ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

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第二章

17

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 場がシンと静まり、くすりと小さい笑い声がした。

「確かに傷は一つでしたねぇ。右の肩から左の腰へと、なんとも思い切りの良い傷が」

 ダイヤのクイーン、テディだ。暗くジメジメした男は、ニヤついた顔を私に向ける。しかしその表情は、どこか安堵したかに見えて、首を傾げそうになった。

 隣に座るルーファスさんが、膝に肘をついて嘲るように笑った。

「と、いうわけだ。困ったな? 三国の10の意見が真っ二つだ。これについてお前はどう考える? ダイヤのキング」

 問われたダイヤのキングは、どこか諦めを滲ませる疲れた表情で笑みを浮かべた。

「分かった。スペードの10を解放」
「待ってよ!!」

 ダイヤのキングの声を甲高い声が遮った。

「白の国には女王とジャックしかいないじゃないの!! でまかせ言わないでよ!!」
「知らせを聞いていらっしゃらないのですか。私は確かに白の女王陛下より10の位を賜りました。これが、その証です」

 胸元のカメオを押さえる。
 これはあのお茶会の後、白の女王陛下が手紙とともに送ってきてくれたものだ。

 手紙には改めての謝罪と、10の位を新設したという知らせ。これは余の初めての仕事なのだという、どこか胸を張ったような文章が書かれていて和んだ。
 心の中で、あの小さな女王陛下に頭を下げる。
 これがあるから、私にもエルザさんを助けられる。

「そして、私が現場にいたことは、あなたが一番よくご存じのはず。違いますか?」
「……っアーノルド! あなたまさか、わたしよりもこの女の言うことを信用するの!? スペードの10とララが、二人で嘘をついてるのかもしれないじゃない!!」

 答えたのはニヤケ顔のダイヤのクイーンだ。

「それはあなたも同じですよ、ソフィア。あなたと同じ10のお二人は、あなたが嘘をついていると仰っている。ならば、我々はどちらを取らなければならないか。お分かりですよね、キング?」

 ダイヤのクイーンが自国のキングに目を向け、ソフィアは激しくダイヤのクイーンを睨みつけた。

「テディ。あなた、わたしを裏切るの」
「とんでもない。ただ、私はダイヤのクイーンです。他国との関係をより良く保つのも私の役目。心を鬼にして申し上げておるのですよ。マイハニー」

 ゲームにおいて、ダイヤのクイーン、テディは大嘘つきの野心家だった。ダイヤの国のルートでは、アリーやジャック、そしてヒロインを裏切るのだ。
 でも、その裏切りの理由はダイヤの国を守るためだった。もしかして、この人……。

「それで。どうなんです、キング。エルザ殿は早急にお返しするべきだと、私は思いますがねぇ」
「ダメよ! あんなの、わたしが嘘をついた証拠にはならない!! アーノルド、お願い。信じて。『正しいことをしてきた』あなたなら、わたしを信じてくれるわよね!?」

 ダイヤの二人が、キングへと詰め寄る。傍目にもアリーは汗をかき、追い詰められているように見えた。

「アリー」

 隣から、低く、響くような声がした。

「その女を黙らせろ。耳障りだ。もう一度言うぞ。俺の10を、ここに連れてこい」

 それはとても静かで、厳かな、キングとしての威厳に満ちた命令だった。
 煩く騒ぐソフィアすら、口を噤むほどに。

 しかし追い詰められていたはずのダイヤのキングは、乾いた笑みを溢した。それはどことなく自嘲めいた笑みで。

「あなたは、いいわよね。ルーファス。頼れる幼馴染や弟がいて。エルザまで……」

 ぐいとソフィアを胸に抱き寄せたダイヤのキングは、ルーファスさんを睨みつけた。

「他国の10がなんと言おうが、私は自国の10を信じる。もしもスペードの10が犯人でないと言うなら、真犯人を、私の前に連れてきなさい」

「そんな……っ!」

 私は嘘なんて付いていない。他国の、それも中立である白の国の10の証言でもダメだっていうの?

 言い募ろうと立ち上がる私は、ルーファスさんの手に遮られた。

「……それが、お前の答えか。それで、いいんだな」
「ええ。ソフィアは私を救ってくれたわ。だから私は、ソフィアを信じる」

 先ほどまで追い詰められて狼狽えていたダイヤのキングが、今は真っ直ぐにルーファスさんを睨みつけている。
 隣から「そうか」という言葉が溢れ落ちた。

「……残念だ。ダイヤのキング」

 ルーファスさんの重い一言で、私は思い出した。ここに来る前に、ルーファスさんが言った言葉を。



『戦争でもなんでも、してやろうじゃねぇか』



 そんな。まさか、本当に……。



「これは貸し二つでは効かないなぁ……あの人には頭が上がりませんねぇ、ほんと」

 緊張感の高まる部屋の中で、ため息混じりの声がした。
 声の主に視線が集中する。ダイヤのクイーンはニヤけた顔で、四つ折りの紙を取り出した。

「スペードのキング。こちらはスペードの10からお預かりした、貴方へのお手紙でございます。お納めください」
「……手紙?」

 誰もが動きを止めた中で、ダイヤのクイーンだけがするすると泳ぐように動き、ルーファスさんに、恭しく手紙を手渡した。

 失礼にならないよう気を付けて、手紙を覗き込む。

『落ち着いて、左側に目を向けなさい。私はこのスイートルーム、結構気に入ってるわよ。今のところはね。  エルザ』

 左側……?

 ちらりと、右に座るルーファスさんが私に目を向けて、息を吐いた。

「5」
「確かに10の筆跡に間違いありません。……ふざけた暗号まで入れてあります」

 後半は小声だった。

「愛の言葉でも書いてやがるか」
「……ご想像にお任せします」

 ルーファスさんは一つ、舌打ちして、呆気にとられた様子のダイヤのキングに目を向けた。
 その目はいつもの楽しげな目をしていて、後ろにいる三人も、少し安堵した様子に思える。

 体から力が抜けた。
 エルザさんは本当にすごい。こんな簡潔な手紙一つで、ルーファスさんが笑ってる。

「今日はこちらに泊めてもらおうか。スペード側でも事件を調べさせてもらう」
「わかったわ。あなた方には、その権利があるものね」
「ああ。……お前はそっちの話し方が、しっくり来るな」
「……っ」

 言葉を詰まらせたダイヤのキングを置いて、ルーファスさんはすっと立ち上がる。すぐにダイヤの10が部屋へと案内すると言い出した。
 それをルーファスさんはにべもなく断り、ダイヤのクイーンに案内を頼んでいる。

「待て」

 突然、大きな声がしてびくりと体が震えた。
 ルーファスさんが私の前に出て来る。その動きは、何かから庇おうとしてくれているみたいだった。

「つまり、テディはソフィアを裏切ったということか?」
「……私は当然ソフィア嬢の愛の僕ですが、これは国の重鎮として動いたまでですよ。ジェイク君」

 ダイヤのジャック、ジェイクは単純おバカなキャラだった。それなのに怪力の持ち主でタチが悪い、という。

「ならばなぜ、ソフィアの部下を殺したエルザの手紙なんか預かるんだ? お前はよく分からんことを言うが……今回のはさすがに分かるぞ。お前はエルザのスパイだ」
「ったく……この単純バカが……っ」

 憎々しげに呟いたダイヤのクイーンの左手に風の渦が現れた。
 ダイヤのジャックは背負った大刀を抜き去り、そのままの勢いでダイヤのクイーンへと振り下ろし──。

「ノエル」

 ガンという打ち付けた音がして、閉じた目を恐る恐る開いた。
 大刀は、二つの剣のうち一つを抜いたノエル君によって、受け流されたらしい。床のカーペットに突き刺さっている。

「……ちょうど、イライラしてたんだ。僕が相手してやろうか。ダイヤのジャック」
「ノエル……お前がなぜテディを庇う」
「兄さんの指示だ。僕が知るか」

 いつもとは違う、冷たく落ち着いた声音は、どこかルーファスさんのようであり、エルザさんにも似ていた。

「ジェイク、下がりなさい。テディはお使いしただけよ」

 ダイヤのキングの言葉で、ジェイクは渋々剣を下げた。

「……では、改めて部屋へと案内頼めるかな。ダイヤのクイーン。貸しは三つ、いや四つだな」
「負債ばかりが増えますねぇ……感謝します。あれは私には避けられませんので」
「白の10に、グロテスクなもん見せるわけにいかねぇからな。……ああ、そうだ。アリー」

 部屋を出ようとしたところで、ルーファスさんが何かを思い出したように立ち止まった。

「せめて10の様子くらいは確認させてくれてもいいだろう。うちの5に見に行かせる」
「……もちろんよ。今すぐかしら?」
「ああ。オーウェン、一人で構わないな?」
「はい。もしも戻らなければ捨て置いてください」
「んなことするかよ。……頼んだ」

 ルーファスさんがオーウェンさんの肩を叩く。オーウェンさんはダイヤのキングの元へと一歩踏み出し──。

「……どうして、オーウェンがスペードの国にいるの……?」

 ……えっ?

 信じられないものを見たような声音で言ったのは──ソフィアだ。

 同じく彼女の声が聞こえたらしい、ルーファスさんと目が合った。首を傾げられて、私も同じ動きを返す。
 オーウェンさんはクローバーの国の出身だって、エルザさんから聞いたことがある。ソフィアと、知り合いなの?
 しかしオーウェンさんもまた、ソフィアを見て訝しげな表情をしている。

 集まる視線に、しまったとでも言うようにソフィアは目を逸らし、部屋から出て行った。
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