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夢違えの護符(1)
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僕を包む勿忘草色――。
仄かに青く、幽かに薄紫に輝く柔らかな勿忘草色を吸いこむ。少しずつ吸いこむ。肺に充たしていく。それは塗装スプレーのようなまったりと内壁に貼りつく細かな粒子。埋まる。隙間なく。詰まる。勿忘草色に。内側から境界が消えていく。勿忘草色になっていく、僕――。
息を詰まらせ、咳きこみながら目が覚める。じっとりと嫌な汗をかいている。
白い壁。
あずき色のベッドカバー。
黒地に白梟の描かれた灰色の額。
世界の色を確かめる。多種多様な色に安堵する。僕は、ちゃんと息ができている。
白い天井にかざしたパジャマの深緑。
そこから覗く僕の手の浅黄色。
大丈夫。僕の世界には色がある。あれは夢だ。
深く息をついて起きあがった。濡羽色のストライプ柄の布張り一人掛けソファーに歩みよる。パジャマを脱ぎ、そこに放りだしたままの薄茶のシャツ、生成り色のスラックスを持ちあげて緩慢に身につける。そして、箪笥の黄ばんだ白の合板を引き出し、中の紺の靴下を穿く。
胡桃色のカーペットの上の、紺地に黄と緑のセキセイインコ柄のスリッパを足先にひっかけ、つるりと冷たい純白の陶製ドアノブを捻って明るい木目のドアを開ける。くすんだ紅紫の地に白百合色の花が連続する柔らかな絨毯敷の階段を下りていく。薄暗い階段の踊り場に、浴室ドアの摺りガラスから光が跳ねる。白いモザイクのように。
大丈夫。現実の世界には光が溢れている。キッチンの窓外には、貼りつく苔で緑に染まった卯の花色の漆喰壁が臨家との境を守ってくれている。ところどころ剥がれ落ちた漆喰に、赤茶けた煉瓦の連なりが垣間見える。
そろそろ塗り直しを頼むべきか。
壁の手前では、細かな緑の新芽が春風にそっとその色を揺すっている。黄緑。柳色。若葉色のモザイクが揺れる。
象牙色の窓枠の嵌るキッチン。窓を囲む生成り色のタイルには水彩タッチで描かれた黄褐色の花模様。タイルに置かれた僕のカップは深紅。青柳色の蔦模様に瑠璃色の鳥。真白の花。カップの中の、ふわりとやさしいミルクティー色。朝食がわりに、小麦色のビスケットを二枚つまんだ。パラパラとした小麦色が喉に貼りつく。僕の内側の勿忘草色に小麦色が溶けて、消化されていく。
勿忘草色――。いったい、いつからこの悪夢が続いているのだろうか。
ホワイトオークの棚に置かれたドライアプリコットの、宝石のような橙色。
飴色のテーブル。
頭上のライトの鶏冠石色。
キッチンを見回して、今朝も、一つ一つの色を数えていると、ふとそんな疑問が湧きあがった。あまりに当たり前すぎて、これまで疑問をもつこともなかったのだ。僕の夜はこの色に支配されている。勿忘草色一色しかない世界に。この色に呼吸を塞がれ、毎朝、生きも絶え絶えに目が覚める。だが、昔は違っていたような気がするのだ。確かに古い記憶のなかでさえ、この色は僕を支配していたのだけれど。
勿忘草色は、どこか甘やかな、優しくて儚い感覚を呼び覚ます。ホロホロと崩れていく砂糖菓子のような――。
ともあれ、どんな悪夢であろうと、こうして目覚めている間は関係ない。日常に支障をきたすこともない。目覚めるときの息苦しさだけが辛いのであって。
もうそこで考えるのを止めて、深紅のカップに残っていたミルクティーを飲み干した。けれど、そのままカップをおろさずに、なんとなく、紅茶の染みついた内側の薄茶の染みをぼんやり眺めていた。
――こんなふうに、僕の内側にも、勿忘草色が染みつているのだろうか、と。
仄かに青く、幽かに薄紫に輝く柔らかな勿忘草色を吸いこむ。少しずつ吸いこむ。肺に充たしていく。それは塗装スプレーのようなまったりと内壁に貼りつく細かな粒子。埋まる。隙間なく。詰まる。勿忘草色に。内側から境界が消えていく。勿忘草色になっていく、僕――。
息を詰まらせ、咳きこみながら目が覚める。じっとりと嫌な汗をかいている。
白い壁。
あずき色のベッドカバー。
黒地に白梟の描かれた灰色の額。
世界の色を確かめる。多種多様な色に安堵する。僕は、ちゃんと息ができている。
白い天井にかざしたパジャマの深緑。
そこから覗く僕の手の浅黄色。
大丈夫。僕の世界には色がある。あれは夢だ。
深く息をついて起きあがった。濡羽色のストライプ柄の布張り一人掛けソファーに歩みよる。パジャマを脱ぎ、そこに放りだしたままの薄茶のシャツ、生成り色のスラックスを持ちあげて緩慢に身につける。そして、箪笥の黄ばんだ白の合板を引き出し、中の紺の靴下を穿く。
胡桃色のカーペットの上の、紺地に黄と緑のセキセイインコ柄のスリッパを足先にひっかけ、つるりと冷たい純白の陶製ドアノブを捻って明るい木目のドアを開ける。くすんだ紅紫の地に白百合色の花が連続する柔らかな絨毯敷の階段を下りていく。薄暗い階段の踊り場に、浴室ドアの摺りガラスから光が跳ねる。白いモザイクのように。
大丈夫。現実の世界には光が溢れている。キッチンの窓外には、貼りつく苔で緑に染まった卯の花色の漆喰壁が臨家との境を守ってくれている。ところどころ剥がれ落ちた漆喰に、赤茶けた煉瓦の連なりが垣間見える。
そろそろ塗り直しを頼むべきか。
壁の手前では、細かな緑の新芽が春風にそっとその色を揺すっている。黄緑。柳色。若葉色のモザイクが揺れる。
象牙色の窓枠の嵌るキッチン。窓を囲む生成り色のタイルには水彩タッチで描かれた黄褐色の花模様。タイルに置かれた僕のカップは深紅。青柳色の蔦模様に瑠璃色の鳥。真白の花。カップの中の、ふわりとやさしいミルクティー色。朝食がわりに、小麦色のビスケットを二枚つまんだ。パラパラとした小麦色が喉に貼りつく。僕の内側の勿忘草色に小麦色が溶けて、消化されていく。
勿忘草色――。いったい、いつからこの悪夢が続いているのだろうか。
ホワイトオークの棚に置かれたドライアプリコットの、宝石のような橙色。
飴色のテーブル。
頭上のライトの鶏冠石色。
キッチンを見回して、今朝も、一つ一つの色を数えていると、ふとそんな疑問が湧きあがった。あまりに当たり前すぎて、これまで疑問をもつこともなかったのだ。僕の夜はこの色に支配されている。勿忘草色一色しかない世界に。この色に呼吸を塞がれ、毎朝、生きも絶え絶えに目が覚める。だが、昔は違っていたような気がするのだ。確かに古い記憶のなかでさえ、この色は僕を支配していたのだけれど。
勿忘草色は、どこか甘やかな、優しくて儚い感覚を呼び覚ます。ホロホロと崩れていく砂糖菓子のような――。
ともあれ、どんな悪夢であろうと、こうして目覚めている間は関係ない。日常に支障をきたすこともない。目覚めるときの息苦しさだけが辛いのであって。
もうそこで考えるのを止めて、深紅のカップに残っていたミルクティーを飲み干した。けれど、そのままカップをおろさずに、なんとなく、紅茶の染みついた内側の薄茶の染みをぼんやり眺めていた。
――こんなふうに、僕の内側にも、勿忘草色が染みつているのだろうか、と。
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