鈍色の空と四十肩

いろは

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1 ーブダペストのマクドナルドにてー

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「相席で良かったらご一緒にどうぞ」

 ブダペストのマックで、ランチを購入したはいいものの席が見つからず、キョロキョロ見渡して若干途方に暮れた様子のその男性に、依子は声をかけた。

 依子の座っていた席はレジからほど近い、2人がけのせせこましいテーブル席で、依子もかろうじて滑り込めたのだった。
 品物を購入してしまったものの席がないと困ってしまうだろうから、どんな所でもとりあえずあればましだろう、と思って声をかけたのだった。

 いつもなら、満員電車などでも、声をかけようかな、とは思いつつも結局出来ずじまい、の場合がほとんどだが、今回すぐに思いきれたのは、この地では珍しく同胞らしき人に会ったから。突如として懐かしさに襲われた。
 そして、その男性がどことなく心細げで、母性本能が刺激されたからである。
 知らないおばさんに声をかけられたところで、あからさまに嫌な顔はしないだろう、と踏んだのだ。まあ、大して喜ばれもしないだろうが。

 男性はいきなり日本語で声をかけられて面食らったようだった。
 ヨーロッパとは言え、まだまだマニアックと言っていい、ここは東欧の片隅、ハンガリーのブダペスト、しかもまず日本人には出くわさない、ただのマクドナルドだ。
 しかも、観光シーズンとは真逆のまだ冬と言っていい2月である。
 日本人がいるとは思いもしなかったに違いない。

 彼は、サラリーマンだろうか。
 それにしてはラフな格好だ。かと言ってバックパッカーというには軽装である。冬用の黒いダウンジャケットに、肩にはこれまた黒いリュックを引っ掛けていた。
 天パなのか、ウェーブというかボサボサと言っていい頭髪に、黒縁メガネ。
少し猫背のその様子は、なんとなく生活感溢れていて現地居住者にも見えた。

 いきなりおばちゃんに声をかけられて、同じ日本人らしいから、と言って絡まれたら面倒くさかろう。嫌われたら嫌だし。
 なので、席を譲るだけにして、立ち去る準備を始めた。

「私、もう終わりますので、こちらどうぞ。ごゆっくりしていかれてください。」
「あ、ああ、ありがとうございます。すみません。」

 ああ、やっぱり日本人だった。

 食べ終えたトレーを持って立ち上がり、だが、多少の好奇心を見せるのは許して欲しい、と思いつつ依子は会話を試みる。
「出張か何かでいらしてるんですか?」

 若干引き気味で目線をずらそうとしていた彼は少し表情を動かして、依子を改めて見た。
「ええ、まあ」
「どうぞお身体にお気をつけて。良いご滞在を。」
「ありがとうございます。」

依子の勢いに気押された様子の男性の表情は見なかったことにして、そそくさとその場を後にした。

ーーー

 空腹に耐えかねて、田中譲治はおととい訪れたばかりのブダペストで、ついマクドナルドに駆け込んでしまった。
 安いスーパーで冷えたベーカリーや、サラダを買い込んでは、当座の宿泊地である激安ホテルでぼそぼそかきこむ、という数日に辟易していた。
 なんでもいい、温かいものが食べたかった。

 譲治は、日本人遭遇率が比較的低めのハンガリーで、着任早々に投げやりなマクドナルド飯を手にしたところで、同じ日本人に会うとは思わず、風のように去っていった女性の後を、しばらくぼーっと見つめて、我に帰り、譲ってもらった席についた。

 ハンガリーに入国してすぐに気づいたが、これまでいたカナダと違って、アジア人の割合が非常に低い。日本人には着任してから会っていない。
 首都ブダペストには、けっこう日本人は多い、と聞いていたが、歩けばすぐに目にする、というほどでもないようだった。

 ほぼ女性の方がしゃべっていて、気の利いた返事もできず、気押されて終わってしまったのが、若干情けなかったが、不思議となんだかうれしかった。
 人との交流が苦手で、日本人特有の同調を強いられる空気から逃げ出して、海外就労した自分にとって、見も知らぬ人との邂逅をうれしい、などと感じるのはけっこう珍しい。

 初めての国に放り込まれて、よほど心細いのかね、自分は。
 まあ、寒いしな。

 今去っていった女性は、旅行者だろうか? それともわりとラフな感じだったから、在住者だろうか? 自分より少し年上かもしれない。落ち着いて、控えめながらも地に足のついた雰囲気があった。

 出張かと聞かれたが、実のところ転勤である。
 譲治の仕事は、小さな日系貿易会社の社員なのであるが、それまでカナダ各地の出張所を転々としていた。会社が今度ヨーロッパへ支店を作ることになり、世帯を持たない身軽な譲治が抜擢されたというわけである。

 語学留学でカナダにいたから、慣れている土地でワーホリでもして箔をつけて、日本で就職活動をしようとしたが、いろいろな巡り合わせで、結局そのまま採用されたのであった。
 特に英語が得意なわけではない。そしてヨーロッパの雰囲気というか人間にもなんとなく苦手意識があった。

 ましてや、(こういっちゃ失礼だが)ほとんど知らないマイナーなハンガリーに赴任とは。
 英語さえも正直通じないことが多い。
 これから1週間、安ホテルに泊まって、急いでアパートの内見やら、オフィス用品や家具の調達をせねばならない。
 カナダに比べて、生活費が安く済みそうなのだけは、救いだった。
 不安やめんどくさいなー、というぼんやりした気の重さを感じながら、ハンガリーでの初の外食、マックのチーズバーガーをかじりながら、窓の外の曇り空を眺めた。
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