胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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九章

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「驚いた! これもTSなのか!」
 吹き抜けの二階にまで達する青々とした華麗なツリーの飾りを指でついて、アーネストはヘーゼルの瞳を丸めて歓声をあげる。
「アーニーが忙しく行ったり来たりしている間に、TSは日々進化しているんだよ!」
 デヴィッドは誇らしげにウインクを返す。
「新規立ち上げのインテリア部門、お前の発案なんだって? こんな季節商品なら需要が伸びそうだな」
「でしょ、でしょ! 保管場所も要らないし、ゴミも出ない! エコだよ~!」

 仮に、こんな形でTSインテリアが普及していくならば――。

 夢物語では終わらせたくないその未来に想いを馳せる。夢を描くのが飛鳥や弟デヴィッドの仕事なら、それを現実にする道筋をつけるのが自分やヘンリーの役割だ。できうる限り自由な発想を保てるように。繊細で心優しい彼らが、未来を変革して行く事から生じる弊害にその心を削られる事のないように。

 自分が英国を留守していた間に進んでいるプロジェクトの詳細を、頬を紅潮させて熱心に語る弟に、アーネストはにこやかな笑みで応えて相槌を打つ。
 実家のしがらみから解き放たれ、自らの道を選び取ったデヴィッドは、これまで以上に生き生きとしている。
 我儘勝手にしている様に見せながら、その実、誰よりも繊細に相手の心情を感じ取り気を遣う。そんな弟はアーネストにとって、計算高い自分とは正反対の、純粋な、何ものにも代え難い大切な存在だ。もう一人の弟とも言って過言ではないヘンリーとともに……。


「僕は、お前がサラをもらうかと思っていたよ」

 ハワード教授、そして飛鳥の父と、なにやら真剣な様子で話し込んでいる彼女を遠目に眺め、アーネストは若干残念そうに微笑んだ。

「ヘンリーにも一度言われたことはあるんだけどねぇ。やっぱり無理だよ。そんなまねをしたら、リチャード叔父さんに申し訳なさすぎる」

 以前のヘンリーは確かに、デヴィッドがサラを娶ってソールスベリー家を継ぐことを望んでいた。自分には結婚の意志もなく、可能であればサラにすべてを譲りたいから、と。
 それがここにきて降って湧いたような婚約話だ。米国で彼に逢った時には、そんな話おくびにも出さなかったのに。
 だが、デヴィッドが断ったというのなら、この展開も有りかと納得せざるを得ない。
 ソールスベリー家とラザフォード家の間で因習化していた近親婚ゆえの、ヘンリーの父と自分たちの叔母の悲恋が繰り返されないとは言えないのだから。

「確かに、ソールスベリーに取ってはこの方が良いんだろう。爵位に拘わるよりも血を残したいだろうしね」
「でも、こうなるとヘンリーも結婚しない、とは言ってられないだろ? アレンにマーシュコートを託す訳にはいかないんだからさ」
「ちゃんと考えているさ、ヘンリーは」

 苦笑を浮かべて、アーネストは、室内を優雅に動き回り目配りをするウィリアムに目をやった。今日の彼はヘンリーの側近としてではなく、執事として父であるマーカスの補佐役に徹している。吉野のお目付け役となってからは、久しく彼の顔を見ることもなかったのだが。

「あの二人、結婚したらマーシュコートに移るらしい。執事はどうするんだろ? ヘンリーがマーカスなしでやっていけるとは思えないだろ?」

 デヴィッドの真剣な表情に、アーネストも吹きだしながら頷いた。

 世間ではベストドレッサーとして、経済紙どころか女性誌でさえ度々名前の挙がるヘンリーが、マーカス抜きでは、自分のシャツ一枚選ぶことさえできないほど生活に無頓着だなどと、誰が思うだろう。だがそれは、サラや飛鳥にしても同じだ。この二人は誰かしらの管理がないと、直ぐに寝食を忘れてしまうのだから。

「変な面で前途多難だねぇ。ヘンリーはウィルをヨシノの傍から動かす意志はないんだろ? それなら新しく執事を雇わないとね」
「そういう事だよ」

 いつの間にか、ヘンリーが傍らに立っていた。

「マクレガーをこちらに戻すことにしたんだ。トヅキ氏もかまわないと仰って下さっているしね」
「なるほど、アルかぁ!」

 デヴィッドの面が嬉しそうに輝いた。日本留学中の一年間をともに過ごしたアルバート・マクレガーは、今でもたまに近況を連絡しあう仲なのだ。

「でも執事というよりは、秘書の比重が大きいかな。僕も少しは、自分の事は自分でできるようにならなければ」

 返ってきた疑わしげな視線に、ヘンリーはひょいっと肩をすくめる。

「と、いう事は、彼はこれからここに住むって事?」

 マーカスの傍らに立つアルバートを、デヴィッドは顔を緩ませて見守っている。

「メアリーもマーシュコートに帰すんだろ? てことは、これからは和食三昧でかまわないよね! ヨシノがいなくなってから、食事が物足りなくてさぁ。アルならそこそこ作れるからね!」
「おいおい、彼をコックとして雇ったのではないんだよ。メアリーの代わりは、彼女の姪に来てもらうことになっているんだ」
「知らない間に準備万端だね」

 意外そうに吐息を漏らすアーネストに、ヘンリーはふわりと微笑んで頷いた。

「彼らに生活面での心配をかけるわけにはいかないからね」

 その言葉が、なぜかアーネストには、お座成りな殺伐としたものに聴こえた。心中に湧きあがる不安を自分でも不思議に思いながら、彼は、傍らのヘンリーの、口許に笑みを湛えてはいるものの感情の読み切れない整った横顔を、じっと見つめていた。

 



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