霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

文字の大きさ
42 / 193
Ⅱ.冬の静寂(しじま)

39 帰国

しおりを挟む
 ワインレッドに白い蔓薔薇の咲く、この閉じられた子どもだけの城に本当の城主が帰って来る。

 僕たちは揃って、朝からそわそわと落ち着かなかった。特にアルビーは朝食を食べて、シャワーを浴びて、早々と着替えてからは、小さな前庭の面した道路にタクシーが停まるのを、今か今かと待ちわびているみたいだ。
 マリーはというと、そこまでは気にしていないみたいでソファーでのんびりと寛いでいる。
 僕は朝食後のキッチンを、これでもかと言うほど綺麗に磨きあげていた。

 マリーのお父さんは銀行務めで、今は香港に赴任している。これまでも海外赴任は何度かあったらしいけれど、マリーが生まれてからは、お父さんだけが単身赴任していたらしい。今回は、マリーも大学生になって、自分たちだけでもう充分に生活していけるとの認識の上で、奥さんもついて行くことに決めたのだそうだ。とんでもない見当違いだ。もし僕がいなかったら、マリーは今頃、とんでもない高額料金を払ってハウスクリーニングを頼んでいたに違いない。

 僕を同居人に選んだのは、慣れないアジア暮らしをしている両親を想い、同じアジア人である僕に興味と親近感があったからだと、後から聴いた。同じアジアと一括りにするけれど、香港と日本じゃ随分違う。それなら中国人留学生を選べばいいのに、と思うのだけれど、そこはやはり縁というか、成り行きというか、まぁそんなものなのだろう。

 僕はその話を聴いて、二人がアジア文化に興味があるという、そっちの方に驚いた。二人とも日本食は好きだけれど、特に日本や東洋の文化について突っ込んだ内容を訊かれたことはないし、興味があると感じたこともない。
 逆にマリーなんて、留学生である僕に、英国の文化と伝統を正しく伝えなければならないと使命感すら持っているような気がするけどね。

 この話は、僕を同居人に選んだことの体のいい理由付けのような気がするな。まぁ別にそんな事、どうだっていいけれど。



「コウ、コーヒーを淹れて」

 待ちくたびれたのか、アルビーがキッチンにやって来た。「マリーも?」僕は人数を確認し、カップで測ってから湯を沸かす。

 湯が沸く間にてきぱきと準備をしている僕を眺めて、アルビーはくすくすと笑う。

「いつもくるくる動き回っていて、コウってリスみたいだ」
「アルビーも、マリーも何もしないからじゃないか」
「そうやって、すぐ頬っぺたを膨らますところも。コウの淹れてくれたコーヒーが美味しいんだよ、いいじゃないか」

 よく言うよ。
 こんな事をさらりと言う、ってこと自体、今日のアルビーは相当機嫌がいい。

「アル! 着いたわよ!」

 マリーの声に、アルビーはキッチンを飛び出して行く。僕も、慌てて火を止めて玄関に向かった。

「スティーブ!」
 開け放たれた玄関に立つ上品な壮年の紳士に、アルビーは飛びつくようにして抱きついた。その彼も嬉しそうに、にこにこしながらゆるく抱き締め返し、ぽんぽんと背中を叩いている。親子というよりも、まるで恋人同士の再会だ。

「あら、あなたがコウね! 初めまして。お逢いできるのをとても楽しみにしていたのよ!」

 長身の彼の後ろから現れた、マリーとは似ても似つかないふっくらとした女性の朗らかな声が響く。

「アル、彼を僕たちに紹介してくれるかい?」

 振り返ったアルビーの、ほんのりと紅潮した頬、潤んだ瞳。それでいて全身で喜びを表現しているはしゃいだ少年のような表情に、僕は唖然と目を瞠り、一瞬すべき事を忘れた。

「お帰りなさい。パパ、ママ」

 落ち着いたマリーの声で我に返る。当たり前に、マリーはお父さんやお母さんをハグして、頬をくっつけてキスしている。

 そうだった。これが普通なんだった。

「初めまして、ジャンセンさん。僕は、アキラ・ヒラサカです。コウって呼んで下さい」

 驚き冷めやらぬまま、僕はやっと、当たり前の挨拶を口から出すことに思い至っていた。





しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

恋文より、先にレポートが届いた~監視対象と監視官、感情に名前をつけるまで

中岡 始
BL
政府による極秘監視プロジェクト──その対象は、元・天才ハッカーで現在は無職&生活能力ゼロの和泉義人(32歳・超絶美形)。 かつて国の防衛システムに“うっかり”侵入してしまった過去を持つ彼は、現在、監視付きの同居生活を送ることに。 監視官として派遣されたのは、真面目で融通のきかないエリート捜査官・大宮陸斗(28歳)。 だが任務初日から、冷蔵庫にタマゴはない、洗濯は丸一週間回されない、寝ながらコードを落書き…と、和泉のダメ人間っぷりが炸裂。 「この部屋の秩序、いつ崩壊したんですか」 「うまく立ち上げられんかっただけや、たぶん」 生活を“管理”するはずが、いつの間にか“世話”してるし… しかもレポートは、だんだん恋文っぽくなっていくし…? 冷静な大宮の表情が、気づけば少しずつ揺らぎはじめる。 そして和泉もまた、自分のために用意された朝ごはんや、一緒に過ごすことが当たり前になった日常…心の中のコードが、少しずつ書き換えられていく。 ──これは「監視」から始まった、ふたりの“生活の記録”。 堅物世話焼き×ツンデレ変人、心がじわじわ溶けていく、静かで可笑しな同居BL。

僕たち、結婚することになりました

リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった! 後輩はモテモテな25歳。 俺は37歳。 笑えるBL。ラブコメディ💛 fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

ポメラニアン魔王

カム
BL
勇者に敗れた魔王様はポメラニアンになりました。 大学生と魔王様(ポメラニアン)のほのぼの生活がメインです。 のんびり更新。 視点や人称がバラバラでちょっと読みにくい部分もあるかもしれません。 表紙イラスト朔羽ゆき様よりいただきました。

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

処理中です...