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五十二. 都合
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去っていくラウンデルの後ろ姿を見送った後、戦場に残された三人は……否、二人は再び睨み合っていた。形としてはクラレッタとキュロロの両名でユーゲンフットを挟んでいるものの、実質はクラレッタとユーゲンフットの対立である。
彼女の荒れようといえば、それはもう大変なものだった。地を砕き、天を割るかのような咆哮を放ち、髪を振り乱してはユーゲンフットに襲い掛かっていたのである。
その証拠に、今彼女らが立つ大地の一部はあちこちが窪み、そして、抉れていた。
これは彼女の悪癖とも呼べるもので、畏れられている所以でもある。かのマーキュリアスの軍勢を相手に、たった一人で暴れまわったという伝説はまだ記憶に新しい。
噂話だと真に受ける者も少なく、幸か不幸か大した騒ぎにはならなかったが、これについては彼女を除く誰一人として戦場から帰還しなかったために、単なる噂話として語られているに過ぎない。
誰かが、返り血に染め上げられた彼女を見て、まるで、血で化粧をしているようだ、と溢すように呟いたという。
そんなクラレッタであるが、いくら荒れるといっても、何の見境もなく暴れているわけではない。というのも、どこか冷静に見極めるかのように立ち回りつつ、離れ行くラウンデルへも頻りに攻撃を仕掛けていたからだ。
多少は大袈裟に闘気を爆発させてはいる部分もあるようで、一見荒々しくはあるものの思考能力のそれ自体は決して失くしてはいないようにも見える。つまり、その気があれば、話し合うことも可能なのだろう。
ともかく、その行動には、ブラフ……ではないにせよ、脅かすという意味も大いに含まれているように窺えた。
クラレッタは豹変する。
それ自体は有名な話だ。自国のみならず、おそらくは敵国にも伝わっていることだろう。むしろ、敵であるほうが詳しいかもしれない。その普段とは全く違った形相に、恐れ戦く者も少なくはない。そのヒステリックな姿には、誰しもが一度は息を呑む。
それに対し、実際にどれほどの理性が残っているのかを知っている者はごく僅かである。それはマーキュリアスに限ったことではなく、グィネブルでも大差はない。
ここで厄介なのは、本当に暴走する可能性があることだろう。ごく稀ではあるが、話が通じなくなるほどまでに彼女は激昂してしまうのだ。
そうなると、また話が変わってくるのは言うまでもない。
──クラレッタ……大丈夫なの?
そんな彼女をよく知るキュロロであるが、こと今回に限ってはその感情を測り損ねていた。というのも、彼女は暴走を懸念していたのである。
ラウンデルを逃がしたこと。そして、その逃亡をよりによって、かのユーゲンフットが手助けをしたこと。それらが及ぼす感情への影響はどうなのだろうか。ともすれば、本気で爆発しているのではないだろうか。
嫌な予感はどうしても拭いきれずにいる。
一見は二人でユーゲンフットを挟み撃ちしているようにも見えるが、この状況もまたキュロロにとっては容易ではなかった。というのも、彼女もまた、彼を狙うクラレッタの一撃に巻き込まれる危険を伴っているのである。普段ならいざ知らず、今の状態ではやや不安が強い。
そして、ユーゲンフットはまるで背中に目があるかのように攻撃を受け流し、クラレッタの攻撃さえも、あろうことかそれを自分に向けていなしてくるのである。彼女とて、クラレッタの一撃をもらうわけにはいかない。……怖いのだ。
諸々の事情を踏まえ、キュロロはフリードを片手に添え少しの距離を取って控えるよう動き始めていた。下手に近付いた分だけ足を引っ張り兼ねなくなっている。尤も、クラレッタにしてみても、周囲を巻き込むような動きが多いと自覚しているために、その方が都合が良いのは事実だろう。
無論、これはちゃんとした理性が働いている場合に限った話であり、激昂しているとその限りではない。となれば、その辺りの把握はしておきたいキュロロであるが、今現在ではその確認をする術も見つからない。また、クラレッタのほうからアイコンタクトのような合図さえもないため、彼女としてはただユーゲンフットの背中越しにクラレッタを眺めているしかないのが現状である。もちろん、大声で、私がわかるかと問い掛けるような愚は犯すことはできない。
そういった事情も踏まえ、彼女は援護に徹することを決意する。
キュロロが徐々にその動きを始めた頃になり、ようやくクラレッタの動きにも変化が現れ始めた。
なんとか、少しの落ち着きを見せたのだ。
しばらくは諦めずに、離れ行くラウンデルへと投擲を続けていた彼女であったが、続くユーゲンフットの妨害によりそれも届かず。尚も、苛立ちを隠そうともせずに躍起になっていたが、やがてその姿が消失するとようやく諦めも付いたのだろう。次第に、静かになった。
当然、見えないものを狙うことなどできるはずもない。
「……敵対していたのでは、なかったのでしょうか?」
「事情がある」
どうやら、クラレッタは自分を見失っていなかったようだ。
キュロロは彼女に向かい、小さく目を閉じた。疑ったことへの詫びである。
「そういえば、お前だったな、俺を助けようとしたのは」
「助けた?」
ユーゲンフットのほうもこれを機にと攻めに回る気配は見せず、クラレッタからキュロロへと静かに視線を流した。それに反応するように、クラレッタもまた視線を彼女へと移す。
思わぬ詰問から避けるように、キュロロは聞いたばかりの言葉を繋げた。
「私にも、事情があるのよ」
やはり、クラレッタは相当にユーゲンフットに怒りを覚えているのだろう。キュロロとしてもその気持ちは十分に理解できる。かといって、それに巻き込まれては敵わない。
そもそも、キュロロが助太刀したときと今とでは、状況も大きく変わっている。
まだ少しの不満そうな表情は消えないが、クラレッタは頷くと、それ以上は何も言ってはこなかった。
「私が小さかった頃、子供が悪戯をするとよく言われていた言葉があるの」
「……ほう」
クラレッタはユーゲンフットに歩み寄ると、真正面から睨み付けた。
「悪さばかりしていると、あのユーゲンフットが村に来るぞ、と」
両者が睨み合う。……否、ユーゲンフットはただ、クラレッタを見つめていた。怯むこともなく、しっかりと瞳を覗くように。
「その点ではお互い様だ。お前も一部では有名だからな」
「そうでしょうか。……はぐらかさないで」
クラレッタの腕がゆっくりと伸ばされ、ユーゲンフットの首を掴む。
その腕にじんわりと力が込められていくのをキュロロは見て感じた。
「それはすまない。しかし、稀に見る覚醒者だとラウンデルは喜んでいたぞ。伝承への回帰、だったか。聞いたことくらいはあるだろう。親父もそうだからな」
その言葉にクラレッタは黙り込み、ユーゲンフットは軽く笑う。
「いいでしょう。知っていることを話していただけますね? いえ……全て話せ!」
「面白くはないが、少しばかりならいいだろう」
気に入らぬ返答にクラレッタは無言のまま腕を乱暴に持ち上げる。吊り上げられたユーゲンフットは苦笑いでそれに応じ、確かめるように問い掛ける。
「確かにお前は、俺を“英雄の面汚し”と、そう言ったな?」
「ええ」
英雄とはもちろん、シゲンのことだ。それは誰しもが知っている。
「おかしいとは思わないか?」
「別に? 何も違わない」
質問の意図が読めぬクラレッタは腕を振るう。出鱈目を言おうものならこのまま潰してやるとの合図である。
ユーゲンフットの体はいとも容易く揺さぶられた。
「では、何故だ? どうして奴は皆から“英雄”と呼ばれている? グィネブルの英雄であり、どうしてマーキュリアスでも英雄でいられるんだ?」
「そんなこと、かつてマーキュリアスにも属していたあの方なら、そう呼ばれていたとしてもおかしくはない」
彼女の言う通りで、かつてシゲンはマーキュリアスの将であった。しかし、それは今では遥か昔の話である。
老将である彼のことは意外にも知られていない。わざわざ英雄である彼の過去を遡ってまで聞こうとする者などいないからだ。武勇伝など、それこそあちこちに転がっている。
「その通りだ。そう、本来“バルビルナの英雄”はあくまでグィネブルでの呼び名であり、マーキュリアスでは異なっている」
「戯れ言か? そんな話は聞いたこともない」
英雄とは何なのか。知らずのうちにクラレッタは思案していた。
「そうだろう。知らぬ者が多く、知っている者は皆、口を閉ざす。つまり、隠している」
「何故、隠す?」
「それは明確だ。都合が悪いからに他ならない」
英雄と伝承。
英雄もまた、祭り上げられた伝承の一つなのだろうか。
彼女の荒れようといえば、それはもう大変なものだった。地を砕き、天を割るかのような咆哮を放ち、髪を振り乱してはユーゲンフットに襲い掛かっていたのである。
その証拠に、今彼女らが立つ大地の一部はあちこちが窪み、そして、抉れていた。
これは彼女の悪癖とも呼べるもので、畏れられている所以でもある。かのマーキュリアスの軍勢を相手に、たった一人で暴れまわったという伝説はまだ記憶に新しい。
噂話だと真に受ける者も少なく、幸か不幸か大した騒ぎにはならなかったが、これについては彼女を除く誰一人として戦場から帰還しなかったために、単なる噂話として語られているに過ぎない。
誰かが、返り血に染め上げられた彼女を見て、まるで、血で化粧をしているようだ、と溢すように呟いたという。
そんなクラレッタであるが、いくら荒れるといっても、何の見境もなく暴れているわけではない。というのも、どこか冷静に見極めるかのように立ち回りつつ、離れ行くラウンデルへも頻りに攻撃を仕掛けていたからだ。
多少は大袈裟に闘気を爆発させてはいる部分もあるようで、一見荒々しくはあるものの思考能力のそれ自体は決して失くしてはいないようにも見える。つまり、その気があれば、話し合うことも可能なのだろう。
ともかく、その行動には、ブラフ……ではないにせよ、脅かすという意味も大いに含まれているように窺えた。
クラレッタは豹変する。
それ自体は有名な話だ。自国のみならず、おそらくは敵国にも伝わっていることだろう。むしろ、敵であるほうが詳しいかもしれない。その普段とは全く違った形相に、恐れ戦く者も少なくはない。そのヒステリックな姿には、誰しもが一度は息を呑む。
それに対し、実際にどれほどの理性が残っているのかを知っている者はごく僅かである。それはマーキュリアスに限ったことではなく、グィネブルでも大差はない。
ここで厄介なのは、本当に暴走する可能性があることだろう。ごく稀ではあるが、話が通じなくなるほどまでに彼女は激昂してしまうのだ。
そうなると、また話が変わってくるのは言うまでもない。
──クラレッタ……大丈夫なの?
そんな彼女をよく知るキュロロであるが、こと今回に限ってはその感情を測り損ねていた。というのも、彼女は暴走を懸念していたのである。
ラウンデルを逃がしたこと。そして、その逃亡をよりによって、かのユーゲンフットが手助けをしたこと。それらが及ぼす感情への影響はどうなのだろうか。ともすれば、本気で爆発しているのではないだろうか。
嫌な予感はどうしても拭いきれずにいる。
一見は二人でユーゲンフットを挟み撃ちしているようにも見えるが、この状況もまたキュロロにとっては容易ではなかった。というのも、彼女もまた、彼を狙うクラレッタの一撃に巻き込まれる危険を伴っているのである。普段ならいざ知らず、今の状態ではやや不安が強い。
そして、ユーゲンフットはまるで背中に目があるかのように攻撃を受け流し、クラレッタの攻撃さえも、あろうことかそれを自分に向けていなしてくるのである。彼女とて、クラレッタの一撃をもらうわけにはいかない。……怖いのだ。
諸々の事情を踏まえ、キュロロはフリードを片手に添え少しの距離を取って控えるよう動き始めていた。下手に近付いた分だけ足を引っ張り兼ねなくなっている。尤も、クラレッタにしてみても、周囲を巻き込むような動きが多いと自覚しているために、その方が都合が良いのは事実だろう。
無論、これはちゃんとした理性が働いている場合に限った話であり、激昂しているとその限りではない。となれば、その辺りの把握はしておきたいキュロロであるが、今現在ではその確認をする術も見つからない。また、クラレッタのほうからアイコンタクトのような合図さえもないため、彼女としてはただユーゲンフットの背中越しにクラレッタを眺めているしかないのが現状である。もちろん、大声で、私がわかるかと問い掛けるような愚は犯すことはできない。
そういった事情も踏まえ、彼女は援護に徹することを決意する。
キュロロが徐々にその動きを始めた頃になり、ようやくクラレッタの動きにも変化が現れ始めた。
なんとか、少しの落ち着きを見せたのだ。
しばらくは諦めずに、離れ行くラウンデルへと投擲を続けていた彼女であったが、続くユーゲンフットの妨害によりそれも届かず。尚も、苛立ちを隠そうともせずに躍起になっていたが、やがてその姿が消失するとようやく諦めも付いたのだろう。次第に、静かになった。
当然、見えないものを狙うことなどできるはずもない。
「……敵対していたのでは、なかったのでしょうか?」
「事情がある」
どうやら、クラレッタは自分を見失っていなかったようだ。
キュロロは彼女に向かい、小さく目を閉じた。疑ったことへの詫びである。
「そういえば、お前だったな、俺を助けようとしたのは」
「助けた?」
ユーゲンフットのほうもこれを機にと攻めに回る気配は見せず、クラレッタからキュロロへと静かに視線を流した。それに反応するように、クラレッタもまた視線を彼女へと移す。
思わぬ詰問から避けるように、キュロロは聞いたばかりの言葉を繋げた。
「私にも、事情があるのよ」
やはり、クラレッタは相当にユーゲンフットに怒りを覚えているのだろう。キュロロとしてもその気持ちは十分に理解できる。かといって、それに巻き込まれては敵わない。
そもそも、キュロロが助太刀したときと今とでは、状況も大きく変わっている。
まだ少しの不満そうな表情は消えないが、クラレッタは頷くと、それ以上は何も言ってはこなかった。
「私が小さかった頃、子供が悪戯をするとよく言われていた言葉があるの」
「……ほう」
クラレッタはユーゲンフットに歩み寄ると、真正面から睨み付けた。
「悪さばかりしていると、あのユーゲンフットが村に来るぞ、と」
両者が睨み合う。……否、ユーゲンフットはただ、クラレッタを見つめていた。怯むこともなく、しっかりと瞳を覗くように。
「その点ではお互い様だ。お前も一部では有名だからな」
「そうでしょうか。……はぐらかさないで」
クラレッタの腕がゆっくりと伸ばされ、ユーゲンフットの首を掴む。
その腕にじんわりと力が込められていくのをキュロロは見て感じた。
「それはすまない。しかし、稀に見る覚醒者だとラウンデルは喜んでいたぞ。伝承への回帰、だったか。聞いたことくらいはあるだろう。親父もそうだからな」
その言葉にクラレッタは黙り込み、ユーゲンフットは軽く笑う。
「いいでしょう。知っていることを話していただけますね? いえ……全て話せ!」
「面白くはないが、少しばかりならいいだろう」
気に入らぬ返答にクラレッタは無言のまま腕を乱暴に持ち上げる。吊り上げられたユーゲンフットは苦笑いでそれに応じ、確かめるように問い掛ける。
「確かにお前は、俺を“英雄の面汚し”と、そう言ったな?」
「ええ」
英雄とはもちろん、シゲンのことだ。それは誰しもが知っている。
「おかしいとは思わないか?」
「別に? 何も違わない」
質問の意図が読めぬクラレッタは腕を振るう。出鱈目を言おうものならこのまま潰してやるとの合図である。
ユーゲンフットの体はいとも容易く揺さぶられた。
「では、何故だ? どうして奴は皆から“英雄”と呼ばれている? グィネブルの英雄であり、どうしてマーキュリアスでも英雄でいられるんだ?」
「そんなこと、かつてマーキュリアスにも属していたあの方なら、そう呼ばれていたとしてもおかしくはない」
彼女の言う通りで、かつてシゲンはマーキュリアスの将であった。しかし、それは今では遥か昔の話である。
老将である彼のことは意外にも知られていない。わざわざ英雄である彼の過去を遡ってまで聞こうとする者などいないからだ。武勇伝など、それこそあちこちに転がっている。
「その通りだ。そう、本来“バルビルナの英雄”はあくまでグィネブルでの呼び名であり、マーキュリアスでは異なっている」
「戯れ言か? そんな話は聞いたこともない」
英雄とは何なのか。知らずのうちにクラレッタは思案していた。
「そうだろう。知らぬ者が多く、知っている者は皆、口を閉ざす。つまり、隠している」
「何故、隠す?」
「それは明確だ。都合が悪いからに他ならない」
英雄と伝承。
英雄もまた、祭り上げられた伝承の一つなのだろうか。
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