【完結】受付嬢は元A級冒険者の夢を見るか

シマセイ

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第一話:平穏な日常と小さな染み

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王都の冒険者ギルドは、一日の終わりが最も騒がしくなる場所だ。
依頼を終えた冒険者たちが武勇伝を語る大声、祝杯をあげるジョッキのぶつかり合う音、そして血と汗と酒の匂いが混じり合い、混沌とした熱気がホール全体を支配していた。

その熱気の中心にあるカウンターで、私は今日も笑顔の仮面を貼り付けている。

「リナさん、この討伐証明、お願いね!」
「はい、ブラウンさん。ゴブリン12体、それにホブゴブリンが2体ですね。お疲れ様でした。こちらが今回の報酬になります」

屈強な戦士へ銀貨の入った袋を手渡すと、彼は「ありがとう」と無骨な手でそれを受け取り、すぐに仲間たちのいる酒場スペースへと消えていった。
私の名前はリナリア。このギルドで受付嬢として働き始めて、もうすぐ三年になる。冒険者たちの依頼管理、報酬の支払い、そして時折彼らの自慢話を聞くのが私の仕事だ。

「まったく、野蛮な人たち。汗臭くてたまりませんわ」
隣のカウンターで、同僚のクラリッサが扇子で鼻を覆いながら不機嫌そうに呟いた。有力な子爵家の令嬢である彼女は、親のコネでこのギルドに勤めている。その仕事ぶりは、お世辞にも丁寧とは言えなかった。
「クラリッサさん。先ほどの薬草採取の依頼書ですが、採取地の地図が古いままになっています。このままでは冒険者の方が道に迷ってしまいますよ」
「あら、そうなの?じゃあ、リナリアさん、あなたが新しいものと差し替えておいてくださる?」
悪びれもせずに彼女は言い放つ。私は波風を立てるつもりはないので、「はい」とだけ短く答えた。私がこの場所で何よりも望んでいるのは、平穏な日常なのだから。

その平穏が一瞬だけ破られたのは、ギルドの巨大な樫の扉が、ギィと重い音を立てて開かれた時だった。それまで部屋を支配していた喧騒が、嘘のように静まり返る。すべての冒険者たちの視線が、入り口に立つ一人の男に注がれていた。
黒い革のコートに身を包んだ、長身の男。背中にはその身の丈ほどもある大剣が背負われている。短く切られた銀色の髪、そしてその瞳は、まるで凍てついた湖面のようにどこまでも冷たく静かだった。

A級冒険者、ゼノン。『深淵の剣』の異名を持つ、このギルドでもトップクラスの実力者。そして、誰ともパーティを組まない孤高の一匹狼。
受付嬢たちは皆、その人を寄せ付けないオーラのせいで彼を恐れていた。クラリッサもさっと顔を伏せて、関わり合いになるのを避けようとしている。
だが、ゼノンはそんな周囲の空気など意にも介さず、まっすぐにカウンターへと歩いてきた。そして、他の誰でもない、私の前に立った。

言葉は交わさない。ただ一瞬だけ、視線が絡み合った。彼の凍てついた瞳の奥に、私だけが分かる微かな光が宿る。それは他の誰も知らない、私たちだけの秘密の合図のようだった。
「……新しい依頼を」
彼がぼそりと呟く。私はいつもの丁寧な笑顔で頷いた。
「はい。ただいま、高難易度のものをお持ちします」

私が彼に手渡したのは、ワイバーンの討伐依頼だった。通常ならA級パーティが総出で挑むべき危険な任務だが、彼は依頼書に一通り目を通すと、ただ短く「受ける」とだけ言った。
私が手続きをしている間も、彼は何も言わず、ただ静かに私の手元を見つめている。その視線が何を意味しているのか、私には痛いほど分かっていた。

「……手続きは完了しました。ゼノン様のご武運をお祈りしております」
「ああ」
彼はそれだけを言うと背を向け、再びギルドの喧騒の中へと消えていった。
彼が去った後も、ギルドの空気はしばらくざわついたままだった。

その夜、すべての冒険者たちが家路につき、ギルドが閉館時間を迎えた後。
私は一人カウンターに残り、その日の売り上げと依頼報告書の最終確認をしていた。
それが私の日課だった。
数字を一つ一つ確認していく。
依頼ランクと報酬額、達成条件と討伐数。すべてが完璧に一致するはずだった。

その時、私の指がぴたりと止まった。
一枚の報告書。
それは昼間クラリッサが担当していたB級パーティのものだった。
依頼内容はオーガの討伐で、報酬は金貨三枚。だが、記されている支払い額はなぜか金貨五枚になっている。
B級のオーガ討伐にしては、あまりにも高額だ。

ただの記入ミスだろうか。いや、違う。
クラリッサは仕事は雑だが、金銭に関しては驚くほど抜け目がない。
これは意図的な数字の改竄だ。
私は過去の帳簿を数ヶ月分、遡ってめくってみた。すると出てくる、出てくる。

クラリッサが担当した特定のいくつかのパーティだけが、不自然なほど高額な報酬を受け取っている。
そしてそのパーティのリーダーたちの名は、いずれも腕は三流だが、羽振りが良く素行の悪いことで有名な者たちばかり。

胸の奥がざわつく。
これはただの不正な報酬の水増しだけだろうか。
いや、この金の流れは何か、もっと別の……。

私は自分の、冒険者としての古い勘が警鐘を鳴らしているのを感じていた。
このギルドの平穏な日常の裏側で、何かが蠢いている。
私が捨てたはずの過去がすぐそこまで迫ってきているような、そんな不吉な予感がした。
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