【完結】グランヴェルの薔薇

シマセイ

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第二十五話:真実の薔薇

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アデリナとレオンの唇が、月の光の下で、ようやく優しく重なった。
長かった戦いの日々、すれ違い、そして数えきれないほどの苦難を乗り越えて、二人の心は、ようやく一つになったのだ。それは、どんな宝石よりも輝かしく、どんな言葉よりも雄弁な、愛の誓いのキスだった。

それから、数週間。
グランヴェル家の屋敷には、嘘のような平穏な日々が流れていた。
レオンは、今回の功績を父に認められ、異例の速さで昇進し、グランヴェル家の騎士団の中でも、若きリーダーとして頭角を現していた。そして、公私ともに、私のただ一人の護衛騎士として、常にその傍らにいてくれた。
父は、私たちの関係を黙って見守ってくれている。身分の違いという壁は、二人が命がけで乗り越えてきた絆の前では、もはや意味をなさなかった。
私もまた、父から領地の運営について学び始め、次期当主としての新たな道を、力強く歩み始めていた。

そんなある日、一通の招待状が、私の元に届いた。
差出人は、アルフォンス・ド・ヴァリエール。
ヴァリエール公爵家の新当主としての、彼の就任を披露する夜会への招待状だった。

「行く必要はない」
レオンは、苦々しげに言った。
「あいつの顔など、もう見たくもない」

彼の気持ちは、痛いほど分かった。けれど、私は静かに首を振る。
「いいえ、レオン。行かなければならないわ。これは、グランヴェル家とヴァリエール家との、正式な和解の儀式でもあるのだから。過去を乗り越え、未来へ進むために」

私の決意の固い瞳を見て、レオンは諦めたように息をついた。
「……分かった。ならば、俺も行こう。お前の騎士として、一歩も離れずにそばにいる」

夜会の当日、私たちは、因縁の場所であるヴァリエール家の屋敷へと向かった。
屋敷の雰囲気は、以前の傲慢で華美なものとは一変し、質実剛健で、どこか禁欲的な空気に満ちていた。アルフォンス様の改革の意志が、隅々にまで感じられる。

当主として大勢の貴族たちの前に立ったアルフォンス様は、以前よりもずっと成熟し、孤独な王のような、冷徹な顔つきになっていた。
彼は、夜会のスピーチで、先代である父の罪を包み隠さず認め、ヴァリエール家の血と膿を出し切り、新たな再出発をすることを、高らかに宣言した。その潔い手腕に、貴族たちは感嘆の声を上げていた。

夜会の合間、テラスで一人佇んでいた彼に、私は声をかけた。レオンは、少し離れた場所で、鋭い視線をこちらに向けている。

「……アルフォンス様。新当主へのご就任、おめでとうございます」

「アデリナか。来てくれたのだな」

彼は、静かに私に振り向いた。

「君に、そして君の家に、私の父がしたことの全てを、ヴァリエール家当主として、心から謝罪する。本当に、すまなかった」

そう言って、彼は深く頭を下げた。

「もう、過去のことですわ。顔をお上げください」

私がそう言うと、彼は寂しげに微笑んだ。
「君は、本当に強くなったな。俺が知っている、ただ純粋なだけの令嬢ではない。……いや、あるいは、君はずっと強かったのかもしれない。俺の愚かな目が、それを見抜けなかっただけなのだな」

彼の視線が、私の後ろに立つレオンへと向けられる。
「あの騎士は、誠実な男だ。彼なら、君を本当の意味で幸せにするだろう。……俺には、その資格はなかった」
それは、彼の最後の未練であり、私への、本当の意味での別れの言葉だった。二人の歪んだ関係は、今、この瞬間、完全に終わりを告げた。

夜会が終わり、屋敷への帰路につこうと、馬車へ向かっていた時だった。

「グランヴェル嬢。少しだけ、お時間をよろしいかな」

穏やかな声に呼び止められ、振り返ると、そこに立っていたのは、国王陛下の側近であり、王家の諜報組織を束ねると噂される、穏やかな物腰の老伯爵、リンデンベルク卿だった。

「リンデンベルク卿……。私に、何か?」

彼は、周りに人を払うと、私の耳元で、静かにこう囁いた。

「あの謁見での働き、実に見事であった。陛下も、そなたの勇気と知性に、大変お喜びだ」

「もったいなきお言葉にございます」

「うむ。……実はな」

彼は、悪戯っぽく片目を瞑った。

「我々も、ヴァリエール家の先代公爵の不穏な動きは、ずっと以前から掴んでおった。だが、あの老獪な狐の尻尾を掴む、決定的な証拠がなくて、難儀しておったのだ」
「では……」

「そうだ。そなたの勇気ある行動が、我々の計画を、完璧な形で後押ししてくれたのだよ。おかげで、長年の懸案を、ようやく片付けることができた」

私は、愕然とした。
あの謁見の間で見た、最後の影。それは、セラでも、ましてや亡霊でもなく、リンデンベルク卿が放った、王家の諜報員だったのだ。
私の命がけの復讐劇は、全て、王家の手のひらの上で見守られていた。

リンデンベルク卿は、私の動揺を見透かすように、にこりと笑った。
そして、懐から、一枚の小さな黒い絹の布を取り出して見せた。
そこには、赤い糸で、見事な刺繍が施されていた。
一輪の、『黒薔薇』の刺繍が。

「これは、我ら王家の影として働き、国の秩序を守る者の紋章。……そう」

彼は、ゆっくりと言った。

「我々こそが、この国に咲く、本当の『黒薔薇』なのだよ」

セラの一族の誓いの薔薇でも、アルフォンスの愛欲の薔薇でもない。第三の、そして、本物の黒薔薇。

「そして、そなたの類稀なる知性と、何物にも屈しない勇気を見込んで、お誘いに参った」

リンデンベルク卿は、私に、まっすぐな視線を向けた。

「――我ら『黒薔薇』と共に、この国の影となり、真の正義を為す気はないかな?グランヴェルの薔薇、アデリナ嬢」

私の復讐劇は、終わった。
しかし、その先に待っていたのは、平穏な日々などではなかった。
それは、私の想像を遥かに超える、この国の運命そのものに関わる、新たな物語への扉。

私の本当の戦いは、あるいは、ここから始まるのかもしれない。
私は、隣に立つレオンの手を強く握りしめ、目の前の老獪な『黒薔薇』に、凛とした笑みを返した。
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