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一章 10歳になって
18、王子様の誕生日 2(ここは王都クランスティエル)
しおりを挟む――と、いう事で。薬の集会と王子様の誕生祭への残りのひと月も過ぎて、アルベラが十歳になってから約半年が経っていた。
今日は遂に作戦結構の日、つまりラツィラスの誕生日である。
待ちに待ったこの日を迎えたアルベラはと言うと――
「んんんーもーーー!!! 素敵~~~!!!! かぁいい~~~!!!!!」
「は、離れなさいエリー! 臭い! 痛い! くるしい!!」
――朝から興奮のあまり野太い声になっているオカマと奮闘していた。
アルベラが隙をついてエリーの横っ面に張り手をくらわすと、エリーは「イヤン!」と嬉し気な声を上げる。
(……な、なんでこのオカマはビンタする度嬉し気な顔をするんだ)
「やすり顎」にやすられ、ヒリヒリと痛む頬をアルベラは片手で押さえ荒い呼吸を整える。
「あんたに抱き付かれる度ほっぺたの皮膚持ってかれての! わかる!? これ結構痛いんだからね!? 気を付けて! ほら服と髪とっとと直す!!」
「はぁ~い」
エリーは嬉しそうにテキパキとお嬢様の服と髪を整え直す。
鏡の中、いつもより煌びやかなドレスを纏った自分を見て、アルベラは腕を組み他人事のように「可愛いじゃない」と呟く。
一見白いドレスだが、光が当たると淡く黄色い光を反射していた。ふんわりと広がるスカート部分を濃い紫の花と紫の石が飾り立て、腰のリボンやドレスの裾には紫と黒を基調にした装飾があしらわれている。
頭には黒いリボンと、ドレスと同じような素材でできた淡い黄色とピンクの小さな花のコサージュ。
(ベースは柔らかい色なのに、ツンツンした感じの私の顔立ちに合ってるわね。お母様の見立てかしら? それともエリー? 後者なら感心するのやーめた)
アルベラが鏡の中の自分とにらめっこをしていると、着替えを手伝っていた他の女性の使用人が声を掛ける。
「お嬢様、とってもお似合いですよ」
「うん知ってる」
一瞥も寄越さず即答した少女に、使用人はもはや一片の可愛げも感じる事が出来なかった。
(最近成長したかと思ってたけど、うちのお嬢様ったら相変わらず生意気でいらっしゃったわ……。誰よ、最近お嬢様が丸くなったとかデマ言った奴)
後で文句を言ってやろうと、その使用人は笑顔を張り付けたまま自分の仕事を粛々と務める。
時間になると公爵家の屋敷の外では社交界用の馬車が待機していた。
アルベラは屋敷から出て、その馬車を物珍しげに見上げていた。
(――普段より装飾が多い四頭引き。……私はそもそも外出の機会が少なかったし、お父様もお母様もちょっとしたお出かけは二頭引きが多いから四頭のは久しぶりに見た気がする)
車を引いている馬も、普段の馬よりもその体躯がやや大きく、筋肉が張って健康的に日の光を反射していた。
(ボディービルダーだ。速そう)
「お嬢様、お気をつけて。この種の馬は少々気が荒いのです。小さな生き物が足元をうろつくと容赦なく蹴りつけますのであまり足元へは近づきませんようお願いします」
「はーい」
顔なじみの屋敷の御者ヴォンルペの注意に、アルベラは素直に頷く。
(そういえばヴォンルペ、前に鳥の車も引いていたよな。もしかして彼、馬車に関しては万能? エキスパート? 機会があれば御し方をヴォンルペから教わるのもいいかもしれない……)
「アルベラ、乗りますよ」
「はい」
レミリアスに呼ばれ、アルベラは母と共に馬車へ乗り込む。窓を覗けば、馬にまたがったエリーの姿が見えた。
いつもより少し作りの良い外行きのメイド服で馬に跨る姿はまるで宝塚の男役だ。「絵になるなー」と、アルベラは悔しくもつい見惚れてしまう。
ラーゼンも乗り込み、準備が整った馬車はゆっくりと動き出した。
楽しさ半分。緊張半分。
今夜はダンスからの集会だ。と、安心できない一日にアルベラは覚悟を決める。
***
古くなって木目がつるつるになった床板。
ベッドが六つに、六人分の椅子に囲まれた円卓がひとつ。
卓の上にはポットと使用中のカップが二つ。窓から朝日と共に入り込んだ爽やかな風が、カップに注がれた珈琲の水面を小さく揺らした。
経営者の物を大切にする精神がこの宿全体から見受けられ、毎日丁寧に掃除され必要であればメンテナンスを受け、見るからに古びた調度品類は見た目によらずしっかりと機能していた。
使用されてるベッドは六つ中五つだ。
ひとつは手付かずのまま、シーツや掛け布団が置かれてもいない。
使用中のベッドの横には荷物が各々の置き方で置かれていた。荷が乱雑に広げられたものもあれば、広げられた形跡が見られない位にきっちり綺麗に纏められたものまで。それらはそのまま持ち主たちの性格を表していた。
ここはこのストーレムの町で、広さと安さが売りの老舗の宿だ。
三人から八人までのちょっとした団体客には、普通の宿で幾つかの部屋をとるよりも二割くらい安いと評判である。
オプションで頼める食事は珍しさの欠片もないごく一般的な家庭料理だがそれも「懐かしく美味い」と評判だった。
この宿に昨晩来た「商人の護衛」という肩書の彼、カザリットという名の青年は鳶色の髪をわしゃわしゃと掻き欠伸をした。
「――ちっ、何だよ皆。もう自由行動か……。あんな飲んどいてよくやるなぁ……」
カザリットは一人ぼやき、服の下に腕を突っ込んでだらしなく腹を掻く。
「おはようございます」
アーモンドグリーンの髪をオールバックにした男、ワズナー・ララが寝坊したチームメイトにコーヒーを差し出す。
「『遂に』ですから」
その口調は楽し気だ。
カザリットはまだよく知れない相手に「お、おう……」と警戒気味に返しコーヒーを受け取った。
いつ淹れたのか知らないがそれはとっくに冷めていた。だが善意でくれた物に文句は言わず、カザリットは黙ってそれを飲む。
最近仕事の繋がりで知り合ったばかりの同年代の男、ワズナーをカザリットはまじまじと観察していた。
カザリットが彼に初見で抱いた印象は「いけ好かない奴」だった。
見た目のいい神経質そうな眼鏡男。
だがそんな印象に反し、今のワズナーの服の所々にはシワがよっていたり、シャツの裾はズボンに仕舞いたいのか仕舞いたくないのか、どっちつかずに適当につっこまれ所々だらしなくはみ出していた。
彼の服の着こなしに「思ってたより普通なんだな」とカザリットは思ったが、その優男の顔に視線を戻せば彼の髪や眼鏡のレンズは寝起きを感じさせない位にきっちりしてるのでその人物像に混乱が生じた。
(寝坊した事をネチネチ言ってくるわけでもないし、思ったよりは緩いのかもな……。コーヒーもこれだし)
幸い自分は味にうるさい方でもないいし気にしないが、とカザリットは貰ったカップを飲み干した。
自分に向けられていた視線に気づき、ワズナーは「どうかしましたか?」と尋ねる。カザリットからは「いや別に」という適当な返答が返った。
「『ララ殿』はゴウリウスたい……あ、いや……。ほかの三人とは顔見知りなんだろ?」
「ええ。カザリットは昨晩会ったばかりでやりづらいでしょうね。言葉遣いや態度にも色々と『注文』がありますし、心中お察しします。――あと、貴方も皆さんと同じく私の事は『ワズナー』で良いですよ。私のファミリーネームは可愛らしすぎるので」
「確かにな」
じゃあ俺もカザリットで、と言おうとしたがとっくに彼は自分を呼び捨てにしていたのでカザリットは目を据わらせた。
(……いいやつなんだろうけどな。どうも俺の苦手な顔つきなせいで鼻につく。もっと嫌味なインテリ野郎でいてくれれば割り切れたんだが……)
カザリットはわしゃわしゃと頭を掻く。
(はぁ……。こいつといい上の奴らと言い……ったく、やりづらいったらない」
カザリットは口に出して文句を垂れる。
「突然呼びつけてお前は護衛だとか会合は明日だとか……。噂はなんとなく聞いてたとはいえ良くわからないまま来たらこれだよ。まさか早々に初対面の男四人と宿に詰めこまれるとはな。そこまで狭い部屋でなかったのが不幸中の幸いだ」
うんざりと手を振る彼にワズナーは爽やかに笑う。
「いいじゃないですか『用心棒』。身軽で」
「あぁ。あんたは薬剤師だったな。ヴァージルって奴は同僚か?」
「はい。彼とは学園の頃から顔見知りですね。ちゃんと話したのは久しぶりですが。――ゴウリウスは商人兼今回の交渉人。アベルも用心棒ですが、あなたと違うのはゴウリウス専属ってところですかね。『数年の付き合い』という設定だそうですよ。ちなみに今朝からその一人と二人で時間までぶらついてくるとの事です」
「そうかい……、まったく。こんなままごとみたいな役まで準備して。流石だな、あの公爵様も」
「ははは。同感ですね。―――さて、私達はどうします? 私は先に来ていたので一通りこの町は見物済みなんです。何度か来た事もありますしね。ここら辺の案内でもしましょうか?」
カザリットは予想外に友好的で物腰の柔らかいワズナーに居心地の悪さを感じつつ、折角の申し出だしと受け入れる事にした。しかし、先ず口を付いたのはこの状況への皮肉だった。
「はは。いい年した男二人で観光か。いいねぇ。何ならとことん可愛らしい喫茶店にでも行って甘いスイーツにでも舌つづみとでもいくか?」
甘いマスクの青年を正面席に甘ったるいケーキを食べる自分。自分で言っておきながらカザリットはその図を想像し、胸焼けしそうだった。
カザリットはわかりやすくふざけた口調で言ったつもりだったが、ワズナーは目を丸くした後に真面目な表情になり「なるほど、」と頷いた。
残念なことにカザリットはカザリットで、ワズナーのその反応には気づいていなかった。
***
やたらに広い部屋には沢山の服がハンガーにつるされ保管されていた。
扉の前は広く開けられたスペースがあり、化粧鏡や姿見、着付けに使うであろう道具等がきれいに整頓されている。
その部屋でラツィラスは城の召使に囲まれ身支度をしていた。
彼の目の前には壁に大きな鏡。
洋服を保管するスペースを背に、決められた衣装を着て、決められた髪型を施される。どれもこれも既に大人たちが決めて準備してあるものだから、ただ立っていればいいだけの状況にラツィラスは正直飽き始めていた。
「……様はもう来られているとか。ダーミアス様とステュート様は来られないそうです。ルーディン様も今年は考えられているそうで、来年からとおっしゃているそうです。サールード様は途中から参加されるとのことで……――」
「わかった。ありがとう」
窓の外にこの国で二番目の高さといわれる時計塔が目につく。
数か月前に出向いた隣町の時計塔は茶色がメインの古風なデザインだったが、この街の時計塔は白塗りに青い屋根が映えている。施された彫刻には金が貼られており、城と並んでも見劣りしないその豪華な姿は都の名物であり王城の次に続くシンボルだ。
そして少し視線を落とすと、今日のお昼の会場である宮殿の広間、円形のサーモンピンクの屋根が見える。
昼はお茶会。夜は舞踏会。結局どちらも食事は出るわけだが、どちらも食事をする時間はあまり期待しない方が良いだろう……、などとラツィラスは少しぼーっとしながら考えていた。
「ラツィラス様、今日は格段と素敵ですよ。もちろん普段もとても素敵でいらっしゃいますが」
この場の取り締まり役である四十代後半辺りの女性が朗らかな笑顔を愛おしい王子様に向ける。
「ありがとうございますラウ。君が素敵な服を選んでくれたおかげです」
何度か顔を合わせているとはいえ普段はあまり関わりがない彼女は、王子が自身の名を覚えていたことが嬉しというように笑む。それは孫に接するかのような愛や慈しみの籠った笑みだった。
「今回の衣装はニベネント陛下が選ばれたんですよ」
「お父様が? それは一日気が抜けませんね……」
「あらあら。きっと何も気にせず楽しまれることをご希望だと思いますよ」
ふふふ、と笑う召使たちの中で、ラツィラスは僅かだが居づらさを感じる。
皆、単に優しいだけだ。悪い事をされているわけではない、と彼は自分に言い聞かす。優しすぎて辛いというのはきっと贅沢な悩みなのだ、と。
彼は申し訳なく思いながらもこの場の抜けどころを探していた。それは僅かな視線の移動だったはずなのだが、ラウという束ね役の女性は敏感に察知しその意をくみ取る。
「さあ、そろそろジーン様も準備が出来て待ってる頃ですね。時間をかけてしまいすみませんでした。つい殿下が可愛らしかったもので」
「可愛い、ですか……。せめてカッコいいって言ってもらえるよう頑張りますね」
「まあ」とラウも他の使用人達も笑みを零す。
彼女、彼等に感謝を告げると、ラツィラスは部屋を出て大理石製のタイルが続く廊下へと出た。
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