霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅲ.春の足音

101 旅19 夜1

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 バース最後の夜は、皆早々と寝てしまった。翌朝には次の目的地ティンタジェル城跡へと向かうためも有り、申し合わせて床に就いた。
 結局、バズの家でのんびりと三日間も過ごさせてもらったことになる。もっといろいろバズとも話したかったけれど、如何せん温泉のリラックス効果には勝てなかった。
 バイタリティは僕の何倍もあるショーンやコリーヌでさえ、今晩は早々と就寝したのだから、やはり温泉は偉大だ。

 僕たちがいる間、バズは両親のベッドルームを借りて眠っていた。ショーンは居間のソファーベッドだ。定員オーバーになりがちな来客のために、シックなアイボリーのソファーは、ベッドに早変わり。
 バズの部屋を占領してしまって申し訳なく思っていたのだけれど、取り敢えず、二人共ちゃんとベッドで寝ていると聞いて安堵したよ。
 それでも、僕たちが彼の日常を掻き回していたことには変わりがないので、明日でここを出発できることは、淋しくもあり、ほっとする面もあった。



 十時前には熟睡できていたせいだろうか、夜中に喉が渇いて目が覚めた。温泉でかなり汗をかいたからかな。水分補給はしっかりとしたつもりだったけれど。
 とにかく起きて、キッチンで水を一杯もらってから寝直そう。

 もう夜も更けていたのでそっと足音を忍ばせて廊下に出ると、居間から灯りが漏れている。それに、誰かがドアの前に蹲っている?

 バズだ。
 声をかけようとすると、その前に僕に気がついた彼が、唇の前で人差し指を当て立ち上がった。
「どうしたの?」
 声を殺し、耳許に顔を寄せて訊ねるので、僕も何故か緊張して「喉が渇いて」と告げた。
 彼は「来て」と僕の腕を引いてキッチンへ向かった。冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、小声で「部屋に持って行っていいよ」と、渡してくれた。
「きみ、廊下で何をしてたの? ショーンと喧嘩でもしたの?」
 さっきの彼の尋常ではない様子が気になって仕方なかった。

「心配してくれてるの?」
 バズはちょっと微笑んで軽く首をすくめた。
「喧嘩じゃないよ、ただの見張り」
 きょとんとしてしまった僕を見て、バズはまたクスリと笑う。
「ショーンがさ、居間でコリーヌとやってるからさ」

 開いた口が塞がらない。訳が解らない。……理解出来ない。

「気づかなかった? 昨夜もだよ。それでショーンにマズいんじゃないって言ったら、じゃあ、ばれないように見張っててくれ、って頼まれたんだよ」

 ショーン……、高校生に何やらせてるんだよ! コリーヌもコリーヌだ。信じられない!


「水、飲まないの?」
 
 ペットボトルを握り潰しそうなほど力を籠めていた。大きく息を吸い込んで、一息に煽った。

「友だちとしてはいい奴だけど、僕にはとても理解できないよ、ショーンのそういう感覚」
「そう? ミシェルよりショーンの方が、コリーヌとはずっと気が合っているように見えるけどな」
「だからって……」
「そうだね、だからって、所詮旅先でのアバンチュールだよね、あの二人にしてみればさ」

 バズ、高校生のくせに達観し過ぎてないか? 
 彼女の恋人は、廊下を挟んだ目と鼻の先で寝てるんだぞ!

 なんだか一気に気が抜けて、ダイニングテーブルの椅子を引いて腰掛けた。キッチンの小さな明り取りの窓から、蒼く濁った光が差し込む。その不明瞭な蒼い闇に滲む輪郭をぼんやりと眺めた。バズも押し黙ったまま、僕の向かいに腰掛けた。ドアは開け放ったままなので、もしミシェルが起き出しても直ぐに判る。そんな馬鹿馬鹿しい役目を遂行するつもりで、彼はここにいるのか。


「解らないよ。まるで感覚が違うんだよ、僕とは……」

 ショーン、アルビー……。おそらくバズも。
 アルビーは、それにショーンも、まるで握手でもするようにセックスするんだ。親密になったのだから当然だと言わんばかりに。

 好きの深さが、きっと僕とは全然違う。

 学校でたまにこんな話題になった時、「だって相性ってものがあるんだからさ、まずやってみないと判らないだろ」って意見が大多数を占める。だから、何度か寝たことがあるから恋人同士、なんてことにはならないし、誰も思わない。同時期に複数とデートしてから本命を決める、って言うのを誰も変だと思わない。デートと、「付き合う」は、全くの別物。
 もうここからして、僕にはついていけない感覚だ。


 それがこの指輪がひと悶着起こした理由だってことも、あれから理解できた。
 アルビーは誰と寝ようと、その相手を恋人にはしなかった。そんな彼が揃いの指輪ステディリングを渡した相手が僕だ。そういうことだと思うよ、誰だって。

 でも、これをもらったのはそんな経緯いきさつからじゃなかった。順序が逆だったら僕だって、こんな辛い想いを抱えずに済んでいたかもしれないのに。


「温泉のミネラルで変色しなくて、良かった。後から気づいたんだ」

 薬指の火蜥蜴サラマンダーを擦りながら呟いた。
 この指にいるのが当然過ぎて、サウナに入る前に危ないからってバズに言われるまで忘れていた。

 この指から離れなくなった火蜥蜴きみ
 きみのつがいは、今、何をしてる? 
 一人で夜の街を、公園を、彷徨ったりはしていないよね?





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