霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅱ.冬の静寂(しじま)

71 クルージング

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 アルビーは困ったように、ひょいっと肩をすくめて呟いた。
「クルージング」

 船旅? こんな森と野原と池しかない公園で? 

「こんな夜になってからボートを漕ぐとか……。危ないよ」

 夜陰に紛れて湖面に漕ぎ出すのは、心が落ち着くのかも知れないけれど。やはりそれは、少し安全性に欠けるのではないかと僕は思う。

 アルビーは思い切り目を見開いて、唖然と僕を見つめていた。そして、我慢しきれない様子で腹を抱えて笑い出した。

「いいね、それ……。ボートに乗りに行くかい? この時間なら、きっと誰もいない。素敵な船旅クルージングができそうだ」

 僕は理解を示した訳ではないのだが……。

「じゃあ、ちゃんと帰るんだよ。送ってあげられなくて申し訳ないけど」

 アルビーはまだくすくすと笑いが止まらない様子で肩を震わせながら、つっと視線で公園の出口を示した。

「僕も行く」
「お断りだね」
「どうして?」
「邪魔だから。赤ちゃんは家に帰って、さっさと寝なよ」

 また!

 態度を豹変させて冷たく僕を突き放したアルビーは、そのままくるりと踵を返して僕に背を向け歩き出した。でも、さっきまで向かっていた場所とは方向が違う。一旦公園を出て、外灯に照らされた公園沿いの歩道をカッ、カッと足音も高く響かせて足早に進む。

 別人のアルビー。いったい僕の何が彼を怒らせてしまったのかと、今しがたの会話を何度も、何度も反芻する。
 僕を心配してくれる彼と、僕を拒絶する彼。一瞬で変わる彼の感情の揺れが判らない。僕はどこでしくじった?

 冷ややかな背中を食い入るように見つめながら、アルビーの後を追った。彼は振り返らなかった。僕のことなど忘れたかのように。



 どれ程歩いたのか、アルビーはとうとう立ち止まり、僕を振り返ってくれた。ため息交じりに苦笑して、哀しいのか、怒っているのか判らない不機嫌な瞳で僕を見た。

「本当に意味が解らないの? わざと解らないフリをしているのかと思ったよ」

 困ったようなアルビーの顔。どうしようかと迷っている。

「これ以上は駄目だよ。コウはゲイじゃないし、相手を探している訳でもないのだから、大人しく帰るんだ」

 相手を探す?

「まだ解らない?」

 アルビーは呆れたようにため息を吐いた。

「僕は今夜一晩を過ごす相手を探すためにここに来ているんだ。ここは、そういう場所なんだよ!」

 吐き捨てるように言い、公園の入り口を指差した。重なり合う樹々に囲まれた黒々とした闇は、大きく開かれた何かの口のように奥深く、見渡すことは出来なかった。

 僕に背を向け、その闇に自ら呑み込まれに行く彼の後に黙したまま続いた。僕もまた、ぽっかりと空いた穴の中に落ちて行く。アルビーの背中だけを追って。きっと大丈夫。僕たちは薬指で繋がっているもの。闇の中でも変わりなく。

 誰かとぶつかった。何度も。樹々の陰に人が蠢いている。アルビーは? どこ?

 泣きそうになりながら、アルビーを探した。僅かな外灯の明かりを頼りに、光の届かないその先を。

 肩を掴まれ、びくりと背中に電流が走る。
「コウ、頼むから帰ってくれ」

 アルビー……。

「こんな所にきみを残して帰れないよ。アルビーは間違っている。こんな所で見知らぬ相手に一夜の愛を求めたって、何にもならないじゃないか!」
 逃げられないように彼の腕をしっかりと掴んで、早口で囁いた。
「解ったようなことを言うじゃないか。それならきみが、今夜一晩僕の心を埋めてくれる? それなら今すぐこの場所を離れてもいい」

「構わないよ。それできみの気が収まるなら」

 後先など考えていなかった。とにかくこの場を離れたかった。ここの異様な空気が怖かった。密やかな息遣い。絡み付く視線。衣擦れの音。凍りつくような冷気に混じる熱……。その全てが僕の神経を苛立たせ、怯えさせていたんだ。




 
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