斬り裂くのは運命と識れ【完全版】

怜悧(サトシ)

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 歩弓はいつも出勤する時には、出勤時間の三十分前には局についてるが、その時間にはすでに居る兄の姿がなくて酷く嫌な予感がした。
 そう言えば昨夜は潜入捜査の当日だった。まだ作戦の成果についての報告書があがってきてはいない。
 何でもこなせるあの人が、誰よりも努力家なのは昔からである。いつだって完璧にこなせるように、すべてを準備してしまうような人だ。
 この時間に何の報告もなく出勤もしてこないなんて有り得ない。
 歩弓は焦る心地の中で、端末の指し示す時間を見ると、すでに就業時間の5分前になる。
 突如端末からアラート音が鳴り響いて、恐る恐るといったていで歩弓は通信ボタンを押すと、かなりやつれた表情の桑嶋の顔が画面に映る。
『局長、すみません。昨日の作戦決行中に副局長がヒートをおこしました』
 桑嶋の表情にはなんとなくだが後ろめたさがあるの、歩弓には直ぐにわかった。
 ヒートを起こしたオメガがアルファと朝まで一緒にいて、何もおこらないはずがなく、あきらかに桑嶋が彼と一線を超えたのがわかって、歩弓は奥歯をギリと噛み締める。
 桑嶋が兄を嫌っているのは周りからも聞いていたし、本人も苦手そうだったので安心していたのは間違いだったかもしれない。
 歩弓は突然現れたダークフォースに睨みを効かせる。
「まさか、桑嶋。貴方は、兄とつがったわけでは無いですよね」
 だとしたら、僕たちは義兄弟になるわけですしと言い訳のように歩弓が言葉を続けると、桑嶋はまだですとだけ答える。
 まだ?
 その言葉にかなりのひっかかりを覚えたが、歩弓には何もいう言葉がない。まだということは、これからその可能性があるっていうことを示唆しているのか。
 歩弓は兄と一緒に自分も休暇をとりたいという桑嶋に許可を与えると、軽く頭を下げる。
「わかりました。……兄をよろしく頼みます」
 よろしくなんてことは、他人に頼みたくない。
 あの人に近づくことすらできやしないのに。簡単に触れることが出来るだなんて、絶対に許すことはできない。

 胃の中から迫り上がる吐き気と一緒に沸き出すどす黒い気持ちはなんだろう。

 兄様を……。僕のただ一人の運命の番である、あの人を汚すだなんて、誰であっても……許せない。
 ……絶対に。





 焦りばかりが募って、歩弓は初めて統久に端末から通信を入れた。
 画面ごしの彼はいつもより焦燥はしていたが、なんだか仕事場で見せていた荒々しさがとれていて、元々端正な顔立ちからか美しいものに見えた。
「大丈夫ですか。作戦決行中にヒートを起こしたと聞いて、僕も心配になりました」
『心配かけて申し訳ない。メンタルの問題なのか、少し時期がズレちまってな。急に仕事に穴をあけることになって、迷惑をかけてすまない。セルジュには助けられちまった』
 すっかりバディの桑嶋を愛称で呼ぶのが、歩弓にはまた気に入らなく嫉妬を覚えるだけだった
『アユミが俺を心配してくれるとか、凄く嬉しいよ。もう、嫌われちまったかなって思ってたから』
 ちょっと照れたように優しい目をして笑う彼が、愛しく思えて触れたいと歩弓は心から願う。あの夜兄を抱いてから、歩弓は兄に手を触れたことがなかった。
 歩弓は兄の面会にもいかなかったし、親にも兄の居場所を尋ねたことはなかった。薄情だが、兄は運命の番である自分のところへ必ず戻ると信じていた。5年が過ぎた頃に、焦り始めてなんとか戻ってくるように画策を何度も繰り返した。
「僕が兄様を嫌うわけありませんよ。兄様こそ、全然家に戻ってこなかったじゃないですか」
 責めるように言うと、統久は困ったような表情で形のよい眉をさげて、
『ああ、母さんからアユミがアレルギーだと聞いて、俺が行ったら……気分悪くなるだろ。今だって、毎日具合悪そうだ』
 目を伏せて統久が自嘲気味に笑うのはあの夜を思い出したからか。
 きっと、僕のアレルギーをあの日のトラウマだと考えているのかもしれないが、それはない。
 兄が更生施設に行って、性奴隷のように扱われているという噂を聞き、アナタが他の人を受け入れて汚されたのだと考えると吐き気がとまらなくなった。僕のアレルギーは、多分そんな精神的なものだ。
 今だって、昨夜あの桑嶋に抱かれたのだろうと考えるだけで、嘔吐しそうなのだ。
『それでも、通信くらいは入れればよかったな。通信がこんなに嬉しいとか知らなかったからさ。ごめんな』
 何に対する詫びなのか、わからないが、この通信を彼が嬉しいと考えてくれてることに、歩弓は胸を高鳴らした。
 自分がアレルギーになったことで、彼は自分を責めて歩弓に会わないようにしただけなのだろう。運命の番であれば、会いたいという気持ちはごまかせない。事実、歩弓自身も身を半分に割られたような気持ちで十年間過ごしてきたのである。
 彼に自分から会いにいけなかったのは、両親から徹底的に彼の情報を隠されていたからだ。自分がアルファの女性と婚約をしたことで、父親も潮時と考えて彼をセントラルに呼び寄せたのだろう。
「いいですよ。いまさら」
 優しい声と視線に舞い上がりそうな気分を隠しながら歩弓は首を横に振った。顔を見るだけで、それだけで気持ちが上昇するのは、彼が運命の番だからだろう。
『まあ、親父に、やっぱり辺境に戻して欲しいって言ってみるよ。アルファだらけだからか、ヒートがおさまらねぇし、正直まともに仕事ができねえや』
 その言葉に、歩弓はほっと胸撫で下ろした。このまま、ここで勤務を続けたら、桑嶋とのことも危ないし、この局のヤツらとも大分馴染んできているので、他の奴らでも危険である。
「兄様がツライならその方が良いでしょう。父様に、僕からも頼んでみます。直接兄様が頼んだ方がいいかもしれないですが」
『そうだな、今日はおせえし明日にでも頼んでみるよ。ありがとうな、アユミ』
 優しい笑みを浮かべて理知的な目で見返す彼は、昔の彼のようで、なにも変わらないように見えた。
 
 僕が恋焦がれた、憧れの存在のまま。汚れたオメガなんかじゃない、昔のままの、兄様……だ。
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