小さな悪魔

萩尾雅縁

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21.大きな悪魔 後編

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 小さな悪魔は、いかにもつまらなそうな顔をして大きな悪魔を見ています。

「こんなものじゃ、たりないって?」
 大きな悪魔は、つややかな赤い唇のはしをにっとはね上げます。
「なかなか見どころがあるね、きみ」
 大きな悪魔は小さな悪魔の肩をだいて、ほがらかに笑います。
「それなら、こんなのはどうだい?」
 そして、パチンと指を鳴らしました。

 
 
 もう、目にうつる景色が変わっています。
 目をみはる小さな悪魔の足もとには、白いビルの立ちならぶ市街地がありました。彼らは、街を見おろす空の真ん中にいました。そんなに大きな街ではありません。街の向こうには、赤茶けた地平線が続いています。
 と、突然すさまじい爆発音がして、ビルのひとつから白煙が立ち上がります。ついで焔が。次々と、あちらからも、こちらからも。

 大きな悪魔はまたたく間に焔になめつくされていく街を、ニヤニヤしながら見ています。
「どうだい、この景色は? 絶景だと思わないかい?」
 小さな悪魔は黙ったまま、大きな悪魔を見あげます。
「さぁ、今のあの男の様子を見にいこうじゃないか」




 空をけって、大きな悪魔は小さな悪魔に手招きします。急降下した先は、大きな建物の一室でした。この窓から燃えさかる街の様子がよく見えます。
 でも、この部屋には、外の爆音は聞こえません。もうもうとした硝煙も入ってはきません。ただ、カチャカチャとしたナイフや、フォークをあやつる音だけが響くだけです。
 

 十字路に立っていたあの男は、見知らぬ男と細長いテーブルのはしとはしで豪勢な食事をしています。最後に見た日から、どれだけの日々が過ぎているのでしょうか。小さな悪魔の眼には、男はずいぶんと老けこんだように見えました。
 

「三千」
 男は言いました。
「五千」
 一方の見知らぬ男が答えます。大きな悪魔は、眉を寄せて頭を横に振っているあの男に歩みより、何事かささやきました。

「三千五百だ」
「四千」
「三千七百」

 小さな悪魔には何の話をしているのか、さっぱりわかりません。だからあの男と見知らぬ男をかわるがわる見ているだけでした。ちらりと見た大きな悪魔は、あの男の背後に立って薄ら笑いを浮かべています。もう一度、彼が男に何かささやくと、男は軽くうなずきました。むかいのはしの男は、満足そうに笑いました。



 食事をおえた二人は、握手をして別れました。男の乗った車の屋根ルーフに、大きな悪魔と小さな悪魔は腰かけています。車は廃墟とかした街を通りすぎていきます。ときおり、遠くで銃声が響いています。大きな悪魔は楽しそうに指を弾きながら、歌を歌い始めました。

「ひとつ弾けばドスンと一発。ふたつ弾けば瓦礫の山。みっつ弾いて雨あられ!」

 パチンと指を弾くたび、銃声が聞こえ、手榴弾が飛びかい、爆音にかさなってマシンガンの発射音が伴奏します。

「気分爽快、ダダダダダッ!」

 車の屋根で踊りだす大きな悪魔を、小さな悪魔はあっけにとられて見ています。

「この男は、何をしているの?」
「戦争屋だよ!」

 車の中を指さす小さな悪魔に、大きな悪魔は、大きな腕を広げ、足を踏み鳴らしてこたえます。

「さっきの糞野郎、約束の金をケチりやがった! だから俺はこいつにもっと稼げる別口を教えてやったのさ!」


 
 妻も、子も、仕事も、財産も何もかもなくし、誰にも見向きもされなくなった男に声をかけたのは、武器商人でした。彼は、男に新しい仕事をくれました。前以上の財産も築かせてくれました。新しい妻と、子どもも。男は再び失ったものを取り戻したのです。
 男はもう二度と、失うのは嫌でした。裏切られるのは嫌でした。だから前以上に慎重に、迅速に、大きな悪魔のささやきにこたえるようになっています。



「これからどこに行くの?」
 小さな悪魔はたずねました。
「さっきの男の敵のアジトさ! 値切られた分だけ注文を取ってブツをさばかなきゃ、こいつは家に帰れない!」

 大きな悪魔は、腹を抱えて笑っています。小さな悪魔は、何も言わずにあたりを見まわしました。
 ここには、もう死んでしまった躰や、まだ死にかけの、いい具合に魂のぬけた躰がゴロゴロと転がっています。人間になろうと思ったら、選び放題に選べそうです。

 でも、と小さな悪魔はしかめっ面をしました。どの躰を選んでも、面白おかしく生きられるようには思えなかったからです。
 この場所にいて面白そうにしているのは、大きな悪魔だけなのです。銃を撃っている人間も、逃げ惑っている人間も、誰もがまるで悪魔でも見たかのような怯えた顔をしているのです。
 小さな悪魔は、人間たちのあの顔が、何よりも嫌いなのでした。



「人間がみんな死んでしまったら、あなたの楽しみも終わってしまうよ」
 小さな悪魔は、大きな悪魔を見あげました。
「あいつらは、いくらでも湧いてくる。死に絶えることはないのさ」
 大きな悪魔は歌うように答えます。
「これがあなたの楽しいこと?」
 小さな悪魔はたずねます。
「どうして飽きないの?」

 大きな悪魔は、まじまじと小さな悪魔を見つめ返します。
「飽きる?」
「僕はもう飽きたよ。人間の見物なんて。僕は人間になりたいんだ」
「人間になる?」

 大きな悪魔は、また腹を抱えて笑いだしました。
「きみ、俺を笑い死にさせるつもりか!」

 それで死ねれば本望だろう――、と小さな悪魔は口の中で呟きました。もちろん、地獄耳の悪魔に聴きとがめられないほどの小声で。

「どうもあなたと僕は、嗜好しこうが合わないみたいだね。さよなら」

 小さな悪魔はもといた世界へ戻ろうと、利き手を空へ伸ばします。


「おい、待てよ! それなら今度はきみが俺を楽しませてくれ!」
 大きな悪魔の声が、小さな悪魔を呼びとめました。




 
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