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「──神殿より、視察申請です」
朝の書簡を読み上げるユリアの声は、いつもより少しだけ張り詰めていた。
「申請者は、神殿教導局所属・補佐神官──ヨアヒム=トラヴァース。
年齢二十五、教育と信仰指導を兼務。
“制度の現場に立つ者として、学び舎の実情をこの目で確かめたい”とのことです」
「……拒む理由は、何ひとつないわ」
私はそう答えながら、封筒の端に丁寧に記された“手書きの署名”に目を止めた。
──迷いと、決意が同居する筆圧。
これは、“命じられて来る者”ではない。
“自らの意思で歩き出そうとしている者”の手だ。
「むしろ、歓迎しましょう。
制度の中にいる人が、自分の足で制度の外に来ようとするなら──それは、どんな改革より意味がある」
三日後の午後。
その神官は、灰色の法衣をまとい、控えめな足取りで門をくぐってきた。
「……ようこそ、《アウストリアの灯》へ。
私はエヴァリーナ=フォン=ヴァイセローゼ。こちらの責任者です」
「ヨアヒム=トラヴァースです。……本日お時間をいただき、感謝いたします」
青年の声は低く、はっきりとしていた。
けれどその目は、城壁の外に慣れていない者特有の、わずかな緊張を湛えていた。
「本日は、何をご覧になりますか?」
「……“ここに生きている者たち”の言葉を聞かせていただければ、それだけで十分です」
私は頷き、クラウディアのいる教室へと案内した。
薬草の仕分け、調合の記録、読み書きと対話。
決して“神聖”でも“奇跡的”でもない、ただの“日常”。
けれど、そこにいた子どもたちは、皆“自分の名”で返事をしていた。
ヨアヒムはしばらく無言で様子を見たあと、クラウディアに声をかけた。
「……あなたは、なぜここに?」
「“聖女”になりたくなかったからです。
それより、“自分になりたい”と思ったから」
ためらいのない返答に、神官は静かに息を飲んだ。
そのあと、しばらく彼は何も言わなかった。
だが見学を終えたあと、私に向かって深く頭を下げた。
「……私は、神を信じています。
でも今、“名を選び直す勇気”もまた、信仰の形なのだと、初めて思いました」
「それは、あなた自身が見た景色だからこそ、言える言葉ですね」
彼はわずかに笑った。
「戻れば、きっと批判も受けるでしょう。
でも、今日ここで見たことを、私は失いたくない。……だから、記します。
神の名のもとに、“語るに値する灯火”が、この地にあったと」
彼はそう言い残して、夕暮れの道を戻っていった。
──その背中は、もう“信仰の内に閉じ込められた者”ではなかった。
制度の内と外に、少しずつ橋が架かりはじめている。
言葉によって。
選んだ名によって。
そして、“語り継ぐ意思”によって。
それは、かつて誰かが私に与えてくれなかったもの。
けれど今、私は誰かに“渡す側”になれたことが、何より誇らしかった。
朝の書簡を読み上げるユリアの声は、いつもより少しだけ張り詰めていた。
「申請者は、神殿教導局所属・補佐神官──ヨアヒム=トラヴァース。
年齢二十五、教育と信仰指導を兼務。
“制度の現場に立つ者として、学び舎の実情をこの目で確かめたい”とのことです」
「……拒む理由は、何ひとつないわ」
私はそう答えながら、封筒の端に丁寧に記された“手書きの署名”に目を止めた。
──迷いと、決意が同居する筆圧。
これは、“命じられて来る者”ではない。
“自らの意思で歩き出そうとしている者”の手だ。
「むしろ、歓迎しましょう。
制度の中にいる人が、自分の足で制度の外に来ようとするなら──それは、どんな改革より意味がある」
三日後の午後。
その神官は、灰色の法衣をまとい、控えめな足取りで門をくぐってきた。
「……ようこそ、《アウストリアの灯》へ。
私はエヴァリーナ=フォン=ヴァイセローゼ。こちらの責任者です」
「ヨアヒム=トラヴァースです。……本日お時間をいただき、感謝いたします」
青年の声は低く、はっきりとしていた。
けれどその目は、城壁の外に慣れていない者特有の、わずかな緊張を湛えていた。
「本日は、何をご覧になりますか?」
「……“ここに生きている者たち”の言葉を聞かせていただければ、それだけで十分です」
私は頷き、クラウディアのいる教室へと案内した。
薬草の仕分け、調合の記録、読み書きと対話。
決して“神聖”でも“奇跡的”でもない、ただの“日常”。
けれど、そこにいた子どもたちは、皆“自分の名”で返事をしていた。
ヨアヒムはしばらく無言で様子を見たあと、クラウディアに声をかけた。
「……あなたは、なぜここに?」
「“聖女”になりたくなかったからです。
それより、“自分になりたい”と思ったから」
ためらいのない返答に、神官は静かに息を飲んだ。
そのあと、しばらく彼は何も言わなかった。
だが見学を終えたあと、私に向かって深く頭を下げた。
「……私は、神を信じています。
でも今、“名を選び直す勇気”もまた、信仰の形なのだと、初めて思いました」
「それは、あなた自身が見た景色だからこそ、言える言葉ですね」
彼はわずかに笑った。
「戻れば、きっと批判も受けるでしょう。
でも、今日ここで見たことを、私は失いたくない。……だから、記します。
神の名のもとに、“語るに値する灯火”が、この地にあったと」
彼はそう言い残して、夕暮れの道を戻っていった。
──その背中は、もう“信仰の内に閉じ込められた者”ではなかった。
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言葉によって。
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それは、かつて誰かが私に与えてくれなかったもの。
けれど今、私は誰かに“渡す側”になれたことが、何より誇らしかった。
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