【完結】グランヴェルの薔薇

シマセイ

文字の大きさ
8 / 26

第八話:祭りのあと

しおりを挟む
父による婚約破棄宣言が、私の復讐劇の終わりを告げる鐘の音だった。
あれほど熱気に満ちていたホールは、一転して騒然とした混乱に包まれる。私は、その喧騒をどこか遠くに聞きながら、レオンに腕を引かれるまま、人々の視線から逃れるようにその場を後にした。

自室に戻ると、待ち構えていたアンナが泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
彼女は手早く、しかし優しい手つきで、私の髪から白薔薇の飾りを外し、首から重いネックレスを外していく。まるで、戦いを終えた騎士から、血に濡れた鎧を剥がしていくかのように。

純白のドレスを脱ぎ捨て、簡素な部屋着に着替えた瞬間、張り詰めていた全身の力が抜け、どっと疲労感が押し寄せてきた。
私は、椅子に深く身を沈める。
アンナが下がった後、部屋には私とレオンの二人だけが残された。部屋の隅に立ったままの彼は、複雑な表情で、ただ黙って私を見つめている。

気まずい沈黙が、重くのしかかる。
その沈黙を破ったのは、レオンだった。

「……いつからだ」

彼の声は、ひどく掠れていた。

「いつから、一人でこんなことを……考えていたんだ」

もう、隠す必要も、演じる必要もなかった。
私は、あの偽りの婚約披露夜会でイザベラと対峙した日から、今日までのことを、ぽつり、ぽつりと語り始めた。宝飾店での出来事、令嬢たちのお茶会での腹の探り合い、そして、父の誕生夜会を利用した、この復讐計画の全てを。

私の話を聞き終えたレオンは、苦しげに顔を歪めた。

「そんなことになっていたなんて……。俺は、何も気づかずに……」

彼は自分の拳を、ぎゅっと握りしめる。

「なぜ、俺に話してくれなかった。お前がたった一人で苦しんでいる時に、俺は……お前を突き放すようなことまで言った。最低だ」

その後悔に満ちた言葉に、私は静かに首を横に振った。

「ううん。言わなかったのは、私よ」

私は立ち上がり、彼の前に進み出る。

「あなたを、巻き込みたくなかったの。これは、ヴァリエール公爵家とグランヴェル家の問題である前に、私の、私自身の尊厳をかけた戦いだったから。だから、誰にも頼らず、自分の力でやり遂げたかった」

それが、私の精一杯の強がりであり、彼に対する不器用な優しさだった。
レオンは私の瞳をじっと見つめ、やがて、諦めたように息をついた。

「……お前は、変わったな、アデリナ。もう、俺が知っている、泣き虫のお前じゃない」

「そうね。もう、泣いているだけではいられないもの」

二人の間にあった誤解の壁は、静かに溶けていった。
けれど、その壁がなくなった場所に、以前と同じような無邪気な空気が戻ることはなかった。
私たちは、もうあの頃の幼馴染には戻れないのだと、互いに悟っていた。私は、ただ守られるだけのお姫様ではなくなってしまったのだから。

翌日の昼過ぎ、私は父の書斎に呼ばれた。
父は、重々しい表情で肘掛け椅子に座っていた。

「昨夜のことは、全て聞いた」

父は静かにそう切り出した。私は、どんな言葉で叱責されるのかと、身を固くする。
だが、父の口から出たのは、意外な言葉だった。

「お前のやり方は、あまりに過激で危険すぎた。一歩間違えれば、お前自身が破滅していたかもしれん。……だが」

父は、そこで言葉を切ると、厳しいながらも、どこか誇らしげな目で私を見た。

「お前は、グランヴェル家の誇りを守り、己の尊厳を守り抜いた。よくやった、アデリナ」

それは、娘の成長を認める、父親としての言葉だった。
しかし、父はすぐに表情を引き締める。

「だが、これで全てが終わったと思うな。ヴァリエール公爵家は、このまま黙って引き下がるような家ではない。特に、アルフォンスの父である先代公爵は、執念深い男だ。しばらくは、十分に気をつけるのだぞ」

父の警告は、私の勝利が、新たな戦いの始まりに過ぎないことを示唆していた。

その後の数日間で、あの夜のスキャンダルは、燎原の火のように王都中を駆け巡った。
アンナが聞き集めてきた情報によれば、アルフォンス様は先代公爵の怒りを買い、ヴァリエール家の屋敷で謹慎処分となり、社交界から完全に姿を消したという。
そして、全てのパトロンを失ったイザベラは、王都から夜逃げ同然に姿を消し、その行方は誰も知らないらしかった。

私の名前は、良くも悪くも、王都中の誰もが知るところとなった。
『悲劇のヒロイン』として同情する者、『婚約者を破滅させた悪女』として恐れる者、『その手腕は見事だ』と賞賛する者。
私を見る人々の目は、一夜にして変わってしまった。

全てが終わり、全てが変わってしまった。
そんな目まぐるしい日々が過ぎ、ようやく屋敷に平穏が戻ってきたかのように見えた、ある日の午後。

一通の手紙が、私宛に届けられた。
上質な羊皮紙でできた、見慣れない封筒。しかし、そこには差出人の名前がどこにも書かれていなかった。

不審に思いながらも、私はペーパーナイフで封を切る。
中に入っていたのは、たった一枚の紙片だけ。

そして、そこには、インクで震えるように、こう書かれていた。

『黒薔薇は、まだ枯れていない』

その不気味な一文を目にした瞬間、私の背筋を、ぞくりと冷たいものが走った。

復讐は、終わっていなかった。
アルフォンス様でも、イザベラでもない。
私の知らない、第三の敵意。

祭りのあとの静けさは、新たな嵐の前の、ほんの束の間の凪に過ぎなかったのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は追放エンドを所望する~嫌がらせのつもりが国を救ってしまいました~

万里戸千波
恋愛
前世の記憶を取り戻した悪役令嬢が、追放されようとがんばりますがからまわってしまうお話です!

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

9時から5時まで悪役令嬢

西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」 婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。 ならば私は願い通りに動くのをやめよう。 学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで 昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。 さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。 どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。 卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ? なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか? 嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。 今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。 冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。 ☆別サイトにも掲載しています。 ※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。 これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

処理中です...