【完結】勇者の孫は、自分が最強だとまだ知らない

シマセイ

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第2話 脆い木剣

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ゴォォォ……。
王立学院の魔法訓練場に、ぽっかりと開いた巨大な風穴から、乾いた風が吹き抜けていく。
その風の中心で、一人の少年が「えへへ」と照れくさそうに頭をかいていた。
彼の名はアッシュ・リンクス。
たった今、初級魔法のファイアボールで、訓練場の分厚い石壁を消し去った張本人である。

「…………」

「…………」

教官のエルネスト先生も、公爵家嫡男のアレクシスも、その他の生徒たちも、全員が言葉を失い、目の前の非現実的な光景と、ケロリとしているアッシュの顔を交互に見比べていた。
まるで時が止まったかのような静寂。それを破ったのは、エルネスト先生の震える声だった。

「り、リンクス君……」

「はい、先生!」

元気の良い返事に、エルネスト先生はこめかみをピクピクとひきつらせる。

「今のは……一体、何だ?君は、何をしたんだ……?」

問われたアッシュは、うーんと少しだけ考え込むと、にぱっと笑って答えた。

「はい!じいちゃんに教わった通りにやりました!」

「おじいさん……?君のおじいさんはいかなる大魔道士なんだ……」

「え?じいちゃんは、ただのじいちゃんですよ?いつも家でゴロゴロしてて、漬物作りの名人です!」

「漬物……?」

話が全く噛み合わない。エルネスト先生は、めまいをこらえるように額に手を当てた。
この少年は、自分が何をしでかしたのか、全く理解していない。悪意もなければ、自慢する気もない。ただ、やった。それだけなのだ。この純粋すぎる規格外を、一体どう扱えばいいというのか。

「あの杖は……その木の枝は、一体どこで手に入れたんだ?」

エルネスト先生は、最後の望みをかけて、アッシュが持つ杖――世界樹の枝に目を向けた。これほどの威力を引き出すのだ、何か特別なアーティファクトに違いない。

「これですか?これは、じいちゃんが庭の木を切ったときにもらいました。『魔力の通りが良さそうだ』って」

「庭の……木……」

エルネスト先生は、天を仰いだ。もう、何も聞くまい。考えるだけ無駄だ。
幸い、訓練場の後方はただの空き地で、人的被害は出ていない。問題は、このぽっかり開いた壁をどうやって上層部に報告するかだ。

「……リンクス君。君は、今後、私の許可なく魔法を撃つことを禁ずる」

「えー!どうしてですか?」

「どうして、だと……?君は……はぁ……。とにかく、禁止だ!いいね!?」

「はーい……」

不満そうなアッシュを睨みつけ、エルネスト先生は大きくため息をついた。
波乱の学院生活どころではない。自分の胃に、訓練場と同じサイズの穴が開きそうだ。
一方、生徒たち、特にアレクシスは、別の感情に支配されていた。

(ありえない……。あんな平民が、この僕の魔法を……?まぐれだ。何かの間違いだ。そうだ、あの忌々しい木の枝のせいだ。そうでなければ、説明がつかない!)

アレクシスは、わなわなと拳を握りしめ、憎々しげにアッシュを睨みつけていた。
その視線に、アッシュは全く気づいていない。彼が考えていたのは、ただ一つ。

「(先生、怒ってたなあ。でも、お腹すいたなあ……)」

この日、王立学院で起こった「訓練場大爆発事件」は、様々な尾ひれがついて、瞬く間に学院中の知るところとなった。
曰く、平民のアッシュが古代の禁呪を暴発させた。
曰く、伝説級の魔法の杖を隠し持っていた。
曰く、公爵家のアレクシスへの挑戦状として、わざと壁を破壊した。
アッシュ・リンクスの名は、本人のあずかり知らぬところで、一躍、学院一の有名人となったのである。

午後の授業は、場所を移して剣術訓練場で行われる。
担当するのは、バルガス先生。元王国騎士団の副団長という経歴を持つ、筋骨隆々の大男だ。その指導は実践的かつ豪快で、生徒たちからは恐れられつつも、魔法教官のエルネストと並んで尊敬を集めている。

「うっす!お前ら、ひょろひょろしてんな!もっと飯食え、飯!」

バルガス先生は、木剣を肩に担ぎ、仁王立ちで生徒たちを迎えた。

「今日の授業は、一対一の模擬戦だ!身分なぞ関係ねえ!強え奴が上だ!せいぜい無様に負けて、昨日の夕飯をぶちまけねえようにな!がははは!」

豪快な笑い声が訓練場に響く。生徒たちは皆、ピリッとした緊張感に包まれた。
そんな中、魔法訓練場の壁修復の手配を終えたエルネスト先生が、やつれた顔でバルガス先生のもとへやってきた。

「バルガス……。少し、頼みがある」

「おう、エルネスト。なんだい、幽霊みてえな顔して。まさか、あの噂は本当だったのか?お前の訓練場の壁を、新入生が吹っ飛ばしたって」

「……その件だ。例の生徒、アッシュ・リンクス君に、特に注意を払って見てやってくれ。あの子は……色々と普通じゃない」

「ほう?あの平民のガキがか。面白え。どれほどの剣の腕か、この俺が見てやろうじゃねえか」

エルネストの忠告に、バルガスはにやりと口の端を吊り上げた。
ちょうどその時、アレクシスがアッシュの前に進み出て、挑戦的に顎をしゃくった。

「おい、リンクス。貴様、ちょっとツラ貸せ」

「え?僕?また?」

昼食の特盛りランチでお腹がいっぱいになり、少し眠くなってきたアッシュは、面倒くさそうに答える。

「魔法でまぐれ当たりを出したからといって、調子に乗るなよ。剣の世界は、魔法のように小細工は通用せん。この僕が、本物の実力というものを教えてやる。僕と勝負しろ!」

アレクシスは、ビシッとアッシュに木剣を突きつけた。午前中の屈辱を、剣で晴らそうというのだ。
周囲の生徒たちが、固唾をのんで成り行きを見守る。

「えー……。めんどくさいなあ……」

「なんだと!この僕、アレクシス・フォン・ヴァイスとの勝負を、面倒だと抜かすか!」

「だって、眠いし……」

あまりにも緊張感のないアッシュの返答に、アレクシスの額に青筋が浮かぶ。
その二人のやり取りを見ていたバルガスが、面白そうに割って入った。

「いいじゃねえか、やってやれよ、リンクス!公爵様直々のお誘いだぜ!よし、特別に最初の模擬戦は、ヴァイス対リンクスとする!二人とも、前へ出ろ!」

「は、はい!」

「……はーい」

バルガスの鶴の一声で、二人の対戦が決定してしまった。
アレクシスは自信に満ちた表情で、一方のアッシュは大きなあくびをしながら、訓練場の中央へと進み出た。

アッシュにとって、剣とは「重たい棒」くらいの認識でしかない。なにせ、彼の家では、かつて祖父が魔竜を斬り伏せたという聖剣が、暖炉の薪を動かすための火かき棒として使われているのだ。それに比べれば、学院の木剣など、軽いことこの上ない。

「始め!」

バルガスの号令と共に、アレクシスが動いた。

「はあっ!」

鋭い気合と共に、滑るような足運びでアッシュとの間合いを詰める。公爵家に伝わる、流麗にして鋭い剣技だ。木剣の切っ先が、アッシュの喉元を正確に狙う。
速い!生徒たちから驚きの声が上がる。
しかし。

すっ。

アッシュは、まるでそこに滑りやすい石でもあったかのように、半歩だけ横にずれた。
アレクシスの渾身の突きは、空を切る。

「なっ!?」

体勢を崩したアレクシスに、アッシュは「おっと」と声をかけるだけで、反撃しようともしない。
アレクシスはすぐに体勢を立て直し、今度は連続で斬りかかった。

「でやあっ!せいっ!」

右から、左から、上から。目にもとまらぬ速さで木剣が振るわれる。
だが、アッシュはその全てを、最小限の動きでひょいひょいとかわしていく。まるで、じゃれついてくる子犬をあしらっているようだ。
その動きは、祖父との「チャンバラごっこ」――その実態は、勇者の超実戦的訓練――で、嫌というほど体に染みついたものだった。薪を割る要領、飛んでくる蜂を避ける動き、ぬかるみで転ばないためのステップ。アッシュの無意識の動きは、すべてが戦闘における最適解に繋がっていた。

周囲の生徒たちには、アッシュがただ運良く攻撃を避けているようにしか見えない。
しかし、指導者であるバルガスの目だけは、その異常さを見抜いていた。

(なんだ、あの動きは……!?無駄が一切ない。相手の攻撃の軌道を、寸分の狂いもなく見切っているというのか……?馬鹿な、十二歳の子供にできる動きではない!)

「はあ……はあ……!こ、この……!」

攻撃を全てかわされ、アレクシスの呼吸が乱れ始める。プライドが、彼の冷静さを奪っていた。

「これで、終わりだあっ!」

アレクシスは、残った力の全てを込めて、木剣を大きく振りかぶった。渾身の力で叩きつける、必殺の一撃。

その一撃を前にして、アッシュはようやく木剣を構えた。そして、薪割りの要領で、振り下ろされるアレクシスの木剣に、自分の木剣を、こつん、とぶつける。

パキィィィィィンッ!

乾いた、甲高い音が訓練場に響き渡った。

次の瞬間、信じられないことが起こる。
アレクシスの木剣が、真ん中からぽっきりと折れて、宙を舞ったのだ。

「…………え?」

アレクシスの手には、半分になった木剣の柄だけが残されている。
訓練場が、再び水を打ったように静まり返る。
午前中の魔法訓練場と、全く同じ光景。
デジャブ。

折れた木剣がカラン、と音を立てて地面に落ちた。
その音で、皆が我に返る。

「あ……」

アッシュは、自分の手の中の無傷の木剣と、呆然と立ち尽くすアレクシスを見比べ、困ったように言った。

「ごめん。なんか、この剣、思ったより脆いみたいだね」

その言葉が、とどめだった。
アレクシスは、がっくりと膝から崩れ落ちる。
魔法でも、剣でも、完敗。プライドは粉々になって、風に舞う塵となった。

そんな中、教官のバルガスだけが、アッシュから目を離さずに、わなわなと震えていた。

(今のは……薪割りだと?ふざけるな!あれは、相手の力の流れを完璧に読み、最小の力で衝撃を叩き返し、剣の芯を破壊する、伝説に謳われた対剣技『破心』の構えそのものではないか……!)

なぜ、平民の、まだ十二の少年が、失われたはずの勇者の技を使う?

バルガスはごくりと唾を飲み込んだ。
この少年は、普通じゃないどころの話ではない。
とんでもない怪物が、この王立学院に入学してきた。
その事実だけが、歴戦の元騎士の脳髄に、確かな実感として刻み込まれたのだった。
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