鈍色の空と四十肩

いろは

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7 ー個展ー

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 3月中旬のとある水曜日の夕方。
 いくら北海道より北のブダペストといっても、流石に春の気配がそこここに感じられるようになってきた。
 幸い今日は雨も降っていない。相変わらずの曇天だが、比較的温かい。
 搬入にはありがたい天気だった。

 ギャラリーBellezza では依子の個展の搬入が始まっている。
 個展だのなんとかフェアだの、イベントというのは概ね搬入で8割がた完了すると言っても過言ではないと、依子は思っている。
 つまり、準備、搬入、展示にかける時間体力気力は、イベント全体でかかるそれのほとんどと言ってもいいのだ。
 もっと噛み砕いて言えば、展示が無事済んだ時点でヨレヨレである。

 ちょいちょい入るマルコのちょっかいをテキトーにかわしつつ、なんとか規定の時間までに展示と、販売準備も終了し、もう限界の体でギャラリーを後にする。

(いやもう、ホント。歳とるって切ないわ。。。)
 明日からの本番で、腰とか肩とか爆発しませんように、と祈りつつ痛む脚をひきずって家にたどり着いた。 

 今日さえ乗り切れれば、2週間の会期中はどうせ暇だろうから、のんびり店番できるし、と自らを慰めつつ、温かい湯を大きな盤(仕事用)に満たして、足湯をしつつ、明日からの算段をするのだった。


ーーー

(は~~~くっそ暇~~。口から魂抜けていきそう。)

 依子の個展も会期半ば、折り返しを過ぎたところである。
 今はど平日の真昼間。しかも雨である。客足は途絶えて久しい。
 というか今日は客足らしき客足がない。
 個展なんてものは、どこでやっても大抵そうだが、賑わうのは初日、週末、そして最終日くらいである。
 よほどの売れっ子ならともかく、掃いて捨てるほどいるその他大勢のアーティストの小さなエキシビションなど、あえて来ようなどという人は、知り合いくらいなものである。

 オーナーのマルコはこれ幸いとばかりに、会期中は店番を全面的に依子に押し付けて、自分は街へ繰り出し遊びまくっている。
 一応マルコは、ハンガリー語しか通じないが真面目にアートを見に来ているような重要なお客様が来た場合は、すぐ電話かメールをして来てもらえるように、近場にいる、ということにはなっている。
 まだそういうケースはないけれども。
 ギャラリーを開ける時、閉める時はきっちり帰ってくるので、それだけでもマシだろう。
 狭い店内なので、2人でいるよりよほど気楽である。

 個展を開くことで、すぐに仕事や収入につながることはないし、当然ながら赤字なのだけれども、露出しなければ何も始まらないので、宣伝のつもりでやっている。
 ヨーロッパは日本文化贔屓の人が一定数いるので、そういう人々の目に留まれば、と願っている。
 実際のところ、ちょろちょろとは、お客様も来るので、簡単に説明したり。
 
 正面ウインドウに、外からよく見えるように設けた、いかにも日本~という見た目の物販コーナーが良いアイキャッチになっているようだった。
 ひと通り作品を見たお客さんが、和紙を染めた小物などを買っていってくれる。日本の3月を象徴する花ですよ、と言うと多くの人が、その桃の花を染めた華やかな和紙の和綴じノートを買っていってくれた。

 基本的には一点物なので、そろそろ在庫が薄くなってきた。よって、暇は暇なりに、小物制作などを持ち込んでは、内職に余念がない時間を過ごしていた。

(しゃあない。内職に戻るか。)
 春の雨がしとしとと降る通りを、ウインドウからぼんやり眺めた後、依子はしばらくしてまた店の奥のカウンターへ戻った。


ーーー

ギイ

 店の扉が開く音がして、ハッと気づけば外はもう真っ暗。
 お客様もなく作業に没頭していたら、いつの間にかもう夕方も過ぎて夕飯時だった。
 黒っぽい服を着た男性のお客様のようだったが、あまりに目が霞んでいてよく見えない。
 立ち上がりながら目をしぱしぱして、焦点を合わせると驚いたことに、あの偶然にも街中で2回出会った日本人男性だった。

「こんばんは。まだ大丈夫ですか?」
「なんとまあまあ! もちろんです!」

 少し強めの降りになっていた外から、傘をたたみながら入ってきた男性の肩は、少し濡れていた。
 依子は、急いでバックヤードに常備していたきれいなタオルを持ってきて差し出す。

「どうぞ、これお使いになってください。肩濡れてますよ。風邪ひいちゃうと大変です。」
 
 男性はありがたくタオルを受け取って、上半身を手早く拭い、タオルを依子に返す。

「よくいらしてくださいましたね。偶然ですか? それともどちらかでチラシかなんかご覧になって?」
「ちょっと前に『さくら』さんで昼食いただいた時にDMもらいました。」
「それでわざわざ来てくださったんですか? ありがとうございます。なんだか申し訳ない。」
「いやいや、インスタもちらっと拝見したんですけど、すごいですね。自分はこういう才能全くないので、感心してしまって。」
 男性はキョロキョロしながら答える。

「あ、そうだ。イチゴのお礼を言わないと、と思って。」
「あら、ご丁寧に。逆に押し付けちゃってごめんなさいね。美味しく食べられました?」
「ええ、独り者だとビタミン不足しがちなので、助かりました。」
「それはよかった!」

 タオルをカウンターに戻しながら、依子は隅に避けて、男性が落ち着いて見られるように黙ることにした。

「どうぞゆっくりご覧になってくださいね。何か質問などありましたら、ご遠慮なくお声がけくださいな。」

 お店で、店員さんに構われるのが苦手な人は多い。
 自分もそうなので、男性にプレッシャーを与えないように、目線を手元の作業に戻しながら、依子は横目で様子をうかがうようにした。

 ゆっくりゆっくりと小さなギャラリーの作品を一つずつ見てくれて、それだけで作者としては嬉しい限りである。
 ひととおり見たところで、男性がこちらを振り向いて何か聞きたそうにした。
 依子はその視線に応えて、カウンター裏から立ち上がり、近寄りながら聞いてみる。

「何か気になるところとかありました?」
「この、タペストリーって言うのかな、これとか、描いていらっしゃるのは全部染色なんですか?」
「そうなんですよ。日本の着物を染める伝統技法で、友禅ってありますでしょ。全部その技法で染めているんです。ここらへんは、更紗って言って、手彫りの型を使った技法なんですけど、日本独自の道具やモチーフを使ったものですね。」

 ギャラリーの作品たちを指差しながらざっくり説明する。
「日本の手漉き和紙って、布のようにも使えるので、更紗技法だと和紙も染められるんです。ここらへんはそうやって染めた和紙小物です。」

 男性は、依子が最後に説明したその小さな和紙小物たちが特に気に入ったようだった。
 空色の地に、鮮やかなピンクの桃の花柄の染め和紙を貼った、小さな小箱を手にとってしげしげと眺めている。

「ちょうど3月で桃の節句なので、桃の花柄をたくさん持ってきたんです。」

「これください。」
 値札を見ていた男性は唐突に言った。
「まあ、ありがとうございます。」

 カウンターに向かいながら依子は確認する。
「今簡単にお包みしますね。ご自宅でお使いになります?それともどなたかへの贈り物に?」
「いや、今すぐってわけでもないですが、日本の母が喜びそうなので。次いつ会うかわかりませんけど。」

 依子は薄葉紙と包装紙など取り出して、手早く包装を始める。
 もらった人が少しでも笑顔になってくれたらいいな、といつもおまじないをかける気持ちで包装する。

「ホントにありがとうございます。これおまけの絵はがき、ご一緒にしときますので、良かったら使ってください。」
 小さな紙袋に品物と、絵はがき、しっかり名刺も添えて入れ、雨よけのビニルを被せる。
「丁寧にしていただいてありがとうございます。」
 支払いを済ませ、言葉少なに、でも丁寧に男性は言った。

 カウンターに並べておいた名刺を手にして、男性が言う。
「これ、もう一枚いただいていいですか?」
「どうぞどうぞ! 一番下にメールアドレスも書いてあるので、何かご質問とか、ハンガリー生活の多愛ないことでも、お気軽にメールください。いつでも見れるようにしてますので。」

 戸口に向かう男性を送りつつ続ける。
「もし現地生活で困ったこととかあったら、ご連絡くださいね。私もまだ一年ちょいですけれど、少しはお役に立てるかも。友人にハンガリー人の英語の得意な子がいるので、軽い通訳とかも手配できるかもしれません。」
 ちゃっかり友人の仕事の口も宣伝したりする。

 戸口に置いていた傘を手に取った男性が、少しの間のあと尋ねる。
「こちらの会期はまだ一週間くらいありますよね。」
「ええ、そうですね。来週の火曜日が最終日です。」
「いつ頃だと空いていますか?」
「そうですね~。今日みたいな平日、夕方以降が一番空いてますね。休日と最終日は混んでるかもしれません。なんせ狭いんで。」
「ご迷惑にならない時間にまた寄らせてもらってもいいですか。」
「もちろんです! でも、いつでもご都合の良い時間があればいらしてください。お気持ちだけでもとてもうれしいです。」

 表情に乏しいのがデフォルトのような男性の口元に、ささやかな微笑みが浮かんで、ペコっと頭を下げると、そのまま出ていった。
 依子は戸口を一緒に出て、深々とお礼をして、男性の姿が雨と闇に溶け込んで見えなくなるまで見送った。

(なんとなんと! すごくうれしい。)

 DM見て、興味を持って、訪ねてくれる、という手続きを踏んでくれることだけでも、めちゃくちゃありがたく、うれしい依子だった。
 まあ、いちごで釣った、とも言えるけど。

(また来てくれそうなことを言ってたけど、どうかな、本当に来てくれたらうれしいな。)

 また来ます、と言って実行してくれる人は、実際のところほとんどいないので、期待はすまいと思いつつも願わずにいられなかった。
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