愛しの妻は黒の魔王!?

ごいち

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第三章 けだものでも、まおうでも

分室の主

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 『――その昔。
 海に囲まれたこの大地は、エルフやダークエルフ、亜人に獣人、精霊と呼ばれるもの、そして人間と多種多様な民族で溢れていた。
 それらの種族は小さな争いを繰り返しながらも、互いの棲み処を守って共存していたが、ある時その均衡は崩れた。強大な力を持つダークエルフが魔王を名乗り、太古に滅びたはずの竜を甦らせたからだ。
 煌びやかなエルフの都も、独自の進化を遂げた亜人の里も、荒々しく野を駆け回る獣人の山も、叡智持つ精霊が棲む森も、人間が飼うたくさんの家畜も。黒い竜はすべてを壊し失わせた。
 太陽は熱を失い、大地は雪と氷に覆われた。
 世界が魔王と魔王の竜に滅ぼされようとしたとき――。
 一人の偉大なる魔導師が立ち上がった。銀の髪に空色の瞳を持つ若者、後の魔導皇アスファロトだ。
 エルフの血を引くアスファロトは、強大な魔法を駆使して邪悪な魔王を打ち滅ぼし、暴れる竜を山の奥深くに封じこめて、大地に平和をもたらした。
 アスファロトは戦乱に疲れた人々を癒やし、あらゆる種族が共存する楽園を地上に創り上げる。――魔法帝国アスファロス皇国の建国である』





 グレウスは読みかけていた本を閉じた。
 ここは城の中にある聖教会分室だ。その中にある書架をグレウスは訪れていた。
「お探しの本は見つかりましたか?」
「あ……」
 後ろから声を掛けられて、グレウスは慌てて振り向いた。
 そこに立っていたのは、皇族であることを示す銀糸飾りをつけた法衣の聖職者――エルロイド卿だった。
 本を両手で捧げ持ち、グレウスは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。こちらの本をお借りすることは可能でしょうか」
 グレウスが差し出したのは、アスファロス皇国の成り立ちと魔導皇アスファロトについて書かれた一冊だった。
 貴族としての教育を受けていないグレウスは、街の聖教会でおとぎ話のように聞かされた話以外を知らない。一代限りとはいえ侯爵の地位に就いているのだから、自分の国について最低限の知識は身に着けておきたかった。
 何より、アスファロトは愛妻の遠い先祖だ。
 あまり難しい話は頭に入ってこないので、平易な言葉で綴られたこの本が適当な気がする。
「一般の方への貸し出しはしておりませんが――」
 細い銀の眉を曇らせて、エルロイド卿が思案の様子を見せた。


 グレウスは直立不動の姿勢で、緊張とともに返事を待つ。
 城の敷地内にあるこの分室の責任者であり、卿と呼ばれる聖教会幹部でもある目の前の魔導師は、グレウスの妻オルガの異母兄だ。
 オルガと二か月しか離れていない義理の兄は、残念ながら皇帝にはなれなかったが、選定の儀式で力を認められて皇室に籍を置いている。
 ふわりと、花が綻ぶような微笑みが白い美貌に広がった。
「――構いませんよ。それは私個人の蔵書ですので、どうぞお持ちください」
「あ、ありがとうございます!」
 背中の毛が逆立つのを感じながら、グレウスは勢いよく頭を下げた。
 しっかりと下げ切ってから、ゆっくりと恐る恐る頭を上げる。
 グレウスは元の直立不動の姿勢に戻して、優しげな白い顔を見つめた。


 ――先帝の第七皇子、エルロイド卿。
 彼は、魔導皇再来の誉れも高い皇族だ。
 皇帝以外の皇族は、政治の世界に進んで貴族院に所属するか、あるいは魔法を極めるために聖教会に所属するのが常となっている。エルロイド卿は聖教会の魔導師となる道を選んだ。
 ディルタスが皇子を得た現在、エルロイド卿は皇位継承権を失っているが、『卿』と敬称がつく聖教会所属の皇族の中でもとりわけ高い地位についている。それだけの実力が持つ魔導師ということだ。
 ごく幼い頃には話題に上ることもなかったのだが、今では聖教会内外に数多くの信奉者を得ている。
 皇室の掟により皇帝の座はディルタスのものとなったが、最終選定前にはエルロイドを次期皇帝にと推す声も少なくはなかった。
 その理由の一つ、はエルロイドが伝説に語られる魔導皇と同じく、癖のない銀の長髪に澄んだ空色の瞳を持っていることもあるだろう。
 アスファロスの皇室は、失われた民族であるエルフの血を引くと言われている。
 そのせいか、皇室には長身で姿かたちに秀でた者が多い。
 エルロイドもまた背がすらりと高く、体つきはしなやかだ。剣も乗馬も一通りこなし、魔法の腕にも優れていると聞く。かつてのオルガほどではないにしろ、風火水土の基本四元素は難なく扱え、人の意識に訴えかける幻惑魔法も得意としているそうだ。
 しかし、何よりも人の目を引き付けて止まないのは、その美貌だろう。
 白い卵型の優美な面。弓型の細い眉に、青く澄み切った瞳。スッと通った鼻筋と、薄く形のいい唇。
 透けるような肌の色もあって、まるで絵物語のエルフがそのまま地上に降り立ったかのような美しさだ。人々がアスファロトの再来ではないかと仰ぎ見るのも納得がいく。
「ありがとうございます。一両日中にはお返しに上がります」
 非の打ち所がない正統派の皇族だが、グレウスはエルロイドと対峙するとソワソワとして落ち着かない気分になる。動悸がして、早く目の前を離れたくなるのだ。
 背中にジワリと汗をかきながら、グレウスはもう一度頭を深く下げて礼儀を正し、分室を後にした。


 外に出て、ほっと息を吐く。
 聖教会の分室は明るい光が差し込み、穏やかで心癒されるはずの空間なのだが、なんとはなしに落ち着かない。
 手に汗をかいていたのを知って、グレウスは本を汚さないように上着の裾で拭った。
 気が付けば、昼の休憩時間が残りわずかのようだ。城のあちこちでのんびりと休息していたはずの勤め人たちが、軒並み姿を消している。
 自分で思うよりも長い時間、分室で過ごしてしまったらしい。
 グレウスは小走りになって士官室に戻った。
 分室に通うようになって数回目になるが、エルロイドと話をした後はいつもひどく疲れてしまう。


 客観的に見て、エルロイド卿は皇族という身分にそぐわず、物腰柔らかで優しい雰囲気の持ち主だ。
 毅然としてはいるが、居丈高に振舞うところは見たことがない。皇族の守護にあたる近衛騎士のグレウスにさえ、言葉遣いはいつも丁寧だった。
 ディルタスの代は、先帝の儀式を突破して皇族として残ることが許されたのは、このエルロイド卿だけだ。
 皇国屈指の魔導師である上に、清廉潔白で慈悲深く、姿までも麗しい。貴族の間では称賛の的で、騎士団の中にも身分の上下を問わずに崇拝者が多い。
 しかしグレウスの目には、髪や瞳の色が違うものの、その美貌が妻と瓜二つに思えて、どうにも落ち着かない気分になるのだ。
 ――あの顔の持ち主が、まっとうな性格をしているはずがない。
 グレウスの野生の本能は、そう警告しているようだ。
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