36 / 59
Ⅴ テラスは風に翻弄される
35.先手必勝
しおりを挟む
大地の依代――、アルが?
また何を勝手なことを言ってるんだ、この侏儒は! 僕をそう呼ぶのは仕方ないとしても、アルビーを巻き込むな!
などと、胸の内では毒づきはしたけれど、口には出さなかった。僕だって学習したんだ。彼らを相手取って下手なことを言うと禍の種になる。
「そして、ゲールが風の依代なんですね?」
言われたことには答えずに、ゲールの肩に腰を据え足をぶらぶらさせている侏儒に向かって丁寧に訊ね返した。
「もちろんじゃ」侏儒は転げ落ちないようにゲールの耳の端を掴んで、自慢げに胸を張った。「御方の認められた依代はゲールに決まっておる」
「それなら、きみの言うてんとう虫は、僕じゃなくてシルフィを目指したんじゃないのかな」
視線をそのまま横に滑らせゲールを見つめた。
「え、誰?」
ゲールは怪訝そうに目を見開いている。軽く眉をよせ、記憶のなかでも探しているのか、くるんと目線を上に向けて口を尖らせて。
「さっき逢った、」と言いかけて「ああ、そうか――」と、僕は独り言ちてしまった。
僕はまだ、彼らの紹介をしていなかったのだ。彼らをここへ呼んだ方がいいのだろうか。でもそんなことをすれば、ますます話がややこしくなりそうだし、呪を完全に瓦解するためにも、今はドラコを欺かなきゃいけない。
となると――
「あなたはご存知ですよね、シロハラムクドリさん」
攻めるのは今、ここしかない。
当たりだ。ありがとう、アルビー。
アメジスト色の侏儒が、目玉をぎろりとひん剥いた。ふわふわした白髭がもこもこ動きだしている。
僕の口を封じる呪でもかけたいところだろう。だけどそうはいかない。
「そのとおりじゃ、火の依代よ」しぶしぶ、といった口調で侏儒は答えた。そうだね、嫌でも応じるしかないだろう。
慎重なばかりでは埒が明かない。それに、黙ったままのアルの忍耐もそろそろ限界だろう。アルビーには侏儒の姿も見えなければ、声も聞こえないのだから。僕のしていることは、小鳥に話しかける変なヤツとしか映らないのだ。
そのうえ話を長引かせると、この老獪な侏儒に取り込まれてしまう危険性だってある。
だから、一刻も早くこの誤解を解くために、僕は強硬手段に出た。僕の方から呪を仕掛けたのだ。そう大したものではないけれど――。
ともあれ、これもアルビーのおかげだ。
実家に移り住むようになってからのアルは、看病といっても、熟練した看護師だったスミス夫人がいるので特にすることもない、と暇を持て余していた。
先週会った時、しばらく取り掛かる余裕のなかった趣味の彫金を再開したいので、本棚にあるデザインブックを持ってきてほしい、と僕に頼んだ。急に思いたったのだそうだ。
明日渡すつもりでパラパラと眺めていたスケッチの中に、この鳥がいた。
水彩絵の具で着色された、頭部から背、羽にかけての鮮やかな紫、白い腹部、黒い嘴。まさか本当にこんな綺麗な鳥を身近に見られるなんて思わなかった。
意味ある偶然の一致。
ここにいるアルは確かに僕に怒っているのに、こんなふうに僕を助けてくれる。彼の意志とは関係ないところで――
ともあれ、人のつけた形式的な名であっても、僕が名を見つける能力を有していることに、この侏儒は慎重にならざるをえないはずだ。
この侏儒の本質が鳥の形のなかにあるなら、その名を知ることで、僕は彼をある程度までは支配できるのだから。
例えば僕ならば、「ニンゲン」と呼ばれたところで縛られる枠は極めて狭い。けれどそれは、それ以外の何かである可能性を失ってしまうという逆説的な縛りになる。
それが彼らには面白くもない呪縛となるのだ。
「なぁ、俺だけ話が見えてないじゃん。ヴィー、どういうこと? 俺、人違いしちゃったってこと?」
アルビーよりも先に、ゲールがこの意味の見えない駆け引きに痺れを切らしたみたいだ。
「いやいやいや、そこはじゃな、ほれ、間違ってなどおらん。つまりじゃな、我らが御方さまはじゃな、ほれ、」
ヴィーって呼ばれているのか、この侏儒。
思わず口許が緩んで笑みが零れた。
「ヴィー」と呼びかけると、チッ、と露骨に舌打ちされた。だけど「ヴァイオレットのヴィー?」と畳みかけた問いには、忌々しげではあっても頷いてくれた。むしろ強制的に、というべきか。
これも当たりだった、ってことだ。僕はもう一手、詰めることができたわけ。
だけど、ここまででいい。僕はべつに、この侏儒と対立したいわけでも、追い詰めたいわけでもないもの。ただ、侮られるのは困るだけで。
「綺麗な菫色だからね」と、むくれ顔の侏儒に替わってゲールが応える。僕が仕掛けた呪に気づいたのかな。
「本当に綺麗な羽だね。生きている宝石みたいだ」
僕の誉め言葉に、ヴィーは鼻をひくひくさせている。機嫌を直してくれたみたいだ。こういう気性はサラに似ている。
僕はあなたの本当の名まで探ろうとは思わないよ。
だけど、僕にはそれができる。言いなりにできる相手じゃない、ってことだけ解ってくれればそれでいいんだ。
と心の中で侏儒に呼びかけてから、ようやく視線をゲールに据えた。
「それじゃあゲール、そろそろ教えてもらえるかな。きみの話は単なる人違いなのか、それとも意図されたものなのか、きみは僕のことをどんなふうに誤解していたのか、見極めなきゃね」
また何を勝手なことを言ってるんだ、この侏儒は! 僕をそう呼ぶのは仕方ないとしても、アルビーを巻き込むな!
などと、胸の内では毒づきはしたけれど、口には出さなかった。僕だって学習したんだ。彼らを相手取って下手なことを言うと禍の種になる。
「そして、ゲールが風の依代なんですね?」
言われたことには答えずに、ゲールの肩に腰を据え足をぶらぶらさせている侏儒に向かって丁寧に訊ね返した。
「もちろんじゃ」侏儒は転げ落ちないようにゲールの耳の端を掴んで、自慢げに胸を張った。「御方の認められた依代はゲールに決まっておる」
「それなら、きみの言うてんとう虫は、僕じゃなくてシルフィを目指したんじゃないのかな」
視線をそのまま横に滑らせゲールを見つめた。
「え、誰?」
ゲールは怪訝そうに目を見開いている。軽く眉をよせ、記憶のなかでも探しているのか、くるんと目線を上に向けて口を尖らせて。
「さっき逢った、」と言いかけて「ああ、そうか――」と、僕は独り言ちてしまった。
僕はまだ、彼らの紹介をしていなかったのだ。彼らをここへ呼んだ方がいいのだろうか。でもそんなことをすれば、ますます話がややこしくなりそうだし、呪を完全に瓦解するためにも、今はドラコを欺かなきゃいけない。
となると――
「あなたはご存知ですよね、シロハラムクドリさん」
攻めるのは今、ここしかない。
当たりだ。ありがとう、アルビー。
アメジスト色の侏儒が、目玉をぎろりとひん剥いた。ふわふわした白髭がもこもこ動きだしている。
僕の口を封じる呪でもかけたいところだろう。だけどそうはいかない。
「そのとおりじゃ、火の依代よ」しぶしぶ、といった口調で侏儒は答えた。そうだね、嫌でも応じるしかないだろう。
慎重なばかりでは埒が明かない。それに、黙ったままのアルの忍耐もそろそろ限界だろう。アルビーには侏儒の姿も見えなければ、声も聞こえないのだから。僕のしていることは、小鳥に話しかける変なヤツとしか映らないのだ。
そのうえ話を長引かせると、この老獪な侏儒に取り込まれてしまう危険性だってある。
だから、一刻も早くこの誤解を解くために、僕は強硬手段に出た。僕の方から呪を仕掛けたのだ。そう大したものではないけれど――。
ともあれ、これもアルビーのおかげだ。
実家に移り住むようになってからのアルは、看病といっても、熟練した看護師だったスミス夫人がいるので特にすることもない、と暇を持て余していた。
先週会った時、しばらく取り掛かる余裕のなかった趣味の彫金を再開したいので、本棚にあるデザインブックを持ってきてほしい、と僕に頼んだ。急に思いたったのだそうだ。
明日渡すつもりでパラパラと眺めていたスケッチの中に、この鳥がいた。
水彩絵の具で着色された、頭部から背、羽にかけての鮮やかな紫、白い腹部、黒い嘴。まさか本当にこんな綺麗な鳥を身近に見られるなんて思わなかった。
意味ある偶然の一致。
ここにいるアルは確かに僕に怒っているのに、こんなふうに僕を助けてくれる。彼の意志とは関係ないところで――
ともあれ、人のつけた形式的な名であっても、僕が名を見つける能力を有していることに、この侏儒は慎重にならざるをえないはずだ。
この侏儒の本質が鳥の形のなかにあるなら、その名を知ることで、僕は彼をある程度までは支配できるのだから。
例えば僕ならば、「ニンゲン」と呼ばれたところで縛られる枠は極めて狭い。けれどそれは、それ以外の何かである可能性を失ってしまうという逆説的な縛りになる。
それが彼らには面白くもない呪縛となるのだ。
「なぁ、俺だけ話が見えてないじゃん。ヴィー、どういうこと? 俺、人違いしちゃったってこと?」
アルビーよりも先に、ゲールがこの意味の見えない駆け引きに痺れを切らしたみたいだ。
「いやいやいや、そこはじゃな、ほれ、間違ってなどおらん。つまりじゃな、我らが御方さまはじゃな、ほれ、」
ヴィーって呼ばれているのか、この侏儒。
思わず口許が緩んで笑みが零れた。
「ヴィー」と呼びかけると、チッ、と露骨に舌打ちされた。だけど「ヴァイオレットのヴィー?」と畳みかけた問いには、忌々しげではあっても頷いてくれた。むしろ強制的に、というべきか。
これも当たりだった、ってことだ。僕はもう一手、詰めることができたわけ。
だけど、ここまででいい。僕はべつに、この侏儒と対立したいわけでも、追い詰めたいわけでもないもの。ただ、侮られるのは困るだけで。
「綺麗な菫色だからね」と、むくれ顔の侏儒に替わってゲールが応える。僕が仕掛けた呪に気づいたのかな。
「本当に綺麗な羽だね。生きている宝石みたいだ」
僕の誉め言葉に、ヴィーは鼻をひくひくさせている。機嫌を直してくれたみたいだ。こういう気性はサラに似ている。
僕はあなたの本当の名まで探ろうとは思わないよ。
だけど、僕にはそれができる。言いなりにできる相手じゃない、ってことだけ解ってくれればそれでいいんだ。
と心の中で侏儒に呼びかけてから、ようやく視線をゲールに据えた。
「それじゃあゲール、そろそろ教えてもらえるかな。きみの話は単なる人違いなのか、それとも意図されたものなのか、きみは僕のことをどんなふうに誤解していたのか、見極めなきゃね」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
11
1 / 3
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる