銀狼の復讐姫 ~偽りの愛に裁きを~

シマセイ

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第10話:開かれる禁断の箱

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作戦決行前夜。
「赤狼の牙」のアジトは、静まり返った中に熱のこもった緊張感が漂っていた。
潜入チームのアリアンナ、カイン、そして鍵開けの訓練を積んだ若者リックは、ヴォルフを前に最後の作戦確認を行っていた。

「いいか、今回の任務は我々の正念場だ。
ブラウンシュバイク邸の警備は、前回とは比べ物にならんほど強化されているはず。
少しの油断が命取りになる。
だが、あの金庫の中身こそが、エドワードを、そして腐った貴族社会を揺るがす最大の武器になるかもしれん。
必ず、生きて戻ってこい」

ヴォルフの言葉は厳しく、しかしその瞳には仲間たちへの深い信頼が宿っていた。

「はい!」

三人は力強く応じる。
アリアンナは、エルマから託された革袋に入った特殊なピックを、ドレスの内側にしっかりと忍ばせた。
その冷たい感触が、彼女の決意を一層固くする。

「アリア」

作戦会議が終わり、一人になったアリアンナにカインが声をかけた。

「何、カイン?」

「…無理はするな。
お前の復讐は、お前一人のものじゃない。
俺たちも共に戦っていることを忘れるな」

カインの言葉はぶっきらぼうだったが、その奥にはアリアンナを案じる気持ちが確かに感じられた。

「ありがとう、カイン。
分かっているわ。
私はもう、一人じゃないものね」

アリアンナは、カインに向けて穏やかな、しかし力強い笑みを返した。
その笑顔に、カインは一瞬言葉を失い、すぐにそっぽを向いてしまう。
二人の間には、言葉にはできない複雑な感情が静かに流れていた。

そして、運命の夜が訪れた。
エドワードとクラウディア姫が王都を離れたその夜、ブラウンシュバイク邸は、普段よりも人影が少なく、不気味なほど静まり返っていた。
しかし、その静けさこそが、張り巡らされた罠の気配を濃厚に漂わせている。

「ミラの陽動は成功したようだな。
正面の警備は、予想通り手薄になっている」

物陰から邸の様子を窺っていたカインが低く囁く。
三人は、前回とは全く異なる、邸の裏手にある古い納屋の地下から伸びる、忘れられた通路を使って侵入を試みた。
この通路の情報は、かつてブラウンシュバイク家で働いていたという老婆から、ミラが金と情報交換で手に入れたものだった。

通路は埃っぽく、蜘蛛の巣が顔にかかる。
リックが先頭に立ち、慎重に進んでいく。
やがて、彼らは邸の地下貯蔵庫へとたどり着いた。
そこからは、以前アリアンナも知らなかった使用人用の階段を使って、上階へと向かう。
途中、数人の見回りの兵士とすれ違いそうになったが、彼らは息を殺し、物音一つ立てずにやり過ごした。
アリアンナの研ぎ澄まされた感覚が、わずかな危険の兆候さえも捉えていた。

目的の書斎は、邸の二階の最も奥まった場所にある。
扉の前には、新たな鉄格子が取り付けられ、さらに複雑な形状の錠前が二重にかかっていた。

「ちっ、面倒なことをしてくれやがる」

リックが悪態をつく。
しかし、彼は臆することなく、エルマから教わった技術で慎重に錠前の解除に取り掛かった。
アリアンナとカインは、周囲を警戒し、リックの作業を見守る。
息詰まるような時間が流れる。
リックの額には、玉のような汗が浮かんでいた。
やがて、カチリ、という小さな音が二度響き、鉄格子と扉の錠前が静かに開いた。

「やった…!」

リックが安堵の声を漏らす。
三人は音もなく書斎に足を踏み入れた。
月明かりが差し込む部屋の中央には、あの壁掛けの絵画。
そして、その奥に隠された「タイタン鉄鋼社製」の古いが頑丈な金庫が、威圧的な存在感を放っていた。

「さて、ここからが本番だ」

リックは再び金庫に向き合い、様々な道具を使って最初の扉の解錠を試みる。
しかし、エルマが言っていた通り、この金庫は一筋縄ではいかない。
巧妙な罠がいくつも仕掛けられており、少しでも手順を誤れば、警報が鳴り響くか、あるいは内部の破壊装置が作動するかもしれない。

「くそっ、この仕掛けは聞いてないぞ…!」

リックの焦りが伝わってくる。
何度か危険な兆候があり、アリアンナが咄嗟に指示を出して回避することもあった。
彼女の冷静な判断力が、チームを救う。

時間だけが刻々と過ぎていく。
最初の扉はなんとか開いたものの、その奥にはさらに複雑な円盤錠式のロックが待ち構えていた。
それは、エルマでさえも「こればかりは、指先の感覚と経験、そして運が全てだ」と言わしめた難物だった。
リックは何度か試みるが、全く歯が立たない。

「だめだ…俺には無理かもしれない…」

リックが弱音を吐いたその時、アリアンナが静かに彼の肩に手を置いた。

「代わるわ、リック。
あなたは見張りを続けて。
カインも、お願い」

アリアンナは、エルマから託された革袋から、数本の細くしなやかなピックを取り出した。
その中の一本、先端が微かに湾曲した銀色のピックを手に取り、金庫の円盤錠と向き合う。
目を閉じ、深く息を吸い込む。
彼女の脳裏に、エルマの言葉が蘇る。
『金庫は生き物だ。
その声を聞き、その心を読むんだよ…』

アリアンナは、ピックを鍵穴に差し込み、指先に全神経を集中させた。
微かな金属の感触、カチリという内部のピンが動く音、そして円盤が回転するわずかな抵抗。
それら全てを感じ取り、記憶し、次の動きを予測する。
それは、まるで高度な楽器を演奏するかのような、繊細で緻密な作業だった。
エドワードへの憎しみ、裏切られた悲しみ、そして未来を奪われた怒り。
それらの激しい感情が、不思議と彼女の集中力を極限まで高めていく。

どれほどの時間が経っただろうか。
アリアンナの額にも汗が滲み、指先は感覚がなくなりかけていた。
だが、彼女は諦めなかった。
そして、ついに―――。

カチッ…グゥン…

重々しい金属音が響き、金庫の最後の扉が、ゆっくりと内側に開いた。

「開いた…!」

リックが感嘆の声を上げる。
カインも、安堵の表情を浮かべていた。
アリアンナは、震える手で金庫の扉を完全に開け放つ。
その瞬間、彼女は息をのんだ。

金庫の中には、予想していたような大量の金塊や宝石はなかった。
そこにあったのは、数冊の古びた革綴じの帳簿と、封蝋で厳重に封をされた羊皮紙の束、そして――一枚の小さな肖像画だった。
アリアンナは、まず帳簿を手に取った。
パラパラとめくると、そこにはブラウンシュバイク公爵家が長年にわたり行ってきた不正な土地取引、重税の隠蔽、そして政敵を陥れるための買収工作の数々が、詳細に記録されていた。
それは、公爵家を根底から揺るがすに足る、爆弾のような証拠だった。

次に、羊皮紙の束。
その中の一枚には、アリアンナ・フォン・ヴァイスハルトを「王家の宝物窃盗及び反逆罪」で告発し、追放を決定したという、見覚えのある公式文書の草案があった。
しかし、その草案には、エドワードの父親であるブラウンシュバイク公爵と、そしてもう一人、予想だにしなかった人物の署名がなされていたのだ。
それは、王国の司法を司る最高法院の長官の名前だった。
アリアンナの追放は、エドワードとリリアだけでなく、国家レベルの権力者が関与した、より大きな陰謀の一部だったのだ。

そして、最後に残された一枚の肖像画。
アリアンナは、恐る恐るそれを手に取った。
そこに描かれていたのは、まだ幼い頃のアリアンナと、そして彼女の隣で優しく微笑む、亡き母親の姿だった。
エドワードが、なぜこんなものを大切に金庫にしまっていたのか…?
アリアンナは、理解できずに混乱した。
憎しみだけでは割り切れない、複雑な感情が胸の奥から込み上げてくる。

「アリア、大丈夫か…?」

カインがアリアンナの顔色の変化に気づき、声をかける。

「ええ…ええ、大丈夫よ。
とんでもないものを、見つけてしまったわ…」

アリアンナは、帳簿と羊皮紙の束を素早く革袋に詰め込んだ。
肖像画は、一瞬ためらった後、そっとドレスの胸元にしまう。

「急いでここから脱出するわよ!」

証拠品を手に入れ、三人が書斎を出ようとした、その時だった。
邸の外から、けたたましい警笛の音と、多くの人間が騒ぎ立てる声が聞こえてきた。

「まずい!
エドワードが帰ってきたのかもしれない!」

カインが窓から外の様子を窺い、顔色を変える。
予想よりも早く、エドワードが王都に戻ってきたのだ。
あるいは、これは最初から仕組まれた罠だったのか…?
邸内は急速に騒がしくなり、兵士たちの足音がこちらへ向かってくるのが聞こえる。

「リック、お前は先に逃げろ!
アリア、行くぞ!」

カインはアリアンナの手を掴み、来た道とは別の方向へと走り出した。
しかし、邸内はすでに厳戒態勢が敷かれ、至る所に兵士の姿が見える。
もはや、隠れて進むことは不可能だった。

「こうなったら、力づくで突破するしかないわね!」

アリアンナは短剣を抜き放ち、迫り来る兵士たちに斬りかかっていく。
その瞳には、先ほどまでの複雑な感情はなく、ただ生き延びてこの証拠を持ち帰るという、強い意志だけが宿っていた。
「銀狼」の咆哮が、ブラウンシュバイク邸に再び響き渡ろうとしていた。
だが、彼らの前には、あまりにも多くの敵が立ちはだかっていた。
果たして、アリアンナたちは無事にこの死地を脱することができるのだろうか。
そして、手に入れた禁断の箱の中身は、彼女の復讐にどのような影響を与えるのだろうか。
嵐のような波乱の予感が、夜の闇を切り裂いて迫っていた。
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