【完結】翠玉の森

シマセイ

文字の大きさ
5 / 10

第五話:月の泉の秘密と門の番人

しおりを挟む
夜の帳(とばり)が森を覆い隠す頃、フィンとリーナは密かに集落を抜け出した。

目指すは、森の最奥部に位置するという「月の泉」。

そこは、古文書によれば「闇の門」が現れる可能性のある、精霊力が不安定な禁断の地だ。

長老たちの目を盗んでの行動は、胸に罪悪感と、それ以上の使命感を抱かせた。

森の奥深くへ進むにつれて、周囲の空気は明らかに変化していった。

木々の葉は、月明かりを受けていないにも関わらず、淡い燐光を放ち始める。

地面に生える苔は、踏みしめるたびに奇妙な音を発し、まるで生きているかのようだ。

「なんだか…空気が重いというか、濃いというか…」

フィンが不安げに呟く。

「精霊力が強すぎるのよ。
良い力も、悪い力も、ここでは増幅されてしまう。
気をしっかり持たないと、幻惑に囚われるわ」

リーナは、古のエルフに伝わる短い祈りの言葉を唱えながら、慎重に周囲を警戒した。

彼女は、道端に咲く妖しく光る花を指差す。

「あの花には触れないで、フィン。
美しいけれど、人の心を惑わす毒を持っているわ」

リーナの知識がなければ、フィンはうっかりその美しさに手を伸ばしていたかもしれない。

一方、フィンも黙ってはいなかった。

「こっちだ、リーナ。
この獣道を行けば、少しだけ近道になるはずだ。
それに、あっちの沼地は、夜になると底なしになるって話だ」

彼の森に関する細かな知識と、誰も知らないような抜け道を知る能力が、この危険な道のりで二人の足取りを助けた。

互いの長所を活かし、短所を補い合いながら、二人は禁断の地へと進んでいく。

時折、どこからともなく囁き声のようなものが聞こえたり、存在しないはずの光が目の前をちらついたりした。

精霊力が乱れる影響が、五感を狂わせようとする。

二人は互いを励まし合い、意識を強く保ちながら、歩みを進めた。

数時間歩き続けた頃、前方の木々の切れ間から、柔らかな光が漏れているのが見えた。

そして、水の流れるような、しかしどこか音楽的な響きを持つ音が聞こえてきた。

「あれが…月の泉…!」

フィンは息をのんだ。

木々の間を抜けると、そこには息をのむほど美しい光景が広がっていた。

広場の中心には、満月のように円い形をした泉があった。

泉の水面は、まるで液体状の月光のように、自ら淡い銀色の光を放っている。

周囲には、見たこともないような光る植物が生い茂り、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

しかし、その美しさとは裏腹に、空気は張り詰め、どこか不安定な気配が漂っている。

泉の水面は、穏やかに見えて、時折、理由もなく波立ち、ざわめく。

美しさと危うさが同居する、不思議な場所だった。

「見て、フィン…泉の中心…」

リーナが指さす先、泉の中央付近の水面が、奇妙に揺らめいていた。

よく見ると、そこだけ水の色が濁り、まるで黒いインクを垂らしたように、渦を巻いている。

空間そのものが、わずかに歪んでいるようにも見える。

「あれが…『闇の門』…?」

フィンはゴクリと唾を飲んだ。

古文書の記述は、やはり正しかったのだ。

魔族は、この泉に開いた異界への通路を通って、翠玉の森へと侵入しているに違いない。

「試してみよう、リーナ。
銀葉草を」

フィンは、腰の袋から慎重に銀葉草を取り出した。

夜気に触れると、銀葉草は淡い光を放ち始める。

二人はゆっくりと泉に近づき、フィンは意を決して、銀葉草を黒い渦に向かって差し出した。

その瞬間、銀葉草はこれまでとは比較にならないほど強い、眩い銀色の光を放った。

清らかな光が、泉の黒い渦へと降り注ぐ。

すると、黒い渦は明らかに動揺したかのように揺らぎ、その広がりがわずかに後退した。

「効いてる…!」

リーナが声を上げる。

古文書にあった通り、銀葉草の聖なる光は、闇の門の力を抑える効果があるのだ。

しかし、喜びも束の間だった。

銀葉草の光を受けて、黒い渦は後退したものの、消滅する気配はない。

それどころか、渦の中心から、さらに強い邪悪な気配が溢れ出してきた。

まるで、門が刺激に対して反撃しているかのようだ。

「まずい…!」

フィンが叫んだ瞬間、黒い渦が激しく波立ち、中から一体の魔族が姿を現した。

それは、以前遺跡で遭遇した斥候タイプの魔族とは明らかに異なっていた。

体躯はそれほど大きくないが、ローブのようなものを纏い、手には杖を持っている。

そして、その顔には、これまでの魔族には見られなかった、狡猾そうな知性の光が宿っていた。

「何やつだ…? 我が門を乱す痴れ者は…」

魔族は、低い、しかしはっきりとしたエルフの言葉で問いかけてきた。

その声は、聞く者の精神を直接蝕むような、不快な響きを持っていた。

「門の番人…ということか…!」

フィンは直感的に理解した。

こいつは、単なる兵士ではない。

門を守り、管理する役割を持つ、より上位の存在だ。

「ちっ、小賢しいエルフめが…銀葉草か。
確かに少々厄介だが、この程度で門が閉じられると思うな」

門の番人は杖を構え、呪文のようなものを唱え始めた。

周囲の空気がさらに重くなり、足元の地面から黒い影のようなものが這い出してくる。

「リーナ、来るぞ!」

「ええ!」

リーナは即座に弓を構えた。

しかし、通常の矢が効かないことは経験済みだ。

彼女は、矢じりに銀葉草の葉を括り付けた、即席の対魔族用の矢を番人に向けて放った。

銀色の光を纏った矢は、番人に向かって飛んでいく。

番人は杖で障壁のようなものを展開し、矢を防ごうとしたが、銀葉草の光は障壁を貫通し、番人の腕を掠めた。

「ぐっ…!」

番人は苦悶の声を上げ、腕を押さえた。

銀葉草の光は、確かに効果があるようだ。

しかし、致命傷には至らない。

「おのれ、小癪な!」

番人は怒りに顔を歪め、杖から黒い稲妻のようなものを放ってきた。

フィンとリーナは左右に飛び退き、それをかわす。

稲妻が着弾した地面は、黒く焼け焦げ、嫌な臭いを発した。

「どうする、フィン!? こいつ、強いわ!」

リーナが叫ぶ。

銀葉草の矢も数には限りがある。

このままではジリ貧だ。

フィンは、必死に周囲を見回し、活路を探した。

泉、光る植物、不安定な精霊力…そして、門の番人が杖を使っていること。

(杖…あいつの力の源は、あの杖にあるのかもしれない! そして、ここは精霊力が不安定な場所…)

フィンに一つの考えが閃いた。

「リーナ! あの杖を狙ってくれ! できれば、泉の中に叩き落とすんだ!」

「泉に? でも…!」

「いいから! 精霊力が乱れているここなら、何か起こるかもしれない!」

リーナは一瞬ためらったが、フィンの真剣な眼差しを信じ、再び弓を構えた。

番人が次の攻撃を準備している隙を突き、リーナは渾身の力を込めて、銀葉草の矢を番人の持つ杖めがけて放った。

矢は正確に杖に命中し、強い衝撃を与える。

番人は杖を取り落とし、杖は放物線を描いて、月の泉の中へと落下した。

チャポン、という音と共に杖が泉に沈むと、信じられないことが起こった。

泉の水面が激しく沸騰するように泡立ち、杖が沈んだ場所から、制御不能な精霊力の奔流が巻き起こったのだ。

眩い光と闇が入り混じり、嵐のように渦を巻く。

「うわあああっ!」

門の番人は、その奔流に巻き込まれ、苦悶の叫び声を上げた。

泉の不安定な力が、彼の魔力を暴走させ、制御不能に陥らせたのだ。

「今だ! 逃げるぞ!」

フィンはリーナの手を引いて、泉から離れる。

背後では、精霊力の嵐が門の番人を飲み込み、やがて黒い渦、闇の門もろとも、その激しいエネルギーの中に掻き消えていくかのように見えた。

嵐が収まった時、泉は元の静けさを取り戻しつつあったが、門の番人の姿も、黒い渦も、そこにはもうなかった。

「やったのか…? 門を…」

フィンは息を切らしながら呟いた。

しかし、リーナは首を横に振った。

「分からない…番人は倒せたかもしれないけれど、門が完全に閉じたとは思えないわ。
それに、あの番人…最後に何か言おうとしていなかった?」

リーナの言葉に、フィンも思い当たる節があった。

精霊力の嵐に飲み込まれる寸前、番人は何かを叫んでいたような気がする。

『…主(あるじ)…の…計画…は…止まら…ぬ…』

断片的に聞こえた言葉。

「主…? 計画…?」

フィンとリーナは顔を見合わせた。

門の番人を倒し、一時的に門を退けたかもしれない。

しかし、それは魔族全体の計画の一部に過ぎないのかもしれない。

さらに強大な存在が、この侵攻の裏にいるのだろうか。

月の泉の秘密に触れ、一つの脅威を退けた二人だったが、同時に、より大きな謎と、さらなる試練の存在を予感せずにはいられなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う

yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。 これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。

女神に頼まれましたけど

実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。 その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。 「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」 ドンガラガッシャーン! 「ひぃぃっ!?」 情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。 ※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった…… ※ざまぁ要素は後日談にする予定……

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

【完結】異世界へ五人の落ち人~聖女候補とされてしまいます~

かずきりり
ファンタジー
望んで異世界へと来たわけではない。 望んで召喚などしたわけでもない。 ただ、落ちただけ。 異世界から落ちて来た落ち人。 それは人知を超えた神力を体内に宿し、神からの「贈り人」とされる。 望まれていないけれど、偶々手に入る力を国は欲する。 だからこそ、より強い力を持つ者に聖女という称号を渡すわけだけれど…… 中に男が混じっている!? 帰りたいと、それだけを望む者も居る。 護衛騎士という名の監視もつけられて……  でも、私はもう大切な人は作らない。  どうせ、無くしてしまうのだから。 異世界に落ちた五人。 五人が五人共、色々な思わくもあり…… だけれど、私はただ流れに流され…… ※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。

処理中です...