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第七話:仮面の崩壊
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私の問いかけは、静まり返ったホールに鋭く響き渡った。
それは、天使の唇から紡がれたとは思えぬほど、残酷な響きをしていたに違いない。
集まった全ての貴族たちの視線が、好奇心という名の無数の矢となり、イザベラ、アルフォンス様、そして私という、三角関係の主役たちに突き刺さる。
イザベラの美しい顔は、蝋のように真っ白になっていた。彼女は震える唇で何かを言おうとするが、言葉にならない喘ぎが漏れるだけだ。勝ち誇っていたはずのその瞳は、今はただ恐怖と混乱に揺れている。
隣に立つアルフォンス様からは、もはや完璧な貴公子のオーラは消え失せていた。その青い瞳は、演技の余裕など微塵もなく、私に対する純粋な怒りと、そして隠しきれない殺意の色を浮かべて、私を射抜いていた。
その殺気立つ視線を、私は微笑みで受け流す。
追い詰められた獣は、時に自ら罠に飛び込むものだ。
最初に理性の箍が外れたのは、イザベラだった。
「わ、私のは……!これは……!」
彼女はヒステリックに叫んだ。
「これは、アルフォンス様が、私にくださったものよ!私こそが、本当に愛されているの!そうでしょ、アルフォンス!」
その絶叫は、自らの罪を公然と認める自白だった。
会場が、大きくどよめく。公然の秘密ではあったが、当事者の口からそれが語られた瞬間、下世話な噂話は、確定的なスキャンダルへと姿を変えたのだ。
イザベラは、もはや周りが見えていないようだった。彼女は憎悪に満ちた目で私を指さす。
「こんな、世間知らずで青臭い小娘が、ヴァリエール公爵夫人になれるはずがないわ!あなたはずっと、お人形のように笑っていればよかったのよ!」
その罵詈雑言は、しかし、彼女の品位を地の底まで貶めるだけだった。貴族たちはあからさまに眉をひそめ、正妻の座を脅かす厚かましい愛人に、冷たい侮蔑の視線を向けている。
私は、その罵声を受けて、わざとらしく悲しげに眉を寄せた。潤んだ瞳でアルフォンス様を見上げる。もちろん、この涙も計算し尽くした演技だ。
「まあ、ひどい……。私は、アルフォンス様を、ずっと信じておりましたのに。この白薔薇こそが、私たちの真実の愛の証だと……。では、アルフォンス様は、私と、そしてあちらのイザベラ様と、お二人に同じような誓いを立てていらっしゃったというのですか?」
私は、あくまで自分は「何も知らずに裏切られた、悲劇のヒロイン」という立場を貫き通す。そして、震える声で、彼に最後通牒を突きつけた。
「教えてくださいませ、アルフォンス様。どちらが、真実の愛なのでしょう?この場で、はっきりとお聞かせくださいまし」
全ての矛先は、再びアルフォンス様へと向けられた。
伯爵令嬢である清らかな婚約者か、スキャンダルの渦中にある妖艶な愛人か。
どちらかを選び、どちらかの顔に泥を塗り、そして自らの不実を認めろと、私は満座の中で彼に選択を迫ったのだ。
アルフォンス様は、完全に追い詰められていた。
イザベラを庇えば、グランヴェル家との強力な結びつきは破談となり、ヴァリエール公爵家の名誉は地に落ちる。かといって、長年の愛人であるイザベラをここで切り捨てれば、彼の不実と冷酷さが白日の下に晒され、やはり貴族社会での信用を失う。
どちらに転んでも、待っているのは破滅だけ。
彼は額に脂汗を浮かべ、苦し紛れに叫んだ。
「だ、黙れ!その女は、私を陥れるために嘘をついているだけだ!その黒薔薇のネックレスも、どこかで勝手に作らせた偽物に決まっている!」
その言葉を、私は待っていた。
「偽物、ですって?」
私は心の中で勝利を確信しながら、懐から一枚の折りたたんだ羊皮紙を取り出した。
アンナに命じ、宝飾店『ル・シエル』から万全の準備で手に入れておいた、切り札だ。父グランヴェル伯爵の名前を使い、店主には口外しないという誓約と引き換えに、相応の対価を支払ってある。
「奇遇ですわね。私の手元に、興味深いものがございますの。これは、宝飾店『ル・シエル』が正式に発行した、アルフォンス様ご自身のサインが入った注文書と、領収書の写しですけれど」
私がその羊皮紙をひらりと広げてみせると、アルフォンス様の顔が絶望に染まった。
「ご注文の品は、黒薔薇のネックレスとイヤリング。贈り主は、ヴァリエール公爵アルフォンス様。そして、ご注文の日付は……私との婚約披露夜会の、わずか三日前。さあ、アルフォンス様。これは、一体どうご説明なさいますの?」
決定的な証拠。完璧なまでの詰み。
アルフォンス様は、もはや何の言葉も発することができず、わなわなと唇を震わせるだけだった。彼の完璧な仮面は、音を立てて粉々に砕け散った。
会場が、この日一番の混乱と興奮に包まれた、その時だった。
「アデリナ!」
鋭い声と共に、人垣をかき分けて一人の騎士が私の元へと駆け寄ってきた。レオンだった。
夜会の警備にあたっていた彼は、ただならぬホールの異変を察知して、飛んできたのだろう。
彼は私の潤んだ瞳(もちろん演技だ)と、怒りに顔を歪めるアルフォンス様、そしてその場で泣き崩れるイザベラを見て、一瞬で状況を理解したようだった。
次の瞬間、レオンは私の前に立ちはだかり、まるで私を全ての悪意から守る盾になるかのように、アルフォンス様を鋭く睨みつけた。その瞳には、静かな、しかし燃えるような怒りが宿っていた。
その時、この騒ぎを壇上から静かに見つめていた父、グランヴェル伯爵が、地響きのような威厳のある声で叫んだ。
「ヴァリエール公爵ッ!」
その声に、会場の全てのざわめきが止まる。
「我が娘アデリナと、我がグランヴェル家に対するこの侮辱、決して許されるものではない!この婚約、今この時をもって、破棄させていただく!」
父による、高らかな婚約破棄宣言。
それは、私の完全勝利を告げるファンファーレだった。
夜会は、騒然としたまま幕を閉じた。
アルフォンス様は、貴族たちの嘲笑と侮蔑の視線の中、逃げるようにホールを去り、イザベラは誰にも見向きもされず、ただその場に崩れていた。
私は、レオンに守られるようにして、その場を後にする。
復讐は、成し遂げられた。完璧に。
しかし、私の腕を支えるレオンの、ひどく心配そうな、そしてどこか悲しげな顔を見上げた時、私の胸には、勝利の昂揚感とは違う、ずしりと重い何かがこみ上げてきた。
復讐の代償に、私は一体、何を失ってしまったのだろうか。
その答えは、まだ分からなかった。
それは、天使の唇から紡がれたとは思えぬほど、残酷な響きをしていたに違いない。
集まった全ての貴族たちの視線が、好奇心という名の無数の矢となり、イザベラ、アルフォンス様、そして私という、三角関係の主役たちに突き刺さる。
イザベラの美しい顔は、蝋のように真っ白になっていた。彼女は震える唇で何かを言おうとするが、言葉にならない喘ぎが漏れるだけだ。勝ち誇っていたはずのその瞳は、今はただ恐怖と混乱に揺れている。
隣に立つアルフォンス様からは、もはや完璧な貴公子のオーラは消え失せていた。その青い瞳は、演技の余裕など微塵もなく、私に対する純粋な怒りと、そして隠しきれない殺意の色を浮かべて、私を射抜いていた。
その殺気立つ視線を、私は微笑みで受け流す。
追い詰められた獣は、時に自ら罠に飛び込むものだ。
最初に理性の箍が外れたのは、イザベラだった。
「わ、私のは……!これは……!」
彼女はヒステリックに叫んだ。
「これは、アルフォンス様が、私にくださったものよ!私こそが、本当に愛されているの!そうでしょ、アルフォンス!」
その絶叫は、自らの罪を公然と認める自白だった。
会場が、大きくどよめく。公然の秘密ではあったが、当事者の口からそれが語られた瞬間、下世話な噂話は、確定的なスキャンダルへと姿を変えたのだ。
イザベラは、もはや周りが見えていないようだった。彼女は憎悪に満ちた目で私を指さす。
「こんな、世間知らずで青臭い小娘が、ヴァリエール公爵夫人になれるはずがないわ!あなたはずっと、お人形のように笑っていればよかったのよ!」
その罵詈雑言は、しかし、彼女の品位を地の底まで貶めるだけだった。貴族たちはあからさまに眉をひそめ、正妻の座を脅かす厚かましい愛人に、冷たい侮蔑の視線を向けている。
私は、その罵声を受けて、わざとらしく悲しげに眉を寄せた。潤んだ瞳でアルフォンス様を見上げる。もちろん、この涙も計算し尽くした演技だ。
「まあ、ひどい……。私は、アルフォンス様を、ずっと信じておりましたのに。この白薔薇こそが、私たちの真実の愛の証だと……。では、アルフォンス様は、私と、そしてあちらのイザベラ様と、お二人に同じような誓いを立てていらっしゃったというのですか?」
私は、あくまで自分は「何も知らずに裏切られた、悲劇のヒロイン」という立場を貫き通す。そして、震える声で、彼に最後通牒を突きつけた。
「教えてくださいませ、アルフォンス様。どちらが、真実の愛なのでしょう?この場で、はっきりとお聞かせくださいまし」
全ての矛先は、再びアルフォンス様へと向けられた。
伯爵令嬢である清らかな婚約者か、スキャンダルの渦中にある妖艶な愛人か。
どちらかを選び、どちらかの顔に泥を塗り、そして自らの不実を認めろと、私は満座の中で彼に選択を迫ったのだ。
アルフォンス様は、完全に追い詰められていた。
イザベラを庇えば、グランヴェル家との強力な結びつきは破談となり、ヴァリエール公爵家の名誉は地に落ちる。かといって、長年の愛人であるイザベラをここで切り捨てれば、彼の不実と冷酷さが白日の下に晒され、やはり貴族社会での信用を失う。
どちらに転んでも、待っているのは破滅だけ。
彼は額に脂汗を浮かべ、苦し紛れに叫んだ。
「だ、黙れ!その女は、私を陥れるために嘘をついているだけだ!その黒薔薇のネックレスも、どこかで勝手に作らせた偽物に決まっている!」
その言葉を、私は待っていた。
「偽物、ですって?」
私は心の中で勝利を確信しながら、懐から一枚の折りたたんだ羊皮紙を取り出した。
アンナに命じ、宝飾店『ル・シエル』から万全の準備で手に入れておいた、切り札だ。父グランヴェル伯爵の名前を使い、店主には口外しないという誓約と引き換えに、相応の対価を支払ってある。
「奇遇ですわね。私の手元に、興味深いものがございますの。これは、宝飾店『ル・シエル』が正式に発行した、アルフォンス様ご自身のサインが入った注文書と、領収書の写しですけれど」
私がその羊皮紙をひらりと広げてみせると、アルフォンス様の顔が絶望に染まった。
「ご注文の品は、黒薔薇のネックレスとイヤリング。贈り主は、ヴァリエール公爵アルフォンス様。そして、ご注文の日付は……私との婚約披露夜会の、わずか三日前。さあ、アルフォンス様。これは、一体どうご説明なさいますの?」
決定的な証拠。完璧なまでの詰み。
アルフォンス様は、もはや何の言葉も発することができず、わなわなと唇を震わせるだけだった。彼の完璧な仮面は、音を立てて粉々に砕け散った。
会場が、この日一番の混乱と興奮に包まれた、その時だった。
「アデリナ!」
鋭い声と共に、人垣をかき分けて一人の騎士が私の元へと駆け寄ってきた。レオンだった。
夜会の警備にあたっていた彼は、ただならぬホールの異変を察知して、飛んできたのだろう。
彼は私の潤んだ瞳(もちろん演技だ)と、怒りに顔を歪めるアルフォンス様、そしてその場で泣き崩れるイザベラを見て、一瞬で状況を理解したようだった。
次の瞬間、レオンは私の前に立ちはだかり、まるで私を全ての悪意から守る盾になるかのように、アルフォンス様を鋭く睨みつけた。その瞳には、静かな、しかし燃えるような怒りが宿っていた。
その時、この騒ぎを壇上から静かに見つめていた父、グランヴェル伯爵が、地響きのような威厳のある声で叫んだ。
「ヴァリエール公爵ッ!」
その声に、会場の全てのざわめきが止まる。
「我が娘アデリナと、我がグランヴェル家に対するこの侮辱、決して許されるものではない!この婚約、今この時をもって、破棄させていただく!」
父による、高らかな婚約破棄宣言。
それは、私の完全勝利を告げるファンファーレだった。
夜会は、騒然としたまま幕を閉じた。
アルフォンス様は、貴族たちの嘲笑と侮蔑の視線の中、逃げるようにホールを去り、イザベラは誰にも見向きもされず、ただその場に崩れていた。
私は、レオンに守られるようにして、その場を後にする。
復讐は、成し遂げられた。完璧に。
しかし、私の腕を支えるレオンの、ひどく心配そうな、そしてどこか悲しげな顔を見上げた時、私の胸には、勝利の昂揚感とは違う、ずしりと重い何かがこみ上げてきた。
復讐の代償に、私は一体、何を失ってしまったのだろうか。
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