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屋台
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ゴールデンウィークの土曜深夜。新宿の喧騒は、まだ終わる気配がない。俺は、友人たちとの飲み会の帰り、少し酔った頭で、人混みを避けるように裏路地へと入った。安くて美味いラーメン屋でもないかと、千鳥足で歩いていた時、不意に、その屋台が目に入った。
古い木の引き戸、煤けた赤提灯。こんなところに、こんな店あったか? 記憶にない。だが、豚骨と醤油の、食欲をそそる匂いに引き寄せられ、俺は、ふらふらとカウンターだけの狭い店内へ足を踏み入れた。
客は、俺一人。店主らしき老人が、カウンターの向こうで、黙々と何かを煮込んでいる。深い皺の刻まれた顔、濁ったような色の目。そして、やけに節くれだった、土気色の指。
「…ラーメン、ひとつ」
俺が言うと、老人は、無言でこくりと頷き、ゆっくりとした、儀式のような手付きで、調理を始めた。
待っている間、妙なことに気づく。外の喧騒が、この路地には、ほとんど届いてこないのだ。まるで、ここだけが、別の空間であるかのように、しん、と静まり返っている。そして、ラーメンの匂いに混じって、微かに、湿った土のような、あるいは、鉄のような、妙な匂いが漂ってくる。
やがて、ラーメンが目の前に置かれた。
どんぶりの中を見て、俺は、一瞬、眉を顰めた。スープの色が、妙に黒ずんでいる。麺も、灰色がかっているような。そして、チャーシューには、血管のような、赤黒い筋が、びっしりと浮き出ていた。
「……いただきます」
空腹と酔いが、躊躇いを押し流す。レンゲでスープを一口。…味が、薄い? いや、違う。舌が、痺れるような、妙な感覚がある。金属を舐めたような後味。
麺を啜る。コシがない。ぶつぶつと切れ、喉を通る感触が、どこか、ざらついている。
チャーシューを齧る。肉の旨味はほとんどなく、ただ、生臭いような、血のような味が、口の中に広がった。
それでも、俺は、半分ほど、それを胃に収めてしまった。
その間、老人は、カウンターの向こうから、あの濁った目で、俺を、じっと、瞬きもせずに見続けていた。その視線が、背中に突き刺さるようだ。老人の、爪が異様に伸びていることにも気づいた。黄色く、分厚い、獣の爪のような。
ふと、どんぶりの底の方で、何かが、うごめいた気がした。
白い、小さな、節のあるものが、麺の間から、にゅるり、と顔を出し、すぐに、スープの中へと消えた。
蛆虫? いや、もっと———。
——— ぐっ、と、喉の奥から、何かが込み上げてきた。
俺は、どんぶりを突き飛ばすようにして、席を立った。
「…ごちそうさん!」
乱暴に千円札をカウンターに叩きつけ、逃げるように店を出ようとする。
その時、初めて、老人が口を開いた。
乾いた、掠れた、囁くような声。
「おおきに」
振り返ると、老人は、ゆっくりと、顔を上げていた。そして、その皺だらけの顔に、気味の悪い笑みを浮かべていたのだ。
それは、人間ではありえないほど、横に大きく裂けた笑み。歯茎は黒ずみ、覗いている歯は、どれも、鋭く、尖っているように見えた。
「……また、すぐ、腹が減るで」
その言葉と同時に、俺の腹の、胃のあたりに、
——— ぎりりりりっ!!
と、焼け火箸を押し付けられたような、激しい痛みが走った!
「ぐっ……うあああっ!」
腹を押さえて、その場にうずくまる。胃の中で、何か、冷たい塊のようなものが、ぐるぐると、激しく、蠢いている! それが、内側から、俺の腹を、食い破ろうとしているかのような!
俺は、朦朧とする意識の中、必死で路地を這い出し、喧騒の中へと転がり出た。
腹の痛みは、波のように引いていったが、代わりに、耐え難いほどの「空腹感」が、俺を襲っていた。それは、普通の空腹とは違う。もっと、根源的で、満たされることのない、飢餓感。
あの屋台は、もう見つけられないだろう。
だが、俺の中には、あのラーメンと、あの老人の言葉と、そして、この、決して満たされることのない、異様な飢えが、残ってしまった。
俺は、これから、何を食べればいい? 何を、「腹に入れて」しまうのだろう?
その想像が、何よりも、恐ろしかった。
古い木の引き戸、煤けた赤提灯。こんなところに、こんな店あったか? 記憶にない。だが、豚骨と醤油の、食欲をそそる匂いに引き寄せられ、俺は、ふらふらとカウンターだけの狭い店内へ足を踏み入れた。
客は、俺一人。店主らしき老人が、カウンターの向こうで、黙々と何かを煮込んでいる。深い皺の刻まれた顔、濁ったような色の目。そして、やけに節くれだった、土気色の指。
「…ラーメン、ひとつ」
俺が言うと、老人は、無言でこくりと頷き、ゆっくりとした、儀式のような手付きで、調理を始めた。
待っている間、妙なことに気づく。外の喧騒が、この路地には、ほとんど届いてこないのだ。まるで、ここだけが、別の空間であるかのように、しん、と静まり返っている。そして、ラーメンの匂いに混じって、微かに、湿った土のような、あるいは、鉄のような、妙な匂いが漂ってくる。
やがて、ラーメンが目の前に置かれた。
どんぶりの中を見て、俺は、一瞬、眉を顰めた。スープの色が、妙に黒ずんでいる。麺も、灰色がかっているような。そして、チャーシューには、血管のような、赤黒い筋が、びっしりと浮き出ていた。
「……いただきます」
空腹と酔いが、躊躇いを押し流す。レンゲでスープを一口。…味が、薄い? いや、違う。舌が、痺れるような、妙な感覚がある。金属を舐めたような後味。
麺を啜る。コシがない。ぶつぶつと切れ、喉を通る感触が、どこか、ざらついている。
チャーシューを齧る。肉の旨味はほとんどなく、ただ、生臭いような、血のような味が、口の中に広がった。
それでも、俺は、半分ほど、それを胃に収めてしまった。
その間、老人は、カウンターの向こうから、あの濁った目で、俺を、じっと、瞬きもせずに見続けていた。その視線が、背中に突き刺さるようだ。老人の、爪が異様に伸びていることにも気づいた。黄色く、分厚い、獣の爪のような。
ふと、どんぶりの底の方で、何かが、うごめいた気がした。
白い、小さな、節のあるものが、麺の間から、にゅるり、と顔を出し、すぐに、スープの中へと消えた。
蛆虫? いや、もっと———。
——— ぐっ、と、喉の奥から、何かが込み上げてきた。
俺は、どんぶりを突き飛ばすようにして、席を立った。
「…ごちそうさん!」
乱暴に千円札をカウンターに叩きつけ、逃げるように店を出ようとする。
その時、初めて、老人が口を開いた。
乾いた、掠れた、囁くような声。
「おおきに」
振り返ると、老人は、ゆっくりと、顔を上げていた。そして、その皺だらけの顔に、気味の悪い笑みを浮かべていたのだ。
それは、人間ではありえないほど、横に大きく裂けた笑み。歯茎は黒ずみ、覗いている歯は、どれも、鋭く、尖っているように見えた。
「……また、すぐ、腹が減るで」
その言葉と同時に、俺の腹の、胃のあたりに、
——— ぎりりりりっ!!
と、焼け火箸を押し付けられたような、激しい痛みが走った!
「ぐっ……うあああっ!」
腹を押さえて、その場にうずくまる。胃の中で、何か、冷たい塊のようなものが、ぐるぐると、激しく、蠢いている! それが、内側から、俺の腹を、食い破ろうとしているかのような!
俺は、朦朧とする意識の中、必死で路地を這い出し、喧騒の中へと転がり出た。
腹の痛みは、波のように引いていったが、代わりに、耐え難いほどの「空腹感」が、俺を襲っていた。それは、普通の空腹とは違う。もっと、根源的で、満たされることのない、飢餓感。
あの屋台は、もう見つけられないだろう。
だが、俺の中には、あのラーメンと、あの老人の言葉と、そして、この、決して満たされることのない、異様な飢えが、残ってしまった。
俺は、これから、何を食べればいい? 何を、「腹に入れて」しまうのだろう?
その想像が、何よりも、恐ろしかった。
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