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Ⅱ 風の使い手
11.逆立ちしても見つからない
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「お淋しいですとも、お淋しいですとも!」
マークスは何度も何度も大きく頭を振った。ぎょろりとした飛び出し気味の目をめいっぱい見開いて。その表面が、ぬめりと濡れているような――。
「お美しいアルバートさまに、たまさかお逢いできませんとも!」
だが、このしわがれた叫びで僕の気持ちは急降下した。そう、まるでエレベーターの紐が切れたようにだ。
僕より頻繁に逢ってるじゃないか!
時々スペンサーと入れ替わって、逢いに行ってるくせに!
泣いてるのかと思って同情しかけていたのが、すっかり冷めてしまった。
僕が眉をよせぷっとふくれっ面をしたので、機嫌を損ねたことに気づいたのか、マークスはつま先立ちでぴょこぴょこと後ずさりし始めた。僕の表情を読めるなんて、さすがの彼もここに慣れてきたようだ。アルビーは、いまだに彼らの応対にはため息ばかりだ、とぼやいていたけれど。
「もういいよ、ありがとう」僕の言葉を尻目に、「それではごゆっくり、お茶をお楽しみくださいますとも!」とマークスは大きく後ろに跳ねてこの部屋から退出した。
なんだかどっと疲れた。現実に裏切られてばかりだからだろうか。マークスの淹れてくれるお茶はこんなにも美味しいのに。
仄かに白薔薇の香りのするお茶、アルビーと同じ。あの館の香り。夏の残り香――
――気持ちよく聞いてくれるから、その場ではすごく高揚してしまう。なんだかいっぱい喋ったな、って後から思う。とくに記憶に残る会話なんてしてないんだよ。だけどその高揚感は長くは持たなくて。帰りの電車の中で、またつまらないことばかり喋って時間を無駄に使わせてしまったな、って自己嫌悪にかられてしまうんだ。自分がみっともなく思えて情けなくて、ひどく落ち込んでしまうんだ。
先週末訪ねた時に、アルビーに僕の悩みを聞いてもらった。バーナードさんのことだ。これと同じ感覚を、今日も感じた。
ゲールに対しても――
ほぼ初対面でも、楽しい時間を持てたはずなのに。
振り返って眺めた僕は、暗闇で笑顔の仮面をつけて馬鹿みたいに笑っている。透明ガラスの体にある半透明の赤い心臓は、音漏れしそうにバクバクしている。
大風の名を持つゲール。
意識は空から彼を見下ろしていた。風が、彼になびくのか目を凝らして。
――コウは気楽にお喋りできてるんだよね。だけど振り返るとそうじゃなかった気がするんだね?
それはきっと、自分でも意識できていないところで、良い印象を持たれたいとか、馬鹿にされたくないとか、そんな願望を持ちながら話しているからじゃないかな。相手に自分のことをよく思ってほしい、こんなふうに見てほしいと望むことは、ちっとも悪いことじゃないよ。だけど振り返ってみた時に、その願望がひっくり返ってしまって、望み通りにできていない自分への批判や非難になっているのなら、それは辛いね。
と、アルビーはいつもの優しい笑みを湛えて言ってくれた。
僕がバーナードさんに良く思われたい、いやむしろ馬鹿にされたくないと思うのは、こんな僕を好きだと言ってくれるアルビーを、彼が嘲笑っているんじゃないかって考えてしまうからだ。アルビーに恥をかかせたくない。アルビーを馬鹿にされたくない。
アルだってちゃんと解っている。だけど、そこまでは言わない。
きっとアルビーは笑われたって気にしないし、バーナードさんだって、アルがどんな感情を抱えていたって気にしない。僕なんてもともと眼中にない。
僕の不安はまったくの杞憂で、そんなものでは脅かされない信頼関係のうちに彼らはいる。僕の感情だけが異物。まるで僕は、彼の着ていたツイードのジャケットに空いた虫食い穴みたいだ。丁寧に仕立てられた彼にぴったりのおしゃれな世界に、僕の存在が、不快で無様な虫食い穴を空けている。
僕が、アルビーを好きになったことで――。
だから彼は僕に会う。僕の話に耳を傾ける。いかにも自分こそがアルに相応しく、僕には不釣り合いか示し続ける。あの優し気な笑顔でもって。
そうでなきゃ、その場で感じている気分と、後から思い出した印象がこんなにもかけ離れている説明がつかないじゃないか。
だけどゲールは――。彼に対しても同じように感じる説明がつかない。彼とバーナードさんはまるで違う。ゲールの前では、僕はずっと自然体でいられたつもりだった。
ひっくり返った願望は、逆立ちしたってどこにも見つからなかった。
マークスは何度も何度も大きく頭を振った。ぎょろりとした飛び出し気味の目をめいっぱい見開いて。その表面が、ぬめりと濡れているような――。
「お美しいアルバートさまに、たまさかお逢いできませんとも!」
だが、このしわがれた叫びで僕の気持ちは急降下した。そう、まるでエレベーターの紐が切れたようにだ。
僕より頻繁に逢ってるじゃないか!
時々スペンサーと入れ替わって、逢いに行ってるくせに!
泣いてるのかと思って同情しかけていたのが、すっかり冷めてしまった。
僕が眉をよせぷっとふくれっ面をしたので、機嫌を損ねたことに気づいたのか、マークスはつま先立ちでぴょこぴょこと後ずさりし始めた。僕の表情を読めるなんて、さすがの彼もここに慣れてきたようだ。アルビーは、いまだに彼らの応対にはため息ばかりだ、とぼやいていたけれど。
「もういいよ、ありがとう」僕の言葉を尻目に、「それではごゆっくり、お茶をお楽しみくださいますとも!」とマークスは大きく後ろに跳ねてこの部屋から退出した。
なんだかどっと疲れた。現実に裏切られてばかりだからだろうか。マークスの淹れてくれるお茶はこんなにも美味しいのに。
仄かに白薔薇の香りのするお茶、アルビーと同じ。あの館の香り。夏の残り香――
――気持ちよく聞いてくれるから、その場ではすごく高揚してしまう。なんだかいっぱい喋ったな、って後から思う。とくに記憶に残る会話なんてしてないんだよ。だけどその高揚感は長くは持たなくて。帰りの電車の中で、またつまらないことばかり喋って時間を無駄に使わせてしまったな、って自己嫌悪にかられてしまうんだ。自分がみっともなく思えて情けなくて、ひどく落ち込んでしまうんだ。
先週末訪ねた時に、アルビーに僕の悩みを聞いてもらった。バーナードさんのことだ。これと同じ感覚を、今日も感じた。
ゲールに対しても――
ほぼ初対面でも、楽しい時間を持てたはずなのに。
振り返って眺めた僕は、暗闇で笑顔の仮面をつけて馬鹿みたいに笑っている。透明ガラスの体にある半透明の赤い心臓は、音漏れしそうにバクバクしている。
大風の名を持つゲール。
意識は空から彼を見下ろしていた。風が、彼になびくのか目を凝らして。
――コウは気楽にお喋りできてるんだよね。だけど振り返るとそうじゃなかった気がするんだね?
それはきっと、自分でも意識できていないところで、良い印象を持たれたいとか、馬鹿にされたくないとか、そんな願望を持ちながら話しているからじゃないかな。相手に自分のことをよく思ってほしい、こんなふうに見てほしいと望むことは、ちっとも悪いことじゃないよ。だけど振り返ってみた時に、その願望がひっくり返ってしまって、望み通りにできていない自分への批判や非難になっているのなら、それは辛いね。
と、アルビーはいつもの優しい笑みを湛えて言ってくれた。
僕がバーナードさんに良く思われたい、いやむしろ馬鹿にされたくないと思うのは、こんな僕を好きだと言ってくれるアルビーを、彼が嘲笑っているんじゃないかって考えてしまうからだ。アルビーに恥をかかせたくない。アルビーを馬鹿にされたくない。
アルだってちゃんと解っている。だけど、そこまでは言わない。
きっとアルビーは笑われたって気にしないし、バーナードさんだって、アルがどんな感情を抱えていたって気にしない。僕なんてもともと眼中にない。
僕の不安はまったくの杞憂で、そんなものでは脅かされない信頼関係のうちに彼らはいる。僕の感情だけが異物。まるで僕は、彼の着ていたツイードのジャケットに空いた虫食い穴みたいだ。丁寧に仕立てられた彼にぴったりのおしゃれな世界に、僕の存在が、不快で無様な虫食い穴を空けている。
僕が、アルビーを好きになったことで――。
だから彼は僕に会う。僕の話に耳を傾ける。いかにも自分こそがアルに相応しく、僕には不釣り合いか示し続ける。あの優し気な笑顔でもって。
そうでなきゃ、その場で感じている気分と、後から思い出した印象がこんなにもかけ離れている説明がつかないじゃないか。
だけどゲールは――。彼に対しても同じように感じる説明がつかない。彼とバーナードさんはまるで違う。ゲールの前では、僕はずっと自然体でいられたつもりだった。
ひっくり返った願望は、逆立ちしたってどこにも見つからなかった。
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