愛しの妻は黒の魔王!?

ごいち

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第二章 とんでもない相手を好きになり

似合いの夫婦

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 国境に残った近衛騎士団の働きにより、ラデナ国側の橋の砦は打ち壊された。
 その後正式に結ばれた条約で、最近整備されたばかりの港とともに、橋から海へと繋がるラデナ領の一部がアスファロスの領土となった。
 港の近くにはオルガ発案による工場が建設され、干物などの加工品が安価で作られている。また、魔導具を用いた中継所を数か所経由することで、アスファロス各地に鮮魚を含めたさまざまな海産物が入ってくるようになった。
 城下の街の屋台にも、近頃は鳥や獣だけでなく、魚介類を使った料理が並び始めている。


「悪くはない」
 湯気を立てる串に齧りついたオルガが、ツンと澄ました様子で言った。
 近頃入ってくるようになった、イカという軟体動物を一夜干しにして屋台で焼いたものだ。甘辛いタレがかかり、表面には軽く焦げ目がついている。
 最近流行りのこの名物は、のっぺりとした白い体に吸盤付きの幾つもの触手を備えた海の生き物で、見た目は悪夢のように悍ましい。しかし食べてみるとこれが意外といい味をしている。歯ごたえもあって庶民好みの味わいだ。
 物は試しと休日に誘ってみると、オルガは何の気負いもなく街の屋台に付き合ってくれた。
 やはりあの時屋台で出会ったフードの人物もオルガだったらしい。
「まさか貴方が屋台通いをしているとは、思いもしませんでしたよ」
 足を齧りとってオルガに返しながら、グレウスはしみじみと呟いた。
 手元に串が戻ってきたオルガは、次はどこを食べようかと吟味している様子だ。
「時々無性に食べたくなるのだ。通うというほど頻繁に来てはいない」
 串を眺めてそう言うのだが、小銭で屋台の支払いをし、道の端で串に齧りつく様子は慣れたものだ。相当通っているとグレウスは見た。
 結局オルガは肉厚な身の方を食べることにしたらしい。タレがたっぷりついた真ん中あたりを齧り取り、まんざらでもない顔で咀嚼している。高貴な生まれのくせに、オルガは意外と何でも食べる。
 グレウスは辺りに目をやった。
 身分卑しからぬ風情の男が二人、往来で仲良く一本の串に齧りついている。少々珍妙な光景のはずだが、こちらに注意を向ける人間はいなかった。オルガの魔法だ。
 人目を気にする必要がないとわかって、グレウスはオルガに顔を寄せると、唇の端についたタレを舌で舐め取った。
「こら。魔法が不安定になるからやめろ」
「俺を見て逃げた仕返しです」
 焦った様子のオルガに、過日の屋台での出来事を責める。
 オルガは口を尖らせ、都合が悪そうに目を逸らした。
「……お前のことだから……急に、昔のことを全部思い出すかもしれないだろう」






 初めて出会った時のことは衝撃的だったとオルガは言った。
 なんでも、オルガはお忍びで外に出る時には必ず、姿を認識できないようにする幻惑の魔法を使っているらしい。
 すれ違っても姿は見えず、ぶつかっても気づきもしない。いざという時には忘却の魔法を併用すれば何の心配もいらない。
 そうやって、まるで亡霊のように街を彷徨いながら、探しものをしていたのだと。
 そして出会ったのが、グレウスだった。
 魔法で隠していた姿を見破り、偽っていた目の色も見抜いてしまった。オルガの魔法が通用しない相手。
「もしも私を倒せる相手がいるとしたら、それはお前だろうな」
 昔話に興じてくれた時、オルガが懐かしいものを見る目をして、ポツリと零した。


 生まれついて強大な魔力を持ち、怖れるものなど何もない。
 自分を怖れる周りの人々が、オルガの目にはひどくつまらない存在に映っていたという。
 皇帝の座も魔導皇の血も関係ない。聖教会の卿たちが束になってかかってきたとしても、捻じ伏せるのは簡単だ。この地上に、自分を打ち負かすものなど存在しない――。
 桁外れの魔力を持つからこそ、オルガは孤独だった。
 口で何と繕おうと、人々が自分を怖れていることは肌で感じる。そんな人間たちに好意を抱けるはずもない。
 親や血の繋がった兄弟さえ自分と同等とは思えない。誰も彼もが目に入れる価値もなく、決して交わることもない遠い存在。
 ――そんな時に、オルガは小さなグレウスと出会った。
 長い間探していたものを見つけたように嬉しかったと、オルガは語った。


 その日以降、オルガは魔法が通じない相手と対峙するために体を鍛え始めたそうだ。魔法や魔導具の研究も進めた。
 今の政治の制度や在り方、周辺諸外国の辿った歴史、魔法と技術を組み合わせていくにはどうすればいいか――様々な知識を貪欲に吸収した。
 次代の皇帝にと望まれてはいるが、魔法に優れていることと為政者として優れていることは別物だ。
 皇帝の座に就くのは、魔法以外のことにも広く目を向けられる人間がいい。弱いものにも優しく、多くの人間を大切に思える者。それは自分ではない――。
 その結論に至ったオルガは、次の皇帝としてディルタスを選び取った。
 魔力に関して力添えをする代わりに、オルガは条件を求めた。それは、皇族としての責務から解放されること。
 いざという時には国を守ろう。しかしそれ以外の時は、ただの一魔導師として自由に生きたい、と。


 ディルタスはその後、無事皇帝となった。
 オルガは『呪われた皇子』だと自ら噂を広めて、悠々自適な生活を送ることにした。望んだとおりの生き方だったが、一つだけ懸念が残った。
 見習い騎士として城にやってきた少年――グレウスのことだ。
 オルガを見て物怖じせずに求婚してきた少年は、城で見かけるたびに立派な大人の騎士へと成長していく。上背は長身のオルガを越し、筋肉質な体はまるで熊のように。
 別れの時に忘却の魔法をかけておいたが、成功したかどうかの確証はない。
 昔のことを、今でも覚えているのではないか。
 大きくなったから結婚しようと、ある日突然言いに来るのではないか。
 陰からそっと様子を窺ううちに――、夏至の事件が起こった。
 無理を押してグレウスを助け、魔力切れで寝込んだせいで、勘の良いディルタスに察知され……。


 お節介め、私はそんなつもりではなかった、とオルガは不機嫌そうに言う。
「そんなつもりはなかったが、その傷では嫁取りも難しかろう」
 口振りだけは苦々しく、火傷の跡が残った責任を取っただけだ、と。
 赤い顔をしてそっけなく言った。


 人間離れした力と玲瓏たる美貌。
 不吉な黒髪を長く伸ばし、身に纏うのは黒衣の魔導具。
 呪われて死ぬかもしれないと、陰で囁く者もいる。オルガに呪われて死ぬなら本望だ。悔やむことは何一つないと、グレウスは心に思う。
「俺と結婚してくださって、ありがとうございます」
 抱き寄せて朝焼けのような赤い瞳を覗き込むと、魔王と呼ばれた国一番の魔導師は顔を背けた。
「……皆が怖れる私だが、お前も見た目の厳つさではいい勝負ゆえ、我らは似合いの夫婦ということだ」
 ぷい、と横を向いた白磁の肌が耳まで赤く染まっていた。
 その夜、グレウスはオルガがすっかり素直になって『好きだ』と啼くまで愛してしまった。





「そもそもお前が何も覚えていないと知っていたら、絶対に結婚など承諾しなかったのに」
 色々思い出して恥ずかしくなってしまったらしい。
 悔しそうに口を尖らせるオルガの手から最後の一口を奪い取って、グレウスは言った。
「諦めてください。俺はもう二度と忘れません。貴方の愛らしい仕草も姿も、俺のことを好きだと言ってくださったときの声も」
「言うな馬鹿ッ! しかも、口に物を頬張りながら!」
 耳まで顔を赤くしたオルガが眉を吊り上げた。
 外見や態度からはまったく想像もつかないが、オルガはかなりの恥ずかしがり屋だ。素直なのは、寝台の中で正気を失っているときくらいだろう。
 それを思い出すと、途端に肌の温もりが恋しくなった。
「……そろそろ家に戻りませんか? せっかくの休日ですから、貴方と二人きりの時間を過ごしたい」
 中の物を食べきってから頬に口づけすると、オルガはピクリと肩を揺らして睨んできた。
 グレウスはそれに構わず、反対側の頬にも、眉を寄せた眉間にも唇を寄せる。
 それから唇を塞いだ。
「ん……」
 人が行き交う往来だが、オルガの魔法が効いているので見られる心配はない。
 たとえ誰かに見られていたとしても構うものか。
 仲睦まじい新婚の夫婦が、互いの愛情を確かめ合っているだけなのだから。


 白磁の肌が、瞳と同じ色に染め変えられていく。冷たい美貌に匂い立つような色香が漂う。
 怒ったような顔は照れ隠しだ。自分から誘うのは良くても、求められると平静ではいられないらしい。
 腰に手を回して抱き寄せながら、グレウスは赤く色づいた耳に囁く。
「今日は時間がありますから、たくさん愛し合いましょう」
「時間がなくとも……しているくせに……」
 恨めしそうな声が聞こえたが、嫌がっているわけではなさそうだ。
 腰に回したグレウスの手に冷たい手がそっと重ねられた。
「……とんでもない相手を好きになってしまったものだ……」
 小さな呟きが聞こえた。幸せを噛み締めてグレウスは微笑む。とんでもない相手を好きになったと言いたいのは、むしろ自分の方だと。
 指と指を絡ませ合うと、触れ合った指の間に冷たく痺れるような魔力が流れた。
 オルガの黒いローブの背が割れて翼となる。
 二人の体が宙へと舞った。


 漆黒の翼が風を切る。
 大きな黒い影が通りに落ちるが、道を行く人々は頭上を気にする素振りもない。住む世界があまりにも違いすぎて、彼らの目には空を往くものの存在が認識できないようだ。


 ――隣にいるのは果たして救国の皇帝か、それとも魔王か。
 絶大な力を持つことは確かだが、怖ろしいとは思わなかった。
「……愛しています、オルガ。たとえ貴方が何者でも」
 触れ合った体の温もりを感じながら、グレウスは繋いだ手を握り締める。
 翼が大きくはためき、眼下に屋敷が見え始めた。主人の帰宅を察して、屋敷の玄関から老執事が姿を現すのが見える。
 車寄せに向けてゆっくりと下降する中――、オルガが小さく呟いた。
「……私もだ……」
 翼の羽音に掻き消されそうな声は、確かにグレウスの耳に届いた。
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