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二章 水底に沈む玉

81、彼女は素直になれない 9(彼女の望み)

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「さて、どうしようか」

 ベンチに腰掛け、地面に横たえたオーレンを見下ろす。

「エリー。ロープ持ってきた?」

「いいえ。荷の中にあるのは見ましたが」

「だよね。私も。うっかりしてた。ちょっととって来るから、オーレンの事見張ってて」

「はい………なんでしょう?」

 立ち止まるアルベラの視線にエリーは首を傾ぐ。

「着替え持ってくる?」

「あら」

 そういえば、とエリーは自分の肩を見る。

「後でスカートンちゃんの部屋でも借りて着替えさせてもらおうかしら。今は大丈夫ですよ」

 「ありがとうございます」とほほ笑んで、エリーはアルベラを見送る。





 急ぎの用という事で、アルベラは正規のルートを無視し、生垣の下を潜り抜ける。

 木々の合間を抜けて外に出ると、途端に街の喧騒音が耳へなだれ込んできた。人の話し声。騎獣の嘶き。荷車や馬車の行きかう音。

「………え」

 立ち上がり、違和感に辺りを見回す。目の前には柵。自分のいる場所は、大人の腰ほどの高さの段差の上にある。柵を辿って左手は開け放たれた門と教会。今自分のいる段差は、教会に入る際に上る階段と繋がっており、生垣と柵の間を歩いていけば自然と教会の正門の前へと出られる。

(おかしい)

 庭に居た時、外はこんなに賑やかではなかった。そして―――

(なんで。………生垣の中に、エリーがいない。オーレンも)

 生垣の中を外から覗くと、そこには誰もいない静かな庭があるのみだ。先ほどの戦闘により地面が抉れたり、壁が焦げたりとしていたはずなのにそれらが見当たらない。

 どうして。

 アルベラは急いで教会の階段を下りる。

 柵につないでいた馬の元に駆け寄り、もういちど外から柵の中を覗く。だが先ほど見たとおりだ。何も変わることはない。

(オーレンが張った魔法? 魔術? ………もともと争うつもりだったから、準備してたって事? これ、中からは出られたけど、外からは入れるのかな)

 一応目的の荷物をバッグの中に詰めなおしつつ、アルベラは再度柵の中へと立ち入ろうとした。

「お嬢ちゃん」

 突然肩に手を当てられ、驚いて振り返ると、エプロン姿の知らないご婦人がいた。呆れた顔で腰に手を当てている。

「あんた、駄目だろ。そんな所で遊んでちゃ」

「ご、ごめんなさい。ところでおば様。ここから、大きな音とか聞こえてきませんでした? 光とか」

「音? 光? わたしは何も聞いてないねぇ。あんた、さっきそこから出てきてたろ? 中で何か悪さでもしてたのかい?」

「悪さとかじゃないです。………あの、私急いでるので、すみません。失礼します」

 ひとまず中庭から回り込もう、と思うが、若干の不安が胸をよぎった。罠などは無いだろうか。

(流石に中庭は他のシスターたちも使用するし、無関係な人たちが巻き込まれるような荒いことはしないかな)

「あなた、こんなところで何してるの?」

 声を掛けられ振り返ると、丁度教会の入り口から出てきたのであろう一人のシスターがいた。白い肌にグレーの瞳。カリアのお付きの片割れメイジュだ。

「聖女様から今日も来ることは伝わってます」

「は、はい」

「また、カリアさんのお時間を奪いに来たのなら追い払いますが」

 不快気な表情を浮かべるシスターに、オーレンといいメイジュと言い、「私も随分嫌われたものだな」とアルベラは苦笑する。

「いいえ。スカートンに会いに来ただけです。あの、中庭って誰かいます? 今日は何も変わりなかったですか?」

「中庭? 先ほどまで何人かのシスターや静養の者たちが休んでいましたが。変わりがあるとは?」

「いえ。何でも。じゃあ中、お邪魔します」

 メイジュに会釈をしアルベラは中庭へと足を向ける。その最後の瞬間までメイジュの目は不快気だった。昨日の話は彼女にもかなり響いているのだろう。オーレンが聖女にしたい人とは、きっとカリアさんの事だ。メイジュも昨日の様子から、オーレンと気持ちは同じであることが分かる。

(メイジュにとっても、私はとんだ邪魔者って事ね。人当たりは悪いけど、陰湿な嫌がらせをしないだけオーレンよりマシか)

 中庭に入ったアルベラは、ぐらりと地面が歪むような感覚に襲われた。すぐにそれは元に戻り、辺りの景色も、一見今までと変わりなく見える。

 急いで庭から出ようと、来た道を戻ろうとするが、中庭の入り口に透明な壁があり弾かれてしまう。

「なんで………」

 閉鎖の魔術。

 以前ツーファミリーの誰かに聞いた覚えがある。街中で争いごとを起こすときがあると。そんな時に使うのが、人目を拒む魔術だ。「閉鎖の魔術」はそのうちの一つである。

 仕込んでおいた場所に、立ち入った人間を閉じ込められるうえ、その場所は外からは、なんら変化のないいつもの風景にしか見えない。

 先ほどの、教会裏の魔術はこれだろうか。だが、外に出ることはできた。という事は、同じ系統の似た魔術。中庭のこれは、あちらに人が行くのを防ぐためか?

 けど、それにしては設置した場所が微妙だ。裏庭への進路に展開するならまだしも、中庭に。

(中庭全体に? それともこの一角だけ? )

 アルベラの背を嫌な汗が伝う。範囲を確認しようと教会に沿って宿舎側の奥へと走ってみると、十メートル行ったあたりで透明な壁に阻まられてしまった。

 アルベラは拳で何度かその壁を叩いてみるがびくともしない。

「どうしたのかしら?」

 後ろからメイジュの声がする。

「………グルだったの?」

 アルベラは振り返る。 

 そこには冷たく硬い瞳で獲物を見据えるシスターの姿。怒りを全面に出していたオーレンの時とは真逆だ。感情の波が見えず、腹の底まで凍てつかせるような瞳。この間のような怒りっぽい印象とは、嫌な意味で異なった空気をまとっていた。

「グル? 違うわね。あいつと私では少し方針が違ったの。だからお互い、単独犯」

 薄い唇が弧を描く。冷ややかな瞳は微塵も笑ってなどいない。

 アルベラは一歩後ずさる。背中に透明な壁が当たる。どうにかしなければと、ローブの中に手を入れ、手の中にゴム状のチューブを握り、指先に力を加えた。

「あの子は、部屋に閉じこもった。そのうち本当に邪魔になったら消せばいいと思ってたけど、あなたは直ぐにでも手を下した方がいいと思ったの。ごめんなさいね」

 メイジュの言葉にアルベラの肌が粟立った。

(オーレンより厄介じゃん!!)

 もし自分が首を突っ込まなければ、スカートンは誰にも気づかれづに消されていたのかもしれない。

 自分は、友人からの手紙がいつの間にか返ってこなくなった事寂しさを感じつつも、行方不明になったという知らせが届くまで、スカートンが殺されたという事も、教会からいなくなった事さえも気づかずに、日常をのほほんと送っているのだ。

 アルベラは一つの悲しい未来に身震いする。

「さよなら。寵愛の子」

 メイジュがこちらへと手の平を向けた。

 周りで何かがもぞもぞとざわめく音がして、アルベラは急いでローブの中からチリネロ液の入ったガラス棒を取り出した。

 ———パリン!

 アルベラがメイジュの頭部目掛け投げたそれを、メイジュは腕と魔法で防ぐ。小さな水の防壁が、彼女の腕の上に覆いかぶさる様に作られていた。

(………おもちゃ? ガラス………?)

 突然投げられたガラスにメイジュは一瞬驚くが、ナイフや鈍器ではなかったことに拍子抜けした顔をしていた。

 アルベラはメイジュがチリネロ棒に気を取られている隙に、辛い成分を拒むように目を閉じ、その横を走り抜ける。

 アルベラの毛先が水色に輝き、小さく持ち上がる。

(まだまだ使い物にならないけど、一応ね)

 魔力を体の中で練り、周囲の風や水分を意識する。

 先ほどメイジュがやったような、水の塊を作る動作は水系の魔法の基本中の基本だ。それくらいならアルベラにもできたので見様見真似で自分の前に展開してみるが、それに防御力など殆どない。

「追いかけっこをする気はないの」

 メイジュが距離を取ったアルベラへ手のひらを向けると、シスター帽の下で髪が大きくうねった。真っ白な髪の下に黒い髪の束が斑に混じっている。

 水の球がメイジュから放たれた。

 アルベラの展開した水の防壁はいとも簡単に、その球に弾かれ散ってしまった。一歩下がろうと足を持ち上げるが、その片方が持ち上がらないことに気づく。

 アルベラの片足は、膝上まで蔦に絡め取られ地面に縫い付けられていた。

(植物操作の魔法)

「やっぱり、まだまだ子供ね」

 メイジュは余裕の表情でアルベラに歩み寄る。

 目の前にした子供はなんとか抵抗を続けようと、またローブからあの棒を取り出していた。

 それを、一本二本と、メイジュ目掛けてでたらめに投げつける。

「煩いわね。もういいで………ぎゃあ!」

 顔に飛んできたチリネロ棒の一本を片手で払うと、メイジュは声を上げて身をよじった。散った液がうまいこと彼女の目に入ったのだろう。ついでに、アルベラの霧の魔法を、メイジュの体周辺に集中させていた。大した範囲には作れないが、人の頭一つ分くらいなら何とか覆いかぶせる。

 視界が白む程度の薄い霧だったためにメイジュには気づかれなかったようだ。その霧がへ、とどめの一本のチリネロ棒投入により、激辛の霧へと変化した。

 訳も分からず頭の周辺を手で掻きもがくメイジュ。

 アルベラは足に絡まった草を手で引きちぎって脱しようとする。

 だが、メイジュは自分の頭に水をかぶり激辛の霧を洗い流していた。真っ赤になって涙を浮かべる目をアルベラに向け、加減無しの魔法を放つ。

 アルベラの足元からぼこぼこと、細い物から人の腕程の太さの物まで、さまざまな太さの蔦が飛び出す。それは思考など皆無で、絡まるものすべてを強い力で締め上げた。

 足も胴も腕も、あらがえない力で締め付けられ、アルベラは地面に倒れ込む。手や膝をつき、地べたに這いつくばるのは何とか耐えるが、立ち上がることは叶いそうにない。

 蔦が何をどう絡め取るかまでは操作できないのか、すぐに首に巻かれなかったのは幸運だったなと、アルベラは頭の隅で思った。だがそれだけだ。何もできない。

 目前にまで歩いてきたメイジュが、焦れたようにアルベラの前でかがんで、懐からナイフを取り出した。

 その時、メイジュの体から何かがひらりと落ちる。

 丁度自分の手の甲に落ちてきたそれを、アルベラは考えもなく掴んだ。かさり、と指先に乾いた感触を感じる。

 首を絞められてないとはいえ胴をに巻き付いた蔦が内臓を圧迫していた。苦しい、視点が定めずらい。視界がぼやける。

(紙………紐………しおり?)

「触るな!!」

 メイジュがアルベラの手を叩はたいた。同時にある魔法を発動させる。

 「小さな罰」と呼ばれる、よく仕置に使われる類の魔法だ。これを受けたものは、小さな落雷を受けたような衝撃に一瞬体をこわばらせ、動きを止める。だが―――

「——————————?!!」

 それを受けた少女は背中を逸らせ、目を大きく見開いた。緑色の二つの瞳の中、瞳孔がきゅっと小さく絞まり、空を反射させる。

 あまりの苦しさに、何が起きたか思考を巡らすことも叶わなかった。

 体の神経を引っ張り抜かれるような、背骨に通る神経を直接触れられ扱しごかれるような感覚。頭の中では絶叫していたが、それが声となって出ることはない。全身を襲う激痛に、呼吸さえも憚れる。

 全てがぼやけた視界。

 見えるのは輪郭が膨張した白のシスター服。それが明るい水色に変わり、一転して芝生色が広がる。

 アルベラの意識はそこで途切れた。





 数秒の硬直後、目の前の少女の体から力が抜け、ぐったりと地面へと横たわる。蔦は倒れ込んだ彼女の体を無遠慮に這い、唯一与えられている「締め上げろ」という命令のもと、彼女の体を容赦なく締め上げる。

「………死んだ、の?」

 硬直時に見せた少女の顔は、死に際の者が浮かべるそれにそっくりだった。

 「小さい罰」が、ここまで効くなど思ってもないメイジュは「そんなまさか」と呟く。もともと殺す気でいたのだが、こういう形になるとは思ってもなかったので呆然としてしまう。

 もし生きていたとしても、このまま、あと少しもすれば蔦が彼女の血の流れも呼吸もを、全てを強制的に塞いで止めを指すのは間違いなかった。

 ただ生死を知りたい。生きていれば、この手で引導を渡してやろう。

 アルベラの首もとへ、メイジュは手を伸ばした。



「———動くな………………………彼女から離れろ」



 地の底から響くような、体を芯から凍てつかせるような声が静かに響く。

 誰とも知れないその声に、メイジュは飛び退き、喉元に凶器を当てられたようにぴたりと動きを止めた。言葉に指示されるがまま、速やかに少女を締め上げる蔦の魔法を解いた。

 メイジュの視線の先に、二人の少年がいた。

 一人は髪が赤く、剣を構えて立っている。だが、彼も自分同様、今の声に驚いた顔で固まっていた。

 もう一人は、赤い髪の少年の後方、庭の入り口に立っていた。木陰の下、見開いた眼を真っ赤に輝かせ。

 メイジュには、その少年の姿形を観察する余裕はない。赤い瞳に視線が縫い止められてしまったように目が離せなかった。ただじっと、自分に向けられた威圧的な空気に震える。

 少年の足がゆっくり持ち上げられ、近づいてきた。

 恐怖で狭まる視界の中、彼は尋ねる。

「僕の友人に、何を、した?」



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