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一章 10歳になって
5、始めの一歩 4(彼女はできる先生)
しおりを挟む(今思うとこの国の生活水準高いよな……。水回りの設備整ってるし。ラジオあるし、映画とか写真とかあるし。……まだまだ金持ちの娯楽の域って感じだけど。……テレビ的なのは見た事ないんだよな。開発中か? 映画もあるって言っても舞台演劇そのまま観客席から録画したような奴だし、映像方面の技術はまだ発展途上って感じ)
お手洗いにて。
アルベラは蛇口の下に手を翳し、魔術によって自動で出てくる水で手を洗う。
(お風呂は絵にかいたような貴族って感じの広さと装飾だけど、シャワーもあるし、温度管理もバッチリだし。……まぁ、一般のご家庭がどうかは分からんけど……)
前世に比べれば科学の発達こそ負けてはいるが、この国での生活は前世の物と随分近い。
(そこら辺はあれか……やっぱりゲームの設定的な部分なのか? 王様がいて貴族がいて平民がいるでしょ……えーと、列車や車的なのは開発してるみたいだけどそこまで普及してなくて、一部の地域では実験的に使われていて。基本的な移動手段は馬やその他の生き物。ここら辺は明治辺りって感じ? けどトイレに対しての情熱が日本と同程度って……流石『日本製』……)
アルベラは今まで何とも思っていなかった屋敷のトイレを見る。
駅にあるようなトイレを更に広く、豪華に装飾したような作りだ。
個室が幾つか並んでおり、その中に設置されているのはウォシュレット機能もついた洋式便器。水が流れる機能は科学を魔術で補佐したような技術で作り上げられている。
アルベラは改めてトイレの個室に立ち、しげしげと中を眺めた。
便器横にぽつぽつと並ぶボタンで目を止め、「日本かな……」と一人呟いた。
ついでに「TOTO」というロゴが描かれているのではと探してみるが、もちろんどこにも見当たるはずもない。
もっとも、ここはディオール家又は来賓の者達用のお手洗いだ。使用人には使用人用のお手洗いと言うのがあり、ここの使用は許されてはいない。もしかしたら貴族や金持ちのための特別最先端な設備の可能性もある。
だったとしても、存在するという事がアルベラには感動的だった。
(科学の発展が乏しいのは魔法があるからだろうけど、科学が全くのおざなりになってるわけでもない……。これが人の貪欲さか……素敵。そのまんま中世近世のヨーロッパみたいな世界でなくて良かった。原作者様……又はこの世界の歴代の発明家達よありがとう)
アルベラは心の中で彼らを称え感謝した。
(向き不向きはあるけど、魔法が使えれば火も電気も使い放題なんだよな。ファンタジー万歳。……と言ってもそこまで電気に依存した暮らしじゃないけど)
朝の支度を済ませ、髪は流石に使用人に整えてもらい、アルベラは午前の授業を受けるべく自身の書斎へと向かっていた。
窓の外を見れば、風の扱いが得意な使用人が、庭で洗濯物を空中に浮かせて乾かせていた。大人二人分ほどの風のボールの中、布がばさばさと風にかき回されている。
ある程度水気が取れた所で、使用人が楽しそうに「ばっ!」と言って両手を広げ、風の魔法を解いた。僅かに残された風がゆっくりと洗濯物を下して行き、魔法を展開した本人と見守っていた使用人が地面に落ちないうちにそれらをキャッチしていく。
これから普通に干していくようだ。
アルベラはそれらの一連を眺め「いいな」と零す。
(私も早く魔法使えるようになりたい。今のところ座学ばっかだし……。ちゃんと使えるようになるのか……)
***
今日は朝からアルベラはそわそわしていた。
この間の誕生日の夜、街へ行こうと思い立ってから早速翌日、アルベラは母レミリアスへ相談しに行ったのだ。
後日、最近屋敷外での仕事が多い父が帰ってきた時にも直接話し、外出を許してもらった。
『アルベラ、なぜ急にそんなことを……』
やはり父ラーゼンはアルベラに屋敷の外には出てほしくなかったようで、どうして急に街に行きたくなったのかと尋ねられた。
渋る父を「お父様の領地への理解を深めたい」「ちゃんと外の事を知っておかないと大人になれない」のごり押しで何とか許しを得たのだ。
もっと大きくなってからではダメなのかと尋ねられたが、父の様子ではそれがいつになるのかわからない。
それに思い立ったが吉日である。
アルベラは「今がいいです!」と即答し、父は代わりに使用人だけでなく騎士も数人連れて行くようにとアルベラに命じた。
『まさか、この間殿下と話した時に何か……』
『殿下? ラツィラス様の事ですか?』
『そうだ』
『いいえ、特に何も話してませんが……』
『そうか。何も無いならいいんだ』
(あの王子様の件は一体……なにかありそうだけど教えてくれなさそうだな……)
父が気になる事を言っていたが、それはまた機会があれば聞けばいい。
まずは外出だ。そして可能なら人探しなのだ。
母は翌日の授業を午前で終えるようにとスレイニーに連絡を入れてくれ、誕生日から三日後、アルベラは正式に外出の切符を手に入れたのだった。
***
アルベラが両親から与えられた勉強部屋、兼書斎にて、午前のみのアルベラの授業が開始された。
午後になったら街への散歩という事もあり、授業初めのアルベラの意識はあちこちへと散漫していた。
書斎と言っても殆どスカスカな本棚達は、アルベラが成長の中で自分好みに集めていけばいいという両親の意向だ。
一つ、本がぎっしり詰められた棚があるが、それは父母が置いていったものである。薄く簡単そうな子供向けの本が数十冊程度と、その他難しそうな分厚い本がぎゅうぎゅうに詰められて居る。
(ここの本棚が全部ああでなくて良かった……)
あの分厚い本の背表紙達。今までのアルベラはあれらの固い文字に圧倒され、見るのもおっくうでちゃんと読んだことがなかった。
前世の記憶がよみがえったとはいえこの世界の文字知識は十歳程度なのだ。文字が読めてたとしても、彼女の知らない単語や専門用語がこの世界には山ほどある。
(背表紙も理解できないか……。お父様とお母様、一体どんな本を置いていったんだろう。――はぁ……まだまだ学びの時間は必要だな……)
読めるのに理解できない文字を見てから黒板へと目を戻すと、理解のできる内容に集中力が湧いてきた。
先生の話へ耳を傾けながら、アルベラは「今はちゃんと勉強するか」と自分の机とちゃんと向き合う。
「では、アルベラ様。この地域で栽培されているブラッセムという植物は何に加工されてるか覚えていらっしゃいますか?」
突然の問いかけにアルベラは急いで意識を目の前の女性へと戻す。
「は、……はい。紅茶です」
「そうです。ここの紅茶は質が良く、王室でも愛用されてます。そしてこの地域は――」
スレイニーは手元の本へと視線を戻しながら、ディオール領と周囲の土地との品のやり取りを黒板に書きだしていった。
こうやって授業をしているだけならいいのだが、彼女はたまに「発作」を起こす。
今までは何とも思っていなかったのだが、十歳を迎えた事で、この現象を「発作」だとアルベラは認識するようになっていた。
「――さて、この装飾品のもととなる鉱石ですが、私も一度、近くを通りかかったついでで味本位でその鉱山へ立ち寄ったことがあります」
「そしたら……なんてことでしょう」とスレイニーの声は怒りに震えだした。
彼女はその時の事を鮮明に思い出すかのように目を見開く。
「あの鉱夫達……、一つ二つ質問しただけなのに、何を勘違いしたのかあの汚らしい手でワタクシの手へ鉱石を乗せ、ワタクシへの不敬に気づく様子もなく笑いかけて来たのですよ!! 身分というものがありながら、彼らときたらなんと無作法な……あの時のショックと来たら。私はその場で倒れてしまうかと――」
という、これが「発作」だ。
ついこの間までならアルベラはスレイニー先生がこうやって発作を起こすたびに、「そうか、これは許されざることなんだ!」と素直に吸収し、彼女の言葉に同調していた。
「貴族の女性にそのような振る舞いをするとは、平民はヤバンなヤカラばかりなのですね!」という類の声をあげ、我が先生を慰めてもいた。
(先生とはいえ、スレイニー先生ってまだ二十一だっけ……若いよなぁ)
だが、こうして公爵に雇われて家庭教師をしに来ているだけ有って、学生時代の学業は優秀だったらしい。
アルベラ自身、そのことについては最近は特に身に染みていた。
スレイニーはアルベラのレベルをよく理解していた。学びのペースや考え方の癖を把握し、それに合わせて授業を進め、授業の中でアルベラ理解できていない部分があればそこをしっかりくみ取り補強してくれていた。
(本当にいい先生なんだけど……)
「アルベラ様、いいですね。平民というのは――平民ときたら――本当に信じられない――……」
(――先生、てっきりお父様と口を合わせているのかと思ったけどこれは違いそうね。本当に個人的に嫌いなんだろうな……。それはさておき)
アルベラは心の中で「よし」と気合をいれる。
そして顔をしかめ身を乗り出した。
「なんて汚らわしい!」
とアルベラは同調の声を上げる。
「その通りですわ」
とスレイニーが返せば、
「許しておけませんわね! 是非、上の者へ労働者の教育改善を申しあげませんと」
とアルベラが返す。
スレイニーは両手を胸の前に組み、感動するように首を縦に振った。
「アルベラ様、良く分かっておられますわね」
「そしてその失礼な鉱夫には厳重な罰を」
「ええ、その通りです」
「まずは減給ですね。そして罰金。妻や子供がいるならその者たちも労働させて先生の心の傷がいえるまで慰謝料を払い続けるべきです」
「え? ……え、ええ。そうですわね」
「その後その鉱山自体にも新しいルールを作らせましょう! 女性との接触を禁止し、新たな被害者を出さないよう、猛獣どもを完全に隔離するのです。子供を作るのは許可制にし、設ける子供の人数にも制限をつけましょう!」
悪くもない。むしろ気の良いであろう鉱夫達への非難がすらすらと出てくる。
きっとスレイニー先生の教育の賜物だ。凄い。先生ありがとう。とアルベラは彼女の教育の成果に感謝した。
「そ、その通りですね………」
初めの勢いはどこへやら。スレイニーは若干困ったような笑顔を浮かべていた。
だがアルベラはやめない。
「ですが、その後どんな間違いが起こるとも限りませんよね……。――ああ、そうだ。去勢を行うとかどうでしょう? 制限の人数子をも設けた猛獣は、それ以上繁殖できないように物理的抑制を施すんです」
「……え、ええ……えぇと……、」
平民嫌いであろうスレイニーも、十歳の子供の口から「去勢」という言葉が出て戸惑っているのか、はたまた鉱夫たちを流石に哀れに思ったのか賛同の言葉を言いよどむ。
彼女の躊躇いの表情に、アルベラは暢気に「平民への温情もちゃんとあるのね」と思った。
首をかしげて見上げてくるお嬢様を前に、スレイニーははっとする。
(だ、だめだめ……。アルベラ様の前よ、しっかりしないと)
真っすぐに見上げられ、スレイニーは淑女の手本として自分がここにいることを思い出し「こほん」と咳をした。
(けど、流石公爵様のご令嬢……。問題解決のためなら、人道的、道徳的なしがらみをこえて考えを巡らす姿勢……)
「……カエルの子はカエル、ということですわね。……私の方が勉強になりました。アルベラ様、ありがとうございます」
「……? は、はい……」
まさかのお礼。
スレイニー先生の見たことのない対応に、アルベラも若干戸惑う。
授業を終えてスレイニーはノートにメモを走らせた。
書かれていたのは授業内容の見直しについてである。
アルベラはそんな彼女に「先生」と机の端からのぞき込むように尋ねた。
「なんでしょう、アルベラ様」
スレイニー先生はメガネの下目元を緩ませる。
「今日、この後街に行くんです」
「はい。奥様からそのように伺っております。どうぞ気を付けて行ってらしてください。……ですがいいですね、アルベラ様。平民たちといるときは気を抜いてはなりません。騎士達から離れず、常に辺りを警戒なさってください……!」
スレイニーはアルベラの手をぎゅっと両手で包む。
(先生、本当に過去に何かあったの……?)
「はい、気を付けます……」
聞いていいのか、聞いたらまずいのか。
アルベラは今回は深くは突っ込まないままスレイニーと別れたのだった。
***
外出の準備も整いアルベラがエントランスへと向かうと、見送りの為にソファーで待っている母の姿があった。
そういえば、母は以前スレイニー先生の事を褒めていたな。とアルベラは思い出す。
あの先生のあの性質について、両親は知っているのだろうか?
べつに首にしろとまでは思わない。だが知っての所業か、知らずの所業か。ただそれだけが気になった。
アルベラがレミリアスの元へ行くと、娘の視線に何か感じたのかレミリアスの方から「どうかしましたか?」と尋ねた。
「お母様……最近たまに思うのですが」
レミリアスは美しい顔をゆるりと傾げた。
「スレイニー先生ってある一定のお話になると……その……何て言ったら良いのでしょう……変わってらっしゃる? なぁ、と……」
娘の言葉に、母は「まぁ」と言って微笑みを口元に残したまま瞬く。
「アルベラ。貴女いつからそう思うようになって?」
「え、ええと、なんとなく……最近思うようになりまして」
「そうでしたか」
と母は手に持っていた扇子を閉じたまま口元に当てた。
「貴族の女性として高潔な思想をお持ちな方なので、貴女は尊敬しきっていると思っていたのですが……。そうでしたか」
「あの、別に悪く思ったとかではないですよ?」
「ええ……はい、そうですか」
にこりとほほ笑む母を前にアルベラは「どうしよう」と心の中声を上げた。
(どうしよう……! 今更だけどこのお母様何考えてるのかさっぱりわからない!)
もう行くべきだろうか、とアルベラが会話を終わらせ「行ってきます」と言おうとしたとき、先にレミリアスが口を開いた。
「貴女も感じているかと思いますが、悪い方ではないのです。ただ、勉強はできてもまだまだ――若く幼ないところもあるのです……。彼女に対してもし受け入れられない何かがあっても、真正面から否定してはダメですよ。人には人の、そう思うようになるまでの過程があるのです。それを知らないうちは自分とは違う相手を否定するのではなく、自分と相手両方に問いかけなさい。貴女は貴女で『なぜそう思ったのか』『自分の考えはどこから来たのか』と、自身の言葉に耳を傾けるようにするのですよ」
「――は、はい」
なんてできた母親なんだろう。
一瞬アルベラの頭をそんな言葉が過る。
(お母様は確か二十九歳。私を生んだのが十九歳の時で………ていうか前世の私が死んだ年の十個下!? なんてしっかりしてるの! 母親ってすごい!)
『母親』ってやっぱり特別なターニングポイントなんだなぁ、とアルベラは自分の母を見つめしみじみと感慨に耽った。
「どうしました、アルベラ」
「あ……ええと」
軽く姿勢を低くし、自身をのぞき込む母の姿の後ろに後光が見える気がした。
「……すごいなぁって思いました」
「あら……」
「私、お母様の子供で良かったなって……今なんとなく思いました」
(美人だし)
はにかみながらそんな可愛らしい事を言ってくれる娘に、レミリアスは「あら」と零し扇子を開いて口元を覆う。
嬉しい言葉にこぼれてしまった微笑みを隠すような仕草。母は案外恥ずかしがり屋だったのだとアルベラは思った。
(――けど、まてよ)
見送られた馬車の中、アルベラは体に伝わる振動も忘れて思い返していた。
(今思えば人格より学力を優先させた雇用って、人格形成途中の子供にリスキーなんじゃない……? 私の性格が歪んでたらどうするの? ちゃんとこうしていい子に育ってくれたのは幸いだけど)
あの時の、扇子越しに向けられた深い紫の瞳――
嬉しい、照れるというより、思わぬ方向に事が運ばれ、それを面白がっているような観察の眼差し――
(もしかしてお母様、私がどう育つか実験してた……?)
ぶるり、とアルベラは身震いする。
(き、気のせい気のせい……)
母への疑惑を一旦忘れようと頭を振って窓の外へ目を向ける。
そこには自分の部屋からいつも他人事に眺めていた道。俯瞰から眺めるのではなく、今自分はその道の上にいた。
今日は初めての両親なしでの外出なのだ。しかも誰かのお屋敷へ行くでも貴族街に行くでもない、目的地は一般庶民が暮らす「普通の街」である。
綺麗に整備された道を明るい日の光の下に眺め、アルベラの期待が膨らむ。
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