21 / 49
21.大きな悪魔 後編
しおりを挟む
小さな悪魔は、いかにもつまらなそうな顔をして大きな悪魔を見ています。
「こんなものじゃ、たりないって?」
大きな悪魔は、つややかな赤い唇のはしをにっとはね上げます。
「なかなか見どころがあるね、きみ」
大きな悪魔は小さな悪魔の肩をだいて、ほがらかに笑います。
「それなら、こんなのはどうだい?」
そして、パチンと指を鳴らしました。
もう、目にうつる景色が変わっています。
目をみはる小さな悪魔の足もとには、白いビルの立ちならぶ市街地がありました。彼らは、街を見おろす空の真ん中にいました。そんなに大きな街ではありません。街の向こうには、赤茶けた地平線が続いています。
と、突然すさまじい爆発音がして、ビルのひとつから白煙が立ち上がります。ついで焔が。次々と、あちらからも、こちらからも。
大きな悪魔はまたたく間に焔になめつくされていく街を、ニヤニヤしながら見ています。
「どうだい、この景色は? 絶景だと思わないかい?」
小さな悪魔は黙ったまま、大きな悪魔を見あげます。
「さぁ、今のあの男の様子を見にいこうじゃないか」
空をけって、大きな悪魔は小さな悪魔に手招きします。急降下した先は、大きな建物の一室でした。この窓から燃えさかる街の様子がよく見えます。
でも、この部屋には、外の爆音は聞こえません。もうもうとした硝煙も入ってはきません。ただ、カチャカチャとしたナイフや、フォークをあやつる音だけが響くだけです。
十字路に立っていたあの男は、見知らぬ男と細長いテーブルのはしとはしで豪勢な食事をしています。最後に見た日から、どれだけの日々が過ぎているのでしょうか。小さな悪魔の眼には、男はずいぶんと老けこんだように見えました。
「三千」
男は言いました。
「五千」
一方の見知らぬ男が答えます。大きな悪魔は、眉を寄せて頭を横に振っているあの男に歩みより、何事かささやきました。
「三千五百だ」
「四千」
「三千七百」
小さな悪魔には何の話をしているのか、さっぱりわかりません。だからあの男と見知らぬ男をかわるがわる見ているだけでした。ちらりと見た大きな悪魔は、あの男の背後に立って薄ら笑いを浮かべています。もう一度、彼が男に何かささやくと、男は軽くうなずきました。むかいのはしの男は、満足そうに笑いました。
食事をおえた二人は、握手をして別れました。男の乗った車の屋根に、大きな悪魔と小さな悪魔は腰かけています。車は廃墟とかした街を通りすぎていきます。ときおり、遠くで銃声が響いています。大きな悪魔は楽しそうに指を弾きながら、歌を歌い始めました。
「ひとつ弾けばドスンと一発。ふたつ弾けば瓦礫の山。みっつ弾いて雨あられ!」
パチンと指を弾くたび、銃声が聞こえ、手榴弾が飛びかい、爆音にかさなってマシンガンの発射音が伴奏します。
「気分爽快、ダダダダダッ!」
車の屋根で踊りだす大きな悪魔を、小さな悪魔はあっけにとられて見ています。
「この男は、何をしているの?」
「戦争屋だよ!」
車の中を指さす小さな悪魔に、大きな悪魔は、大きな腕を広げ、足を踏み鳴らしてこたえます。
「さっきの糞野郎、約束の金をケチりやがった! だから俺はこいつにもっと稼げる別口を教えてやったのさ!」
妻も、子も、仕事も、財産も何もかもなくし、誰にも見向きもされなくなった男に声をかけたのは、武器商人でした。彼は、男に新しい仕事をくれました。前以上の財産も築かせてくれました。新しい妻と、子どもも。男は再び失ったものを取り戻したのです。
男はもう二度と、失うのは嫌でした。裏切られるのは嫌でした。だから前以上に慎重に、迅速に、大きな悪魔のささやきにこたえるようになっています。
「これからどこに行くの?」
小さな悪魔はたずねました。
「さっきの男の敵のアジトさ! 値切られた分だけ注文を取ってブツをさばかなきゃ、こいつは家に帰れない!」
大きな悪魔は、腹を抱えて笑っています。小さな悪魔は、何も言わずにあたりを見まわしました。
ここには、もう死んでしまった躰や、まだ死にかけの、いい具合に魂のぬけた躰がゴロゴロと転がっています。人間になろうと思ったら、選び放題に選べそうです。
でも、と小さな悪魔はしかめっ面をしました。どの躰を選んでも、面白おかしく生きられるようには思えなかったからです。
この場所にいて面白そうにしているのは、大きな悪魔だけなのです。銃を撃っている人間も、逃げ惑っている人間も、誰もがまるで悪魔でも見たかのような怯えた顔をしているのです。
小さな悪魔は、人間たちのあの顔が、何よりも嫌いなのでした。
「人間がみんな死んでしまったら、あなたの楽しみも終わってしまうよ」
小さな悪魔は、大きな悪魔を見あげました。
「あいつらは、いくらでも湧いてくる。死に絶えることはないのさ」
大きな悪魔は歌うように答えます。
「これがあなたの楽しいこと?」
小さな悪魔はたずねます。
「どうして飽きないの?」
大きな悪魔は、まじまじと小さな悪魔を見つめ返します。
「飽きる?」
「僕はもう飽きたよ。人間の見物なんて。僕は人間になりたいんだ」
「人間になる?」
大きな悪魔は、また腹を抱えて笑いだしました。
「きみ、俺を笑い死にさせるつもりか!」
それで死ねれば本望だろう――、と小さな悪魔は口の中で呟きました。もちろん、地獄耳の悪魔に聴きとがめられないほどの小声で。
「どうもあなたと僕は、嗜好が合わないみたいだね。さよなら」
小さな悪魔はもといた世界へ戻ろうと、利き手を空へ伸ばします。
「おい、待てよ! それなら今度はきみが俺を楽しませてくれ!」
大きな悪魔の声が、小さな悪魔を呼びとめました。
「こんなものじゃ、たりないって?」
大きな悪魔は、つややかな赤い唇のはしをにっとはね上げます。
「なかなか見どころがあるね、きみ」
大きな悪魔は小さな悪魔の肩をだいて、ほがらかに笑います。
「それなら、こんなのはどうだい?」
そして、パチンと指を鳴らしました。
もう、目にうつる景色が変わっています。
目をみはる小さな悪魔の足もとには、白いビルの立ちならぶ市街地がありました。彼らは、街を見おろす空の真ん中にいました。そんなに大きな街ではありません。街の向こうには、赤茶けた地平線が続いています。
と、突然すさまじい爆発音がして、ビルのひとつから白煙が立ち上がります。ついで焔が。次々と、あちらからも、こちらからも。
大きな悪魔はまたたく間に焔になめつくされていく街を、ニヤニヤしながら見ています。
「どうだい、この景色は? 絶景だと思わないかい?」
小さな悪魔は黙ったまま、大きな悪魔を見あげます。
「さぁ、今のあの男の様子を見にいこうじゃないか」
空をけって、大きな悪魔は小さな悪魔に手招きします。急降下した先は、大きな建物の一室でした。この窓から燃えさかる街の様子がよく見えます。
でも、この部屋には、外の爆音は聞こえません。もうもうとした硝煙も入ってはきません。ただ、カチャカチャとしたナイフや、フォークをあやつる音だけが響くだけです。
十字路に立っていたあの男は、見知らぬ男と細長いテーブルのはしとはしで豪勢な食事をしています。最後に見た日から、どれだけの日々が過ぎているのでしょうか。小さな悪魔の眼には、男はずいぶんと老けこんだように見えました。
「三千」
男は言いました。
「五千」
一方の見知らぬ男が答えます。大きな悪魔は、眉を寄せて頭を横に振っているあの男に歩みより、何事かささやきました。
「三千五百だ」
「四千」
「三千七百」
小さな悪魔には何の話をしているのか、さっぱりわかりません。だからあの男と見知らぬ男をかわるがわる見ているだけでした。ちらりと見た大きな悪魔は、あの男の背後に立って薄ら笑いを浮かべています。もう一度、彼が男に何かささやくと、男は軽くうなずきました。むかいのはしの男は、満足そうに笑いました。
食事をおえた二人は、握手をして別れました。男の乗った車の屋根に、大きな悪魔と小さな悪魔は腰かけています。車は廃墟とかした街を通りすぎていきます。ときおり、遠くで銃声が響いています。大きな悪魔は楽しそうに指を弾きながら、歌を歌い始めました。
「ひとつ弾けばドスンと一発。ふたつ弾けば瓦礫の山。みっつ弾いて雨あられ!」
パチンと指を弾くたび、銃声が聞こえ、手榴弾が飛びかい、爆音にかさなってマシンガンの発射音が伴奏します。
「気分爽快、ダダダダダッ!」
車の屋根で踊りだす大きな悪魔を、小さな悪魔はあっけにとられて見ています。
「この男は、何をしているの?」
「戦争屋だよ!」
車の中を指さす小さな悪魔に、大きな悪魔は、大きな腕を広げ、足を踏み鳴らしてこたえます。
「さっきの糞野郎、約束の金をケチりやがった! だから俺はこいつにもっと稼げる別口を教えてやったのさ!」
妻も、子も、仕事も、財産も何もかもなくし、誰にも見向きもされなくなった男に声をかけたのは、武器商人でした。彼は、男に新しい仕事をくれました。前以上の財産も築かせてくれました。新しい妻と、子どもも。男は再び失ったものを取り戻したのです。
男はもう二度と、失うのは嫌でした。裏切られるのは嫌でした。だから前以上に慎重に、迅速に、大きな悪魔のささやきにこたえるようになっています。
「これからどこに行くの?」
小さな悪魔はたずねました。
「さっきの男の敵のアジトさ! 値切られた分だけ注文を取ってブツをさばかなきゃ、こいつは家に帰れない!」
大きな悪魔は、腹を抱えて笑っています。小さな悪魔は、何も言わずにあたりを見まわしました。
ここには、もう死んでしまった躰や、まだ死にかけの、いい具合に魂のぬけた躰がゴロゴロと転がっています。人間になろうと思ったら、選び放題に選べそうです。
でも、と小さな悪魔はしかめっ面をしました。どの躰を選んでも、面白おかしく生きられるようには思えなかったからです。
この場所にいて面白そうにしているのは、大きな悪魔だけなのです。銃を撃っている人間も、逃げ惑っている人間も、誰もがまるで悪魔でも見たかのような怯えた顔をしているのです。
小さな悪魔は、人間たちのあの顔が、何よりも嫌いなのでした。
「人間がみんな死んでしまったら、あなたの楽しみも終わってしまうよ」
小さな悪魔は、大きな悪魔を見あげました。
「あいつらは、いくらでも湧いてくる。死に絶えることはないのさ」
大きな悪魔は歌うように答えます。
「これがあなたの楽しいこと?」
小さな悪魔はたずねます。
「どうして飽きないの?」
大きな悪魔は、まじまじと小さな悪魔を見つめ返します。
「飽きる?」
「僕はもう飽きたよ。人間の見物なんて。僕は人間になりたいんだ」
「人間になる?」
大きな悪魔は、また腹を抱えて笑いだしました。
「きみ、俺を笑い死にさせるつもりか!」
それで死ねれば本望だろう――、と小さな悪魔は口の中で呟きました。もちろん、地獄耳の悪魔に聴きとがめられないほどの小声で。
「どうもあなたと僕は、嗜好が合わないみたいだね。さよなら」
小さな悪魔はもといた世界へ戻ろうと、利き手を空へ伸ばします。
「おい、待てよ! それなら今度はきみが俺を楽しませてくれ!」
大きな悪魔の声が、小さな悪魔を呼びとめました。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる