銀狼の復讐姫 ~偽りの愛に裁きを~

シマセイ

文字の大きさ
11 / 26

第11話:血染めの証拠と母の面影

しおりを挟む
警笛の音と兵士たちの怒号が、ブラウンシュバイク邸の静寂を切り裂いた。
エドワードの帰還。
それは、アリアンナたちにとって最悪のタイミングだった。
もはや隠密行動は不可能。
残された道は、力づくでの突破のみ。

「カイン、行くわよ!」

「ああ!」

アリアンナは短剣を逆手に持ち直し、カインは長剣を構える。
二人は、狭い廊下に殺到してくる兵士たちに向かって、獣のように躍りかかった。
アリアンナの動きは、もはや貴族令嬢のそれではない。
ドレスの破れた裾を翻し、壁を蹴り、兵士の懐に潜り込んでは急所を的確に突く。
その瞳には、獲物を狩る狼のような獰猛な光が宿っていた。
カインもまた、その長剣で次々と敵を薙ぎ払い、アリアンナへの攻撃を阻む。
しかし、敵の数はあまりにも多い。
次から次へと湧いてくる兵士たちに、二人は次第に追い詰められていく。

「ぐっ…!」

カインが腕に深い切り傷を負い、動きが鈍る。
アリアンナもまた、頬を掠めた剣先から血が滲んでいた。
体力の消耗も激しい。
(ここまでなの…?
せっかく手に入れた証拠を、ここで失うわけには…!)
アリアンナが絶望しかけたその時、通路の反対側から新たな騒ぎが起こった。

「こっちだ、間抜けども!
お前らの相手は俺がしてやる!」

リックの声だった。
彼はアリアンナたちが逃げ遅れたことを察し、自ら囮となって兵士たちの注意を引きつけてくれたのだ。
さらに、邸の外からは、ミラの指示で動いた「赤狼の牙」の別動隊が、邸の各所で小さな放火や騒ぎを起こし、警備体制を混乱させていた。

「リック!
ミラまで…!」

仲間たちの決死の援護に、アリアンナは胸が熱くなるのを感じた。
カインもまた、歯を食いしばり、最後の力を振り絞る。

「行くぞ、アリア!
奴らの助けを無駄にするな!」

二人は、リックが作った一瞬の隙を突き、兵士の壁を突破。
邸の裏手にある厨房を抜け、窓から庭へと飛び出した。
背後からは、なおも追っ手の声が迫る。
しかし、彼らは止まらなかった。
ただひたすらに走り、バルムの街へと続く夜の闇へと姿を消した。

命からがらアジトへ戻ったアリアンナとカインは、血と泥にまみれ、疲労困憊だった。
ヴォルフとミラが、心配そうな顔で二人を出迎える。

「よく戻った、二人とも…!
リックも無事だ。
すぐに手当てを!」

アリアンナとカインの傷は深く、特にカインは出血が酷かったが、幸い命に別状はなかった。
アリアンナは、自分の手当てよりも先に、革袋から取り出した帳簿と羊皮紙の束をヴォルフの前に広げた。

「これを見てください、ヴォルフ。
ブラウンシュバイク公爵家の、長年にわたる不正の記録です。
そして…私の追放に関わった、もう一人の黒幕の名も…」

ヴォルフは、息をのんでそれらの書類に目を通した。
ミラもまた、その内容の重大さに顔色を変える。
不正な土地取引、重税の隠蔽、政敵の買収…そのどれもが、公爵家を失脚させるに十分な威力を持っていた。
そして、アリアンナ追放の公式文書の草案に記された、最高法院長官の署名。
それは、この国の中枢がいかに腐敗しているかを物語っていた。

「まさか、最高法院長官までが関わっていたとはな…。
これは、我々が思っていた以上に根深い問題だ」

ヴォルフは呻くように言った。

アリアンナは、皆に隠すように、そっとドレスの胸元から一枚の小さな肖像画を取り出した。
そこに描かれた、幼い自分と亡き母の姿。
なぜ、エドワードがこれを…?
彼の意図が分からず、アリアンナの心は混乱していた。
あの冷酷な男が、こんな感傷的なものを大切にしているとは到底思えない。
だが、この肖像画は確かに、あの金庫の奥にしまわれていたのだ。

「アリア、それは…?」

ミラがアリアンナの手元に気づき、声をかける。

「…私の、母の肖像画よ。
なぜこんなものがエドワードの金庫に…私には分からないわ」

アリアンナの声は、微かに震えていた。
復讐の対象であるはずのエドワードの、理解できない一面を垣間見てしまった動揺が隠せない。

カインは、手当てを受けながら、そんなアリアンナの様子を黙って見つめていた。
彼女の心の揺らぎを、敏感に感じ取っていたのだ。

その夜、アリアンナはなかなか寝付けなかった。
持ち帰った書類の中に、エドワードが個人的に記していたと思われる日記の断片が数枚、偶然紛れ込んでいるのを見つけたのだ。
それは、アリアンナと婚約していた頃に書かれたものらしかった。

『アリアンナの瞳は、時折、亡き母君の面影を宿す。
あの清廉で、気高い魂。
私が本当に守りたかったものは、何だったのだろうか…』

『父上のやり方には、もうついていけない。
だが、ブラウンシュバイク家を継ぐ者として、私には選べる道がない。
彼女を巻き込むわけにはいかない。
たとえ、憎まれようとも…』

短い記述だったが、そこには、アリアンナが知る冷酷なエドワードとは違う、苦悩や葛藤を抱えた一人の青年の姿が垣間見えた。
そして、アリアンナの母親とエドワードの間に、何か特別な繋がりがあったことを示唆していた。
アリアンナの母親は、エドワードが幼い頃に亡くした彼自身の母親と親友同士だったという話を、アリアンナは朧げに覚えていた。

「(エドワード…あなたは一体…?)」

アリアンナの心は、ますます混乱した。
しかし、だからといって、彼が自分にしてきた仕打ちを許せるわけではない。
彼の苦悩が何であれ、アリアンナを裏切り、全てを奪った事実は変わらないのだ。

翌日、アジトには重苦しい空気が漂っていた。
エドワードは、金庫が破られ、重要な証拠が奪われたことに激怒し、王都だけでなくバルムの街にもブラウンシュバイク家の私兵を大量に送り込んできたのだ。
騎士団の一部も動員され、「赤狼の牙」の捜索は、かつてない規模で行われていた。
街のあちこちで無関係の者までが尋問され、アジトの場所が特定されるのも時間の問題と思われた。

「もはや、このアジトも安全ではないな。
一時的に撤退し、潜伏する必要があるだろう」

ヴォルフは苦渋の決断を下した。
「赤狼の牙」は、長年拠点としてきたバルムの街を離れ、人里離れた山中の隠れ家へと移動することになった。

移動の準備が進む中、アリアンナは一人、奪った証拠品を見つめていた。
ブラウンシュバイク公爵家の不正の数々。
最高法院長官の裏切り。
そして、エドワードの心の闇。
これらの情報をどう使うべきか。
そして、母の肖像画の謎。

「(私の復讐は、エドワード個人だけでは終わらないのかもしれない…
この国を蝕む、もっと大きな悪に立ち向かわなければならないのかもしれない…)」

アリアンナの胸に、新たな、そしてより困難な戦いへの覚悟が芽生え始めていた。
亡き母の面影が、彼女の背中を押しているような気がした。

「ヴォルフ、私、決めたわ」

アリアンナは立ち上がり、ヴォルフに向き直った。

「まずは、この証拠を使って、最高法院長官の不正を暴く。
彼を失脚させれば、ブラウンシュバイク公爵家への大きな打撃となるはずよ。
そして、エドワード…あなたとの本当の戦いは、それからだわ」

アリアンナの紫色の瞳は、もはや迷いを映してはいなかった。
それは、茨の道をどこまでも進む覚悟を決めた、「銀狼の復讐姫」の瞳だった。
彼女の次なる一手は、王国の司法の頂点に立つ男へと向けられようとしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。

桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。 「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」 「はい、喜んで!」  ……えっ? 喜んじゃうの? ※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。 ※1ページの文字数は少な目です。 ☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」  セルビオとミュリアの出会いの物語。 ※10/1から連載し、10/7に完結します。 ※1日おきの更新です。 ※1ページの文字数は少な目です。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年12月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

処理中です...