霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅲ.春の足音

120 旅38 コンサバトリー

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 朝食は昨夜のレストランではなく、本館北側に増設されているコンサバトリーだ。天井からは灰色に曇った空が見渡せ、ガラスで隔てられた屋外には、小高くなっている裏庭に上がる階段と、断面を覆う石壁が連なる。その石壁から、こんもりと覗く緑が眼に優しい。

 革張りの椅子を引き、ショーンと二人テーブルについた。コリーヌたちはまだみたいだ。昨夜、ワインボトルを一本も空けたりするからだ。なんだかぼんやりと焦点の定まらない頭で、テーブルに置かれたメニューを眺める。

 ショーンが運ばれて来た皿を満足そうに平らげながら、今日の予定を話してくれている。そんな彼の言葉が上手く頭に入ってこない。



 昨夜は食事の後も、消灯時間まで広いラウンジに移って、コリーヌたちとの議論が続いた。ケルト伝説に詳しいショーンは、コーンウォールに伝わる巨人、小人、ドラゴン……、総動員で奇岩石群にまつわる逸話と絡めながら、地の精霊ノームについて語り、コリーヌはそれに対してあくまでも、パラケルススの記述の中の火の精霊サラマンダー地の精霊グノームの関係性を語りたいようだった。

 僕はまた今回も話題に点火しただけで、後は空気に溶けたようになっていた。議論が白熱してくると、この二人、僕とミシェルの存在を忘れてしまう。コリーヌなんて、初めは明らかに僕から何かを引き出したいという目的を持って突っかかってくるのに、ショーンの膨大な知識披露が始まると、すっかり呑み込まれてしまう。バズの言った通り、「ミシェルよりも気が合っている」って意見も、あながち外れてはいないのかもしれない。

 使い込まれたアイボリーの本革ソファーに座り、暖炉跡に組み込まれた薪ストーブの、小さな窓から覗く焔をぼんやりと眺めていた。金色の、鮮やかな赤の、チラチラと動き回る小さな焔。目を瞑ると、その焔がぽっ、ぽっ、と幾つもに分かれて瞼裏に広がっていく。急速に落ちていく。大地の内側へ。僕は流れる焔に身を任せ、奥へ奥へと沈んでいく。真ん中へ。引き寄せられる。



 昨夜からずっと、そんな幻覚が続いていた。とぷとぷと重い溶岩を流れる自分のイメージと、ショーンの話していたドラゴンの伝説が、同時に頭の中に鮮明なイメージとしてあるんだ。白昼夢を見ているのか、自分の想像の世界にどっぷりと浸かってしまっているのか、はっきりと意識はあるのにどこか現実感がなく、漂っているような気分だった。

 だから、いつの間にかコリーヌたちが来たことも、その場で話していたことも上の空で、意識の外だった。


 機械的にパンにバターを塗り、コーヒーを口に運んでいた。地元で作られたフレッシュ・バターだ。とても美味しい。

 すっと、目が覚めたような気がした。口内で広がる濃厚なバター。香ばしい焼き立てのパンの歯ごたえ。鼻孔をくすぐる苦みと酸味の香り。現実リアルの感触。……そしてまた引き込まれる。ずんと圧しかかる重力に押さえつけられるように。沈められる。底へ。そこへ。
 
 でも決して、嫌な気分ではなかったんだ。地球の内側は、アルビーに似ていた。彼の内側にいるみたいに、僕を包み込んでくれていて……、って、こんなところで何てことを想像しているんだ、といきなり正気に返って、僕は頭を跳ね上げた。

 ショーンが変な顔をして僕を見ている。思わずコリーヌとミシェルに眼を走らせる。
「顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃ、」
「へいき! 何でもない! 光のせいだよ!、ほら、天使の梯子はしご
 曇っていた空の割れ目から、幾筋もの光が下りている。
 天井ガラスが煌めいている。

「まぁ、本当。なんて綺麗なの」
 コリーヌが僕の目線を追って空を見上げる。
 感嘆の声が周囲のテーブルでも、いくつも重なって聞こえる。


 気をつけないと……。
 
 自分でも訳の判らない、昨日、今日と続く心もとない心境に、きつく喝を入れたい気分だった。
 

 

 



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