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十章
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ヘンリーは飛鳥を慰め、不安を解消し、鼓舞する術に長けている。だからこそ飛鳥は、余計な想いに悩まされることなく、開発に邁進してこれたのだ。
そして、自分自身が責任追及されないことで――
だが今回に限って、その心地良いぬるま湯は飛鳥の心を温めるのではなく、いっそう凍えさせ冷徹に彼の立ち位置を自覚させた。自分が責任を問われることはない。それならば誰がその責任を被るのか?
昼食と報告を終え、自室に戻ってからも、飛鳥は自責の念から逃れられないままでいた。考えれば考えるほど、今回のイベントは不甲斐ないことばかりだったのだ。
主催者側の要望が二転三転していた。デヴィッドはそれに最大限応えようと奔走した。交渉役を途中で人工知能に任せたのは、彼らの我がままにデヴィッドが応じきれなくなったからだという。そこに自分が出しゃばってしまった。自分なら全て叶えることができる、と万能感でもってデヴィッドの顔を潰した。
喜んでもらえると思ったのだ。参加者にも、デヴィッドたち現場スタッフにも――
前回自分の手がけたメイボールイベントとは比べようもないほど、今のTSは技術革新が進んでいるのだ。以前の様な、狭い空間でなければ映しだせないという、特殊な制約はない。技術的に難しくとも、映像を何層にも重ねることで、広大な空間を仕切ることだってできるのだ。だから、選ばれたターゲットにだけ見学権を与える参加者選別よりも、主催者の望んだ「一人でも多く」にイベントを楽しんで欲しいという想いに賛同し、応えたいと思った。けれどそれは、単純な過去映像をTS化することに積極的に賛同する、という意味での承諾ではなかったつもりだったのに。
吉野から聞いた報告によると、このイベントでより強く周知されたのは、アーカシャーの、「過去映像をライブと変わらない現実感で三次元に再現できる技術」だそうだ。結果、本来のテーマであるレトロフューチャーな、「未来を先取りした部屋」の印象は薄れてしまった。
「大失敗じゃないか――、」
飛鳥は声に出して呟いた。
脳裏では、自分の参加を小躍りして喜んでくれたデヴィッドの姿が浮かび、すぐに、その姿が疲れはて、車のなかで死んだように眠っていた彼に替わっていった。
あんなに意気込んで、頑張っていたのに――
「僕のせいで」
と、トン、トンとノックの音がして、ドアが開けられた。デヴィッドが「アスカちゃん!」と顔を覗かせる。
「大丈夫なの、起きたりして!」
飛鳥は慌てて座り込んでいた床から立ち上がった。
「ぜーんぜん! 平気だよ、たっぷり眠ったからね。ただの睡眠不足だって!」
明るい声音には、昨日のようなは気怠さは感じられない。けれど、顔色は蒼白いままで、蓄積された疲労が拭い去られているようには見えなかった。
「ね、アスカちゃん、お茶に付き合ってよ。起きたらヘンリーがいてびっくりしたんだけどさ、彼、さっさと出社しちゃってさ。どうしたんだろうねぇ、あんなに真面目になっちゃって。まぁ、こっちの本社に顔を出すのも久しぶりだから、ここにいるのがバレちゃ、行かないわけにもいかないんだろうねぇ! サラがいないからさぁ、スペア君で上手く誤魔化してもらえないんだよ、きっと!」
一気に捲し立てながら、デヴィッドはいろんな書類や本、機材やコードが散乱する床に足を取られないように気を付けながら、持ってきたティーセットののったトレーを飛鳥のいる窓辺まで運び、出窓に置いて腰を下ろした。飛鳥は、賑やかに喋る彼を、ぽかんと眺めたままつっ立っている。
「どしたの、アスカちゃん?」
「え? ああ」
生返事を返して飛鳥もその場に腰を下ろした。デヴィッドは膝立ちしてお茶を淹れ、カップを飛鳥のまえにコトリと置いた。
「ごめんね、心配かけちゃって」
「そんな、僕のせいで、」
「解ってるつもりだったんだけどね、あんな広い空間でTSの画像を一から作る大変さ、僕は甘く見てたんだな。思い知らされたよ」
「それは僕が対象を複雑にしていったから――」
「ううん」とデヴィッドは首を振った。「きみとヨシノだけが扱える技術じゃ困るから、僕たちのチームができたんじゃないか。それなのにきみに甘えすぎて、学ぶことをおろそかにしていたんだ。そのツケが回ってきたんだ」
ため息をつきながら、デヴィッドはしみじみと微笑む。
「ありがとう、助けてくれて。きみがいなかったら、このイベントは成功しなかった」
くっと飛鳥は眉を潜めた。彼にはイベントが成功したとは思えなかったのだ。
「ほら、そんな顔しないで。スコーン食べる?」
デヴィッドは胡座をかいた上に置いていた皿を持ち上げ、飛鳥にすすめた。チョコの塊の入った大振りのスコーンがふた切れのっている。
「ありがとう。でも、」
「ヘンリーがいたからお腹いっぱいか!」
スコーンにかぶりつき、デヴィッドはヘーゼルの瞳をくるくるさせながら、もごもごと頬を動かす。
「ヘンリーねぇ、」
「食べてからでいいよ」
口いっぱいに頬張ったまま話しだそうとするデヴィッドに驚いて、飛鳥はつい笑いだしながら止めた。いつもスマートな彼にしては珍しいことだった。
「ごめん。悪い癖がついちゃってる。このところ、ずっとこんなだったからねぇ。座って食べる暇もないくらい忙しくて」
口の中をお茶ですっきりさせると、デヴィッドは、自分でも笑いだしながら言った。
「アスカちゃんやサラが食事をよく抜くのも不可抗力だったんだねぇ」
そして、自分自身が責任追及されないことで――
だが今回に限って、その心地良いぬるま湯は飛鳥の心を温めるのではなく、いっそう凍えさせ冷徹に彼の立ち位置を自覚させた。自分が責任を問われることはない。それならば誰がその責任を被るのか?
昼食と報告を終え、自室に戻ってからも、飛鳥は自責の念から逃れられないままでいた。考えれば考えるほど、今回のイベントは不甲斐ないことばかりだったのだ。
主催者側の要望が二転三転していた。デヴィッドはそれに最大限応えようと奔走した。交渉役を途中で人工知能に任せたのは、彼らの我がままにデヴィッドが応じきれなくなったからだという。そこに自分が出しゃばってしまった。自分なら全て叶えることができる、と万能感でもってデヴィッドの顔を潰した。
喜んでもらえると思ったのだ。参加者にも、デヴィッドたち現場スタッフにも――
前回自分の手がけたメイボールイベントとは比べようもないほど、今のTSは技術革新が進んでいるのだ。以前の様な、狭い空間でなければ映しだせないという、特殊な制約はない。技術的に難しくとも、映像を何層にも重ねることで、広大な空間を仕切ることだってできるのだ。だから、選ばれたターゲットにだけ見学権を与える参加者選別よりも、主催者の望んだ「一人でも多く」にイベントを楽しんで欲しいという想いに賛同し、応えたいと思った。けれどそれは、単純な過去映像をTS化することに積極的に賛同する、という意味での承諾ではなかったつもりだったのに。
吉野から聞いた報告によると、このイベントでより強く周知されたのは、アーカシャーの、「過去映像をライブと変わらない現実感で三次元に再現できる技術」だそうだ。結果、本来のテーマであるレトロフューチャーな、「未来を先取りした部屋」の印象は薄れてしまった。
「大失敗じゃないか――、」
飛鳥は声に出して呟いた。
脳裏では、自分の参加を小躍りして喜んでくれたデヴィッドの姿が浮かび、すぐに、その姿が疲れはて、車のなかで死んだように眠っていた彼に替わっていった。
あんなに意気込んで、頑張っていたのに――
「僕のせいで」
と、トン、トンとノックの音がして、ドアが開けられた。デヴィッドが「アスカちゃん!」と顔を覗かせる。
「大丈夫なの、起きたりして!」
飛鳥は慌てて座り込んでいた床から立ち上がった。
「ぜーんぜん! 平気だよ、たっぷり眠ったからね。ただの睡眠不足だって!」
明るい声音には、昨日のようなは気怠さは感じられない。けれど、顔色は蒼白いままで、蓄積された疲労が拭い去られているようには見えなかった。
「ね、アスカちゃん、お茶に付き合ってよ。起きたらヘンリーがいてびっくりしたんだけどさ、彼、さっさと出社しちゃってさ。どうしたんだろうねぇ、あんなに真面目になっちゃって。まぁ、こっちの本社に顔を出すのも久しぶりだから、ここにいるのがバレちゃ、行かないわけにもいかないんだろうねぇ! サラがいないからさぁ、スペア君で上手く誤魔化してもらえないんだよ、きっと!」
一気に捲し立てながら、デヴィッドはいろんな書類や本、機材やコードが散乱する床に足を取られないように気を付けながら、持ってきたティーセットののったトレーを飛鳥のいる窓辺まで運び、出窓に置いて腰を下ろした。飛鳥は、賑やかに喋る彼を、ぽかんと眺めたままつっ立っている。
「どしたの、アスカちゃん?」
「え? ああ」
生返事を返して飛鳥もその場に腰を下ろした。デヴィッドは膝立ちしてお茶を淹れ、カップを飛鳥のまえにコトリと置いた。
「ごめんね、心配かけちゃって」
「そんな、僕のせいで、」
「解ってるつもりだったんだけどね、あんな広い空間でTSの画像を一から作る大変さ、僕は甘く見てたんだな。思い知らされたよ」
「それは僕が対象を複雑にしていったから――」
「ううん」とデヴィッドは首を振った。「きみとヨシノだけが扱える技術じゃ困るから、僕たちのチームができたんじゃないか。それなのにきみに甘えすぎて、学ぶことをおろそかにしていたんだ。そのツケが回ってきたんだ」
ため息をつきながら、デヴィッドはしみじみと微笑む。
「ありがとう、助けてくれて。きみがいなかったら、このイベントは成功しなかった」
くっと飛鳥は眉を潜めた。彼にはイベントが成功したとは思えなかったのだ。
「ほら、そんな顔しないで。スコーン食べる?」
デヴィッドは胡座をかいた上に置いていた皿を持ち上げ、飛鳥にすすめた。チョコの塊の入った大振りのスコーンがふた切れのっている。
「ありがとう。でも、」
「ヘンリーがいたからお腹いっぱいか!」
スコーンにかぶりつき、デヴィッドはヘーゼルの瞳をくるくるさせながら、もごもごと頬を動かす。
「ヘンリーねぇ、」
「食べてからでいいよ」
口いっぱいに頬張ったまま話しだそうとするデヴィッドに驚いて、飛鳥はつい笑いだしながら止めた。いつもスマートな彼にしては珍しいことだった。
「ごめん。悪い癖がついちゃってる。このところ、ずっとこんなだったからねぇ。座って食べる暇もないくらい忙しくて」
口の中をお茶ですっきりさせると、デヴィッドは、自分でも笑いだしながら言った。
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