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Ⅲ.春の足音
99 旅17 スパ1
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サーメ・バース・スパは、ローマン・バスの程近くに在る不思議な建物だった。ジョージアン様式の街並みに揃い、景観を壊さない、この街特有の蜂蜜色のバース・ストーンで建造された外壁に、近代的なガラス張りの壁が組み合わさっている。
けれど一歩内側に入れば、綺麗でお洒落なスポーツジムみたいだ。手首にゴムバンドを付けてもらって、これがロッカーの鍵や、レストランでの飲食時のキャッシュレスでの会計コードになる。十八世紀の外観に騙されちゃいけない。
このギャップが面白くてキョロキョロと辺りを見廻していると、ショーンやバズに思い切り笑われた。日本にはこんなスパはないのか、と。いや、あるけどね、たくさん。でも、外観と内部の差がこうも激しい建物は、確かに少ないかもしれない。
エントランスでタオル、バスローブ、スリッパを受け取りロッカールームで着替えた後は、コリーヌたちとは別行動だ。彼らは選べるスパトリートメントメニューと食事付きの四時間コースで、まずはマッサージだから。僕とショーンは軽食付きトワイライト三時間コースだ。バズは年間パスで入っているので僕たちと一緒。
食事は一緒にしましょう、とコリーヌが言うので、館内レストランの予約時間を合わせた。せっかく恋人同士のペアチケットで入っているのだから二人で楽しめばいいのに。と、僕は思うのだけど……。
ともあれ、憧れのイギリスの温泉だ!
日本の温泉と違ってお湯が温いのにまず驚いた。お湯の温度は33.5度だなんて、温泉というよりは温水プール? 流れる温水に、ジェットバス……。子どもの頃に行った健康ランドみたいだ。普通に泳いでいる人もいるし。
猫舌のイギリス人は、皮膚感覚も温めがいいのだろうか……。
温めの温度でゆっくり浸かるのが健康的、と言うけれど、さすがに熱い湯に慣れた僕には物足りない。
お湯の中よりも、アロマ・スチームルームの方が身体は温まった。最奥に白く浮かび上がる祭壇風に造られた女神ミネルヴァのモザイクを中心に、左右の細長い壁に石のベンチが沿っているローマ神殿を模したスチーム式サウナ部屋だ。照明を落とした中、等間隔で暖色のスポットライトがぽつぽつと壁を飾るライオンの頭部を照らしていて、どことなく怪しげだけど。
蜂蜜色の光とサンダルウッドの蒸気に包まれていると、疲れも溶け出していくみたいだ。
ぼんやりといい気分で浸っていると、
「背中の痕、消えちゃったんだね。花びらが舞っているみたいで綺麗だったのに」
と、バズに小声で囁かれた。
心臓が跳ね上がった。思わず反対隣に座っているショーンに眼をやる。彼はローマの女神ミネルヴァと、ケルトの女神スリスの同一視についての考察に熱弁を振るっている最中で、ちょっとしたバズの囁きなんて耳に入っている様子もない。
「コウ、のぼせてきているんじゃない? シャワーを浴びてきたら」
強張ったままの僕の肩に、バズが手を掛けて言った。
「そうだな、出るか」
ショーンが頷く。
「大丈夫だよ、僕一人で」
慌てて首を振った。
「いや、俺ものぼせてるみたいだ。冷まして次の部屋へ行こうぜ」
この室温であれだけ喋っていたら、そりゃのぼせるよな。「きみこそ大丈夫?」と、苦笑いしてしまった。ショーンは笑って肩をすくめている。
温泉で三時間も、と思っていたけれど、こことジョージアン様式の二つのスチームルームに赤外線ルーム、氷の部屋、壁、天井と宇宙空間を模した星空の中で寛げる天体リラクゼーションルームと、一つ一つ廻っていたら時間なんてあっという間だ。
全部廻りきらない内に、レストランの予約時間になった。館内はバスローブで移動でき、食事もそのままで利用できる。利用客は皆同じバスローブ姿なので、なんだかほっこりした気分になる。
セット料金に含まれている、料理と飲み物をメニューから選び注文した頃に、コリーヌたちもやって来た。
彼女、スパトリートメントにご満悦みたいだ。一目で判るほど顔を輝かせている。いつも落ち着いているミシェルも、なんだかほくほくして見える。
案の定、コリーヌは席に着くなり機関銃のように話し始めた。
食事を食べ始める頃には、後でプールで実演してあげる、という話になっていた。彼らが受けたのは「ワツ」という水中で行うストレッチ・マッサージで、ここの一番人気のメニューらしい。温かい羊水の中に漂っていた胎児の頃の記憶が蘇り宇宙との一体感を得るのだそうだ。終わった後には爽快感と軽くなった体を実感できるらしい。
そう言われると、僕もスチームルームとシャワーの繰り返しだけで身体がバラバラに解れたみたいに、楽になった。今は、疲れとは別の気怠さを感じている。食欲も戻ったみたいだし。
注文したモロッコ風野菜タジンが美味しくて、ぺろりと食べることができた。説明にザクロ入りコリアンダーライス、とあって、ちょっと味の想像がつかなかったけれど当たりだった。
なんだかパターン化しているような、ショーンとコリーヌの議論を聞き流しながら、フローリングの床以外、壁に窓枠、テーブルと白でコーディネートされ、水色のランプシェードや写真パネルをアクセントに使った清潔な店内に、視線を漂わせていた。見るともなくぼんやりと。
「コウ、行くよ。そろそろ日没だよ」
バズに呼ばれ、危うく閉じかけていた瞼をこじ開けた。
けれど一歩内側に入れば、綺麗でお洒落なスポーツジムみたいだ。手首にゴムバンドを付けてもらって、これがロッカーの鍵や、レストランでの飲食時のキャッシュレスでの会計コードになる。十八世紀の外観に騙されちゃいけない。
このギャップが面白くてキョロキョロと辺りを見廻していると、ショーンやバズに思い切り笑われた。日本にはこんなスパはないのか、と。いや、あるけどね、たくさん。でも、外観と内部の差がこうも激しい建物は、確かに少ないかもしれない。
エントランスでタオル、バスローブ、スリッパを受け取りロッカールームで着替えた後は、コリーヌたちとは別行動だ。彼らは選べるスパトリートメントメニューと食事付きの四時間コースで、まずはマッサージだから。僕とショーンは軽食付きトワイライト三時間コースだ。バズは年間パスで入っているので僕たちと一緒。
食事は一緒にしましょう、とコリーヌが言うので、館内レストランの予約時間を合わせた。せっかく恋人同士のペアチケットで入っているのだから二人で楽しめばいいのに。と、僕は思うのだけど……。
ともあれ、憧れのイギリスの温泉だ!
日本の温泉と違ってお湯が温いのにまず驚いた。お湯の温度は33.5度だなんて、温泉というよりは温水プール? 流れる温水に、ジェットバス……。子どもの頃に行った健康ランドみたいだ。普通に泳いでいる人もいるし。
猫舌のイギリス人は、皮膚感覚も温めがいいのだろうか……。
温めの温度でゆっくり浸かるのが健康的、と言うけれど、さすがに熱い湯に慣れた僕には物足りない。
お湯の中よりも、アロマ・スチームルームの方が身体は温まった。最奥に白く浮かび上がる祭壇風に造られた女神ミネルヴァのモザイクを中心に、左右の細長い壁に石のベンチが沿っているローマ神殿を模したスチーム式サウナ部屋だ。照明を落とした中、等間隔で暖色のスポットライトがぽつぽつと壁を飾るライオンの頭部を照らしていて、どことなく怪しげだけど。
蜂蜜色の光とサンダルウッドの蒸気に包まれていると、疲れも溶け出していくみたいだ。
ぼんやりといい気分で浸っていると、
「背中の痕、消えちゃったんだね。花びらが舞っているみたいで綺麗だったのに」
と、バズに小声で囁かれた。
心臓が跳ね上がった。思わず反対隣に座っているショーンに眼をやる。彼はローマの女神ミネルヴァと、ケルトの女神スリスの同一視についての考察に熱弁を振るっている最中で、ちょっとしたバズの囁きなんて耳に入っている様子もない。
「コウ、のぼせてきているんじゃない? シャワーを浴びてきたら」
強張ったままの僕の肩に、バズが手を掛けて言った。
「そうだな、出るか」
ショーンが頷く。
「大丈夫だよ、僕一人で」
慌てて首を振った。
「いや、俺ものぼせてるみたいだ。冷まして次の部屋へ行こうぜ」
この室温であれだけ喋っていたら、そりゃのぼせるよな。「きみこそ大丈夫?」と、苦笑いしてしまった。ショーンは笑って肩をすくめている。
温泉で三時間も、と思っていたけれど、こことジョージアン様式の二つのスチームルームに赤外線ルーム、氷の部屋、壁、天井と宇宙空間を模した星空の中で寛げる天体リラクゼーションルームと、一つ一つ廻っていたら時間なんてあっという間だ。
全部廻りきらない内に、レストランの予約時間になった。館内はバスローブで移動でき、食事もそのままで利用できる。利用客は皆同じバスローブ姿なので、なんだかほっこりした気分になる。
セット料金に含まれている、料理と飲み物をメニューから選び注文した頃に、コリーヌたちもやって来た。
彼女、スパトリートメントにご満悦みたいだ。一目で判るほど顔を輝かせている。いつも落ち着いているミシェルも、なんだかほくほくして見える。
案の定、コリーヌは席に着くなり機関銃のように話し始めた。
食事を食べ始める頃には、後でプールで実演してあげる、という話になっていた。彼らが受けたのは「ワツ」という水中で行うストレッチ・マッサージで、ここの一番人気のメニューらしい。温かい羊水の中に漂っていた胎児の頃の記憶が蘇り宇宙との一体感を得るのだそうだ。終わった後には爽快感と軽くなった体を実感できるらしい。
そう言われると、僕もスチームルームとシャワーの繰り返しだけで身体がバラバラに解れたみたいに、楽になった。今は、疲れとは別の気怠さを感じている。食欲も戻ったみたいだし。
注文したモロッコ風野菜タジンが美味しくて、ぺろりと食べることができた。説明にザクロ入りコリアンダーライス、とあって、ちょっと味の想像がつかなかったけれど当たりだった。
なんだかパターン化しているような、ショーンとコリーヌの議論を聞き流しながら、フローリングの床以外、壁に窓枠、テーブルと白でコーディネートされ、水色のランプシェードや写真パネルをアクセントに使った清潔な店内に、視線を漂わせていた。見るともなくぼんやりと。
「コウ、行くよ。そろそろ日没だよ」
バズに呼ばれ、危うく閉じかけていた瞼をこじ開けた。
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