愛しの妻は黒の魔王!?

ごいち

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番外編

小さなハーフエルフの王 前編

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 『――ある時、強大な力を持つダークエルフが魔王を名乗り、太古に滅びたはずの竜を甦らせた。
 煌びやかなエルフの都も、独自の進化を遂げた亜人の里も、荒々しく野を駆け回る獣人の山も、叡智持つ精霊が棲む森も、人間が飼うたくさんの家畜も。
 魔王と黒い竜はすべてを壊し失わせた――』






「しまった……」
 書斎で荷物の整理をしていて、グレウスは頭を抱えた。
 持ち帰ってきた箱の中から、一冊の本が出てきてしまったのだ。以前、城の聖教会分室でエルロイドから借り受けて、そのまますっかり返すのを忘れていたものだ。


 アッテカ山の竜騒動からそろそろ一か月ほどになるが、色々な事があったせいで、返す機会を逃したままになっていた。
 今更どうしたものかと思いながら、グレウスは格式高く装丁された本の表紙に指を這わせる。
 立派な本だが、この中に書かれている物語は真実ではない。
 魔王などというものは存在せず、新しい平和な国を創るために奮闘した大魔導師と、気の良いやんちゃな竜がいただけだ。
 アスファロトの、ひいてはオルガの名誉を回復したいが、国中に広く知られている伝説をいったいどうすれば正しい形に改めることができるのか。
「どうした、グレウス。難しい顔をして」
 途方に暮れて本の表紙を睨みつけていると、温室の方から出てきたオルガが手元を覗き込んできた。グレウスが止める暇もなく、ぱらりと表紙を捲って中の記述に目を通す。
「……ああ、これか」
 本の内容をオルガも知っているらしい。
 特に気にした様子はないが、グレウスの心は痛む。
「オルガ……」
 本の表紙を閉じ、グレウスは伴侶の手を取って恭しく口づけた。
「どうか俺たちの愚かさを許してください。前世の貴方はあまりにも偉大過ぎて、地を這う俺たちには理解が及ばなかったのです」
 今からでも誤った伝説を取り消させて、アスファロトの真の姿を伝え直したい。だが、その方法が思い浮かばない。
 そう訴えるグレウスに、今も昔も魔王と呼ばれた美しい妻は、細く整った眉をひそめた。
「あの頃、私は――」
 形のいい唇が、遠い過去を語り始める。






 不意に浮力を失って、アスファロトは墜落するように岩山へと降り立った。
 黒い魔導具の翼を羽ばたかせ、辛うじて地面に激突することは避けたものの、手足が震えて力が入らない。――魔力切れだ。
 昨夜からの魔法の連打で、気づかないうちに魔力を使い果たしていたらしい。
「しくじったな……」
 小さく呟いて、アスファロトは辺りを見回した。


 山の上は冷たい風が吹きつける。
 先程までは魔法の防壁で風や冷気を遮っていたが、魔力の切れた今は完全に無防備な状態だ。このままでは凍え死んでしまう。
「アロイーズ……!」
 愛竜を呼んだが、反応はなかった。
 山を崩している最中に溶岩が噴き出てきたので、あそこでまだご馳走を貪っているのだろう。
 卵から孵って数年の幼い竜は、とにかく食べることと遊ぶことに我慢が利かない。腹が満たされるまで主人を探しに来ることはないだろう。
 まずは少しでも体を休めて魔力と体力を回復できるよう、風を防げる場所を造らなければ。
『集え、雷鳴……!』
 体中の残った魔力を搔き集めるようにして、山肌に雷撃を撃ち放つ。
 残る魔力を一点に集中したおかげで、岩山の硬い山肌は派手な音を立てて口を開けた。
 出来上がったばかりの浅い洞窟の中に入り、アスファロトは一番奥に座り込んで手足を小さく縮めた。寒い。
 この山は火山なので、洞穴を造れば地熱で少しは温かいかと思ったが、魔力を失いすぎたせいでそれ以上に体が凍え切っている。こうやってじっとしていても体は怠く冷たく、僅かな体温も岩肌に吸い取られていくような気がした。しかしそれでも、外で風に吹かれているよりはましだ。
 体を丸めて震えながら、アスファロトは無理を押したことを後悔していた。


 昨夜この地に入ってから、アスファロトは一睡もせずに辺りを破壊し尽くしていた。
 火を噴く山を削り、大地を均して丘へと変えた。この辺りに住んでいた生き物は、明け方頃に有無を言わさず別の場所へと転移させてある。無人の野で大量の土を掘り返し、水の流れを変えて水脈を導き、元の姿を想像もできないほど改変し尽くした。
 今いるこの岩山を切り崩して整地できれば、ここでの作業は終わりだ。次の場所へと向かって、また同じ作業を繰り返す。
 ――迅速に。どんな嘆きや恨みの声を聞こうとも、一切の感情を挟まずに。
 そのためにもまずは魔力を回復させなければならないのだが、体を休めるとは言っても、寒さから身を守る外套も腹を満たす食糧もない。元々ここでの作業は半日程度で終わる見込みだったので、十分な用意をしてこなかったのだ。
 今までの経験からすれば、作業は夜明けから始めて昼過ぎには終わるはずだった。しかしとっくに日が暮れて夜が訪れたというのに、作業はまだ終わらない。ところどころに魔力の干渉を受け付けない土地があり、出力の大きな魔法を何度も重ね掛けする必要があったせいだ。そのせいで、時間がかかった上に魔力も使い果たしてしまった。
 こうなることがわかっていたなら途中で一息入れていたのだが、完全にアスファロトの読み間違いだ。
 アロイーズは今はどこにいるのだろうか。
 洞穴の中から気配を探ろうとしたが、寒くて思考が纏まらない。もはや探知に割く魔力も惜しい。
 まずは回復しなければ。


 ガタガタと震えながらも、極度の疲労からうとうとと微睡み始めたとき――洞穴の入り口で石が崩れる音がした。
 ハッとなって顔を上げると、暗がりの中に黒い影が浮かび上がっている。
「人の縄張りで、よくも好き放題してくれたもんだ」
 野太い、剣呑な声が聞こえた。


 灯り一つない山中の、夜の洞穴だ。
 微かな星の光を遮って、岩のように巨大な影が入り口に立っているのが見えた。
「うちの一族を家ごと消しちまったのもお前か」
 警戒音混じりの唸るような声は、獣人族に特有のものだった。
 アスファロトが破壊したこのあたり一帯には、昨夜まで獣人族の集落があった。一人残らず他所へ転移させたつもりだったが、取りこぼしがあったらしい。
 しかも、どうみても大物だ。
「来るな……!」
 発した声は自分でも弱々しく聞こえた。
 洞穴の入り口を塞いだ影は、見上げるほど大きい。
 ギラギラと光る青白い目、岩の壁を掴む固い爪の音。隆々とした筋肉を撓めて、一体の巨大な獣人が獲物を逃すまいと慎重に近づいてくる。
「来るなと言っている!」
 叫び様、アスファロトは体内に残る魔力を搔き集めて炎を生み出した。
 半獣半人の獣人族は炎や煙を嫌う。それに熱源を発生させれば、火喰い竜のアロイーズが気づいて駆けつけてくれるかもしれない。
「無駄だ」
 だが生まれたばかりの炎の壁は、獣人の腕の一振りであっけなく消えた。
 訝しむ暇もなく、毛むくじゃらの腕が伸びてくる。
「……ッ!」
 雷を纏って身を守ろうとしたが、それよりも獣人の方が早かった。鋭い爪を備えた大きな手がアスファロトの腕を掴み、捻りあげる。
「ッ、う!」
 あっという間にアスファロトは後ろ手に腕を捩じられ、冷たい石の上に組み伏せられていた。
 うつ伏せで身動きも取れないアスファロトを、巨大な灰色熊が見下ろしている――いや、違う。全身を灰色の毛に覆われた、熊のような巨躯を持つ獣人の男が見下ろしていた。
「……どんな化け物が暴れ狂ってるのかと思いきや、チビたガキじゃねぇか」
 男は青灰色の鋭い目を細めて、小馬鹿にしたように吐き捨てた。


「ガキじゃ、ないッ!」
 カッとなってアスファロトは言い返した。
 獣人族とエルフとでは寿命の長さが違う。
 アスファロトは確かにエルフとしては若年で、獣人の男は成年に達しているようだが、生きてきた時間の長さはそれほど変わらないはずだ。見た目だけで判断されて、経験や考えが浅いと侮られるのは我慢がならない。
 怒りに任せて掴まれた腕を振り解こうとしたが、二の腕を掴む手は鉄でできているかのように緩みもしなかった。
 ならばと、掴まれた腕から雷撃を発しようとしたが、確かに魔法を発動させたはずなのに、ささやかな火花一つ生じない。
 焦るアスファロトに、獣人の男が鋭い犬歯を見せつけるようにして嗤った。
「無駄だ。俺に魔法は効かねぇよ」
「な……ッ」
 言われて初めて、アスファロトは昨夜からの作業が捗らなかった理由に思い至った。
 魔法を得意としない獣人族には、魔法への強い耐性を持つ者が時折生まれる。今朝がた転移魔法をかけた獣人族の集落にも、そういう能力者がいたということだ。
「くッ……!」
 並外れた魔法の力に慢心して武器の一振りさえも持ってこなかったことを、アスファロトは後悔した。だが、もう後の祭りだ。
 男の腕がもう一本伸びてきて、アスファロトの首根っこを掴み上げる。大きな手は華奢なアスファロトの首を一周し、猫の仔のように軽々と宙に吊りあげた。
「食いでがなさそうな、痩せこけたチビ助だな」
 炯々と青白く光る二つの目が、縄張りを荒らした獲物を射貫いている。
 背筋が寒くなるような感覚がアスファロトを襲った。


 大岩のような体、木の根よりも太い四肢。骨さえも噛み砕けそうな牙がぞろりと生え揃った口。
 魔法は効かない。武器は持っていない。力の差は歴然としている。
 自分よりも遥かに強い相手と遭遇したことに、アスファロトは生まれて初めて恐怖を覚えた。
 ……殺される。
 避けがたい死の予感に全身から血の気が引いて、手足がしびれた。
 獣同士の戦いでは、目を逸らした方が負けだ。せめて視線は逸らすまいと相手を見返す目に力を込めたが、耳の奥で鼓動が鳴り響き、息が苦しくなってくる。目眩がして目を開けていられない。
 ――気を失いそうだと、思った時。
「あれだけ暴れまわしておいて、凍えて死んでりゃ世話がねぇ」
 吐き捨てるような悪態とともに、アスファロトは胡坐をかいた獣人の膝の上に乗せられていた。警戒する暇もなく、ふかふかの分厚い毛皮に包み込まれる。
 獣人の男が着物の前を広げて、冷え切ったアスファロトの体を懐に抱いてくれたのだ。
「俺はゴルディナ。ここにいた一族の長だ。チビ助、お前はなんて名だ」
 喉の底で唸るような声は相変わらず乱暴だったが、アスファロトを捕らえた腕は、小さな動物を潰すまいと手加減しているのがわかった。
「……アスファロト……」
「チビのくせにずいぶん立派な名前だな。体があったまったら、悪さした理由をしっかと聞かせてもらうぜ」
 威嚇音を交えて叱りつける声は、悪さをした子を叱る親のようだ。
 思いがけない温もりに、アスファロトは困惑しながらも体の力を抜いた。

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