ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

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第二章

18

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 ピチャンと、水滴の落ちる音だけが響く。
 四つ、五つ、と気付けば、その水滴の落ちる音を数えてしまう。
 蝋燭の明かりだけの地下牢での娯楽なんて、それくらいだ。
 のんびりと数えていれば睡魔が襲って来たが、まだ夜という時間には早いだろう。夕食が運ばれてきていない。
 睡魔の理由は、昨晩あまり眠れていないからだ。さすがの私だって、はじめての牢獄ですやすやと眠れるだけの胆力はない。

 テディは上手く動いてくれたかしら。

 ここに入れられてすぐ、来客があった。
 ニヤけた顔のダイヤのクイーンは、珍しくも暗い顔をして、バツが悪そうな視線をこちらに向けて見張りの兵を下げさせた。

「少し彼女を尋問します。見張りは私が務めますので、あなたは下がって結構」

 兵が十分に離れたところで、私は口を開いた。

「尋問も何も、私はやってないわよ」

 さすがに拷問は遠慮したいところだと思えば、肩を竦めたテディは当然のように「存じてますよ」と言い出した。

「あなたが犯人だなんてこれっぽっちも思っていませんよ。理由がありませんからねぇ」
「……私はいつかやると思ってたって言ったじゃないの」
「あれは方便です。あのバカ女が喜ぶだろうことを言ったまでで」

 バカ女と言われれば、思いつくのは一人だけだ。

「『骨抜き』なんじゃなかったの?」

 テディはゲームでは大嘘つきとして書かれていた。でも、攻略が進むにつれて、アリーやダイヤのジャックのように正直でいたかったのだとヒロインに涙ながらに零すほど、嘘をつくことに苦しんでもいた。
 そんなテディが、好きな相手であるソフィアを、バカ女と評するだろうか。

「とんでもない。あんな不気味な女に惚れるなんて、単純バカなジェイク君か、心が弱いキングくらいなものでしょうよ。……誰にも話したことのない私の秘密を次々言い当てて来ただけでも気色が悪いというのに『あなたも辛かったわよね』なんて訳知り顔で言われてみなさい。恐ろしくてとてもじゃありませんが、常人には見えませんよ」

「……それは確かに不気味だと思うけど、それでも多少心が動かされたりしたんじゃないの?」

「いいえ、まったく。これでも私は嘘をついているかどうかの見極めは得意でしてね。あの女は相手が欲しい言葉を口にしているだけだとすぐに分かりました。そのどれもが、あの女自身の言葉ではなかった。
 ですから初めは無視しておりましたが、そうしたらあの女。キングに私をクイーンから外したらどうかと言い出しましてね。どれだけ苦労してここまで上り詰めたと思っているのか。まったく忌々しい女ですよ。
 すっかり篭絡されていたキングはあの女の言いなりで、私を外しかねませんでしたから、惚れた振りをしておりました」

 よほど鬱憤が溜まっていたのか、テディは眉を寄せて一息に話し、呆れを表すように肩を竦めた。

 あの女自身の言葉ではなかった、か。
 それはそうだ。ソフィアは、ゲームのシナリオ通りの台詞を口にしていただけなのだから。……それが、自身も嘘つきなテディに見破られたということかしら。

「ですが、さすがにあなたを連れてきたときは肝が冷えた……おまけに殺人容疑、とは。まさかスペードの国を敵に回すなどという愚を犯すほどの阿呆だとは、予想しておりませんでしたよ」

 じっとニヤけ顔を見つめる。嘘を言っていないという証明なのか、テディは目を逸らさなかった。

「またあなたを地下牢に放り込むなど……火に油を注ぐようなことを平気でするのだから、無知とは恐ろしいものですよねぇ…………ダイヤのクイーンとして、正式にスペードの10に謝罪を。鍵はあの女が保管していて、今はお出しすることが出来ませんが、なるべく早く解放できるよう尽力するとお約束します」

 ダイヤのクイーンは、濡れた地面に膝をつき、最上級の礼を以って謝罪の意を表した。

 簡単に信じるほど私も馬鹿ではないけど、テディのことはゲームでもこの世界でも、それなりに知っているつもりだ。嘘をついているようには見えないし、嘘でなければいいという気持ちもある。

「謝罪の受け入れは保留致します。ダイヤのクイーン。あなたに、この損害に対しての賠償を要求します」
「なんなりと。あなたにはその権利があり、私にはお断りする道理がない」
「スペードのキングは、必ず一人の女性を伴って来るでしょう。その女性に、あなたの言う不気味なバカ女を決して近寄らせないでください」

 本当のことをいえば、スペードのみんなにあの女を近付けないで欲しいとお願いしたいけど、それはおそらくテディ一人の手には余る。
 なら、せめて自衛の手段がないララの身の安全は、確保しておきたい。

「承りました。……その女性ってのは誰です?」

 すっくと立ちあがったテディは、もういつものニヤけ顔に戻っていた。それでも、先ほどの言葉は嘘じゃないと、根拠はないが信じられた。

「白の10よ」
「……ああ、あの通達のあった……それがどうしてスペードのキングと共にこちらにお越しになるので?」
「あの殺人事件のとき、彼女は私と一緒にいたからよ。きっと私は犯人じゃないと証言をしに来てくれるはずだから、ソフィアがあの子に何をするかわからないでしょう」
「あの女も、さすがにスペードのキングが帯同した方に危害を加えるほどトチ狂っちゃいないと思いたいですがねぇ。否定できないところがダイヤのクイーンとしては情けないところだ」
「本当よ。反省してちょうだい」

 腰に手を当てて、わざとらしいお説教の体を取ると、テディは可笑しいとばかりに噴き出した。

「ははっ、まったくですねぇ。反省文でも書かせてもらいましょうか」
「五万文字くらいの超大作な反省文を要求するわ。賠償に加えておいて」
「これはこれは、大変な賠償だ」

 また可笑しいとばかりにお腹を抱えて笑うテディに、心の中で安堵する。ゲームと違って、この世界のテディはよく笑ってくれる人だった。この人を友人と言ったのは本当のことだし、暗い顔よりも、またこうして笑ってくれたことが嬉しい。

「テディはいつも本当に楽しそうに笑うわね」
「いやぁ、私にそんなことを言うのはあなたくらいですよ。まったく。……大切なあなたにこのような不便を強いて、スペードの皆さんはさぞお怒りでしょうねぇ」
「そうねぇ……」

 さぞお怒りで済めばいいけど、とは飲み込んだ。私も自覚はあるけど、スペードは五つの国の中でも特に身内の結束が固い。きっと私が地下牢に放り込まれているなんてバレた日には、戦争でもなんでもやってやるくらいのことは考えるだろう。

「そうだ。テディ、紙とペンを用意してくれない?」

 私のお願いにキョトンとしたテディだが、すぐに用意してくれた。

 右利きのルーファスは守るものを左に置きたがるから、きっとララはルーファスの左にいるはず、とサラサラと書きつける。スイートルームはさすがに格好つけすぎかしら。
 ふと、悪戯心が疼いて暗号を付け足した。

『囚われのお姫様を、それなりに早く助けに来てね。王子様』

 ……我ながら、キャラじゃないな。



 紙を開いたまま、テディに渡す。

「ルーファスが、そうね……『残念だ』って言ったら出しなさい。これでとりあえず怒りは抑えられるから」

 文章を読んだテディは泣き笑いのような表情を浮かべて、紙を持つ私の手に触れた。

「……あなたは、本当に、いいですねぇ……誠実で、嘘がない……あなたほど信頼できる女性は他にはいません」

 触れられた手がゆっくりと撫でられる。こちらを見つめるテディの瞳は、ソフィアを見つめていた時とは全く違っていた。とても穏やかで、だけどその奥には静かに燻る熱が篭っている。
 ……この人ってば、まったく。

「ハニートラップなんか仕掛けなくても、協力くらいするわよ。友達なんだから」
「……………………ぶっ」

 呆れて言えば、大きく噴き出された。

「ははっ! そう来るか! まったく、あなたには敵いません。あのガキがいない今ならと思ったが、これはなんとも難しい……はははっ!」
「ガキって?」
「なんでもありませんよ。……有難くお預かりします。なるべくなら、スペードのキングにお渡ししないようにしたいものですがねぇ」

 あの女は往生際が悪そうだし、アリーはすっかり女の言いなりになっているように見えた。保険はあって困るものでもないでしょう。

「いざとなれば、あなたはスペードでもらってあげるわよ。クイーンやキングの位はあげないけどね」
「それならダイヤで踏ん張りますよ。生まれ故郷ですから」

 触れられていた手が取られ、甲に唇を落とされた。

「感謝します。エルザ。あなたの厚意を決して無駄にはしません」
「投獄と手紙の分で二つ、貸しにしてあげるわ。……あなたも気を付けてね。手紙を渡したら、ルーファス達といなさい。ジェイクに後ろから叩き殺されるわよ。ルーファス達なら、私が手紙を預けたあなたを見殺しにはしないはずだから」
「ジェイク君ならありそうだなぁ」

 憑き物が落ちたようなダイヤのクイーンは、最後に深く頭を下げて帰っていった。



 食事の間隔からいっても、あれから恐らくは丸一日が過ぎていると思う。もうルーファス達はすでに到着しているだろうか。

「ねぇ、見張りの方。今日は何日かしら。少しお話しない? あなたも見張ってるだけじゃ、暇でしょう?」

 あまりに暇で、見張りのダイヤの兵に話しかける。しかし射貫くように睨まれて、どうやら失敗したらしいと悟る。

「黙れ。この、殺人犯が。お前が殺したコニーは俺の友人だった。俺は、絶対にお前を許さない」
「……だから、犯人は私じゃないのよ。何度も言っているけど」
「ソフィア様が嘘付きだと言いたいのか!!」

 そうだ、とはさすがに言えない。まさに火に油を注ぐというやつだからだ。

「ザック。交代だ」

 交代の兵が来て、彼は私を睨みながら、さっさと立ち去ってしまった。
 また交代の兵に話しかけても、無視されただけだ。
 体力よりも先に気が滅入りそう……。



 コツコツとこちらに向かって歩いてくる音がした。

 さっき見張りは交代したところだから、またテディかしら、と目を向けて。

 心臓が、大きく跳ねた。

「ふざけた暗号を書いて寄越した姫君はこちらですか」
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