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11.5 ー譲治の過去ー
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新しく運ばれてきたワインを、ちびりちびりと2人でやりながら、今度はポツポツと譲治が話し始める。
少し滑舌の悪い、ちょっと不思議なイントネーションのある譲治の、朴訥とした話し方と、テンポは、依子の耳に心地が良かった。
暖かなオレンジ色の灯りがともる店内で、穏やかな譲治の声は不思議と、癒し効果のあるbgmのように、耳から入ってくる。
テーブルのすぐ横の窓から、まだ寒い早春の真っ暗な夜の闇が見える。窓枠の際は室内との温度差で曇り、有機的な曲線を柔らかく描いていた。
「お気づきかもしれませんが、私、あまり人付き合いが得意ではありませんで。
ごくごく普通に大学を出て、普通に就職したんですが、どうも社内の人間関係とか、営業的な仕事に馴染めなかったんです。」
ふんふん、と依子は、熱心に譲治を見ながら前のめりで聞いている。
「それに、実家から離れて一人暮らししているのをいいことに、非常に自堕落で、ズボラな生活をしていたんです。
そんなことをしているうちに、あまりに職場が向いてないな、と思って2年で辞表書いて退職したんですけど、そのタイミングで胃潰瘍になってしまったんですよね。」
譲治もまた、当時のことを思い出して、ちょっと顔が曇ってしまう。
ずっと俯いてしゃべっているが、これは元々そういう喋り方しかできない性格で、依子の常日頃から毅然とした喋り方とは対極である。
「完全に自業自得なんですけどね。
特に明確な目標もないまま流されるように仕事して、ストレス溜めて、その反動で暴飲暴食、乱れた生活して。
潰瘍の治療はしたものの、普通のサラリーマン生活に心身共に戻れなくて、2年ほど田舎の温泉街で住み込みバイトしたり。
いよいよこれじゃだめだ、ってある日思って。」
辛かった日々を脱してやっと自分らしい生き方を見つけようとした、という段になって、やっと俯きながら話していた譲治の顔も和らいできた。
「妹がね、学生時代にカナダにホームステイしてたんですよ。
それで、なんとなく耳馴染みがあった、ってだけなんですけど、とにかくガラッと生き方を変えたくて、ワーキングホリデーでカナダに飛び出したんです。英語の勉強しながらの仕事は、しんどかったですけど、やりがいはありました。
日本みたいに、主張を我慢せねばならない、って習慣がなかったですから。
自由だった。」
明るくなった譲治の顔から、その楽しそうな口ぶりから、きっと日本より居心地が良かったんだろう、と伝わってくる。
「海外駐在員になるつもりなんてなかったんです。
でも、ワーホリで雇ってもらってた会社からスカウトされて、そのまま帰国せずカナダで駐在することになりました。
それで、2ヶ月前にいきなりヨーロッパ方面に支店作るから、って言われてこちらに派遣されてきた、とそういうわけです。」
譲治は、ワインをぐびり、と一口飲んでひと息ついた。
「それにしても、駐在員なんて言ったら聞こえはいいですが、相変わらず英語は苦手ですし。
それにとにかく給料が安いもんで、永遠に貧乏サラリーマンで。
アラフォーにもなって情けないですね。」
譲治は自嘲気味に笑った。
「いやいや、そんなこと!
まあ円安も進んでますしね。
でも、ちゃんとお仕事して、なんとかでも自立して生活してるんですから、それだけで十分立派ですよ。
...どん底を味わったところから、また浮上してくるのって、根性がいりますよ。簡単にできることではないです。」
いやあ、お恥ずかしい、と譲治は言って、自分の首をこすって言った。
「まあ人間追い込まれると割となんでもできますよね。」
「ほんと、そうですね。
なんにせよ、元気じゃないとできないことだから、お互い健康には気をつけて頑張りましょうね。」
依子はワイングラスを掲げて、乾杯のポーズをとった。
「田中さんはこれから脂が乗ってくる年代じゃないですか!
私なんかアラフィフに突入しちゃったし。
なんのご縁か、こうして異国でお知り合いになれたわけですし、世話焼きなおばちゃんくらいに思って、困ったことがあったらなんでも相談してくださいな。」
依子はにこ、と笑った。
譲治は少しびっくりした。
アラフィフ突入ってことは、45くらいってことかな。
自分より2つ、3つ上かと思ってた。ちゃんと年上の人として敬意を払わないと。
今の時代、簡単に年齢を聞くのもナンセンスだから、あえて聞かないが、彼女は年齢不詳の魔法使いというか、別の国の人みたいだった。
アーティストだから浮世離れしてるのかな、と思った。
ーーー
その後、ひとしきり依子は、譲治が趣味にしている、とぽろっと言った、動画制作の手順などを聞きたがり、思わず譲治も調子に乗ってこだわりの点などを披露してしまった。
気づけばけっこうな時間になり、そろそろ引き上げようと、店を出る。
「すごい遅くなっちゃって申し訳ない。帰り道大丈夫ですか?送りましょうか?」
譲治が心配してくれた。
「いえいえ、とんでもない。お引き止めしたの私ですし。まあ大丈夫じゃないですかね。スタンガンと防犯ブザー持ってるし、ヤバい路地は通らないので。」
「じゃあ、せめて、LINEか電話番号交換しますか。ヤバいと思ったらすぐ連絡ください。同じ9区ですし。」
譲治は、これまでの会話や態度からして、依子はけっこう自分の価値に対する認識が低いと言うか、危なっかしいタイプなんじゃないか、と見積もっていた。
だから、普段はLINE交換なんぞしないが、事件を未然に防ぐためにも自分から申し出たのである。
サクッとLINEと電話番号を交換して、トラムの駅で別れる。
依子のアパートまではもう二駅乗らねばならない。
トラムが見えた。
「それじゃ、おやすみなさい。今日は甘えちゃって、ペラペラしゃべってしまってごめなさい。ありがとうございました。」
さらに、依子はうーむ、と顎に手を当てて思い返す風で言った。
「今回の個展で一番うれしかったのは、田中さんと知り合いになれたことだな、って思います。」
そう言って手を振ってトラムに乗って行ってしまった。
譲治は、依子の言葉になんだか照れてしまって、口の中でゴニョゴニョと、お気をつけて、とか言っている間に、彼女の乗ったトラムは見えなくなった。
ーーー
アパートに着いて、シャワーから上がった頃に、スマホにメッセージが来ていたのに気づく。
「無事アパートに着きました。ご心配おかけしました。」
続いてシュポッと鳴る。
「今日はうれしかったです。おやすみなさい。」
依子からのLINEだった。
譲治もひと安心し、短く返事をする。
「こちらこそいろいろごちそうさまでした」
「おやすみなさい」
そしてベッドにごろんとダイブする。
そう言えばおやすみなんて、挨拶を交わし合うのは、いつぶり、誰ぶりだろう。
なんだか珍しくほんわかした気分になって、トカイワインの酔いも心地良く、間も無く眠りに落ちていった。
少し滑舌の悪い、ちょっと不思議なイントネーションのある譲治の、朴訥とした話し方と、テンポは、依子の耳に心地が良かった。
暖かなオレンジ色の灯りがともる店内で、穏やかな譲治の声は不思議と、癒し効果のあるbgmのように、耳から入ってくる。
テーブルのすぐ横の窓から、まだ寒い早春の真っ暗な夜の闇が見える。窓枠の際は室内との温度差で曇り、有機的な曲線を柔らかく描いていた。
「お気づきかもしれませんが、私、あまり人付き合いが得意ではありませんで。
ごくごく普通に大学を出て、普通に就職したんですが、どうも社内の人間関係とか、営業的な仕事に馴染めなかったんです。」
ふんふん、と依子は、熱心に譲治を見ながら前のめりで聞いている。
「それに、実家から離れて一人暮らししているのをいいことに、非常に自堕落で、ズボラな生活をしていたんです。
そんなことをしているうちに、あまりに職場が向いてないな、と思って2年で辞表書いて退職したんですけど、そのタイミングで胃潰瘍になってしまったんですよね。」
譲治もまた、当時のことを思い出して、ちょっと顔が曇ってしまう。
ずっと俯いてしゃべっているが、これは元々そういう喋り方しかできない性格で、依子の常日頃から毅然とした喋り方とは対極である。
「完全に自業自得なんですけどね。
特に明確な目標もないまま流されるように仕事して、ストレス溜めて、その反動で暴飲暴食、乱れた生活して。
潰瘍の治療はしたものの、普通のサラリーマン生活に心身共に戻れなくて、2年ほど田舎の温泉街で住み込みバイトしたり。
いよいよこれじゃだめだ、ってある日思って。」
辛かった日々を脱してやっと自分らしい生き方を見つけようとした、という段になって、やっと俯きながら話していた譲治の顔も和らいできた。
「妹がね、学生時代にカナダにホームステイしてたんですよ。
それで、なんとなく耳馴染みがあった、ってだけなんですけど、とにかくガラッと生き方を変えたくて、ワーキングホリデーでカナダに飛び出したんです。英語の勉強しながらの仕事は、しんどかったですけど、やりがいはありました。
日本みたいに、主張を我慢せねばならない、って習慣がなかったですから。
自由だった。」
明るくなった譲治の顔から、その楽しそうな口ぶりから、きっと日本より居心地が良かったんだろう、と伝わってくる。
「海外駐在員になるつもりなんてなかったんです。
でも、ワーホリで雇ってもらってた会社からスカウトされて、そのまま帰国せずカナダで駐在することになりました。
それで、2ヶ月前にいきなりヨーロッパ方面に支店作るから、って言われてこちらに派遣されてきた、とそういうわけです。」
譲治は、ワインをぐびり、と一口飲んでひと息ついた。
「それにしても、駐在員なんて言ったら聞こえはいいですが、相変わらず英語は苦手ですし。
それにとにかく給料が安いもんで、永遠に貧乏サラリーマンで。
アラフォーにもなって情けないですね。」
譲治は自嘲気味に笑った。
「いやいや、そんなこと!
まあ円安も進んでますしね。
でも、ちゃんとお仕事して、なんとかでも自立して生活してるんですから、それだけで十分立派ですよ。
...どん底を味わったところから、また浮上してくるのって、根性がいりますよ。簡単にできることではないです。」
いやあ、お恥ずかしい、と譲治は言って、自分の首をこすって言った。
「まあ人間追い込まれると割となんでもできますよね。」
「ほんと、そうですね。
なんにせよ、元気じゃないとできないことだから、お互い健康には気をつけて頑張りましょうね。」
依子はワイングラスを掲げて、乾杯のポーズをとった。
「田中さんはこれから脂が乗ってくる年代じゃないですか!
私なんかアラフィフに突入しちゃったし。
なんのご縁か、こうして異国でお知り合いになれたわけですし、世話焼きなおばちゃんくらいに思って、困ったことがあったらなんでも相談してくださいな。」
依子はにこ、と笑った。
譲治は少しびっくりした。
アラフィフ突入ってことは、45くらいってことかな。
自分より2つ、3つ上かと思ってた。ちゃんと年上の人として敬意を払わないと。
今の時代、簡単に年齢を聞くのもナンセンスだから、あえて聞かないが、彼女は年齢不詳の魔法使いというか、別の国の人みたいだった。
アーティストだから浮世離れしてるのかな、と思った。
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その後、ひとしきり依子は、譲治が趣味にしている、とぽろっと言った、動画制作の手順などを聞きたがり、思わず譲治も調子に乗ってこだわりの点などを披露してしまった。
気づけばけっこうな時間になり、そろそろ引き上げようと、店を出る。
「すごい遅くなっちゃって申し訳ない。帰り道大丈夫ですか?送りましょうか?」
譲治が心配してくれた。
「いえいえ、とんでもない。お引き止めしたの私ですし。まあ大丈夫じゃないですかね。スタンガンと防犯ブザー持ってるし、ヤバい路地は通らないので。」
「じゃあ、せめて、LINEか電話番号交換しますか。ヤバいと思ったらすぐ連絡ください。同じ9区ですし。」
譲治は、これまでの会話や態度からして、依子はけっこう自分の価値に対する認識が低いと言うか、危なっかしいタイプなんじゃないか、と見積もっていた。
だから、普段はLINE交換なんぞしないが、事件を未然に防ぐためにも自分から申し出たのである。
サクッとLINEと電話番号を交換して、トラムの駅で別れる。
依子のアパートまではもう二駅乗らねばならない。
トラムが見えた。
「それじゃ、おやすみなさい。今日は甘えちゃって、ペラペラしゃべってしまってごめなさい。ありがとうございました。」
さらに、依子はうーむ、と顎に手を当てて思い返す風で言った。
「今回の個展で一番うれしかったのは、田中さんと知り合いになれたことだな、って思います。」
そう言って手を振ってトラムに乗って行ってしまった。
譲治は、依子の言葉になんだか照れてしまって、口の中でゴニョゴニョと、お気をつけて、とか言っている間に、彼女の乗ったトラムは見えなくなった。
ーーー
アパートに着いて、シャワーから上がった頃に、スマホにメッセージが来ていたのに気づく。
「無事アパートに着きました。ご心配おかけしました。」
続いてシュポッと鳴る。
「今日はうれしかったです。おやすみなさい。」
依子からのLINEだった。
譲治もひと安心し、短く返事をする。
「こちらこそいろいろごちそうさまでした」
「おやすみなさい」
そしてベッドにごろんとダイブする。
そう言えばおやすみなんて、挨拶を交わし合うのは、いつぶり、誰ぶりだろう。
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