【完結】グランヴェルの薔薇

シマセイ

文字の大きさ
11 / 26

第十一話:父との対峙

しおりを挟む
父の書斎は、静まり返っていた。
私が彼の前に突き出した、ロシュバロン子爵に関する調査報告書。それが、私と父との間に横たわる、見えない境界線のように思えた。

「お父様。これは、一体どういうことですの?」

私の声は、自分でも驚くほどに冷静で、そして鋭かった。もう、そこには父の顔色をうかがう、か弱い娘の響きはない。
父は、私の手の中にある羊皮紙の束を一瞥し、そして、私の顔をじっと見つめた。その瞳には、一瞬だけ驚きの色が浮かんだが、すぐにそれは消え、深い諦観のようなものに変わった。

やがて、父は重々しく息をつくと、それまでの優しい父親の仮面を、一枚、また一枚と剥がしていくように、冷徹な策略家としての素顔を見せ始めた。

「……お前が、そこまで知ってしまったのなら、もう隠しても仕方あるまい」

父は、計画の全てを認めた。

「そうだ。全ては、長年にわたり我がグランヴェル家を脅かし続けてきた、ヴァリエール家を完全に叩き潰すための計画だ」

その声には、長年溜め込んできたであろう、深い憎悪と決意が滲んでいた。
父は、静かに語り始めた。ヴァリエール家の横暴によって、どれだけグランヴェル家が苦しめられてきたか。彼らの権力を前に、いつ潰されるやもしれぬという危機感を、常に抱いてきたこと。

「お前とアルフォンスとの婚約も、当初は、その危機を回避するための苦肉の策だった。ヴァリエール家に取り入ることで、家の安泰を図ろうとした、私の弱さの表れだ」

父は、自嘲するように言った。

「だが、アルフォンスがお前を裏切った。あの男の愚かな行為は、グランヴェル家に対する許しがたい侮辱であると同時に……私にとっては、千載一遇の好機でもあったのだ」

彼の言葉に、私は息を呑んだ。
やはり、私の復讐は、彼にとって最高の攻撃材料でしかなかったのだ。

父の告白を聞きながら、私の心に渦巻いたのは、怒りよりもむしろ、深い、深い悲しみだった。
愛する娘の心が踏みにじられた悲劇さえも、家のための駒として、冷徹に計算していた父。その事実が、私の胸を締め付けた。

「お父様のお気持ちは、分かりました」

私は、静かに、しかしはっきりと告げた。

「ですが、私はもう、お父様の駒ではありません。私の人生は、他の誰のものでもない、私自身のものです」

私は父の目をまっすぐに見据え、自立を宣言した。

「ヴァリエール家との戦いが避けられないというのなら、私もグランヴェル家の一員として、誇りを持って戦います。ですが、それはお父様の描いた筋書き通りに、ただ動くという意味ではありませんわ」

その言葉は、父の庇護からの完全な独立宣言だった。
父は、私のその言葉に目を見張り、そして、どこか寂しげに、しかし誇らしげに、小さく頷いた。

私は、懐からもう一つ、取り出したものがあった。
あの、差出人不明の手紙だ。

「では、これも、お父様の計画の一部ですの?私の警戒心を煽り、ヴァリエール家への敵意を保たせるための、巧妙な演出だった、とか?」

私は、皮肉を込めて尋ねた。
しかし、その手紙を見た父の顔は、これまでのどんな表情とも違っていた。彼は、初めて本当に驚き、狼狽した顔をした。

「……いや、待て。これは、私が送ったものではない。ロシュバロンにも、このような真似はさせていない。彼の独断行動は、私が固く禁じているはずだ」

父のその反応は、演技とは思えなかった。
だとしたら、この手紙は、一体誰が?
ヴァリエール家からの、本物の脅迫状だったというのか。それとも、父も知らない、全く別の第三者が、この混乱の裏で糸を引いているというのか。
解決したはずの謎は、さらに深い闇へと姿を変えた。

私と父との間に、奇妙な沈黙が流れる。
それは、緊張をはらみながらも、以前とは違う、新しい関係性の始まりを予感させる沈黙だった。
親子でありながら、共通の、そして未知の敵を持つ、同盟者としての。

「……一つ、伝えておかねばならんことがある」

父は、気を取り直して言った。

「ヴァリエールの先代公爵が、裏社会で悪名高い『鉄鼠(てっそ)』という傭兵団と接触した、という情報が入った。目的は分からんが、腕は立ち、非情で知られる連中だ。身の回りには、十分に気をつけろ」

父からの、同盟者としての、最初の警告。
その言葉の重みを、私は噛み締めていた。

その夜、私は自室のベッドの上で、今日の出来事を反芻していた。
父との対峙、新たな謎、そして傭兵団の影。
あまりにも多くのことが起こりすぎて、頭が飽和状態だった。

窓の外では、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
ふと、その音に混じって、何か違う音が聞こえた気がした。
カサリ、と砂利を踏むような音。そして、壁に何かが擦れるような、低い音。

胸騒ぎがして、私はそっとベッドを抜け出し、音を立てずに窓辺に近づいた。
カーテンの隙間から、息を殺して外を覗き見る。

そして、私は凍りついた。

月の光に照らされた庭の向こう。屋敷を囲む高い塀を、まるで獣のような俊敏さで、複数の黒い人影が乗り越えてくるのが見えたのだ。

『鉄鼠』。

父の警告が、脳内で警鐘のように鳴り響く。
あまりにも、早すぎる。
敵の刃は、もう私の喉元にまで迫っていた。

私は戦慄しながらも、すぐさま部屋の隅にある、警報ベルへと手を伸ばした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は追放エンドを所望する~嫌がらせのつもりが国を救ってしまいました~

万里戸千波
恋愛
前世の記憶を取り戻した悪役令嬢が、追放されようとがんばりますがからまわってしまうお話です!

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

9時から5時まで悪役令嬢

西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」 婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。 ならば私は願い通りに動くのをやめよう。 学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで 昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。 さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。 どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。 卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ? なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか? 嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。 今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。 冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。 ☆別サイトにも掲載しています。 ※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。 これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

処理中です...