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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
63 場所
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アルビーがティーテーブルにいる。飾り棚の横のソファーでも、ラジエーターの前の床でもなく。僕の向かいでパソコンを開き、頬杖をついて画面を見ている。
だからどうしたって自分でも思うのだけど、いつもと違う。ただそれだけのことが気になってしかたがない。
視線を感じてテキストから目を上げると、深緑の目許が優しく緩んで僕を見つめている。気恥ずかしくて、すぐにテキストに視線を戻す。その繰り返し。
何か話があるとか、そんな感じでもなくて、アルビーはただ穏やかに僕を見ている。それがとんでもなく恥ずかしい。
それなのに、黙って座っているだけのアルビーは、なんだかとても満足しているみたいで、僕はこの居心地の悪い時間を終わらせることができない。緊張して、居た堪れなくて、それなのに気持ちいい。アルビーの視線は、僕に何も要求しない。相手を裸にして曝け出させようとする、そんな不躾さは欠片もなくて。
愛着のある何かを愛でているような、そんな優しい視線だから。
お陰で僕はちっとも勉強に集中できない。顔を上げることすらできなくて、黒く並んで行列を作る蟻のような活字を睨みつけるだけ。
本当に、こんな穏やかな彼と向かい合っていると、マリーから得た情報は、何から何まで作り話なんじゃないかと思ってしまう。そうではないと、知っているのに。そうであれば、と願ってしまう……。
ふわりと意識が浮遊する。
ネットの中の画像で見たアビゲイルの姿がアルビーに重なる。白雪姫と呼ばれたアルビーのお母さん。命を賭してアルビーを産んだ。
アルビーのお父さんがアルビーを拒絶したのは、ネットに書かれていたような、単なる錯乱だけではなかった。文字通り、我が子の命を守るために、アビゲイルが自らを投げ打ったからで。
早期に治療に掛かれば助かったかもしれないなんて。妊娠が判ってから、外科療法、化学療法、放射線療法、胎児に影響する全てを拒んでアルビーを育んだから手遅れになってしまったなんて、悲し過ぎるじゃないか。
アルビーのせいじゃないのに。そうまでして守りたかった命なのに。
それなのに、お母さん譲りのアルビーの美貌には、お父さんの下した拒否の印が刻まれている。永遠に消えることのない……。
「コウ、何を考えているの?」
アルビーの瞳が心配そうに曇っている。
「……少し、ホームシックかな」
心配を掛けないように、そして本当の想いを悟られないように、口角を上げて無理に微笑んだ。
でも丸きり嘘じゃない。両親に逢いたいと切実に感じていた。逢って、どうということもないのだけど。ほんの少しだけ顔を見たい。それだけで、このどうしようもないやるせなさが落ち着くような、そんな気がして。
アルビーは立ち上がって僕の傍に立つと、ぎゅっと僕の頭を自分のお腹に押し付けるようにして抱き締めた。
彼の着ているざっくりとしたセーターが、頬に当たってむず痒い。
「コウ、淋しいなら、無理に笑わなくてもいいんだよ」
小さな子どもにするように、髪の毛を緩く撫でてくれている。やっぱり、僕は子ども扱いだ。
「無理なんてしてないよ」
僕はアルビーの腕に手を掛けて外すと、頭を反らせて彼を見上げた。
「僕が笑顔でいたいんだよ」
だって、僕が微笑むと、きみも微笑み返してくれるから。
きみを笑顔にしてあげたい。いつだってそう思っているんだ。本当だよ。
マリーの言うことを信じない訳じゃない。でも、僕はやっぱり、今ここにいるアルビーしか知らないし、判らないんだ。
他の人の前で全然別人のアルビーになるのだとしても、僕の目の前にこうして立っている彼が、全く僕の知らない彼だったことは一度もない。
僕は、僕に見えるアルビーを信じるしかないじゃないか。その彼だけが、僕にとっての実在なのだから。たとえそれが、マリーに見える彼とは異なっているのだとしても。マリーと彼の関係は、僕と彼との関係とは違うのだから当然だ、としか言いようがない。
「もう平気だよ。淋しい訳じゃないんだ。ちょっと懐かしく思っただけで。その度に頑張ろうって、自分に言い聞かせているんだ。ここにこうして居られることに、感謝しているもの。……ありがとう。慰めてくれて」
アルビーは、「そう」とだけ言って軽く微笑んで、また自分の椅子に戻っていった。そしてさっきまでと同じように、パソコン画面に視線を落とした。
彼の、人形と同じ、長い漆黒の睫毛に見とれていると、すいっと瞼が持ち上がった。けれど、僕と目が合った深緑の瞳はなんだか照れ臭そうに、すぐにまた伏せられてしまった。
だからどうしたって自分でも思うのだけど、いつもと違う。ただそれだけのことが気になってしかたがない。
視線を感じてテキストから目を上げると、深緑の目許が優しく緩んで僕を見つめている。気恥ずかしくて、すぐにテキストに視線を戻す。その繰り返し。
何か話があるとか、そんな感じでもなくて、アルビーはただ穏やかに僕を見ている。それがとんでもなく恥ずかしい。
それなのに、黙って座っているだけのアルビーは、なんだかとても満足しているみたいで、僕はこの居心地の悪い時間を終わらせることができない。緊張して、居た堪れなくて、それなのに気持ちいい。アルビーの視線は、僕に何も要求しない。相手を裸にして曝け出させようとする、そんな不躾さは欠片もなくて。
愛着のある何かを愛でているような、そんな優しい視線だから。
お陰で僕はちっとも勉強に集中できない。顔を上げることすらできなくて、黒く並んで行列を作る蟻のような活字を睨みつけるだけ。
本当に、こんな穏やかな彼と向かい合っていると、マリーから得た情報は、何から何まで作り話なんじゃないかと思ってしまう。そうではないと、知っているのに。そうであれば、と願ってしまう……。
ふわりと意識が浮遊する。
ネットの中の画像で見たアビゲイルの姿がアルビーに重なる。白雪姫と呼ばれたアルビーのお母さん。命を賭してアルビーを産んだ。
アルビーのお父さんがアルビーを拒絶したのは、ネットに書かれていたような、単なる錯乱だけではなかった。文字通り、我が子の命を守るために、アビゲイルが自らを投げ打ったからで。
早期に治療に掛かれば助かったかもしれないなんて。妊娠が判ってから、外科療法、化学療法、放射線療法、胎児に影響する全てを拒んでアルビーを育んだから手遅れになってしまったなんて、悲し過ぎるじゃないか。
アルビーのせいじゃないのに。そうまでして守りたかった命なのに。
それなのに、お母さん譲りのアルビーの美貌には、お父さんの下した拒否の印が刻まれている。永遠に消えることのない……。
「コウ、何を考えているの?」
アルビーの瞳が心配そうに曇っている。
「……少し、ホームシックかな」
心配を掛けないように、そして本当の想いを悟られないように、口角を上げて無理に微笑んだ。
でも丸きり嘘じゃない。両親に逢いたいと切実に感じていた。逢って、どうということもないのだけど。ほんの少しだけ顔を見たい。それだけで、このどうしようもないやるせなさが落ち着くような、そんな気がして。
アルビーは立ち上がって僕の傍に立つと、ぎゅっと僕の頭を自分のお腹に押し付けるようにして抱き締めた。
彼の着ているざっくりとしたセーターが、頬に当たってむず痒い。
「コウ、淋しいなら、無理に笑わなくてもいいんだよ」
小さな子どもにするように、髪の毛を緩く撫でてくれている。やっぱり、僕は子ども扱いだ。
「無理なんてしてないよ」
僕はアルビーの腕に手を掛けて外すと、頭を反らせて彼を見上げた。
「僕が笑顔でいたいんだよ」
だって、僕が微笑むと、きみも微笑み返してくれるから。
きみを笑顔にしてあげたい。いつだってそう思っているんだ。本当だよ。
マリーの言うことを信じない訳じゃない。でも、僕はやっぱり、今ここにいるアルビーしか知らないし、判らないんだ。
他の人の前で全然別人のアルビーになるのだとしても、僕の目の前にこうして立っている彼が、全く僕の知らない彼だったことは一度もない。
僕は、僕に見えるアルビーを信じるしかないじゃないか。その彼だけが、僕にとっての実在なのだから。たとえそれが、マリーに見える彼とは異なっているのだとしても。マリーと彼の関係は、僕と彼との関係とは違うのだから当然だ、としか言いようがない。
「もう平気だよ。淋しい訳じゃないんだ。ちょっと懐かしく思っただけで。その度に頑張ろうって、自分に言い聞かせているんだ。ここにこうして居られることに、感謝しているもの。……ありがとう。慰めてくれて」
アルビーは、「そう」とだけ言って軽く微笑んで、また自分の椅子に戻っていった。そしてさっきまでと同じように、パソコン画面に視線を落とした。
彼の、人形と同じ、長い漆黒の睫毛に見とれていると、すいっと瞼が持ち上がった。けれど、僕と目が合った深緑の瞳はなんだか照れ臭そうに、すぐにまた伏せられてしまった。
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