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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
39 帰国
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ワインレッドに白い蔓薔薇の咲く、この閉じられた子どもだけの城に本当の城主が帰って来る。
僕たちは揃って、朝からそわそわと落ち着かなかった。特にアルビーは朝食を食べて、シャワーを浴びて、早々と着替えてからは、小さな前庭の面した道路にタクシーが停まるのを、今か今かと待ちわびているみたいだ。
マリーはというと、そこまでは気にしていないみたいでソファーでのんびりと寛いでいる。
僕は朝食後のキッチンを、これでもかと言うほど綺麗に磨きあげていた。
マリーのお父さんは銀行務めで、今は香港に赴任している。これまでも海外赴任は何度かあったらしいけれど、マリーが生まれてからは、お父さんだけが単身赴任していたらしい。今回は、マリーも大学生になって、自分たちだけでもう充分に生活していけるとの認識の上で、奥さんもついて行くことに決めたのだそうだ。とんでもない見当違いだ。もし僕がいなかったら、マリーは今頃、とんでもない高額料金を払ってハウスクリーニングを頼んでいたに違いない。
僕を同居人に選んだのは、慣れないアジア暮らしをしている両親を想い、同じアジア人である僕に興味と親近感があったからだと、後から聴いた。同じアジアと一括りにするけれど、香港と日本じゃ随分違う。それなら中国人留学生を選べばいいのに、と思うのだけれど、そこはやはり縁というか、成り行きというか、まぁそんなものなのだろう。
僕はその話を聴いて、二人がアジア文化に興味があるという、そっちの方に驚いた。二人とも日本食は好きだけれど、特に日本や東洋の文化について突っ込んだ内容を訊かれたことはないし、興味があると感じたこともない。
逆にマリーなんて、留学生である僕に、英国の文化と伝統を正しく伝えなければならないと使命感すら持っているような気がするけどね。
この話は、僕を同居人に選んだことの体のいい理由付けのような気がするな。まぁ別にそんな事、どうだっていいけれど。
「コウ、コーヒーを淹れて」
待ちくたびれたのか、アルビーがキッチンにやって来た。「マリーも?」僕は人数を確認し、カップで測ってから湯を沸かす。
湯が沸く間にてきぱきと準備をしている僕を眺めて、アルビーはくすくすと笑う。
「いつもくるくる動き回っていて、コウってリスみたいだ」
「アルビーも、マリーも何もしないからじゃないか」
「そうやって、すぐ頬っぺたを膨らますところも。コウの淹れてくれたコーヒーが美味しいんだよ、いいじゃないか」
よく言うよ。
こんな事をさらりと言う、ってこと自体、今日のアルビーは相当機嫌がいい。
「アル! 着いたわよ!」
マリーの声に、アルビーはキッチンを飛び出して行く。僕も、慌てて火を止めて玄関に向かった。
「スティーブ!」
開け放たれた玄関に立つ上品な壮年の紳士に、アルビーは飛びつくようにして抱きついた。その彼も嬉しそうに、にこにこしながらゆるく抱き締め返し、ぽんぽんと背中を叩いている。親子というよりも、まるで恋人同士の再会だ。
「あら、あなたがコウね! 初めまして。お逢いできるのをとても楽しみにしていたのよ!」
長身の彼の後ろから現れた、マリーとは似ても似つかないふっくらとした女性の朗らかな声が響く。
「アル、彼を僕たちに紹介してくれるかい?」
振り返ったアルビーの、ほんのりと紅潮した頬、潤んだ瞳。それでいて全身で喜びを表現しているはしゃいだ少年のような表情に、僕は唖然と目を瞠り、一瞬すべき事を忘れた。
「お帰りなさい。パパ、ママ」
落ち着いたマリーの声で我に返る。当たり前に、マリーはお父さんやお母さんをハグして、頬をくっつけてキスしている。
そうだった。これが普通なんだった。
「初めまして、ジャンセンさん。僕は、アキラ・ヒラサカです。コウって呼んで下さい」
驚き冷めやらぬまま、僕はやっと、当たり前の挨拶を口から出すことに思い至っていた。
僕たちは揃って、朝からそわそわと落ち着かなかった。特にアルビーは朝食を食べて、シャワーを浴びて、早々と着替えてからは、小さな前庭の面した道路にタクシーが停まるのを、今か今かと待ちわびているみたいだ。
マリーはというと、そこまでは気にしていないみたいでソファーでのんびりと寛いでいる。
僕は朝食後のキッチンを、これでもかと言うほど綺麗に磨きあげていた。
マリーのお父さんは銀行務めで、今は香港に赴任している。これまでも海外赴任は何度かあったらしいけれど、マリーが生まれてからは、お父さんだけが単身赴任していたらしい。今回は、マリーも大学生になって、自分たちだけでもう充分に生活していけるとの認識の上で、奥さんもついて行くことに決めたのだそうだ。とんでもない見当違いだ。もし僕がいなかったら、マリーは今頃、とんでもない高額料金を払ってハウスクリーニングを頼んでいたに違いない。
僕を同居人に選んだのは、慣れないアジア暮らしをしている両親を想い、同じアジア人である僕に興味と親近感があったからだと、後から聴いた。同じアジアと一括りにするけれど、香港と日本じゃ随分違う。それなら中国人留学生を選べばいいのに、と思うのだけれど、そこはやはり縁というか、成り行きというか、まぁそんなものなのだろう。
僕はその話を聴いて、二人がアジア文化に興味があるという、そっちの方に驚いた。二人とも日本食は好きだけれど、特に日本や東洋の文化について突っ込んだ内容を訊かれたことはないし、興味があると感じたこともない。
逆にマリーなんて、留学生である僕に、英国の文化と伝統を正しく伝えなければならないと使命感すら持っているような気がするけどね。
この話は、僕を同居人に選んだことの体のいい理由付けのような気がするな。まぁ別にそんな事、どうだっていいけれど。
「コウ、コーヒーを淹れて」
待ちくたびれたのか、アルビーがキッチンにやって来た。「マリーも?」僕は人数を確認し、カップで測ってから湯を沸かす。
湯が沸く間にてきぱきと準備をしている僕を眺めて、アルビーはくすくすと笑う。
「いつもくるくる動き回っていて、コウってリスみたいだ」
「アルビーも、マリーも何もしないからじゃないか」
「そうやって、すぐ頬っぺたを膨らますところも。コウの淹れてくれたコーヒーが美味しいんだよ、いいじゃないか」
よく言うよ。
こんな事をさらりと言う、ってこと自体、今日のアルビーは相当機嫌がいい。
「アル! 着いたわよ!」
マリーの声に、アルビーはキッチンを飛び出して行く。僕も、慌てて火を止めて玄関に向かった。
「スティーブ!」
開け放たれた玄関に立つ上品な壮年の紳士に、アルビーは飛びつくようにして抱きついた。その彼も嬉しそうに、にこにこしながらゆるく抱き締め返し、ぽんぽんと背中を叩いている。親子というよりも、まるで恋人同士の再会だ。
「あら、あなたがコウね! 初めまして。お逢いできるのをとても楽しみにしていたのよ!」
長身の彼の後ろから現れた、マリーとは似ても似つかないふっくらとした女性の朗らかな声が響く。
「アル、彼を僕たちに紹介してくれるかい?」
振り返ったアルビーの、ほんのりと紅潮した頬、潤んだ瞳。それでいて全身で喜びを表現しているはしゃいだ少年のような表情に、僕は唖然と目を瞠り、一瞬すべき事を忘れた。
「お帰りなさい。パパ、ママ」
落ち着いたマリーの声で我に返る。当たり前に、マリーはお父さんやお母さんをハグして、頬をくっつけてキスしている。
そうだった。これが普通なんだった。
「初めまして、ジャンセンさん。僕は、アキラ・ヒラサカです。コウって呼んで下さい」
驚き冷めやらぬまま、僕はやっと、当たり前の挨拶を口から出すことに思い至っていた。
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