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八章
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「ただいま」
「お疲れさま。すぐにお茶を用意させるよ」
帰ってくるなりソファーに倒れこむように身を投げだしたデヴィッドを、ヘンリーが労いの言葉で迎えている。
「――訊かないの?」
「期待薄だろう?」
「まったく信じられないよ」
マシュリク国でクーデターが起こってすぐに、デヴィッドは日本大使館に吉野の安否を問い合わせに行ったのだ。開館時間をすぎていると門前払いを食い、翌日まで待たされた挙句、現地の日本大使館にその旨は伝えておきます、と言われただけで新しい情報は何も得られず帰された。
「あの子がどういう子か、日本って国はまるで解っていないみたいだ」
憤慨するデヴィッドに、ヘンリーは、仕方ないよと肩をすくめてみせる。
「彼に関しては、理解されると逆に厄介でもあるしね」
「アスカちゃんは?」
「部屋に篭もりっきりだよ」
「アレンたちも来ているんだろう? まだ寝ているの?」
「あの子たち、ずっとSNSやニュースに張りついて寝ていないんだ。さすがに休むように叱って部屋にさがらせた。アスカの睡眠薬の残りをお茶に仕込もうかと、一瞬本気で考えたよ」
ため息をつくヘンリーに、デヴィッドは小さく首を振り、不快そうに眉をしかめた。
「アスカちゃんの薬は、」
「解っている。冗談だよ」
こんな時に笑えないとますます顔を渋くするデヴィッドに、ヘンリーも、ふざけすぎたね、と苦笑いを浮かべる。そこへ、いいあんばいにマーカスがお茶を運んできた。
「きみがいない間も、刻々と状況は動いているんだ」と、ヘンリーは仕切り直しとばかりに表情を引きしめる。
「アスカ、」
数回のノックの後、眠っているのか――、とヘンリーはそっとドアを開けた。
カーテンが閉められたままの薄暗い部屋では、ベッドを覆う濃緑の天蓋の下にいくつものTS画面の透明の光が浮かびあがっていた。そしてそれは、胃の辺りを抱えこんで身体を縮こませ、苦痛に顔を歪める飛鳥を取り囲むように照らしていた。
「マーカス! 医者を!」
ヘンリーは、ベッドに駆けより飛鳥を抱き起こそうと手の伸ばす。
「だめだ、ヘンリー。今は、離れられない」
「薬を。痛み止めを飲んで」
ベッド脇のチェストに置かれた水差しからグラスに水を注ぐ。ヘンリーがPTPシートを破って薬を取りだしている間も、飛鳥は蒼白な面を空中画面に向けて転がったまま、片手で腹部を押さえ、残る一方でノートパソコンを操っている。
「さぁ」
ヘンリーは無理に飛鳥の頭を抱え起こして薬を水で流しこむ。
「もうやめるんだ。大丈夫だよ、アスカ。反乱軍はほぼ制圧された。きみの思惑通りにね」
「まだだよ、ヘンリー、」
クーデターで占拠された王宮は、すでに正規軍によって奪還されている。反乱軍の兵力が早い段階で分断されたからだ。
国境近くの離宮で目撃された国王、及びサウード皇太子を追って反乱軍が離宮に到着した時には、彼らはすでに別の離宮に、あるいは有力王族の別荘に、と次々と隠れ場所を変えていた。まるで揶揄ってでもいるように、わずかな近衛兵に守られているにすぎないはずの国王と皇太子は、まんまと逃げ果せたのだ。そのため首都を掌握にかかっていた反乱軍の主力部隊は、国内各所に散らばる国王の足取りを追うために戦力を割かねばならなくなったのだ。そして、クーデター直後の混乱から立ち直り迎え撃った正規軍によって、次々に鎮圧されていっているのが現状だ。
空中に浮かぶ画面の一つから黒炎があがる。別の画面では戦車が焔に包まれている。それぞれの画面で同じ国の軍隊が、自分たちの国を巻きこんだ戦闘を繰り広げている。空が光り、爆風で白煙が起こり画面の一つが白く濁る。
「やめるんだ、アスカ。もうきみの助けがなくてもクーデターのカタはついている。アブド大臣が声明をだしたんだ。彼は、軍事行動による王権の転覆も新政権の擁立も認めず、早急に事態の収拾を図ると、」
「ヘンリー、判らない? 本番はここからなんだ。一部軍部の反乱クーデターなんか成功するわけがない。初めから使い捨ての駒なんだよ。この混乱に乗じて、大臣は国王とサウード殿下を暗殺するつもりなんだ。だから吉野が表に出てこない。僕にさえ居場所を隠して逃げ回ってるんだ」
痛みが和らいできたのか、飛鳥は強張らせていた身体の緊張を若干解いて、だが変わらぬ悔し気な、挑みかかるような視線を空中に映る惨い映像に向けている。まるであの煙幕の向こうに吉野がいて、自分の助けを待っているのだとでもいわんばかりに――。
「時間勝負なんだ。どっちが先に相手の首を取るか」
あの抜け目のない大臣の考えそうなことだな、とヘンリーは内心頷いていた。そして、いつもおっとりと政治なんて皆目解らないふうを装いながら、来るべき今日を予測して着々と準備を積んでいた飛鳥を、つくづくと凝視する。
吉野か、大臣か――。
そのためにきみは……。
「この映像は? 監視カメラの映像のようだけれど」
「ヨシノが見ているはずの映像だよ。王族所有施設のネットワーク接続防犯カメラのなかで、TSガラスが使ってある建物なんだ」
「アスカ、この続きはサラに頼む。きみは休むんだ」
疲れきって土気色をした飛鳥の面を覗きこみ、ヘンリーは諭すようにいい聴かせる。だが、飛鳥はやはり首を縦に振らなかった。
「サラに、こんな世界を見せられるわけないだろ? 彼女にこれを見られるくらいなら、血反吐を吐いて這い蹲ってでも、僕がやり通す」
「お疲れさま。すぐにお茶を用意させるよ」
帰ってくるなりソファーに倒れこむように身を投げだしたデヴィッドを、ヘンリーが労いの言葉で迎えている。
「――訊かないの?」
「期待薄だろう?」
「まったく信じられないよ」
マシュリク国でクーデターが起こってすぐに、デヴィッドは日本大使館に吉野の安否を問い合わせに行ったのだ。開館時間をすぎていると門前払いを食い、翌日まで待たされた挙句、現地の日本大使館にその旨は伝えておきます、と言われただけで新しい情報は何も得られず帰された。
「あの子がどういう子か、日本って国はまるで解っていないみたいだ」
憤慨するデヴィッドに、ヘンリーは、仕方ないよと肩をすくめてみせる。
「彼に関しては、理解されると逆に厄介でもあるしね」
「アスカちゃんは?」
「部屋に篭もりっきりだよ」
「アレンたちも来ているんだろう? まだ寝ているの?」
「あの子たち、ずっとSNSやニュースに張りついて寝ていないんだ。さすがに休むように叱って部屋にさがらせた。アスカの睡眠薬の残りをお茶に仕込もうかと、一瞬本気で考えたよ」
ため息をつくヘンリーに、デヴィッドは小さく首を振り、不快そうに眉をしかめた。
「アスカちゃんの薬は、」
「解っている。冗談だよ」
こんな時に笑えないとますます顔を渋くするデヴィッドに、ヘンリーも、ふざけすぎたね、と苦笑いを浮かべる。そこへ、いいあんばいにマーカスがお茶を運んできた。
「きみがいない間も、刻々と状況は動いているんだ」と、ヘンリーは仕切り直しとばかりに表情を引きしめる。
「アスカ、」
数回のノックの後、眠っているのか――、とヘンリーはそっとドアを開けた。
カーテンが閉められたままの薄暗い部屋では、ベッドを覆う濃緑の天蓋の下にいくつものTS画面の透明の光が浮かびあがっていた。そしてそれは、胃の辺りを抱えこんで身体を縮こませ、苦痛に顔を歪める飛鳥を取り囲むように照らしていた。
「マーカス! 医者を!」
ヘンリーは、ベッドに駆けより飛鳥を抱き起こそうと手の伸ばす。
「だめだ、ヘンリー。今は、離れられない」
「薬を。痛み止めを飲んで」
ベッド脇のチェストに置かれた水差しからグラスに水を注ぐ。ヘンリーがPTPシートを破って薬を取りだしている間も、飛鳥は蒼白な面を空中画面に向けて転がったまま、片手で腹部を押さえ、残る一方でノートパソコンを操っている。
「さぁ」
ヘンリーは無理に飛鳥の頭を抱え起こして薬を水で流しこむ。
「もうやめるんだ。大丈夫だよ、アスカ。反乱軍はほぼ制圧された。きみの思惑通りにね」
「まだだよ、ヘンリー、」
クーデターで占拠された王宮は、すでに正規軍によって奪還されている。反乱軍の兵力が早い段階で分断されたからだ。
国境近くの離宮で目撃された国王、及びサウード皇太子を追って反乱軍が離宮に到着した時には、彼らはすでに別の離宮に、あるいは有力王族の別荘に、と次々と隠れ場所を変えていた。まるで揶揄ってでもいるように、わずかな近衛兵に守られているにすぎないはずの国王と皇太子は、まんまと逃げ果せたのだ。そのため首都を掌握にかかっていた反乱軍の主力部隊は、国内各所に散らばる国王の足取りを追うために戦力を割かねばならなくなったのだ。そして、クーデター直後の混乱から立ち直り迎え撃った正規軍によって、次々に鎮圧されていっているのが現状だ。
空中に浮かぶ画面の一つから黒炎があがる。別の画面では戦車が焔に包まれている。それぞれの画面で同じ国の軍隊が、自分たちの国を巻きこんだ戦闘を繰り広げている。空が光り、爆風で白煙が起こり画面の一つが白く濁る。
「やめるんだ、アスカ。もうきみの助けがなくてもクーデターのカタはついている。アブド大臣が声明をだしたんだ。彼は、軍事行動による王権の転覆も新政権の擁立も認めず、早急に事態の収拾を図ると、」
「ヘンリー、判らない? 本番はここからなんだ。一部軍部の反乱クーデターなんか成功するわけがない。初めから使い捨ての駒なんだよ。この混乱に乗じて、大臣は国王とサウード殿下を暗殺するつもりなんだ。だから吉野が表に出てこない。僕にさえ居場所を隠して逃げ回ってるんだ」
痛みが和らいできたのか、飛鳥は強張らせていた身体の緊張を若干解いて、だが変わらぬ悔し気な、挑みかかるような視線を空中に映る惨い映像に向けている。まるであの煙幕の向こうに吉野がいて、自分の助けを待っているのだとでもいわんばかりに――。
「時間勝負なんだ。どっちが先に相手の首を取るか」
あの抜け目のない大臣の考えそうなことだな、とヘンリーは内心頷いていた。そして、いつもおっとりと政治なんて皆目解らないふうを装いながら、来るべき今日を予測して着々と準備を積んでいた飛鳥を、つくづくと凝視する。
吉野か、大臣か――。
そのためにきみは……。
「この映像は? 監視カメラの映像のようだけれど」
「ヨシノが見ているはずの映像だよ。王族所有施設のネットワーク接続防犯カメラのなかで、TSガラスが使ってある建物なんだ」
「アスカ、この続きはサラに頼む。きみは休むんだ」
疲れきって土気色をした飛鳥の面を覗きこみ、ヘンリーは諭すようにいい聴かせる。だが、飛鳥はやはり首を縦に振らなかった。
「サラに、こんな世界を見せられるわけないだろ? 彼女にこれを見られるくらいなら、血反吐を吐いて這い蹲ってでも、僕がやり通す」
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