【完結】翠玉の森

シマセイ

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第十話:翠玉の誓い、森と共に生きる

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絶望的な静寂が、フィンを支配した。

目の前には、燃え盛る炎の剣を構える最強の魔将ガルゾス。
そして、背後には、古の闇の王ヴォルガレスの意思そのものであるかのような、黒く脈打つ巨大な水晶。
ヴォルガレスの冷たく重い精神圧力が、フィンの思考を鈍らせ、体の自由を奪おうとする。
まるで、深淵の底から無数の手が伸びてきて、魂を引きずり込もうとしているかのようだ。

『クク…面白い拾い物をしたわ。
まさか、このような辺境の森に、これほど抵抗する意思を持つエルフがいようとはな。
だが、それもここまでよ』

ヴォルガレスの声が、嘲りを含んで脳内に響く。
ガルゾスが、巨大な剣を振り上げ、とどめを刺そうと一歩踏み出した。

(ここで…終わりなのか…?)

フィンの脳裏に、翠玉の森の美しい緑、仲間たちの顔、そしてリーナの笑顔が浮かんだ。
いや、ここで終わるわけにはいかない。
カイの犠牲を、仲間たちの奮闘を、無駄にはできない。

フィンは、心の奥底から湧き上がる強い意志で、ヴォルガレスの精神圧力を跳ね返した。

「断る!」

フィンは叫んだ。
声は震えていたかもしれない。
だが、瞳には決意の光が宿っていた。

「お前なんかに、僕たちの森を、未来を、好きにさせるものか!」

『ほう…まだ抗うか。
その小さな体のどこに、そのような力が残っている?』

ヴォルガレスは意外そうな響きを見せたが、すぐに冷笑に変わった。

『よかろう。
ならば、その無駄な抵抗が、いかに脆く、愚かしいものか、その身をもって知るがよい。
ガルゾス、殺せ』

ガルゾスが、再び炎の剣を振り下ろす。
しかし、フィンはその瞬間を待っていた。
彼はヴォルガレスの精神攻撃に抵抗しながらも、この谷の不安定な精霊力の流れを肌で感じ取っていたのだ。

「今だ!」

フィンは地面を蹴り、ガルゾスの攻撃を紙一重でかわすと同時に、足元の岩盤の亀裂に向かって、腰につけていた銀葉草の粉末を詰めた袋を叩きつけた。
銀葉草の聖なる粒子が亀裂に吸い込まれると、谷底に満ちていた不安定な精霊力が、まるで触媒を得たかのように激しく反応した。

ゴオオオオッ!

亀裂から眩い光の奔流が噴き出し、ガルゾスを直撃した。
それは純粋な精霊力の塊であり、闇の力を持つ魔族にとっては劇薬だ。

「グオオオッ!?」

予期せぬ反撃に、ガルゾスは苦悶の声を上げ、よろめいた。
その巨体がバランスを崩し、谷の壁に叩きつけられる。

『小賢しい真似を…!』

ヴォルガレスの意思が、怒りに震えた。
フィンは、この一瞬の隙を逃さなかった。

「ガルゾス! お前の主は本当にあの黒い石なのか? それとも、ただの操り人形か!」

フィンは挑発するように叫んだ。
ガルゾスのような強大な存在が、ただの水晶に傅(かしず)いていることに、わずかな違和感を覚えていたのだ。

「黙れ、小僧! ヴォルガレス様への侮辱は許さん!」

ガルゾスは激昂し、再びフィンに襲いかかろうとする。
しかし、精霊力の奔流を受けたダメージは深く、その動きは先ほどよりも明らかに鈍い。

フィンは、ガルゾスの猛攻を、谷の複雑な地形を利用して巧みにかわし続けた。
狭い岩の隙間を抜け、崩れやすい足場へと誘い込み、時には探検で見つけた抜け道を使って背後に回り込む。
直接的な戦闘能力では比較にならないが、森で培った知識と経験、そして機転が、フィンを最強の魔将相手に互角(?)の「鬼ごっこ」を演じさせていた。

(こいつ、ただ強いだけじゃない…動きに迷いがある…? あの水晶に完全に支配されているわけじゃないのか…?)

フィンは、ガルゾスの動きの中に、ほんの一瞬だが、何かを躊躇うような、あるいは苦しむような色が見える気がした。

その時だった。
谷の上から、複数のエルフの気配が近づいてくるのをフィンは感じた。

「フィン!」

リーナの声だ!
見上げると、谷の入り口に、リーナ、ロナン、そしてエルロンド長老に率いられたエルフの精鋭部隊が到着していた。
彼らは、フィンの陽動によって時間を稼ぎ、防衛線を立て直した後、フィンの身を案じて駆けつけてくれたのだ。

「みんな…!」

フィンの胸に、熱いものがこみ上げてきた。
一人ではない。
仲間たちが来てくれた!

「フィン! 無事だったのね!」
リーナは弓に銀葉草の矢をつがえながら叫ぶ。
「状況は分かっている! 加勢するぞ!」

エルロンド長老は、古の文様が刻まれた杖を構え、鋭い眼光で黒い水晶とガルゾスを睨みつけた。

『ほう、仲間が現れたか。
だが、烏合の衆がいくら集まろうと、結果は変わらぬわ』

ヴォルガレスの声は依然として傲慢だったが、その響きにはわずかな焦りが感じられた。

「そうかな? 試してみるといい!」

エルロンド長老が杖を掲げると、杖の先端から翠色の光が放たれ、谷全体に清浄な波動が広がった。
それは、黒い水晶の放つ禍々しいオーラを打ち消すかのような、力強い光だった。

「みんな! あの水晶を破壊する! 援護を!」

フィンが叫ぶ。
エルフたちは、フィンの言葉に即座に反応した。

「任せろ!」

ロナンと斥候たちが、俊敏な動きでガルゾスの側面や背後に回り込み、撹乱攻撃を仕掛ける。
リーナは、正確無比な弓術で、ガルゾスの鎧の隙間や関節部を狙い撃ち、銀葉草の力でダメージを与えていく。
他のエルフたちも、魔法や剣技、そして森の精霊たちの力を借りて、ガルゾスに立ち向かう。

「おおおおおっ!」

ガルゾスは、四方八方からの攻撃に晒され、怒りの咆哮を上げた。
炎の剣が荒れ狂うように振るわれ、エルフたちを薙ぎ払おうとするが、彼らは巧みな連携で攻撃をかわし、あるいは仲間を庇いながら、粘り強く戦い続ける。
傷つく者も出るが、誰も退かない。
翠玉の森を守るという、ただ一つの目的のために。

一方、フィンはエルロンド長老と共に、黒い水晶へと対峙していた。

「長老、あの水晶…ヴォルガレスの力が、この谷の不安定な精霊力を利用して増幅されているようです! そして、あれは純粋な光と、僕たちの…エルフの強い意志の力を恐れている!」

フィンは、戦いの中でその確信を得ていた。

「うむ、フィンよ。
お前の言う通りじゃ。
あの水晶は、ヴォルガレスの力の源泉であると同時に、奴の弱点でもある。
我々の森への愛、仲間への想い…その絆の力が、闇を打ち払う鍵となる!」

エルロンド長老は、杖にさらに強い力を込めた。
杖から放たれる翠色の光は、世界樹の心臓から受け継いだ、生命と調和の光だ。

『小賢しいエルフどもめが…! 思い上がるなよ!』

黒い水晶が激しく脈打ち、闇の波動を放って抵抗する。
フィンと長老は、その精神攻撃に耐えながら、水晶に近づいていく。

「フィン! 今よ!」

リーナの声が響いた。
彼女は、仲間たちの援護を受けながら、ガルゾスの一瞬の隙を突き、渾身の力を込めた銀葉草の矢を放った。
矢は、銀色の閃光を放ちながら、黒い水晶に向かって飛んでいく。

『させるか!』

ヴォルガレスの意思が叫び、闇の障壁を展開して矢を防ごうとする。

「させません!」

フィンは、最後の力を振り絞り、両手を水晶に向けた。
彼が意識したのは、この翠玉の森そのもの。
木々の囁き、水の流れ、土の匂い、そして仲間たちの温もり。
エルフとして、この森と共に生きてきた彼の魂の全てを、祈りとして放ったのだ。

フィンの純粋な想いが、エルロンド長老の放つ世界樹の光と共鳴し、増幅された。
翠色の光が、闇の障壁を打ち破る。

そして、リーナの放った銀葉草の矢が、ついに黒い水晶の中心を貫いた。

パリンッ!

甲高い音と共に、黒い水晶に亀裂が走り、まばゆい光が溢れ出した。

『ぐ…おおおおおおおっ! エルフめ…! このヴォルガレスが…このような…! だが、覚えておれ…闇は…決して滅びぬ…いずれ…また…!』

断末魔のようなヴォルガレスの声が響き渡り、黒い水晶は粉々に砕け散った。
水晶が砕けると同時に、谷を満たしていた禍々しいオーラは霧散し、代わりに清らかな光が差し込んできた。

「ヴォルガレス様!」

主の消滅を目の当たりにしたガルゾスは、絶叫した。
その瞬間、彼の動きが完全に止まった。
そして、黒曜石のような鎧が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
まるで、ヴォルガレスの力が失われたことで、彼の存在そのものが維持できなくなったかのようだ。
鎧の下から現れたのは、苦悶に満ちた、しかしどこか解放されたような表情を浮かべた、古のエルフに似た姿だった。
彼は、フィンたちに一瞥をくれると、そのまま塵となって消えていった。
あるいは彼もまた、ヴォルガレスに囚われた犠牲者だったのかもしれない。

戦いは終わった。

ヴォルガレスの意思は退けられ、魔族の軍勢は、指揮官と力の源を失い、混乱状態に陥って森から撤退していった。
谷には、エルフたちの歓喜の声が響き渡った。
彼らは互いに抱き合い、涙を流し、勝利を分かち合った。
犠牲はあった。
傷ついた者も多い。
しかし、彼らは愛する翠玉の森を守り抜いたのだ。

フィンは、仲間たちに囲まれ、称賛と感謝の言葉を浴びていた。
エルロンド長老は、彼の肩を叩き、深く頷いた。

「よくやった、フィン。
お前こそ、この森を救った真の英雄じゃ」

かつて森の掟にうんざりし、人間の都に憧れていた変わり者の少年は、今、一族の誰からも尊敬される存在となっていた。

フィンは、少し照れくさそうに笑いながら、隣に立つリーナの手をそっと握った。
リーナもまた、優しい笑顔で応えた。

戦いの後、翠玉の森には、ゆっくりと平和が戻っていった。
傷ついた森は、エルフたちの手によって癒され、再び美しい緑を取り戻し始める。
フィンは、英雄として祭り上げられることを望まず、以前と同じように森を探検したり、仲間たちと過ごしたりする日常を選んだ。

人間の都への憧れが完全に消えたわけではない。
いつか、外の世界を見てみたいという気持ちは、彼の探求心の一部として残り続けている。
しかし、今の彼には、それ以上に大切なものがあった。
この翠玉の森、かけがえのない仲間たち、そして、エルフであることへの誇り。

彼は決めたのだ。
この森で、仲間たちと共に生きていくことを。
森の叡智を学び、次の世代へと繋いでいくことを。

ヴォルガレスの脅威が完全に消え去ったわけではないのかもしれない。
闇は、いつかまた形を変えて現れるかもしれない。
だが、フィンと翠玉の森のエルフたちには、共に困難を乗り越えた強い絆と、未来への希望がある。

フィンは、柔らかな陽光が降り注ぐ森を見上げ、深く息を吸い込んだ。
風が、祝福するように彼の銀色の髪を揺らす。
彼の翠色の瞳には、森の未来を明るく照らす光が、確かに宿っていた。

(『翠玉の森』 完)
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