天才魔導医の弟子~転生ナースの戦場カルテ~

けろ

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第10話:神の御業と、敗北の誓い

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凍てつくように冷たい声が鼓膜を揺らした瞬間、私は背後に現れたその人の姿に息を呑んだ。
いつからそこにいたのか、気配は一切なかった。血と泥に汚れた戦場に、彼だけが場違いなほど清浄な空気を纏って静かに佇んでいる。黒いローブ、月光を弾く銀の髪。全てを見透かすような怜悧な青い瞳。
私の師匠、ギルベルトその人だった。

「し、師匠……! どうして、ここに……!?」
「お前があまりに愚図だからな。様子を見に来れば、案の定このザマだ」

彼は一瞥しただけで瀕死のガロさんと私の無様な処置の全てを理解したようだった。その瞳には何の感情も浮かんでいない。ただ、絶対的な事実を告げるかのように、氷のように冷たい言葉が紡がれる。

「素人め。傷は塞げても、失われた血と魔力を戻すことはできまい」

そう吐き捨てると、師匠は私の隣に膝をつき、ガロさんの無惨な傷口にそっと手をかざした。派手な詠唱も、魔法陣の輝きもない。ただ、彼の指先から、夜空に咲くオーロラのような、眩いほどの青白い光が溢れ出した。

「え……?」

私は、その光景を信じられない思いで見つめた。
光は生きているかのようにガロさんの体を包み込み、抉られた傷口へと吸い込まれていく。その瞬間、ありえない現象が目の前で起こった。
まるで映像を逆再生しているかのように、ぐちゃぐちゃに引き裂かれた肉が盛り上がり、砕けた骨が元の位置へと収まっていく。どくどくと溢れ出ていた血はピタリと止み、土気色だった彼の顔に、みるみるうちに血の気が戻っていく。浅く速かった呼吸も、ゆっくりと穏やかなものに変わっていった。

手術も、輸血も、抗生物質も必要としない。私の世界の医療知識が霞んで消えるほどの、完璧な治療。
それはもはや「治療」という言葉では生ぬるい、生命の理そのものを書き換えるかのような「神の御業」だった。

「……これが、魔力医療……」

感嘆と、そして何よりも深い、深い敗北感が、私の胸を支配した。私が必死に、時間をかけても救えなかった命。師匠は、それをたった一瞬で、何事もなかったかのように救ってしまった。私の知識も、経験も、この圧倒的な力の前に、あまりにも無力で、ちっぽけだった。

師匠は治療を終えると、穏やかな寝息を立て始めたガロさんを優しく地面に横たえた。そして、ゆっくりと立ち上がり、私に冷ややかな視線を送る。

「……まだ戦いは終わっていないぞ。いつまで惚けている」

はっと顔を上げると、師匠はゴブリンキングを睨みつけていた。仲間たちが、師匠の常軌を逸した治療術に呆然としている。
ゴブリンキングだけが、目の前に現れた新たな脅威を正確に認識し、警戒に満ちた唸り声を上げていた。

「おい、化け物……お前、一体何者だ……」

シルフさんが震える声で呟く。師匠は彼女の言葉など聞こえていないかのように、ゴブリンキングに向かって静かに歩き出した。

「俺の弟子に手を出したこと、後悔させてやろう」

その声には、今まで感じたことのない、底冷えのする怒りが込められていた。

「いいか、ユヅカ。よく見ておけ。治療魔法とは、生命を最も効率的に破壊する技術でもあるということを」

師匠の指先に、先ほどと同じ青白い光が灯る。だが、その光が向かう先は傷ついた仲間ではなく、敵だった。
ゴブリンキングが咆哮と共に棍棒を振り下ろす。大地が割れるほどの豪腕。しかし、師匠はそれを紙一重でひらりとかわすと、すれ違いざまに光る指先でゴブリンキングの足に軽く触れた。

「ギッ!? ぎぎぎぎぎぎッ!?」

突如、ゴブリンキングが奇妙な悲鳴を上げた。攻撃を受けたはずの足ではなく、棍棒を握っていた腕が、ありえない方向に痙攣し、硬直していく。

(なに……? いま、何をしたの……!?)

私の目には、ただ触れただけのようにしか見えなかった。
「あれは……!?」後方で見ていた魔法使いのリナさんが、信じられないものを見たかのように絶句している。「足の末端神経を刺激して……腕の筋肉を強制的に収縮させた……? そんな精密な魔力操作、人間業じゃ……!」

師匠のやっていることは、もはや戦闘ではなかった。それは、巨大な生物を相手にした、公開手術。あるいは、残忍な解剖学の実習だった。

彼はゴブリンキングの猛攻をまるで舞うように避けながら、その都度、的確に相手の急所――神経叢、魔力回路の結節点――に指先で触れていく。
触れられるたびに、ゴブリンキングの巨体は意思とは無関係に動きを誤り、自らの体を痛めつけ、無様に転げ回った。

「(すごい……。あれは、ただ壊しているんじゃない。人体の構造を、魔力回路の流れを完璧に理解しているからこそできる、最も効率的な無力化……!)」

暴力的なまでに美しく、そして残酷な光景。これが、私が目指そうとしていた魔力医療の、もう一つの顔。生命を救う力は、最も容易く生命を奪う力にもなる。その事実を、私はただ圧倒されながら見つめることしかできなかった。

そして、その「手術」は、あっけなく終わりを迎えた。
完全に動きを封じられ、恐怖に瞳を歪ませるゴブリンキングの眉間に、師匠はゆっくりと歩み寄る。

「終わりだ」

最後の宣告と共に、師匠の指先から放たれた小さな光の粒が、王の額に吸い込まれた。
それは、まるで小さな銀の雷光のようだった。
ゴブリンキングの巨大な身体がびくんと一度だけ大きく痙攣し、その瞳から知性の光が永遠に失われる。そして、巨体はまるで張り子の人形のように、何の抵抗もなくゆっくりと横に倒れ、二度と動くことはなかった。

静寂が戻った森に、師匠は冷たく言い放った。
「さあ、帰るぞ。お前には、基礎からの再教育が必要だ」

その言葉は、私の胸に深く、深く突き刺さった。まるで、「お前はやはり何もできない、無力な子供だ」と、はっきりと烙印を押されたようだった。
師匠は私の腕を掴み、戦場から連れ去ろうとする。
安堵、絶望、悔しさ。ぐちゃぐちゃになった感情が、涙となって溢れ出した。

「待って……待ってください、師匠!」

私は、震えながらも、その手を振り払った。
私の心の中には、まだ諦めきれない想いが、炎のように渦巻いていた。

「私は……私は……っ!」

言葉が喉に詰まって、うまく出てこない。私は、戦場で、土まみれになって、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、必死に師匠に訴えかけた。
「私は、ただ、誰かを助けたいだけなんです! 命を救いたいだけなんです! それなのに……! それなのに、私は何もできない……!」

看護師として、誰かの役に立ちたいと、ただそれだけを願って生きてきた。この世界に来て、初めて、その誇りを、自分の無力さで粉々に砕かれた。

師匠は、そんな私を静かに見つめていた。その青い瞳には、いつもの冷たさとは違う、何か複雑な感情が宿っているように見えた。

「師匠! 私、師匠から……この世界の医療を、もっと、もっと学びたいんです!」

私の魂からの叫びに、ギルベルトは足を止めた。
戦場で、泥と涙にまみれて自分を見上げる小さな弟子を、彼は静かに見つめていた。彼の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、深い悲しみが浮かんだような気がしたのは、私の気のせいだったのだろうか。
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