分の頑なさがおかしくなり、アレンもつい苦笑してしまう。
「きみ、ずっとその調子なんだって? その子もめげない子だね。きみもだけど」
だが続くチクリと刺さる一言に、アレンは唇の端を引きつらせた。
「そういうところヘンリーに似てるなぁ。彼も一度嫌だと思うと、後はもう、蛇蝎のごとく嫌うからね。まぁ、それでも最近は少しマシ――、なのかなぁ?」
アーネストは感情の読めない不思議な瞳でアレンを見つめて、「だからべつに、きみが誰を嫌いでも好きでもかまわないよ。他人に悟られるほどに露骨に出しさえしなければね」とにっこりと笑って言い添え、ゆっくりと優雅にティーカップを口に運んだ。
「コーヒーにすれば良かった。ここ、紅茶は最悪だ」
ほんのかすかに眉根を寄せながら、アーネストは手元のクロックムッシューにナイフを入れる。
「徹夜明けにはちょっと重すぎたな。これ、ヨシノのお薦めなんだけど」
じっと黙ったまま下を向いていたアレンがふっと目線をあげた。
「食べてみる?」
一口サイズに切ってフォークに突き刺した一片を、アーネストはアレンの口元に近づけた。パクリと鮮やかな唇に含まれたフォークをそっと引き戻す。
「チーズが美味しいね」
にっこりと頷くアレンに、アーネストは表情を引き締め、語調を変えて続けた。
「それから、今後の注意事項だよ。あのホテルで開発中のアスカの映像に関しては喋らないこと。というよりも、アスカの話はプレスには一切ださないこと。もし話題にでたら、面識がない、で通して欲しいんだ」
「アスカさんの映像? あれが――」
「意外だった?」
「アスカさんが、あんなものを作るなんて――」
「イベント向きのスペクタクルばかりが仕事じゃないんだ。いや、考えようによっては、これまでで一番の大スペクタクルになるかもしれないけどね」
アーネストの真剣な、けれどどこか皮肉げな口調にアレンは不安を募らせながら、彼の前に座る自分を通り越して他の何かを、おそらくは、これから起こるべき未来を見据えているらしい彼の厳しい瞳を、じっと見つめ返していた。
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