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第十話:二つの顔
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父と、あの夜会でイザベラをエスコートしていたロシュバロン子爵との密会。
そして、「アデリナを守るためならば、悪魔にでもなる」という父の冷徹な声。
それらが頭の中でぐるぐると回り、私は混乱したまま自室へと戻った。
ベッドに倒れ込み、天井を見つめる。
父が私のために動いてくれている。それは、疑いようのない事実だろう。あの夜会での婚約破棄宣言も、アルフォンス様から私を守るための、父親としての決断だったはずだ。
けれど、その方法があまりにも正道から外れている。そして、あの得体の知れない子爵と手を組んでいる。その事実が、鉛のように重く私の心にのしかかった。
「アデリナを守るため」という大義名分が、いつしか「アデリナを利用して」という言葉に聞こえ始めていた。
私の復讐心さえも、父の描いた大きな絵図の一部だったのではないか。私はただ、父の筋書き通りに、復讐のヒロインを演じさせられていただけなのではないか。
そんな疑念が、一度芽生えると、もう止まらなかった。
翌日、私は憔悴した顔でレオンに会った。そして、昨夜見たもの、聞いたものを全て打ち明けた。
父が、あのロシュバロン子爵と繋がっていたという事実に、レオンも言葉を失っていた。
「……信じられない。伯爵閣下が、なぜあのような男と……」
「私にも分からないの。でも、この目で確かに見たわ」
しばらく考え込んでいたレオンだったが、やがて私に向かってこう言った。
「だがアデリナ、グランヴェル伯爵は、お前を守ろうとしているんだ。それは間違いない。今は、伯爵を信じて待つべきじゃないか?」
騎士として、主君である父を信じたい。彼のその気持ちは、痛いほど分かった。
でも、今の私には、その言葉を素直に受け入れることができなかった。
「信じて、待つだけ……?」
私は、思わず強い口調で反論していた。
「それで、また私は何も知らされずに、誰かの計画の上で踊らされることになるの?もう、そんなのは嫌よ!私は、私の意志で、何が真実なのかを突き止めたいの!」
私の叫びに、レオンはハッとした顔をした。
今後の動きについて、私たちの間で初めて生まれた、明確な意見の対立。
しかし、それはお互いを憎んでの決裂ではなかった。「アデリナを守る」という同じゴールを目指しながら、その道筋が分かれただけのこと。
私たちは、しばらく黙って見つめ合った後、それぞれの決意を胸に、その場を離れた。
父にも、レオンにも頼らない。
私は、自分の力で真実を探ると決めた。
そのための最初の標的は、父と密会していたロシュバロン子爵。彼が何者で、何を目的としているのか。そこを探れば、父の本当の狙いも見えてくるはずだ。
私は再び、侍女のアンナを呼んだ。
「アンナ、お願いがあるわ。ロシュバロン子爵という人物について、徹底的に調べてちょうだい。彼の最近の動向、財政状況、交友関係……どんな些細な情報でもいいの」
「かしこまりました。お嬢様」
アンナは、私のただならぬ様子に何も問わず、ただ忠実に命令を遂行してくれた。
そして数日後、アンナがもたらした調査報告書の内容は、私の予想を遥かに超える、衝撃的なものだった。
ロシュバロン子爵は、数年前、ヴァリエール公爵家が主導する大規模な商会の事業競争に巻き込まれ、敗北。その結果、全財産を失いかけ、莫大な負債を抱えさせられたという過去があったのだ。
彼は、ヴァリエール家、特に先代公爵に対して、骨の髄まで染みるほどの深い恨みを抱いていた。
しかし、彼はその恨みを隠し、表向きはヴァリエール家に媚びへつらう、親ヴァリエール派の貴族の一人を演じていた。全ては、復讐の機会を虎視眈々と狙うための、仮の姿。
あの夜会にイザベラを連れてきたのも、偶然ではなかった。彼は、アルフォンス様とイザベラの関係を知った上で、グランヴェル家とヴァリエール家の間に決定的な亀裂を生じさせるために、イザベラを利用したのだ。
そして、私の父、グランヴェル伯爵は、ロシュバロン子爵のその復讐心に目をつけた。
共通の敵であるヴァリエール家を社会的に抹殺するため、利害の一致した彼と、水面下で手を組んだのだ。
私の復讐劇は、父にとっては、ヴァリエール家への総攻撃を開始するための、最高の「大義名分」だったに違いない。
全てのピースが、一つの恐ろしい絵を完成させた。
父の愛情は、本物だったのだろう。でも、その愛情の裏には、冷徹な策略家としての、もう一つの顔が隠されていた。
私は愛されていなかったわけではない。しかし、同時に、父の壮大な復讐計画の、最も重要な駒でもあったのだ。
その時、ふと、あの脅迫状のことが頭をよぎった。
『黒薔薇は、まだ枯れていない』
あれは、ヴァリエール家からの脅迫ではなかったとしたら?
ロシュバロン子爵か、あるいは父自身が、私の警戒心を煽り、ヴァリエール家への敵意を燃え立たせ続けるために送った、『偽りの脅迫状』だったのではないだろうか。
ぞくり、と背筋が凍る。
信じていたもの全てが、足元から崩れていくような感覚。
私は、アンナがまとめてくれた調査報告書を強く握りしめた。
そして、まっすぐに父の書斎へと向かう。
コン、コン。
扉をノックする音に、中から「入れ」という父の声が聞こえた。
扉を開けると、父が一人、肘掛け椅子に座って私を見ていた。その顔は、いつもの優しい父親の顔だ。
だが、今の私には、その笑顔の奥に隠された、もう一つの顔が見えていた。
「お父様」
私は、か弱い娘の仮面を脱ぎ捨て、一人の対等な人間として、彼の目を見つめ返した。
「少し、お話がございます」
私の手の中にある調査報告書に気づいた父の瞳が、ほんのわずかに、鋭く光った気がした。
私の個人的な復讐劇は、もう終わった。
これからは、家と家とがぶつかり合う、巨大な陰謀の物語が始まるのだ。
そして、「アデリナを守るためならば、悪魔にでもなる」という父の冷徹な声。
それらが頭の中でぐるぐると回り、私は混乱したまま自室へと戻った。
ベッドに倒れ込み、天井を見つめる。
父が私のために動いてくれている。それは、疑いようのない事実だろう。あの夜会での婚約破棄宣言も、アルフォンス様から私を守るための、父親としての決断だったはずだ。
けれど、その方法があまりにも正道から外れている。そして、あの得体の知れない子爵と手を組んでいる。その事実が、鉛のように重く私の心にのしかかった。
「アデリナを守るため」という大義名分が、いつしか「アデリナを利用して」という言葉に聞こえ始めていた。
私の復讐心さえも、父の描いた大きな絵図の一部だったのではないか。私はただ、父の筋書き通りに、復讐のヒロインを演じさせられていただけなのではないか。
そんな疑念が、一度芽生えると、もう止まらなかった。
翌日、私は憔悴した顔でレオンに会った。そして、昨夜見たもの、聞いたものを全て打ち明けた。
父が、あのロシュバロン子爵と繋がっていたという事実に、レオンも言葉を失っていた。
「……信じられない。伯爵閣下が、なぜあのような男と……」
「私にも分からないの。でも、この目で確かに見たわ」
しばらく考え込んでいたレオンだったが、やがて私に向かってこう言った。
「だがアデリナ、グランヴェル伯爵は、お前を守ろうとしているんだ。それは間違いない。今は、伯爵を信じて待つべきじゃないか?」
騎士として、主君である父を信じたい。彼のその気持ちは、痛いほど分かった。
でも、今の私には、その言葉を素直に受け入れることができなかった。
「信じて、待つだけ……?」
私は、思わず強い口調で反論していた。
「それで、また私は何も知らされずに、誰かの計画の上で踊らされることになるの?もう、そんなのは嫌よ!私は、私の意志で、何が真実なのかを突き止めたいの!」
私の叫びに、レオンはハッとした顔をした。
今後の動きについて、私たちの間で初めて生まれた、明確な意見の対立。
しかし、それはお互いを憎んでの決裂ではなかった。「アデリナを守る」という同じゴールを目指しながら、その道筋が分かれただけのこと。
私たちは、しばらく黙って見つめ合った後、それぞれの決意を胸に、その場を離れた。
父にも、レオンにも頼らない。
私は、自分の力で真実を探ると決めた。
そのための最初の標的は、父と密会していたロシュバロン子爵。彼が何者で、何を目的としているのか。そこを探れば、父の本当の狙いも見えてくるはずだ。
私は再び、侍女のアンナを呼んだ。
「アンナ、お願いがあるわ。ロシュバロン子爵という人物について、徹底的に調べてちょうだい。彼の最近の動向、財政状況、交友関係……どんな些細な情報でもいいの」
「かしこまりました。お嬢様」
アンナは、私のただならぬ様子に何も問わず、ただ忠実に命令を遂行してくれた。
そして数日後、アンナがもたらした調査報告書の内容は、私の予想を遥かに超える、衝撃的なものだった。
ロシュバロン子爵は、数年前、ヴァリエール公爵家が主導する大規模な商会の事業競争に巻き込まれ、敗北。その結果、全財産を失いかけ、莫大な負債を抱えさせられたという過去があったのだ。
彼は、ヴァリエール家、特に先代公爵に対して、骨の髄まで染みるほどの深い恨みを抱いていた。
しかし、彼はその恨みを隠し、表向きはヴァリエール家に媚びへつらう、親ヴァリエール派の貴族の一人を演じていた。全ては、復讐の機会を虎視眈々と狙うための、仮の姿。
あの夜会にイザベラを連れてきたのも、偶然ではなかった。彼は、アルフォンス様とイザベラの関係を知った上で、グランヴェル家とヴァリエール家の間に決定的な亀裂を生じさせるために、イザベラを利用したのだ。
そして、私の父、グランヴェル伯爵は、ロシュバロン子爵のその復讐心に目をつけた。
共通の敵であるヴァリエール家を社会的に抹殺するため、利害の一致した彼と、水面下で手を組んだのだ。
私の復讐劇は、父にとっては、ヴァリエール家への総攻撃を開始するための、最高の「大義名分」だったに違いない。
全てのピースが、一つの恐ろしい絵を完成させた。
父の愛情は、本物だったのだろう。でも、その愛情の裏には、冷徹な策略家としての、もう一つの顔が隠されていた。
私は愛されていなかったわけではない。しかし、同時に、父の壮大な復讐計画の、最も重要な駒でもあったのだ。
その時、ふと、あの脅迫状のことが頭をよぎった。
『黒薔薇は、まだ枯れていない』
あれは、ヴァリエール家からの脅迫ではなかったとしたら?
ロシュバロン子爵か、あるいは父自身が、私の警戒心を煽り、ヴァリエール家への敵意を燃え立たせ続けるために送った、『偽りの脅迫状』だったのではないだろうか。
ぞくり、と背筋が凍る。
信じていたもの全てが、足元から崩れていくような感覚。
私は、アンナがまとめてくれた調査報告書を強く握りしめた。
そして、まっすぐに父の書斎へと向かう。
コン、コン。
扉をノックする音に、中から「入れ」という父の声が聞こえた。
扉を開けると、父が一人、肘掛け椅子に座って私を見ていた。その顔は、いつもの優しい父親の顔だ。
だが、今の私には、その笑顔の奥に隠された、もう一つの顔が見えていた。
「お父様」
私は、か弱い娘の仮面を脱ぎ捨て、一人の対等な人間として、彼の目を見つめ返した。
「少し、お話がございます」
私の手の中にある調査報告書に気づいた父の瞳が、ほんのわずかに、鋭く光った気がした。
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これからは、家と家とがぶつかり合う、巨大な陰謀の物語が始まるのだ。
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