霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅱ.冬の静寂(しじま)

52 大晦日の夜4

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 僕は意味が解らずアルビーを振り返る。彼は僕を見てにっこりする。

「そろそろ移動しよう。カウントダウンだ」
 なんとなく、しんとなった場を取り成すように誰かが立ち上がる。またざわざわと雑談が再開され、次々と、いつの間にか移動を始めていた人の波に加わって進み出す。

 僕も訳の解らないままその波に続いた。迷子になるとでも思っているのか、アルビーは指を絡めたままだ。いくら何でも、僕はそこまで子どもじゃないのに。

「アルビー、見せてって、彼ら何の話をしていたの?」
「指輪だよ」
「お揃いだから? 仲いいだろって?」
「そうだね」

 アルビーはちらりと僕を見て目を細める。口許がほころんでいるけれど、意地悪な笑い方じゃない。
 彼の友人たちは、彼が僕を同居人に決めたことが、そんなに信じられないのだろうか? それともお揃いの指輪をするほど、好みが合うってことが? アルビーの爬虫類好きと、僕にとってのこの指輪の意味は違うのに。彼らには、そんなに気にかかることなのだろうか?



 建物の外に一旦出ると、エントランスはフロアにいた人たちがごっそりと移動したのか、人、人、人で溢れ返っていた。外も中と変わらない大音響の音楽が流れ、否が応でもお祭り気分を盛り上げている。

 頬に当たる風は冷たいのに、まだ酔いが残っているのか火照った躰には逆に心地良い。それに、来たばかりの時と違って、僕にはこの人混みもまた心地良かった。アルビーがいるからだ。繋いでくれているこの手から、僕は群衆に溶けていく。その一部になる。古い年から新しい年へ時を飛び越える瞬間を共有する塊の、細胞のひとつになるんだ。アルビーと一緒に。


 目の前に迫る、蛍光色の青や赤、そして白に光る巨大なロンドン・アイが点滅を始めた。賑やかな歓声が上がる。ビッグ・ベンのウェストミンスター・チャイムがカウントダウンの始まりを知らせ、みんな一斉に十からの数字を逆に数え始める。

 そして零時ちょうどに、ビッグ・ベンの荘厳な鐘の音が鳴り響く中、盛大に花火が打ちあがった。

 圧倒され見とれる一瞬の間もなかった。アルビーの指先が僕の顎を上向かせる。近づいてきた彼の顔を、僕は思い切りひっぱたいていた。
 夜空に咲く色取り取りの大輪の花々が、呆気に取られている彼の姿を容赦なく曝け出す。

 せっかく幸せな気分だったのに、台無しじゃないか。

「僕はきみの友だち連中とは違うんだ。挨拶のキスはいらないよ!」
 花火と共に迎えた新年を祝って、そこら中でキスし合っている。だから、アルビーも慣例に従った。それは解る。
「僕は日本人で、日本にはそんな習慣はないもの。友だち同士でキスなんかしない!」
 連続する花火の破裂音にも、華やかな音楽にも負けないように大声で叫んだ。
「たかだか新年の挨拶じゃないか! そんなキスさえコウは嫌なの?」
「嫌なものは嫌なんだ!」
 脳裏に、女の子たちとキスしていたアルビーの艶めかしい顔が焼き付いている。僕はあんなアルビーは嫌いだ。あんな顔で僕を見るアルビーも嫌いだ。

 アルビーは苦笑してため息を吐いた。僅かに眉根を寄せて。

 ――赤ちゃん。

 唇がそう動いた気がした。

「自己管理できない奴が大人ぶるなよ! 何でもかんでも、郷に入っては郷に従えなんて、そんなの傲慢だろ!」

 何がそんなに僕を昂らせていたのか判らない。けれど僕は、心の底に溜まっていた泥を一気に吐き出してしまったのだ。 


 アルビーから表情が消える。闇空を覆う白い煙幕に反射する華やかな光の色が、彼の緑を燃え立たせている。

「僕はきみに友情を求めている訳じゃないよ」

 顔を近づけ、彼は冷たい声音で耳許で囁いた。そして、僕の腕を掴むと、花火に見とれる人々とは逆向きに歩き出した。

「帰る」
「ショーンに、」
「後で電話すればいい。もう少し離れないと、この辺りじゃ電波が悪すぎる」

 僕の訊いたことにはちゃんと応えてくれたけど、アルビーは明らかに怒っていた。

 家に帰りついてからもずっと。


 そしてその理由を、僕は学校が始まってから知ることになる。

 






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