【完結】怠惰な天才の夜想曲(ノクターン)~伯爵家の次男は英雄になりたくない~

シマセイ

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第四十二話:幕間・兄弟の帰郷と平穏の価値

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極寒の学術都市から、長い旅路を経て、俺たち兄弟は、ようやく懐かしき我がヴァインベルク領へと帰還した。

季節はすっかり移ろい、領地は穏やかで、暖かい空気に満ちている。

屋敷では、父上をはじめ、使用人たちが総出で俺たちを出迎えてくれた。

その顔には、安堵と、そして英雄の凱旋を迎えるような、誇らしげな色が浮かんでいる。

特に、父上が俺を見る目には、もう以前のような呆れや失望の色はなく、ただ、無事に帰ってきた息子を慈しむような、そんな温かい光が宿っていた。

だが、俺は、そんな感動的な歓迎の雰囲気もそこそこに。

「……ただいま。

悪いが、疲れたから、もう寝る」

そう一言だけ告げると、一直線に自室へと向かった。

そして、数ヶ月ぶりに再会した、我が魂の友、愛すべき深紅のソファへと、全身全霊でダイブした。

「ああ……あああっ……!
やはり、こいつが……!
こいつが、俺の、世界の中心だ……!」

この体を優しく受け止めてくれる、完璧な弾力。

もはや俺の体の一部と化した、この滑らかな感触。

俺が、ソファとの感動の再会を心ゆくまで堪能していると、ソフィアが、呆れを通り越して、もはや悟りの境地に達したかのような顔で、紅茶を差し出してくれた。



その日の午後。

ヴァインベルベルク家の書斎で、父上と、兄さんと、そして、ソファから無理やり引きずり出されてきた俺による、三者会談が開かれた。

議題はもちろん、俺たちが持ち帰った、三つの『封印の欠片』の処遇についてだ。

「王家に預け、賢者たちによる厳重な管理下に置くべきです。

セレスティーナ殿も、それが最善だと」

兄さんが、そう進言する。

「うむ。

だが、王家とて、一枚岩ではない。

学術都市の評議会のように、『探求者』の息がかかった者が紛れ込んでいないとも限らん。

迂闊に動かすのは、危険かもしれんぞ」

父上が、慎重な意見を述べる。

二人の真剣な議論を、俺は欠伸を噛み殺しながら聞いていた。

そして、しびれを切らしたように、口を開いた。

「……面倒だから、その辺の庭にでも、埋めておけばいいんじゃないか?」

「「馬鹿者ッ!」」

父上と兄さんの声が、綺麗にハモった。

俺は、耳をほじりながら続ける。

「だって、考えてみろよ。

一番安全な場所ってのは、敵が一番『まさか、そんなところに』って思う場所だろ?
灯台下暗し、ってやつだ」

俺のやる気のない発言に、二人は呆れた顔をしていたが、その言葉に、一理あるとは認めざるを得ないようだった。

結局、議論の末、三つの欠片は、ヴァインベルク家の地下深くにある、古代魔法によって固く守られた宝物庫に、一時的に封印されることになった。

ひとまず、これで一安心だ。

事件の後、俺は宣言通り、完璧なぐうたらライフを再開した。

一日中ソファの上でゴロゴロし、ソフィアの淹れる極上の紅茶を味わい、時々、昼寝をする。

最高だ。

兄さんは、騎士団の訓練を再編し、次期当主として、精力的に領地の運営に取り組んでいるようだった。

時折、俺の部屋を訪れては、訓練の相談や、各地から集めた『欠片』に関する情報の共有してくるのが、少しだけ面倒だったが。

それでも、そんな穏やかな日々は、俺が心の底から望んでいた、平穏そのものだった。

「……アレン様。

本当に、幸せそうですわね」

俺の寝顔を見下ろしながら、ソフィアが、そんなことを呟いた。

彼女は、俺が背負っているものの大きさを、誰よりも理解してくれている。

だからこそ、この束の間の平穏が、一日でも長く続くようにと、祈ってくれているのだろう。

だが、そんな彼女の祈りも、空しくはかなく、打ち砕かれることになる。

穏やかな日々が、数週間ほど続いた、ある日のこと。

一羽の伝書鳥が、俺の部屋の窓を、激しく、そして執拗に、コツコツと叩いた。

その鳥の足に結ばれていた手紙。

そこに押されていたのは、王家の紋章でも、砂漠の国の紋章でも、学術都市の紋章でもない。

俺が、一度も見たことのない、不気味な螺旋を描く、黒い紋章だった。

差出人は、不明。

しかし、その手紙から放たれる気配だけで、俺には分かった。

これまで感じたことのない、冷たく、深く、そして巨大な意思。

俺は、ソファからゆっくりと体を起こした。

嫌な、予感がした。

その手紙を開くと、中には、美しい飾り文字で、こう書かれていた。

『拝啓、理を歪める者よ。

君がこれまで動かした駒の動き、実に興味深く拝見させてもらった。

だが、これまでの余興は終わりだ。

次なる舞台では、この私、王自らが盤面に降り立つことにしよう。

君の愛する者たちを、駒として使いながら、な』

その手紙の意味を、俺は瞬時に理解した。

これまでは、俺が盤外から介入して、奴の計画を邪魔してきた。

だが、次は違う。

俺自身と、俺の周りの人間……兄さんや、ソフィア、父上、そして友人たちが、奴の仕掛けるゲームの駒として、直接狙われるという、明確な宣戦布告だ。

俺は、その手紙を、くしゃりと、強く握りつぶした。

「……最悪だ」

その呟きと共に、俺の顔から、怠惰な表情が、完全に消え失せていた。
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