胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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八章

対抗1

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「うわぁ!」
「へぇー!」

 隣室から突如あがった悲鳴とも感嘆ともつかない叫び声に、床に転がったままうたた寝していた飛鳥は、びくりと飛び起きて眠い目を擦る。

「すごいな!」

 デヴィッドだ――。

 すっきりとしない頭を抱え、飛鳥は立ちあがった。すでに陽の落ちた窓を眺め、ちらりと時計を見る。
 ヘンリーが、戻ってきていておかしくない時間だった。――米国から。


 飛鳥はヘンリーの部屋をノックした。ドアが開くと同時に、「おおっ!」とまたデヴィッドの声が部屋中に響きわたる。ヘンリーは苦笑気味に飛鳥を迎え入れ、「デイヴ、ほら、アスカが驚いているじゃないか」と、一人がけのソファーに座っているデヴィッドの背中に声をかける。

 振り返った彼の顔面に装着された大型の水中眼鏡のようなVRHMDヘッド・マウント・ディスプレイに、今度は飛鳥の方が「へぇー!」と、感嘆の声をあげた。

「ガン・エデン社の新製品だろ! 米国だけの、先行予約販売のやつ!」

 飛鳥の声で装備を頭から取り外したデヴィッドは、顔を紅潮させ興奮気味に、「すごいよ! さすがの臨場感! 没入感が半端ないんだ!」と、さっそく声高に語りだす。

「おい、おい、ライバル社の新製品を、そう手放しで褒めないでほしいな」
 ヘンリーは腕を組んでドアにもたれ、くすくすと笑っている。

「ふーん――。外観は従来の製品とそう変わった感じはしないね。これは、何が売りなの? やっぱり解像度?」
 飛鳥はデヴィッドから受け取ったVRヘッドセットを、装着する前にじっくりと眺め回している。
「あそこの製品は、さすがにおしゃれだよね。未来感覚っていうか。でも思った以上に重いな」

 手の内にずっしりとかかる重みに不満そうに吐息を漏らしている。だが巷でよく見る四角い箱型ではなく、SF映画に登場するパイロットがつけてでもいそうな銀色のゴーグルは、顔面にフィットするよう緩やかな曲線を描き、他社製品とは一線を画した美しさがある。

「ゲーム専用?」
 飛鳥の真剣な眼差しに、デヴィッドも神妙に頷いた。
「売りは解像度だけじゃなくて、そのゲームの多様性だよ、アスカちゃん」

 飛鳥の頭にVRゴーグルを装着するのを手伝い、「まずは無難なやつからねぇ」と、デヴィッドはコントローラーを設定し、飛鳥の手に握らせる。

「何にしたの?」
 ヘンリーが飛鳥を見守りながら静かな声で訊ねた。
「スキューバダイビング」
 デヴィッドはもう悪戯っ子の顔に戻って、楽しげに飛鳥を見つめている。

「うん、画像は綺麗だね――。三六〇度視野角――。へぇー……」

 無表情のまま、といっても顔の半分がゴーグルに覆われているのだが、首を上下左右に動かしてみたり、肩越しに振り返ってみたりと飛鳥の動きはコントローラーを操作する前から忙しない。

「確かにすごいね」

 しばらくすると自分でゴーグルを外し、飛鳥は小さく息を漏らした。

「でも、特に新しいものはないかな。解像度があがったくらいだね」

「えー! アスカちゃん、感想それだけ? ちゃんと宝探しした? サメと戦ったりした?」
「うん。なかなかの迫力だった」
「つまらないなぁ、その反応!」

 デヴィッドは唇を尖らせて不満顔だ。

「ヘンリー、きみもこういうの、やってみたい?」
「VR?」
「実時間の相互作用性――。その空間にいる対象者に即時変化する特性を、AR、つまりTSの拡張現実に取り入れるんだよ」
「ああ、VRの三要素!」

 三次元空間性、実時間相互作用性、自己投射性を伴うことが、現代の仮想現実の定義とされている。飛鳥たちの作る立体映像には、この中の実時間相互作用性が含まれない。自分の起こした行動に対して映像が反応する、現実の上にデジタル映像を重ねる、拡張現実にはない要素だ。

「MR、複合現実を作るっていうこと?」
 ヘンリーがちょっと眉根をあげて、首を傾げる。

 デヴィッドの方が瞳を輝かせて、うん、うん、と頷いている。飛鳥は苦笑してヘンリーに向かい、探るように視線を合わせた。
「ほら、きみの立体映像に人工知能を組み合わせてサラが作っただろ? あんな感じで。ゲームなら、センサーで読み込んで反応はパターン化される訳だし。デヴィ、きみも一緒に考えてくれる? 僕はもう、かなり長いことゲームは触っていないんだ」

 吉野が小学生の頃以来かな――。

 と、懐かしそうに目を細めた飛鳥だ。だが歓声をあげるデヴィッドとは裏腹に、ヘンリーは今ひとつ乗り気ではない様子で、考え込むように指先で顎を擦っている。

「TSネクストはそういう意味ではMRだよ。ゲーム業界に進出する気はないんだけれどね。MR空間は面白そうだね」

 くすりと微笑み頷いたヘンリーを見て、デヴィッドの瞳の輝きが倍増する。

「日本できみが作ったゲーム、そういえば、あれが初めてのTS共同作品だったね」

 ふと思いだしたように自分に向けられた飛鳥の言葉に、デヴィッドは感慨深い笑みを浮かべた。

 自分の原点。思い起こせば、確かにあれがそうだったのかもしれない、と。


「もう一度、やってみてもいいかな?」

 ぐっと引き結ばれたデヴィッドの口許から低く押しだされたその言葉に、ヘンリーは柔らかな笑みを浮かべて頷いていた。



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