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第11話:血染めの証拠と母の面影
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警笛の音と兵士たちの怒号が、ブラウンシュバイク邸の静寂を切り裂いた。
エドワードの帰還。
それは、アリアンナたちにとって最悪のタイミングだった。
もはや隠密行動は不可能。
残された道は、力づくでの突破のみ。
「カイン、行くわよ!」
「ああ!」
アリアンナは短剣を逆手に持ち直し、カインは長剣を構える。
二人は、狭い廊下に殺到してくる兵士たちに向かって、獣のように躍りかかった。
アリアンナの動きは、もはや貴族令嬢のそれではない。
ドレスの破れた裾を翻し、壁を蹴り、兵士の懐に潜り込んでは急所を的確に突く。
その瞳には、獲物を狩る狼のような獰猛な光が宿っていた。
カインもまた、その長剣で次々と敵を薙ぎ払い、アリアンナへの攻撃を阻む。
しかし、敵の数はあまりにも多い。
次から次へと湧いてくる兵士たちに、二人は次第に追い詰められていく。
「ぐっ…!」
カインが腕に深い切り傷を負い、動きが鈍る。
アリアンナもまた、頬を掠めた剣先から血が滲んでいた。
体力の消耗も激しい。
(ここまでなの…?
せっかく手に入れた証拠を、ここで失うわけには…!)
アリアンナが絶望しかけたその時、通路の反対側から新たな騒ぎが起こった。
「こっちだ、間抜けども!
お前らの相手は俺がしてやる!」
リックの声だった。
彼はアリアンナたちが逃げ遅れたことを察し、自ら囮となって兵士たちの注意を引きつけてくれたのだ。
さらに、邸の外からは、ミラの指示で動いた「赤狼の牙」の別動隊が、邸の各所で小さな放火や騒ぎを起こし、警備体制を混乱させていた。
「リック!
ミラまで…!」
仲間たちの決死の援護に、アリアンナは胸が熱くなるのを感じた。
カインもまた、歯を食いしばり、最後の力を振り絞る。
「行くぞ、アリア!
奴らの助けを無駄にするな!」
二人は、リックが作った一瞬の隙を突き、兵士の壁を突破。
邸の裏手にある厨房を抜け、窓から庭へと飛び出した。
背後からは、なおも追っ手の声が迫る。
しかし、彼らは止まらなかった。
ただひたすらに走り、バルムの街へと続く夜の闇へと姿を消した。
命からがらアジトへ戻ったアリアンナとカインは、血と泥にまみれ、疲労困憊だった。
ヴォルフとミラが、心配そうな顔で二人を出迎える。
「よく戻った、二人とも…!
リックも無事だ。
すぐに手当てを!」
アリアンナとカインの傷は深く、特にカインは出血が酷かったが、幸い命に別状はなかった。
アリアンナは、自分の手当てよりも先に、革袋から取り出した帳簿と羊皮紙の束をヴォルフの前に広げた。
「これを見てください、ヴォルフ。
ブラウンシュバイク公爵家の、長年にわたる不正の記録です。
そして…私の追放に関わった、もう一人の黒幕の名も…」
ヴォルフは、息をのんでそれらの書類に目を通した。
ミラもまた、その内容の重大さに顔色を変える。
不正な土地取引、重税の隠蔽、政敵の買収…そのどれもが、公爵家を失脚させるに十分な威力を持っていた。
そして、アリアンナ追放の公式文書の草案に記された、最高法院長官の署名。
それは、この国の中枢がいかに腐敗しているかを物語っていた。
「まさか、最高法院長官までが関わっていたとはな…。
これは、我々が思っていた以上に根深い問題だ」
ヴォルフは呻くように言った。
アリアンナは、皆に隠すように、そっとドレスの胸元から一枚の小さな肖像画を取り出した。
そこに描かれた、幼い自分と亡き母の姿。
なぜ、エドワードがこれを…?
彼の意図が分からず、アリアンナの心は混乱していた。
あの冷酷な男が、こんな感傷的なものを大切にしているとは到底思えない。
だが、この肖像画は確かに、あの金庫の奥にしまわれていたのだ。
「アリア、それは…?」
ミラがアリアンナの手元に気づき、声をかける。
「…私の、母の肖像画よ。
なぜこんなものがエドワードの金庫に…私には分からないわ」
アリアンナの声は、微かに震えていた。
復讐の対象であるはずのエドワードの、理解できない一面を垣間見てしまった動揺が隠せない。
カインは、手当てを受けながら、そんなアリアンナの様子を黙って見つめていた。
彼女の心の揺らぎを、敏感に感じ取っていたのだ。
その夜、アリアンナはなかなか寝付けなかった。
持ち帰った書類の中に、エドワードが個人的に記していたと思われる日記の断片が数枚、偶然紛れ込んでいるのを見つけたのだ。
それは、アリアンナと婚約していた頃に書かれたものらしかった。
『アリアンナの瞳は、時折、亡き母君の面影を宿す。
あの清廉で、気高い魂。
私が本当に守りたかったものは、何だったのだろうか…』
『父上のやり方には、もうついていけない。
だが、ブラウンシュバイク家を継ぐ者として、私には選べる道がない。
彼女を巻き込むわけにはいかない。
たとえ、憎まれようとも…』
短い記述だったが、そこには、アリアンナが知る冷酷なエドワードとは違う、苦悩や葛藤を抱えた一人の青年の姿が垣間見えた。
そして、アリアンナの母親とエドワードの間に、何か特別な繋がりがあったことを示唆していた。
アリアンナの母親は、エドワードが幼い頃に亡くした彼自身の母親と親友同士だったという話を、アリアンナは朧げに覚えていた。
「(エドワード…あなたは一体…?)」
アリアンナの心は、ますます混乱した。
しかし、だからといって、彼が自分にしてきた仕打ちを許せるわけではない。
彼の苦悩が何であれ、アリアンナを裏切り、全てを奪った事実は変わらないのだ。
翌日、アジトには重苦しい空気が漂っていた。
エドワードは、金庫が破られ、重要な証拠が奪われたことに激怒し、王都だけでなくバルムの街にもブラウンシュバイク家の私兵を大量に送り込んできたのだ。
騎士団の一部も動員され、「赤狼の牙」の捜索は、かつてない規模で行われていた。
街のあちこちで無関係の者までが尋問され、アジトの場所が特定されるのも時間の問題と思われた。
「もはや、このアジトも安全ではないな。
一時的に撤退し、潜伏する必要があるだろう」
ヴォルフは苦渋の決断を下した。
「赤狼の牙」は、長年拠点としてきたバルムの街を離れ、人里離れた山中の隠れ家へと移動することになった。
移動の準備が進む中、アリアンナは一人、奪った証拠品を見つめていた。
ブラウンシュバイク公爵家の不正の数々。
最高法院長官の裏切り。
そして、エドワードの心の闇。
これらの情報をどう使うべきか。
そして、母の肖像画の謎。
「(私の復讐は、エドワード個人だけでは終わらないのかもしれない…
この国を蝕む、もっと大きな悪に立ち向かわなければならないのかもしれない…)」
アリアンナの胸に、新たな、そしてより困難な戦いへの覚悟が芽生え始めていた。
亡き母の面影が、彼女の背中を押しているような気がした。
「ヴォルフ、私、決めたわ」
アリアンナは立ち上がり、ヴォルフに向き直った。
「まずは、この証拠を使って、最高法院長官の不正を暴く。
彼を失脚させれば、ブラウンシュバイク公爵家への大きな打撃となるはずよ。
そして、エドワード…あなたとの本当の戦いは、それからだわ」
アリアンナの紫色の瞳は、もはや迷いを映してはいなかった。
それは、茨の道をどこまでも進む覚悟を決めた、「銀狼の復讐姫」の瞳だった。
彼女の次なる一手は、王国の司法の頂点に立つ男へと向けられようとしていた。
エドワードの帰還。
それは、アリアンナたちにとって最悪のタイミングだった。
もはや隠密行動は不可能。
残された道は、力づくでの突破のみ。
「カイン、行くわよ!」
「ああ!」
アリアンナは短剣を逆手に持ち直し、カインは長剣を構える。
二人は、狭い廊下に殺到してくる兵士たちに向かって、獣のように躍りかかった。
アリアンナの動きは、もはや貴族令嬢のそれではない。
ドレスの破れた裾を翻し、壁を蹴り、兵士の懐に潜り込んでは急所を的確に突く。
その瞳には、獲物を狩る狼のような獰猛な光が宿っていた。
カインもまた、その長剣で次々と敵を薙ぎ払い、アリアンナへの攻撃を阻む。
しかし、敵の数はあまりにも多い。
次から次へと湧いてくる兵士たちに、二人は次第に追い詰められていく。
「ぐっ…!」
カインが腕に深い切り傷を負い、動きが鈍る。
アリアンナもまた、頬を掠めた剣先から血が滲んでいた。
体力の消耗も激しい。
(ここまでなの…?
せっかく手に入れた証拠を、ここで失うわけには…!)
アリアンナが絶望しかけたその時、通路の反対側から新たな騒ぎが起こった。
「こっちだ、間抜けども!
お前らの相手は俺がしてやる!」
リックの声だった。
彼はアリアンナたちが逃げ遅れたことを察し、自ら囮となって兵士たちの注意を引きつけてくれたのだ。
さらに、邸の外からは、ミラの指示で動いた「赤狼の牙」の別動隊が、邸の各所で小さな放火や騒ぎを起こし、警備体制を混乱させていた。
「リック!
ミラまで…!」
仲間たちの決死の援護に、アリアンナは胸が熱くなるのを感じた。
カインもまた、歯を食いしばり、最後の力を振り絞る。
「行くぞ、アリア!
奴らの助けを無駄にするな!」
二人は、リックが作った一瞬の隙を突き、兵士の壁を突破。
邸の裏手にある厨房を抜け、窓から庭へと飛び出した。
背後からは、なおも追っ手の声が迫る。
しかし、彼らは止まらなかった。
ただひたすらに走り、バルムの街へと続く夜の闇へと姿を消した。
命からがらアジトへ戻ったアリアンナとカインは、血と泥にまみれ、疲労困憊だった。
ヴォルフとミラが、心配そうな顔で二人を出迎える。
「よく戻った、二人とも…!
リックも無事だ。
すぐに手当てを!」
アリアンナとカインの傷は深く、特にカインは出血が酷かったが、幸い命に別状はなかった。
アリアンナは、自分の手当てよりも先に、革袋から取り出した帳簿と羊皮紙の束をヴォルフの前に広げた。
「これを見てください、ヴォルフ。
ブラウンシュバイク公爵家の、長年にわたる不正の記録です。
そして…私の追放に関わった、もう一人の黒幕の名も…」
ヴォルフは、息をのんでそれらの書類に目を通した。
ミラもまた、その内容の重大さに顔色を変える。
不正な土地取引、重税の隠蔽、政敵の買収…そのどれもが、公爵家を失脚させるに十分な威力を持っていた。
そして、アリアンナ追放の公式文書の草案に記された、最高法院長官の署名。
それは、この国の中枢がいかに腐敗しているかを物語っていた。
「まさか、最高法院長官までが関わっていたとはな…。
これは、我々が思っていた以上に根深い問題だ」
ヴォルフは呻くように言った。
アリアンナは、皆に隠すように、そっとドレスの胸元から一枚の小さな肖像画を取り出した。
そこに描かれた、幼い自分と亡き母の姿。
なぜ、エドワードがこれを…?
彼の意図が分からず、アリアンナの心は混乱していた。
あの冷酷な男が、こんな感傷的なものを大切にしているとは到底思えない。
だが、この肖像画は確かに、あの金庫の奥にしまわれていたのだ。
「アリア、それは…?」
ミラがアリアンナの手元に気づき、声をかける。
「…私の、母の肖像画よ。
なぜこんなものがエドワードの金庫に…私には分からないわ」
アリアンナの声は、微かに震えていた。
復讐の対象であるはずのエドワードの、理解できない一面を垣間見てしまった動揺が隠せない。
カインは、手当てを受けながら、そんなアリアンナの様子を黙って見つめていた。
彼女の心の揺らぎを、敏感に感じ取っていたのだ。
その夜、アリアンナはなかなか寝付けなかった。
持ち帰った書類の中に、エドワードが個人的に記していたと思われる日記の断片が数枚、偶然紛れ込んでいるのを見つけたのだ。
それは、アリアンナと婚約していた頃に書かれたものらしかった。
『アリアンナの瞳は、時折、亡き母君の面影を宿す。
あの清廉で、気高い魂。
私が本当に守りたかったものは、何だったのだろうか…』
『父上のやり方には、もうついていけない。
だが、ブラウンシュバイク家を継ぐ者として、私には選べる道がない。
彼女を巻き込むわけにはいかない。
たとえ、憎まれようとも…』
短い記述だったが、そこには、アリアンナが知る冷酷なエドワードとは違う、苦悩や葛藤を抱えた一人の青年の姿が垣間見えた。
そして、アリアンナの母親とエドワードの間に、何か特別な繋がりがあったことを示唆していた。
アリアンナの母親は、エドワードが幼い頃に亡くした彼自身の母親と親友同士だったという話を、アリアンナは朧げに覚えていた。
「(エドワード…あなたは一体…?)」
アリアンナの心は、ますます混乱した。
しかし、だからといって、彼が自分にしてきた仕打ちを許せるわけではない。
彼の苦悩が何であれ、アリアンナを裏切り、全てを奪った事実は変わらないのだ。
翌日、アジトには重苦しい空気が漂っていた。
エドワードは、金庫が破られ、重要な証拠が奪われたことに激怒し、王都だけでなくバルムの街にもブラウンシュバイク家の私兵を大量に送り込んできたのだ。
騎士団の一部も動員され、「赤狼の牙」の捜索は、かつてない規模で行われていた。
街のあちこちで無関係の者までが尋問され、アジトの場所が特定されるのも時間の問題と思われた。
「もはや、このアジトも安全ではないな。
一時的に撤退し、潜伏する必要があるだろう」
ヴォルフは苦渋の決断を下した。
「赤狼の牙」は、長年拠点としてきたバルムの街を離れ、人里離れた山中の隠れ家へと移動することになった。
移動の準備が進む中、アリアンナは一人、奪った証拠品を見つめていた。
ブラウンシュバイク公爵家の不正の数々。
最高法院長官の裏切り。
そして、エドワードの心の闇。
これらの情報をどう使うべきか。
そして、母の肖像画の謎。
「(私の復讐は、エドワード個人だけでは終わらないのかもしれない…
この国を蝕む、もっと大きな悪に立ち向かわなければならないのかもしれない…)」
アリアンナの胸に、新たな、そしてより困難な戦いへの覚悟が芽生え始めていた。
亡き母の面影が、彼女の背中を押しているような気がした。
「ヴォルフ、私、決めたわ」
アリアンナは立ち上がり、ヴォルフに向き直った。
「まずは、この証拠を使って、最高法院長官の不正を暴く。
彼を失脚させれば、ブラウンシュバイク公爵家への大きな打撃となるはずよ。
そして、エドワード…あなたとの本当の戦いは、それからだわ」
アリアンナの紫色の瞳は、もはや迷いを映してはいなかった。
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