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鴉
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私の住むアパートの周りには、カラスが多い。ゴミを漁ったり、やかましく鳴いたり、まあ、都会ではよくある光景だと思っていた。あの日までは。
最初は、ただ数が多いな、と感じる程度だった。電線や、向かいのマンションの屋上に、黒い塊のように、異常な数のカラスがじっと留まっている。しかも、鳴かない。ただ、無数の黒い目で、地上を、いや、このアパートの、私の部屋のあたりを、静かに観察しているようだった。
そのうち、奴らは私を「追う」ようになった。
私が駅へ向かえば、数羽のカラスが、つかず離れず、建物の屋上や電柱を飛び移りながらついてくる。私がコンビニに入れば、外の看板の上で待っている。常に、無言で。黒い、ビー玉のような目で、私だけを捉えて。
ベランダや、玄関のドアの前に、「贈り物」が置かれるようになった。
ガラスの破片。錆びた釘。動物の骨らしきもの。一度などは、人間のものとしか思えない、黒く長い髪の毛の束が、丁寧に丸められて置いてあった。悪意としか思えない、気味の悪い置き土産。
奴らの鳴き声も、変化した。
普通の「カァカァ」という声に混じって、明らかに「違う」音が聞こえるようになったのだ。
赤ん坊の甲高い泣き声。女の短い悲鳴。そして、ある時からは、私の名前を、嗄れた声で、不気味に引き伸ばして呼ぶようになった。
「ナァー……オ……。ナァー…オ……」
一度、窓ガラスに、ものすごい勢いでカラスが体当たりしてきた。ドン!という衝撃音。すぐに飛び去ったが、ガラスには脂のような跡が残っていた。道をとぼとぼ歩いていると、頭上すれすれを、大きなカラスが、羽音を立てて掠め飛んでいったこともある。
奴らは、明らかに知性を持って、連携して、私を脅している。ゴミ置き場では、数羽が協力して私の出したゴミ袋だけを破り、中身をぶちまけていた。アパートの廊下の窓の外に、ずらりと一列に並んで、ただじっと、部屋の中を覗き込んでいることもあった。
私はカーテンを閉め切り、部屋に閉じこもるようになった。だが、奴らの存在は、壁を隔てても、なお重くのしかかってくる。
そして、昨日の夕方。
閉め切った窓の外から、例の、私の名前を呼ぶ歪んだ鳴き声が、異常なほど大きく、執拗に聞こえ始めた。
「ナァーオ! ナァーオ!」
気づくと、ベランダの手すりや窓枠に、びっしりと黒いカラスの群れが張り付いていた。数十羽はいるだろうか。奴らは一斉に、窓ガラスを、クチバシや爪で、激しく突き、引っ掻き始めたのだ!
ガガガガ! バリバリバリ!
黒い影が窓を覆い、部屋が暗くなる。狂ったような鳴き声と、ガラスを破壊しようとする激しい音。
恐怖で体が動かない。その、耳を劈くような騒音の中で、私は、別の、小さな音を聞いた。
チリリン……。
それは、紛れもなく、私が玄関のドアに付けている、鍵束の音だった。
カラスの一羽が、あるいは、奴ら全体が、あの音を、完璧に真似て、すぐドアの外で鳴らしているのだ。
まるで、今まさに、鍵を開けようとしているかのように。
どれくらいの時間、その狂乱が続いただろうか。不意に、全ての音が止んだ。
カラスたちは、何事もなかったかのように飛び去り、窓の外には、引っ掻き傷だらけのガラスと、夕暮れの静寂だけが残されていた。
私は、まだ部屋から一歩も出られない。
窓の外には、きっと奴らがいる。電線の上で、屋根の上で、あの黒い目で、私を監視している。
いつ、また襲ってくるか。いつ、あの鍵の音と共に、ドアの向こうに現れるか。
私は、この部屋で、無数の黒い目に囲まれて、ただ息を潜めている。
最初は、ただ数が多いな、と感じる程度だった。電線や、向かいのマンションの屋上に、黒い塊のように、異常な数のカラスがじっと留まっている。しかも、鳴かない。ただ、無数の黒い目で、地上を、いや、このアパートの、私の部屋のあたりを、静かに観察しているようだった。
そのうち、奴らは私を「追う」ようになった。
私が駅へ向かえば、数羽のカラスが、つかず離れず、建物の屋上や電柱を飛び移りながらついてくる。私がコンビニに入れば、外の看板の上で待っている。常に、無言で。黒い、ビー玉のような目で、私だけを捉えて。
ベランダや、玄関のドアの前に、「贈り物」が置かれるようになった。
ガラスの破片。錆びた釘。動物の骨らしきもの。一度などは、人間のものとしか思えない、黒く長い髪の毛の束が、丁寧に丸められて置いてあった。悪意としか思えない、気味の悪い置き土産。
奴らの鳴き声も、変化した。
普通の「カァカァ」という声に混じって、明らかに「違う」音が聞こえるようになったのだ。
赤ん坊の甲高い泣き声。女の短い悲鳴。そして、ある時からは、私の名前を、嗄れた声で、不気味に引き伸ばして呼ぶようになった。
「ナァー……オ……。ナァー…オ……」
一度、窓ガラスに、ものすごい勢いでカラスが体当たりしてきた。ドン!という衝撃音。すぐに飛び去ったが、ガラスには脂のような跡が残っていた。道をとぼとぼ歩いていると、頭上すれすれを、大きなカラスが、羽音を立てて掠め飛んでいったこともある。
奴らは、明らかに知性を持って、連携して、私を脅している。ゴミ置き場では、数羽が協力して私の出したゴミ袋だけを破り、中身をぶちまけていた。アパートの廊下の窓の外に、ずらりと一列に並んで、ただじっと、部屋の中を覗き込んでいることもあった。
私はカーテンを閉め切り、部屋に閉じこもるようになった。だが、奴らの存在は、壁を隔てても、なお重くのしかかってくる。
そして、昨日の夕方。
閉め切った窓の外から、例の、私の名前を呼ぶ歪んだ鳴き声が、異常なほど大きく、執拗に聞こえ始めた。
「ナァーオ! ナァーオ!」
気づくと、ベランダの手すりや窓枠に、びっしりと黒いカラスの群れが張り付いていた。数十羽はいるだろうか。奴らは一斉に、窓ガラスを、クチバシや爪で、激しく突き、引っ掻き始めたのだ!
ガガガガ! バリバリバリ!
黒い影が窓を覆い、部屋が暗くなる。狂ったような鳴き声と、ガラスを破壊しようとする激しい音。
恐怖で体が動かない。その、耳を劈くような騒音の中で、私は、別の、小さな音を聞いた。
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それは、紛れもなく、私が玄関のドアに付けている、鍵束の音だった。
カラスの一羽が、あるいは、奴ら全体が、あの音を、完璧に真似て、すぐドアの外で鳴らしているのだ。
まるで、今まさに、鍵を開けようとしているかのように。
どれくらいの時間、その狂乱が続いただろうか。不意に、全ての音が止んだ。
カラスたちは、何事もなかったかのように飛び去り、窓の外には、引っ掻き傷だらけのガラスと、夕暮れの静寂だけが残されていた。
私は、まだ部屋から一歩も出られない。
窓の外には、きっと奴らがいる。電線の上で、屋根の上で、あの黒い目で、私を監視している。
いつ、また襲ってくるか。いつ、あの鍵の音と共に、ドアの向こうに現れるか。
私は、この部屋で、無数の黒い目に囲まれて、ただ息を潜めている。
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