455 / 758
七章
5
しおりを挟む
「政権交代だね」
ヘンリーは、執務机を挟んだ向かい側に腰かけているロレンツォに視線を据える。
ここ最近の最大ニュースは、南米各国で次々と行われている総選挙、社会主義体制から市場経済導入を推進する新体制への穏やかな革命の勝利に関する報道だ。
南米に覇権を有するボルージャ家への支援と今後の在り方を話しあうために、ロレンツォはアーカシャーHD本社にいるヘンリーを訪れている。
「いよいよ君たちの出番かい?」
柔らかな口調だが表情の読めないヘンリーに、ロレンツォは考え込んでいるような、まだ決断しかねているような微妙な憂いのある皮肉な笑みを見せ、「ああ」と頷く。
「またあの小僧に借りができた」
「原油の価格操作?」
「南米での復権はボルージャの悲願だからな」
「おめでとう」
ヘンリーの祝辞に、ロレンツォはにっとおざなりの笑みを返す。
「それで目的はなんなんだ? あの小僧がリチウムを欲しがる理由は?」
「大規模な太陽光発電施設を建設予定なんだよ。そのためにリチウムイオンバッテリーが要る。そんなところじゃないかな」
「太陽光発電?」
「殿下の国にね」
不可解な視線を向けるロレンツォに、ヘンリーは苦笑して、「ルベリーニは不可侵だよ」と釘を差す。
「そんな気はない」
「それどころではない、だろう?」
ヘンリーがクスクスと笑うと、ロレンツォはふんっと顎を突きだして唇の端を軽く持ちあげた。
これからルベリーニは一族を結集して、政権交代を終えたばかりの南米資源国に投資する。経済が崩壊しハイパーインフレで苦しむ各国の経済を統括していくのだ。表では反米政権として米国と対立関係にありながら、その実は原油を高値に保つために米国フェイラー社と結託していた官僚どもや国営企業を一気に駆逐する手筈も整った。
吉野の目的が何であれ、それがルベリーニに害をもたらさない限り、契約を遂行する。そのことに異存はない。
「あの小僧がわずかに動くだけで風が起きる。それがいつの間にか国をも揺るがす竜巻になっている。なんなんだ、あいつは?」
ロレンツォのボヤキに、ヘンリーは穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「彼は時流を見極める目を持っているだけだよ。南米の政権崩壊は時間の問題だったし、殿下の国はずっと石油依存からの脱却を模索していた。彼はタイミングを見誤らず行動に移しただけさ」
そう、ジェームズ・テイラーに告げられた。もちろん、吉野の行った原油の価格操作や、南米におけるボルージャ家の覇権などの話はしていない。吉野の経済に関する考え方や姿勢の話だ。ここぞという時のみに動く、その狩りのやり方を聞かされた。
天性の動物的な勘と瞬発力。あの無邪気な外見からは伺いしれぬ獰猛さ。
それが、誰もがあの子を欲しがる理由。
この話を飛鳥にすると、当人の兄であり一番の理解者である彼は声をあげて笑い飛ばした。
――買いかぶりすぎだよ。経済とか投資の話だろ? あいつはたんに数字が読めるだけだよ。あいつは数字の申し子なんだから。
どちらが正しいのか。おそらく、どちらも正しいのだろう。
どちらにしろ目まぐるしく動く国際情勢以上に、そこに身を置くことで我が身を危険に晒している吉野の身を案じて、ヘンリーは嘆息するばかりだ。
加えて――、
「ところで、あの子が付き合っているのは、ルベリーニ一族の女性だそうだね?」とヘンリーは、当面の杞憂の一つを切りだした。
狐に摘まれたような顔でいるロレンツォに、さらに畳みかける。
「あの子はうちの大事な預かり者だよ。ほどほどにしておいてもらえないかな。十も年上の女性にいいようにされているとあっては、アスカにもトヅキ氏にも申し訳が立たない」
「誰のことを言っている?」
ロレンツォは瞳に険を走らせている。ヘンリーも冷笑を浮かべて訊ね返した。
「まさか知らないとでも?」
ヘンリーを睨めつけ、ロレンツォは首を横に振った。
「マリーネ・フォン・アッシェンバッハ」
あまりにも予期せぬ名前に、ロレンツォは呆気に取られて笑いだした。
「ありえない!」
「かまわないよ、それで。きみの責任で、ありえない事にしてくれるのならね」
薄ら笑いを浮かべて告げられたその言葉は、有無を言わさぬ命令だ。
何かの間違いならそれでいい。
だが事実なら早急な対応が必要だ。他の一族に漏れない内に――。ルベリーニの絶対の掟は、王との契約に関するものだけではない。一族間で裏切り者を出さないための鉄の掟でもある。ルベリーニ当主に自由恋愛などありえないのだ。
血を繋ぐこと。財産を守りその分散を防ぐこと。
そして何よりも、憂いの種を作らぬこと――。
本当にあの小僧、次から次へと――。
どう考えても、ルベリーニを引っ掻き回しているとしか考えられない飛鳥の弟の行動に、ロレンツォは顔をしかめて深く嘆息せずにはいられなかった。
ヘンリーは、執務机を挟んだ向かい側に腰かけているロレンツォに視線を据える。
ここ最近の最大ニュースは、南米各国で次々と行われている総選挙、社会主義体制から市場経済導入を推進する新体制への穏やかな革命の勝利に関する報道だ。
南米に覇権を有するボルージャ家への支援と今後の在り方を話しあうために、ロレンツォはアーカシャーHD本社にいるヘンリーを訪れている。
「いよいよ君たちの出番かい?」
柔らかな口調だが表情の読めないヘンリーに、ロレンツォは考え込んでいるような、まだ決断しかねているような微妙な憂いのある皮肉な笑みを見せ、「ああ」と頷く。
「またあの小僧に借りができた」
「原油の価格操作?」
「南米での復権はボルージャの悲願だからな」
「おめでとう」
ヘンリーの祝辞に、ロレンツォはにっとおざなりの笑みを返す。
「それで目的はなんなんだ? あの小僧がリチウムを欲しがる理由は?」
「大規模な太陽光発電施設を建設予定なんだよ。そのためにリチウムイオンバッテリーが要る。そんなところじゃないかな」
「太陽光発電?」
「殿下の国にね」
不可解な視線を向けるロレンツォに、ヘンリーは苦笑して、「ルベリーニは不可侵だよ」と釘を差す。
「そんな気はない」
「それどころではない、だろう?」
ヘンリーがクスクスと笑うと、ロレンツォはふんっと顎を突きだして唇の端を軽く持ちあげた。
これからルベリーニは一族を結集して、政権交代を終えたばかりの南米資源国に投資する。経済が崩壊しハイパーインフレで苦しむ各国の経済を統括していくのだ。表では反米政権として米国と対立関係にありながら、その実は原油を高値に保つために米国フェイラー社と結託していた官僚どもや国営企業を一気に駆逐する手筈も整った。
吉野の目的が何であれ、それがルベリーニに害をもたらさない限り、契約を遂行する。そのことに異存はない。
「あの小僧がわずかに動くだけで風が起きる。それがいつの間にか国をも揺るがす竜巻になっている。なんなんだ、あいつは?」
ロレンツォのボヤキに、ヘンリーは穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「彼は時流を見極める目を持っているだけだよ。南米の政権崩壊は時間の問題だったし、殿下の国はずっと石油依存からの脱却を模索していた。彼はタイミングを見誤らず行動に移しただけさ」
そう、ジェームズ・テイラーに告げられた。もちろん、吉野の行った原油の価格操作や、南米におけるボルージャ家の覇権などの話はしていない。吉野の経済に関する考え方や姿勢の話だ。ここぞという時のみに動く、その狩りのやり方を聞かされた。
天性の動物的な勘と瞬発力。あの無邪気な外見からは伺いしれぬ獰猛さ。
それが、誰もがあの子を欲しがる理由。
この話を飛鳥にすると、当人の兄であり一番の理解者である彼は声をあげて笑い飛ばした。
――買いかぶりすぎだよ。経済とか投資の話だろ? あいつはたんに数字が読めるだけだよ。あいつは数字の申し子なんだから。
どちらが正しいのか。おそらく、どちらも正しいのだろう。
どちらにしろ目まぐるしく動く国際情勢以上に、そこに身を置くことで我が身を危険に晒している吉野の身を案じて、ヘンリーは嘆息するばかりだ。
加えて――、
「ところで、あの子が付き合っているのは、ルベリーニ一族の女性だそうだね?」とヘンリーは、当面の杞憂の一つを切りだした。
狐に摘まれたような顔でいるロレンツォに、さらに畳みかける。
「あの子はうちの大事な預かり者だよ。ほどほどにしておいてもらえないかな。十も年上の女性にいいようにされているとあっては、アスカにもトヅキ氏にも申し訳が立たない」
「誰のことを言っている?」
ロレンツォは瞳に険を走らせている。ヘンリーも冷笑を浮かべて訊ね返した。
「まさか知らないとでも?」
ヘンリーを睨めつけ、ロレンツォは首を横に振った。
「マリーネ・フォン・アッシェンバッハ」
あまりにも予期せぬ名前に、ロレンツォは呆気に取られて笑いだした。
「ありえない!」
「かまわないよ、それで。きみの責任で、ありえない事にしてくれるのならね」
薄ら笑いを浮かべて告げられたその言葉は、有無を言わさぬ命令だ。
何かの間違いならそれでいい。
だが事実なら早急な対応が必要だ。他の一族に漏れない内に――。ルベリーニの絶対の掟は、王との契約に関するものだけではない。一族間で裏切り者を出さないための鉄の掟でもある。ルベリーニ当主に自由恋愛などありえないのだ。
血を繋ぐこと。財産を守りその分散を防ぐこと。
そして何よりも、憂いの種を作らぬこと――。
本当にあの小僧、次から次へと――。
どう考えても、ルベリーニを引っ掻き回しているとしか考えられない飛鳥の弟の行動に、ロレンツォは顔をしかめて深く嘆息せずにはいられなかった。
5
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる