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第十一話:父との対峙
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父の書斎は、静まり返っていた。
私が彼の前に突き出した、ロシュバロン子爵に関する調査報告書。それが、私と父との間に横たわる、見えない境界線のように思えた。
「お父様。これは、一体どういうことですの?」
私の声は、自分でも驚くほどに冷静で、そして鋭かった。もう、そこには父の顔色をうかがう、か弱い娘の響きはない。
父は、私の手の中にある羊皮紙の束を一瞥し、そして、私の顔をじっと見つめた。その瞳には、一瞬だけ驚きの色が浮かんだが、すぐにそれは消え、深い諦観のようなものに変わった。
やがて、父は重々しく息をつくと、それまでの優しい父親の仮面を、一枚、また一枚と剥がしていくように、冷徹な策略家としての素顔を見せ始めた。
「……お前が、そこまで知ってしまったのなら、もう隠しても仕方あるまい」
父は、計画の全てを認めた。
「そうだ。全ては、長年にわたり我がグランヴェル家を脅かし続けてきた、ヴァリエール家を完全に叩き潰すための計画だ」
その声には、長年溜め込んできたであろう、深い憎悪と決意が滲んでいた。
父は、静かに語り始めた。ヴァリエール家の横暴によって、どれだけグランヴェル家が苦しめられてきたか。彼らの権力を前に、いつ潰されるやもしれぬという危機感を、常に抱いてきたこと。
「お前とアルフォンスとの婚約も、当初は、その危機を回避するための苦肉の策だった。ヴァリエール家に取り入ることで、家の安泰を図ろうとした、私の弱さの表れだ」
父は、自嘲するように言った。
「だが、アルフォンスがお前を裏切った。あの男の愚かな行為は、グランヴェル家に対する許しがたい侮辱であると同時に……私にとっては、千載一遇の好機でもあったのだ」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。
やはり、私の復讐は、彼にとって最高の攻撃材料でしかなかったのだ。
父の告白を聞きながら、私の心に渦巻いたのは、怒りよりもむしろ、深い、深い悲しみだった。
愛する娘の心が踏みにじられた悲劇さえも、家のための駒として、冷徹に計算していた父。その事実が、私の胸を締め付けた。
「お父様のお気持ちは、分かりました」
私は、静かに、しかしはっきりと告げた。
「ですが、私はもう、お父様の駒ではありません。私の人生は、他の誰のものでもない、私自身のものです」
私は父の目をまっすぐに見据え、自立を宣言した。
「ヴァリエール家との戦いが避けられないというのなら、私もグランヴェル家の一員として、誇りを持って戦います。ですが、それはお父様の描いた筋書き通りに、ただ動くという意味ではありませんわ」
その言葉は、父の庇護からの完全な独立宣言だった。
父は、私のその言葉に目を見張り、そして、どこか寂しげに、しかし誇らしげに、小さく頷いた。
私は、懐からもう一つ、取り出したものがあった。
あの、差出人不明の手紙だ。
「では、これも、お父様の計画の一部ですの?私の警戒心を煽り、ヴァリエール家への敵意を保たせるための、巧妙な演出だった、とか?」
私は、皮肉を込めて尋ねた。
しかし、その手紙を見た父の顔は、これまでのどんな表情とも違っていた。彼は、初めて本当に驚き、狼狽した顔をした。
「……いや、待て。これは、私が送ったものではない。ロシュバロンにも、このような真似はさせていない。彼の独断行動は、私が固く禁じているはずだ」
父のその反応は、演技とは思えなかった。
だとしたら、この手紙は、一体誰が?
ヴァリエール家からの、本物の脅迫状だったというのか。それとも、父も知らない、全く別の第三者が、この混乱の裏で糸を引いているというのか。
解決したはずの謎は、さらに深い闇へと姿を変えた。
私と父との間に、奇妙な沈黙が流れる。
それは、緊張をはらみながらも、以前とは違う、新しい関係性の始まりを予感させる沈黙だった。
親子でありながら、共通の、そして未知の敵を持つ、同盟者としての。
「……一つ、伝えておかねばならんことがある」
父は、気を取り直して言った。
「ヴァリエールの先代公爵が、裏社会で悪名高い『鉄鼠(てっそ)』という傭兵団と接触した、という情報が入った。目的は分からんが、腕は立ち、非情で知られる連中だ。身の回りには、十分に気をつけろ」
父からの、同盟者としての、最初の警告。
その言葉の重みを、私は噛み締めていた。
その夜、私は自室のベッドの上で、今日の出来事を反芻していた。
父との対峙、新たな謎、そして傭兵団の影。
あまりにも多くのことが起こりすぎて、頭が飽和状態だった。
窓の外では、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
ふと、その音に混じって、何か違う音が聞こえた気がした。
カサリ、と砂利を踏むような音。そして、壁に何かが擦れるような、低い音。
胸騒ぎがして、私はそっとベッドを抜け出し、音を立てずに窓辺に近づいた。
カーテンの隙間から、息を殺して外を覗き見る。
そして、私は凍りついた。
月の光に照らされた庭の向こう。屋敷を囲む高い塀を、まるで獣のような俊敏さで、複数の黒い人影が乗り越えてくるのが見えたのだ。
『鉄鼠』。
父の警告が、脳内で警鐘のように鳴り響く。
あまりにも、早すぎる。
敵の刃は、もう私の喉元にまで迫っていた。
私は戦慄しながらも、すぐさま部屋の隅にある、警報ベルへと手を伸ばした。
私が彼の前に突き出した、ロシュバロン子爵に関する調査報告書。それが、私と父との間に横たわる、見えない境界線のように思えた。
「お父様。これは、一体どういうことですの?」
私の声は、自分でも驚くほどに冷静で、そして鋭かった。もう、そこには父の顔色をうかがう、か弱い娘の響きはない。
父は、私の手の中にある羊皮紙の束を一瞥し、そして、私の顔をじっと見つめた。その瞳には、一瞬だけ驚きの色が浮かんだが、すぐにそれは消え、深い諦観のようなものに変わった。
やがて、父は重々しく息をつくと、それまでの優しい父親の仮面を、一枚、また一枚と剥がしていくように、冷徹な策略家としての素顔を見せ始めた。
「……お前が、そこまで知ってしまったのなら、もう隠しても仕方あるまい」
父は、計画の全てを認めた。
「そうだ。全ては、長年にわたり我がグランヴェル家を脅かし続けてきた、ヴァリエール家を完全に叩き潰すための計画だ」
その声には、長年溜め込んできたであろう、深い憎悪と決意が滲んでいた。
父は、静かに語り始めた。ヴァリエール家の横暴によって、どれだけグランヴェル家が苦しめられてきたか。彼らの権力を前に、いつ潰されるやもしれぬという危機感を、常に抱いてきたこと。
「お前とアルフォンスとの婚約も、当初は、その危機を回避するための苦肉の策だった。ヴァリエール家に取り入ることで、家の安泰を図ろうとした、私の弱さの表れだ」
父は、自嘲するように言った。
「だが、アルフォンスがお前を裏切った。あの男の愚かな行為は、グランヴェル家に対する許しがたい侮辱であると同時に……私にとっては、千載一遇の好機でもあったのだ」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。
やはり、私の復讐は、彼にとって最高の攻撃材料でしかなかったのだ。
父の告白を聞きながら、私の心に渦巻いたのは、怒りよりもむしろ、深い、深い悲しみだった。
愛する娘の心が踏みにじられた悲劇さえも、家のための駒として、冷徹に計算していた父。その事実が、私の胸を締め付けた。
「お父様のお気持ちは、分かりました」
私は、静かに、しかしはっきりと告げた。
「ですが、私はもう、お父様の駒ではありません。私の人生は、他の誰のものでもない、私自身のものです」
私は父の目をまっすぐに見据え、自立を宣言した。
「ヴァリエール家との戦いが避けられないというのなら、私もグランヴェル家の一員として、誇りを持って戦います。ですが、それはお父様の描いた筋書き通りに、ただ動くという意味ではありませんわ」
その言葉は、父の庇護からの完全な独立宣言だった。
父は、私のその言葉に目を見張り、そして、どこか寂しげに、しかし誇らしげに、小さく頷いた。
私は、懐からもう一つ、取り出したものがあった。
あの、差出人不明の手紙だ。
「では、これも、お父様の計画の一部ですの?私の警戒心を煽り、ヴァリエール家への敵意を保たせるための、巧妙な演出だった、とか?」
私は、皮肉を込めて尋ねた。
しかし、その手紙を見た父の顔は、これまでのどんな表情とも違っていた。彼は、初めて本当に驚き、狼狽した顔をした。
「……いや、待て。これは、私が送ったものではない。ロシュバロンにも、このような真似はさせていない。彼の独断行動は、私が固く禁じているはずだ」
父のその反応は、演技とは思えなかった。
だとしたら、この手紙は、一体誰が?
ヴァリエール家からの、本物の脅迫状だったというのか。それとも、父も知らない、全く別の第三者が、この混乱の裏で糸を引いているというのか。
解決したはずの謎は、さらに深い闇へと姿を変えた。
私と父との間に、奇妙な沈黙が流れる。
それは、緊張をはらみながらも、以前とは違う、新しい関係性の始まりを予感させる沈黙だった。
親子でありながら、共通の、そして未知の敵を持つ、同盟者としての。
「……一つ、伝えておかねばならんことがある」
父は、気を取り直して言った。
「ヴァリエールの先代公爵が、裏社会で悪名高い『鉄鼠(てっそ)』という傭兵団と接触した、という情報が入った。目的は分からんが、腕は立ち、非情で知られる連中だ。身の回りには、十分に気をつけろ」
父からの、同盟者としての、最初の警告。
その言葉の重みを、私は噛み締めていた。
その夜、私は自室のベッドの上で、今日の出来事を反芻していた。
父との対峙、新たな謎、そして傭兵団の影。
あまりにも多くのことが起こりすぎて、頭が飽和状態だった。
窓の外では、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
ふと、その音に混じって、何か違う音が聞こえた気がした。
カサリ、と砂利を踏むような音。そして、壁に何かが擦れるような、低い音。
胸騒ぎがして、私はそっとベッドを抜け出し、音を立てずに窓辺に近づいた。
カーテンの隙間から、息を殺して外を覗き見る。
そして、私は凍りついた。
月の光に照らされた庭の向こう。屋敷を囲む高い塀を、まるで獣のような俊敏さで、複数の黒い人影が乗り越えてくるのが見えたのだ。
『鉄鼠』。
父の警告が、脳内で警鐘のように鳴り響く。
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敵の刃は、もう私の喉元にまで迫っていた。
私は戦慄しながらも、すぐさま部屋の隅にある、警報ベルへと手を伸ばした。
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