【完結】しるしを刻む者 ~異世界に渡った判子屋~

シマセイ

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第三話:森の秘密、母の笑顔

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右手の甲に浮かぶ『印』の紋様。
ケンは、その不思議な力をもっと知りたくてたまらなかった。

あの日、木片や石ころに簡単な「しるし」を刻むことに成功して以来、ケンは両親の目を盗んでは、家の裏にある小さな森でこっそりと練習を重ねるようになっていた。

森の中は、ケンの秘密の実験場だ。
手頃な石や木の枝を見つけては、様々な「しるし」を試してみる。

健三だった頃に馴染みのあった漢字や、単純な記号。
例えば、「力」という文字を木の枝に刻んでみると、その枝が心なしか折れにくくなった。
平たい石に「速」と刻んで投げてみると、少しだけ遠くまで飛んだような気がした。

ただ、効果はどれも本当にわずかなもの。
それに、集中して「しるし」を刻むと、なんだか体が少し疲れることにも気づいた。
お腹が空くような、そんな感覚だ。

(これは、たぶん……体の中の何かを使ってるんだな。魔力、みたいなものかな?)

前の世界にはなかった概念だが、女神様が言っていた「剣と魔法、スキル」の世界なのだ。
きっとそういうエネルギーが存在するのだろう。

そして、刻む「しるし」の形や、込める想いの強さによって、効果のほども変わってくるような気がした。

判子を彫る時も、依頼主の幸せを強く願うほど、良いものができた気がする。
それと似ているのかもしれない。

「ふぅ……なかなか難しいな」

ある日、少し複雑な模様を石に刻もうとして失敗し、ケンは思わずため息をついた。
イメージ通りに「しるし」が浮かばず、ただぼんやりと光が散って消えてしまう。
五歳の子供の集中力では、まだこれが限界なのかもしれない。

(でも、焦ることはないか。僕はまだ五歳なんだし、時間はたっぷりある)

健三だった頃の短気な一面が顔を出しそうになるのを、ケンは慌てて抑え込む。
今は、この世界のことをもっと知るのが先決だ。

そんなことを考えていた日の夕食後、父親のゴードンが、愛用の狩猟斧の手入れをしているのが目に入った。

ゴードンは村の猟師であり、時には村の自警団のような役割も担っているらしい。
その斧には、使い込まれた細かな傷がたくさんついていた。

「父さん、その斧、かっこいいね」

ケンが隣にちょこんと座って言うと、ゴードンは顔を上げてにっこり笑った。

「おっ、ケンか。そうか? これはもう長年使ってる相棒でな。こいつのおかげで、俺たちは美味い肉が食えるし、悪い魔物からも村を守れるんだ」

「魔物……本当にいるの?」

ケンは、少しドキドキしながら尋ねた。
女神様の世界の説明にもあった言葉だが、実際に聞くとやはり現実味が違う。

「ああ、いるぞ。この村の周りの森にも、ゴブリンや大きな牙猪(ファングボア)なんかがな。だから、子供たちはあまり森の奥へ行っちゃいけないんだ。スキルを持たない普通の人間じゃ、あっという間にやられちまうからな」

ゴードンはそう言うと、斧の刃を指でそっと撫でた。
その瞬間、斧がほんの一瞬だけ、淡い赤い光を帯びたような気がした。

(今の……父さんのスキル?)

第二話で見た、広場で遊んでいた男の子と同じような光。

「父さんは、何かスキルを持ってるの?」

興味津々で尋ねると、ゴードンは少し照れ臭そうに頭を掻いた。

「たいしたもんじゃないさ。【身体強化・小】っていう、ちょっとだけ力が強くなったり、動きが速くなったりするだけの基本的なもんだ。
それでも、無いよりはずっとマシだけどな。この村の大人たちは、大体何か一つくらいは生活に役立つスキルを持ってるもんさ。サラの【料理上手】みたいにな」

「母さんもスキルを?」

それは初耳だった。

「ああ。サラの作る飯が美味いのは、あのスキルのおかげでもあるんだぞ」

ゴードンは楽しそうに笑う。
スキルはこの世界の人々にとって、ごく当たり前の能力らしい。
ケンは自分の右手の甲をそっと撫でた。
この『印』のスキルは、一体どんな風に役に立つのだろうか。
まだ、両親に打ち明ける勇気はなかった。
もう少し、自分でこの力を確かめてからにしたい。

数日後、ケンは台所でサラが困った顔をしているのを見つけた。
木の桶の取っ手部分にひびが入り、今にも取れてしまいそうになっている。

「あらあら、困ったわね。父さんに頼んで新しいのを作ってもらわないと……」

サラがため息をつく。
その時、ケンの中に小さなアイデアが閃いた。

(あの桶に、『印』で何か……そうだ、「固」とか「繋」とか、そういうイメージの「しるし」を刻んでみたらどうだろう?)

もちろん、そんな漢字を五歳児のケンが知っているはずもない。
だが、健三だった頃の記憶が、その形と意味をはっきりと教えてくれる。
ケンは、サラが少し目を離した隙に、そっと桶に近づいた。
そして、ひびの入った取っ手の付け根部分に、右手の指先を当てる。
心の中で、「固まれ、繋がれ」と強く念じながら、健三の記憶にある印影をイメージして「しるし」を刻んだ。

指先から放たれた光は、今までで一番強く、そして温かかった気がする。
光が消えた後、取っ手のひびは……消えていない。
見た目には何も変わらなかった。

(……ダメか。やっぱり、そんな簡単にはいかないよな)

ケンは少しがっかりしたが、仕方ない。
元々、五歳児にできることなんて限られているのだ。

ところが、その日の夕方。
サラがその桶を使って水を運んでいる時、ふと首を傾げた。

「あれ? この桶、なんだか持ちやすくなった気がするわ。取っ手も、前よりしっかりしてるような……気のせいかしら?」

そう言って、サラは不思議そうに桶を眺めている。
ケンは、隣で素知らぬ顔をして薪を暖炉にくべていたが、内心では飛び上がりたいほどの喜びを感じていた。

(やった! やっぱり、効果があったんだ!)

見た目は変わらなくても、『印』の力が木の繊維を内側から補強し、繋ぎ止めてくれたのに違いない。
自分の力が、初めて誰かの役に立った。
ほんの小さなことかもしれないけれど、それはケンにとって、大きな大きな一歩だった。

「ふふっ」

思わず笑みがこぼれる。
サラが「どうしたの、ケン?」と優しく声をかけてきた。

「ううん、なんでもない!」

ケンは元気よく答えた。
胸の中が、ポカポカと温かい。
もっと色々な『印』を試してみたい。
もっと、この力で父さんや母さんを助けたい。
そんな気持ちが、強く強く湧き上がってきた。

(よし、明日は、父さんの斧に何か良い「しるし」をこっそり刻んでみようかな)

例えば、「鋭」とか、「護」とか。
ケンは、健三だった頃の膨大な印影の知識を探りながら、ワクワクした気持ちで次の計画を練り始めた。
この小さな村での新しい生活は、まだ始まったばかりだ。
そして、ケンの『印』のスキルも、無限の可能性を秘めて、今まさに開花しようとしていた。
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