星間のハンディマン

空戸乃間

文字の大きさ
上 下
43 / 44
第一話 Killer Likes Candy

BAD BOYS 7

しおりを挟む
 ――ばたん、と冷蔵庫が閉まる。

 人口ながらも重力は確かに存在していて、のろのろと机に座るヴィンセントは冷えた小瓶ビールの蓋を開けると、喉を鳴らして流し込む。

「やれやれ、金は出て行くばかりだな」

 首筋を掻きながらダンがリビングへ戻ってきた。情報提供をしてくれたルイーズに一応の報告を上げたらしいが、非常に残念な報告であるのは言うまでもない。

「よく言うだろ、損して得取れって」
「得? そいつはどれのことか」

 増えたのは赤字だけだった。これが得なら消費するだけで幸せになれるだろうし、はたして労働の意味を疑う事になる。
 ダンはお気に入りのジャックダニエルのボトルを机に置き、尋ねた。グラスに注がれる琥珀色したウィスキーが芳しく香る。

「俺には見当たらんぞ、ヴィンセント。帳簿は赤いんだがなぁ」
「見えない収入さ、精神的な? 少なくともダンは黒字だったろ?」
「まあ眼福ではあった」
「言っといてなんだけど、そこは否定しろよエロ親父」

 ヴィンセントは嘆息しながらソファを見遣った。
 その肢体は正にお宝、彫刻が如き肉体美。

 ソファにはレオナが横になっていた。こんな馬鹿丸出しな人間達の会話を聞かされたら憤激のまま鉄拳を見舞いそうだが、今のところ彼女は大人しくしている。気を失ったまま戦闘機に乗せておく訳にはいかないので、なんとかリビングまで運んだのはヴィンセント達だ。高身長で筋肉質なレオナの身体はそれはそれは重――もとい、運び甲斐があった。

 アルバトロスに戻ってきて一時間程経つが、彼女はまだ気を失ったままである。外傷はなかったし、バイタルも正常値だったから軽い脳震盪だろう。

「あの状況にしては幸いだったな、よく生きて帰ったものだよ」

 するともぞり、とレオナが身動いだ。気を失っている女性がいるのに、男二人はまったく意に介さず話していれば迷惑千万、単純に五月蠅かったのだろう。身体を起こした彼女は顔を顰めながら頭を摩っていた。

「ピーチクパーチク喧しいんだよ、アンタ等……」
「おお、お目覚めか。やはり獣人はタフだな」

 何とも快活にダンは笑いかけ、手にしたグラスを掲げる。
 だがじろり、と。何故か睨み付けられたのはヴィンセントだった。

「……なにやってンの人間」
「? 酒盛りだけど」
「こっちに来いレオナ、お前さんもどうだ」

 ダンの無骨な手が掲げられる。差し出されたグラスにたゆたう琥珀。芳ばしい樽の香りは彼女こそ感じ取れるだろうが、レオナはしかし、そのグラスを受け取りはしなかった。

「――まだ気分がすぐれんか。そういう時こそ気付けに一杯だ」
「……それはこいつ次第」ヴィンセントに向き直り、レオナは詰問の視線で射した。彼女は唸るように問う。「野郎はどうした」と。

「まぁいいからこっち座れよ」
「訊いてンだ。くたばったのか? どうなのさ?」

 睨み付けたままレオナはソファから動かない。
 かっか来てるのがよく分かる。爆発の兆候を感じ取ったダンは静かに腰を上げるていで、整備に戻ると言ってリビングから出て行った。
 彼女にとっては最重要事項なのだ、毛を逆立てるほどに。

 まだディアスが逃げ延びているなら寝ている場合ではない、ましてや酒盛りしている場合でも。祝杯挙げるには早計だ。
 だが彼女の火口を思わせる意思とは裏腹に、ヴィンセントは僅かに肩を竦めて剽げる。

「さぁどうだかな。死んだかもしれねえし、まだ生きてるかもしれない」

 それで片付けられるわけもなくレオナの瞳は殺気が奔る。立ち上がった彼女の姿は覚醒したばかりとは信じがたい迫力があった。
「みすみす逃がしたの?」
「悪かったな。一人じゃどうしようもなかったんだよ、帰ってくるだけでも大変だったんだぞ。それに、多分だがディアスは死んでる」
「見たわけじゃないンだろ」
「アレで生きてたなら太陽に放り込むしかねえな」

 溜まりに溜ったフラストレーションは遂に行き場を無くしてしまった。だからヴィンセントは酒を煽っていたのである。やたらめったら銃ブッ放すよりは健全な手段だ。
 ヴィンセントは訊く。

「憂さ晴らしに誰か殴ってくるか?」
 レオナは固く拳を握ったままで、本来の目標を失した鉄拳は一体誰の頭蓋を割るのか。
「別にアンタでもいい」
「修羅場は一日一回潜れば充分だ、勘弁してくれよ」

 虎の獣人であるレオナに殴られればただは済まない。
 寒気がするような視線だがヴィンセントの態度はしかし、怯えているようには見えない。
 それは諦念に甘んじた敗者の姿にも取れ、レオナは彼の不甲斐なさに舌打ちすると向かい側に腰を下ろした。

「ド畜生が……邪魔さえ入らなきゃ今頃……。そういえばあの爆発はなんだったんだ」
「デブリと衝突したんだよ。あと数メートル近かったら艦橋ごと吹っ飛んでたかもしれねえな。ロングジャム号はボロボロで、最後は木っ端微塵に吹き飛んじまったよ、中々見応え合ったぜ。まっ、あの爆発だ、ディアスもくたばってるさ」
「なに笑ってやがんだよ、アタシはちっとも面白くねえっての」呟きレオナは貶む。「ふん、それで酒盛りって訳?」
「これなら流血なし、誰も損しねえだろ。とりあえず乾杯といこうぜ」

 言ってヴィンセントは気怠そうに瓶を掲げた。肘を付きながら差し出された瓶はふらふらと安定しない。

「はぁ? バカじゃないのアンタ。負け犬が揃ってなにを祝うってのさ」
「お前犬だったのか?」

 冗談交じりに返せば、ギロリ――。洒落にならない眼光で睨まれる。おふざけが過ぎたかもしれなかった。

「ジョークだよ、マジに取るなって」
「また言ってみろ。舌に鈎刺して吊してやる」
「分かったよ」

 彼女なら本当にやりそうだ。そのままルアー代わりにされて鮫釣りをやるかもしれないので、ヴィンセントは肝に銘じ、もう一度缶を揺らした。

「だから、アンタと傷を舐め合うつもりはないっつッてンだろ」
「負けてはいねェのさ、勝ってないだけで。K・Oじゃなきゃ不満か?」
「クソ食らえだ。判定なんか負けと一緒さ」

 勝つか負けるか二つに一つ。白くなけば黒なのだ、しくじったことに変わりはないとレオナは唸っていた。

 だが――。ヴィンセントは微笑んでさえいる。
「そいつは違うな、本当に負けたときにはくたばってる。だから俺たちは負けてねえ。そうだろ?」

 レオナの縦に割れた獰猛な瞳が目の前の男を見据えた。互いに立ち上がれば胸元までしか背が届かないくせに、人をくったような剽げた態度が鼻につく非力な人間だ。

 しかし――。

 癪に障るが、助かったのはコイツのおかげである。レオナはまだ中身のあるグラスではなく、置かれたままのボトルを鷲掴む。にやけるヴィンセントの口元がうざいことこの上ないが、彼女は不機嫌に鼻を鳴らすだけで済ませた。

「……一つ訊きたいんだけど。アンタはどうしてディアスを追ったンだ」
「先に礼の一つもあって良いと思うんだけどなあ、命の恩人だぜ」
「いいから黙って答えりゃいいんだよ」

 凄まれヴィンセントは首を竦める。奴に特別拘っていた訳でもなかった、理由はと言われれば単純に――。

「気に入らなかったからだ」
「それだけ?」
「単純だろ? 悪党追っかけ回すのに小難しいことなんか考えねえよ。――ほら、パーッと吞もうぜ」

 手にしたボトルを掲げるレオナ。ふと、浮かぶ疑問にちょっと手が止まった。ここまできたのだ、杯を交わすのはいいとして。

「……何に乾杯するのさ」
「生還に」
 
 ウィスキーボトルとビール瓶。
 奏でられたのは何とも奇妙な乾杯の音。
 二人は豪快に酒を煽った。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...