「婚約破棄します」その一言で悪役令嬢の人生はバラ色に

有栖川灯里

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空は澄みわたり、朝露の香りが風に溶けていた。

ヴァイセローゼ北部。  
旧集落の跡地に建てられた小さな学び舎に、今日は人々が続々と集まっていた。

「……こんなにも来てくれるなんて」

ユリアが驚きと喜びを滲ませる声で呟く。

地元の農家、遠方から足を運んだ民、王都からの見学者。  
その中には──控えめに一歩引いて佇む、カミル王子の姿もあった。

「少しずつ、ですね」

フェルナン神官が隣に立ち、柔らかく言った。

「“すべてを変える”のではなく、“誰かの何かを変える”。それでいい」

「……ええ。それで、十分です」

私は一歩前へ進み、壇上に立った。  
真新しい木の香り、目を輝かせる子どもたちの視線、緊張に包まれた静寂──  
けれど、あの舞踏会の断罪の日とは違う。

今、私はここで“選ばれて立つ”のではなく、  
“自分の意思で立っている”。

「本日、薬草院兼学び舎《アウストリアの灯》、正式に開所いたします」

拍手が湧き上がった。

「ここは、学びの場であり、癒しの場であり、そして──何より“未来を選ぶ場所”です。  
過去がどうであれ、名がなかろうと、記録に残らなかろうと……  
ここでは、あなた自身が何者かを決めていい」

私は壇上から視線をめぐらせる。  
そこには、名もなき少年少女、農民の娘、王都から来た書記官、そして──  
観客の列の最奥で、小さく会釈を返したリリーの姿もあった。

「私は断罪され、すべてを失ったとき、初めて“自由”を得ました。  
それは苦く、孤独で、でもとても清らかな道でした。  
だから、どうか恐れずにここへ来てください。あなたの名前を、あなたの人生を、自分で選ぶために」

言葉の終わりとともに、風が一陣、花壇を撫でた。

拍手はやがて波紋のように広がり、誰もが自然とその場に立ち上がっていた。

「……貴女は、もう“役柄”の中では語れないお方なのですね」

後でそっと声をかけてきたのは、カミル王子だった。

「“悪役令嬢”という呼び名で、すべてを説明できた時代は、もう過去のものですわ」

私が返すと、カミルはまっすぐに頷いた。

「では、新しい名前で、ここから始めてください。  
貴女の物語が、“貴女自身”で綴られることを願っています」

その言葉に、私はようやく気づいた。

──私はいま、ようやく“始まりの地”に立っているのだと。

断罪も、誤解も、役割もすべて越えたその先で、  
私は私として、ただ静かに、生きていく。

“悪役令嬢”の物語は終わった。  
そしてここからは、“エヴァリーナ”という一人の人間の物語が、ゆっくりと幕を開ける。
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